第三十八話 微かな光明
「ふむ……事情はわかったよ」
熊八堂の地下に存在する『DRAFT』鳴海町支部。
そこの自称ブレーンの中村は、神妙な面持ちで頷いた。
「でも僕が言えるのは危険だという警告だけだよ」
という回答に、食後すぐに足を運んだ渋谷達は「やっぱりそうだよな」と、半ば想定通りとばかりに顔を見合わせた。
「君の力は強力だ。ただしそれはコントロールが出来ていればの話だよ」
一見厳しい言葉だが、中村の言うことはもっともであった。
事実、渋谷は『神意顕創』をどのようにして使ったのかイマイチわかっていない。いかに強力な力を持とうともその運用法に確たるものがなければ、却って危険を呼びこむモノになることは火を見るより明らかだ。
スサノオが提案したのも、あくまで選択肢の一つとしてのものであったはずだ。
だから渋谷は落胆するよりも「他に方法はありませんか中村さん」と尋ねた。
「狐憑きは、そう珍しいわけじゃないんだ」
「そうなんですか?」
という美朝の声に「その通りだ」という、バリトンボイスが返ってくる。
声の主は熊八堂店主にして、鳴海町支部の司令である熊谷だ。横には妻である茜の姿もある。
「お店はもういいんですか?」
「おう」
と豪快に頷いた熊谷は、前掛けと頭にタオルを巻いた店長スタイルだった。
つい先程まで営業時間だったこともあり、二人は後片付けと翌日の仕込みを終えてから地下に来たのだろう。
「忙しいときに押し掛けてすいません……」
「ぜーんぜん大丈夫よ。気にしないで」
と茜は微笑んで髪をまとめていたバレッタを外した。
アップに纏められた髪が解け、ふわりと広がる。厨房の熱気によってジワリと汗が滲んだシャツ。そして、どこか疲労の色が伺える表情が、渋谷にはどことなしか色っぽく見えた。
「…………」
『…………』
ぼうっとのぼせそうな頭は、すぐさま両隣から感じたジトッとした視線で我に帰り、
「っと、それより狐憑きが珍しくないってのはどういうことなんですか?」
「『DRAFT』は、凶と戦っていく上で各地で名のある霊能者達を集めてんだよ。そのなかには妖狐を自分の身に宿すことで力を得る奴もいるんだわ」
『DRAFT』の戦力は何も、渋谷達のように神と契約した英雄ばかりではない。
そのあたりの事情について、つい先日英雄となったばかりの渋谷だけでなく、美朝もまたあまり知らなかったようで、
「『DRAFT』には狐憑きをなんとかする方法が確立されているってこと?」
と、質問を重ねる。
「狐憑きであることを武器としている奴等ならなんとか出来るかもしれないが……」
「なら――」
「が、自体は単純じゃねぇんだろ? お前らの友達だっていう女の子はまったくの霊媒じゃない。ならすぐにでも対処にあたらなけりゃならない、違うか?」
熊谷の言う通りだ。
八神千草には霊的素養が無いとスサノオは言った。
このまま千草が凶によって身体に神気を宿すことを続ければ、命の危険さえある。
ゆえに迅速な対応が求められるのだが。
「そいつらは今、京都にいる。鳴海町へは少なくとも半日はかかっちまうだろう。しかもそいつらは京都から早々離れる訳にはいかねぇのよ。なんてったって、京都こそ総本山。凶のレベルも、発生する頻度もこことは違う。有能な戦力を他所に割くだけの余力もねぇしな」
『DRAFT』は、かつての災厄によって大打撃を受けた。各地から霊能者をこぞって集めても、仕留めることの出来なかった大敵との傷は、未だ癒えていない。
だからこそ、鳴海町のような今まで重要視されてなかった土地へは人員が割かれる事がなく、危険度が上がった現在でも戦力は美朝一人という状況だったのである。
「だがな渋谷、狐憑きに関してはなんとかなるかもしれん」
「ほ、ホントですか?」
「うん、その通りだよ」
と眼鏡をカチリと直した中村は、
「狐憑きのように、動物霊が人に憑依するという事例はたくさんあるんだ。そういったモノを解決してきたのも、霊能者達だった。特に自分の身に降霊させることでそれを使役した巫女が多かったらしい。現に『DRAFT』の狐憑き達は女性が多いしね」
もったいぶった言い回しの中村は次いで、ようやく結論を告げる。
「だから、霊的素養がある別の人物に狐を移し変え、それを使役することで今の状況は解決できるはずだよ」
「移し変えるったって……そんな人がこの町にいるんですか……?」
『――渋谷さま』
ふと、スサノオが名前を呼ぶ。
『渋谷様はすでに出会っておられるはずです』
「出会ってるって――――あ……!」
巫女。そして、霊的素養がある。
渋谷がパッと思い付いたのは一人の人物だった。
「渋谷、心当たりがあるの?」
「――ああ。それは……」
●
朝一番。
渋谷のランニングコースは、まっすぐに目的地へ向いていた。
昨日の話し合いのなかで思い浮かんだ人物。彼女に会いに行くためだ。
その場所とは――。
「おや、珍しいこともあるものだ。また神頼みかい少年?」
巫女の装束を纏った彼女。
この場所、夜刀守神社の巫女であり、鳴海高校副生徒会長の夜刀守巴こそが、渋谷が心当たりのある人物その人だったのだ。
「いや、用があるのは先輩に、ですよ」
「ふむ……?」
竹箒を動かす手を止め、巴は訝しげにこちらを見やる。
彼女が霊媒として高い力を持つことは証明済みだ。巴は渋谷と一緒にいるスサノオの存在を実際に視る事が出来ていた。彼女もそう口にしている。
だから渋谷は、
「先輩は、俺たちのことどこまで知ってるんですか?」
ストレートな質問を巴に投げる渋谷。反応をうかがうと、彼女はとぼけたようにして首を傾げる。
「そうだねぇ、君が後輩であるということ以外は、あまり知らないな。あぁそう言えば、君は今、剣道部によく顔を出しているらしいね? 烏丸がそう言っていた」
「烏丸?」
「そうだよ、烏丸飛天。男子剣道部の部長を務めている男だ。まぁ、口下手のヤツにはあまり向いている職ではないけれどね。あれはあれで人望があるらしい。後輩には慕われているようだ」
口下手というところから渋谷は烏丸の顔を思い浮かべる。彼を初めて見たのは部活勧誘の時だったか。なるほど、確かに寡黙そうな男だった。まるで武士のようだと思ったのを覚えている。
「あと、三年の間では君の評判はあまり良くない。特に男子諸君は、織部嬢に気に入られている君を排除しようという動きもあるようだな」
「な、何でそんなことにっ!?」
織部四季――剣道部女子部の部長。
渋谷はあの佐伯との練習試合以降、女子剣道部に顔を出している。というのも渋谷の腕前を知った四季が是非にと渋谷を引き留めたのだ。
渋谷自身、剣道に未練もあった。そして、自分よりも手練れと戦うことの出来る環境はありがたいと思った。だが当然、他の部員たちに受け入れられなければ潔く断ろうと思っていたところでの、四季の申し出である。
彼女もまた自分と同等の練習相手を探しており、それに見合うだけの力を見せた渋谷を気に入ったようだ。一部の女子部員の反対を押し切り、彼女は渋谷を練習相手として指名した。
以来、渋谷は部員ではないが練習に参加するという微妙な立場で今に至るのだった。
「織部嬢は親しい友人以外とは極力喋らない。ましてや異性との会話などあるわけがなかった。そこに現れた君という存在を、世の悩める男子諸君が目の敵にするのは当然だろう?」
渋谷は絶句。なんと反論しようにも言葉が見つからない。その諸先輩方の言い分も分からない訳ではないのだ。
しかし知らず命の危機に晒される立場になっていたなんて、理不尽ではないか。
それに、四季の渋谷に対する評価はつまるところ、ただの練習台でしかないはずだ。
「気に入られたって言っても、俺だって織部先輩と話なんてしませんよ。普段だって妙に睨まれるし……」
時折感じる視線が四季だったというのが練習中にはよくある。
そういうときは大抵、試合をしたいと四季が考えている時か、渋谷が四季に勝ってしまった時、もう一戦しようという意思表示としてのものだ。それに、渋谷から四季を見たときは視線をそらされる。
『ふぅ……』
と、なにやら呆れたような溜め息を横で溢すスサノオ。彼女から感じる視線は、どこかこちらを責めているようなジトッとしたもの。
「な、なんだよ……」
『いいえ、なんでもございませぬ』
胸のうちに溜まったものを吐き出すように、スサノオが大きく息を吐く。
彼女から感じるこちらに対する不満に、渋谷は訳がわからない、とばかりに頭上に疑問符を浮かべる。
「ふふっ。まぁ、そこには触れないでおこう」
と、愉快げに巴は口元を綻ばせ、
「だが、生徒会に属するモノとして部活に所属していない者がその活動に参加するというのは認められない。練習したいなら入部届を出すことだよ、いいね?」
「は、はい……」
などと、何やら話の方向を見失いながらいつのまにか諌められる渋谷。
このままでは話の本筋に入れない。そう感じた渋谷だが、
「と、まぁ冗談はこれくらいにしておこうか」
巴はそう言って渋谷を、そして、隣のスサノオをハッキリと視た。スサノオが言う高い霊力を持つ者特有の――空色の瞳で。
「聴こうじゃないか、君の頼みとやらを。なに、神に頼むよりは気安いだろう?」
その言葉は、彼女がこの神社の巫女として、渋谷たちに向き合おうという意思を含んだもの。
渋谷はスサノオに目配せし、スサノオの頷きを得てから、八神千草にまつわる事件と彼女が現在、狐憑きとなっていることを語った。
そして――、
「なるほど。それで私にその狐を祓え、と」
「はい……」
渋谷は苦々しげに頷く。
巴の表情が明るくない。難しそうな顔をしてから、一度目を伏せ、彼女はこちらを見る。
「それは――無理だね」
「っ……!?」
驚く渋谷に巴は「考えてもみなよ」と続けて、
「英雄である君達に御せない相手を、私程度の力でなんとか出来ると思うのか?」
「でも、先輩は――」
「確かに、私は巫女としての力は多少優れているのかもしれない。けれど、相手は私達が祈るべき普通の神様じゃあないだろう?」
そう。
相手取るのは、神格にして穢れを持つ魂――凶。
たとえ霊媒としての力が強力だとしても、ただの狐憑きとはレベルが違う。
「だが」と、巴は一度溜めを作り、
「祓うとまではいかなくとも、その子の身体から狐を追い出すことは出来るかもしれない」
「ほ、ホントですか!?」
「ああ。君の話では、その八神さんは狐憑きとして不安定な状態にあるというじゃないか。だからこそ、彼女の身体から狐を追い出すチャンスは今しかない」
千草が狐憑きとして安定していないのはわかっている。だからこそ、千草の状態は危険であり、急を要するに事態となっていた。
しかし、切迫した状況だからこそ、それを逆手にとる。
「学校の生徒に手を出されたとあっては見逃すわけにはいかない。出来る限りの事はさせてもらおう」
「あ、ありがとうございます!」
「まだ浮かれる場面じゃないよ、それが成功するかは分からない。過度な期待はやめてくれ。それに、狐を追い出す事に成功したあとは、君の仕事だろう?」
分かっている。
作戦が成功したあとは渋谷たち英雄の出番だ。
だからこそまだ油断してはならない。より一層、気を引き締めてかからねば。
「一応、こちらにも準備がある。出来次第君に連絡しよう。なるべく急ぐつもりだが、それなりの時間は覚悟してくれ」
「わかりました、お願いします」
「なに、礼を言うのはこちらの方だよ」
言い、巴は相好を緩める。
「君達英雄に、私達は何度も救われているのだから」
「――っ!」
その言葉はあまりにも渋谷の心に突き刺さる。
渋谷はつい先日英雄となったばかりだ。だから巴が言うような事はしていない。
それが向けられるべき者は別に居て、でもそれが渋谷の胸を途方もないほど熱くさせる。
入学式の日、同じことを御厨遠弥は言った。
英雄であることを忌避する者ばかりではない。その事実が渋谷の手に力を沸き上がらせる。
「期待しているよ、鳴海の英雄」
その言葉に、渋谷は力を込めて返す。
「――はい!」
●
去っていく少年の姿を眺めながら、巴は虚空に向け、呟いた。
「烏丸、いるかい?」
「――ここに」
直ぐ様返ってくる返事に別段驚きを見せず、
「八神千草の様子は変わらないかい?」
「――このままでは危険だろうな」
やはり、状況は思わしくないらしい。
無理な状態での降霊が加速度的に危険度を跳ねあげているのだろう。
八神千草から感じた気にいちはやく気付いた巴は、烏丸に千草のことを監視させていた。
もちろん、その気の正体が凶のモノだということ、加えて狐憑きとなって今に至ることまで、すでに知っていたのだ。
裏を返せば、彼女はそれを知っていて、何も手を打たなかったということでもある。
巴が考えるのは凶――九重が何故、八神千草を狐憑きにしたのかということ。
凶が龍脈を求める理由は諸説言われているが、最も有力な説は、凶が不安定な魂を持っているが故というものだ。
凶は神格でありながら、存在を維持するために必要な神としての信仰を得ることが出来ない。ゆえに存在を維持できるだけの気が必要となるのだ。
例外として人と契約することで存在を維持する渋谷や美朝のような英雄がおり、それに最も近い状態が――狐憑きと言われる存在だった。
「存在の維持――それがヤツの目的だとは私には思えない。いや、そもそもあれは凶なのだろうか? 狐は年月を経て神格となる。だからこそアレは、ただの狐憑きではないんだけど」
巴が知る限り、狐は元来気紛れな者が多かった。ヤツもその例には漏れないだろう。
しかし、ただそれだけの理由で終わらないだろうという予感が巴にはある。
「さて、どうしたものか――」
ここまで泳がしてみたものの、いよいよ刻限は迫っている。
渋谷にはああ言ったが、自分の力ならばあの程度の狐憑き、いつだって『どうとでもできる』。
だが、
「くくっ、まさか彼が私を頼って来るとは思わなかったよ」
奇妙な気持ちだった。神の力を繰る英雄が、神を降ろす為の器でしかない自分を頼ってきたということが、巴に笑みを作らせる。
「それに……見たかい烏丸。あの女の顔を! くくく、アイツもこの状況は望まない形に進んでいるようじゃないか」
少年の傍らに立つ女神――スサノオと呼ばれる女。
巴は彼女が何者で、何を望んでいるのか知っている。巴にとって彼女は忌むべき者であり、同じモノを求める敵でもある。
「この状況は喜ぶべきなんだろうか? あの女のあんな表情を見れるのであれば、現状悪くないのかもしれない」
女神が知らない状況が起きている。ならばどのような結果になろうとも、巴にとっては良い方向に転がる可能性があるということ。
ならば――乗ってみるのも一興か。
巴の思案は続く。
彼女が縛られる業は、たとえ側仕えする烏丸であろうとも理解できない。
夜刀守の巫女である以上、逃れられない運命。
彼女を救う存在は未だ、現れない。




