第三十三話 信じるに足る理由
入学式はひとまず終了し、生徒たちに下校が言い渡された。
言い表せぬ動揺が波及するなか、それでも各々で折り合いをつけた生徒たちの中に、早速遊びに行く予定を建てる者がちらほら出始めた。
あまりにも突然すぎた事件の発生を無かったこととするように、生徒達は自分達の日常を取り戻すように動き出したのだった。
渋谷はそんな彼らに、化物が存在するという日常を享受してきた人々の姿を垣間見る。
化け物がいる、だがそれを倒す英雄がいる。それでも自分達は変わることのない日常を送ろう。たとえそれを受け入れたことで、変わってしまった日常でも。
彼らのそんな日常を守る為に、英雄という存在が必要だと思うのはこういう時なのだろう。美朝は常にそういう空気を側で感じていたのだ。まるで俯瞰でもするみたいに。
だが結局は、美朝もその役目を果たすことしか出来なかった。
だから今、その英雄である美朝は、さきの拙速に対し担任の説教を受けている。
いくら彼女が人を超える力を持っていようと、美朝も今はただの学生として高校に通う身である。
それもまた人々の言う日常だとするならば、英雄であろうと無かろうと、間違ったことをすれば叱られるという当然に対して、異を唱えることに意味は無い。
渋谷も美朝と同じように犯人に向かって飛び出そうと考えていたから、美朝の気持ちもわかるのだ。きっと自分も同じように説教を受け入れるだろうから。
さて他の面々は。
清春や渚、琴音や千草らは同じ中学で固まり、カラオケに行く予定を建てていた。
遠弥はクラスの女生徒――こちらも中学の同級生――と共に下校した様子。
そんな中、渋谷は一人帰路に着いた。
琴音にカラオケを一緒しないかと誘われたのだが、渋谷はどうしてもと、断った。
その理由とは、
「――スサノオ」
スサノオと話をすることだった。
最近の彼女の様子がハクオウとの一戦以来、どこかよそよそしくなっていたことが気になっていた。
今日一日の中でも、その様子は感じ取ることが出来る。
問えば答えは返って来るのだが、以前のようにスキンシップを図ろうとはしてこない。それにどこか表情を暗くしている事も多く、あまりにも初めて出会った時と違い過ぎるのである。
その理由は恐らく、彼女が持つ誓いに関係している。
スサノオは渋谷をある目的の為、剣にのみ取り憑く修羅へと誘おうとした。
彼女が何者かに建てているという誓い。ゆえにスサノオの行動には不可解とも取れるモノがあるのは事実だ。
しかし、渋谷自身はそれに対しては一応納得し、己の研鑽の糧とすることでスサノオを受け入れようと決めた。
だが、当のスサノオはその事に対し後ろめたい気持ちを持っており、引きずっているように見えるのである。
自分と彼女の関係は主従であり相棒だ。渋谷はそう思っているから、彼女が自分に対して思うところがあるのならば言って欲しいと思う。
だから渋谷はこうして、スサノオと話す時間を作ることにしたのであった。
「意外だったよな。まさか、あの人が副会長だったなんて」
話題に出すのは入学式にて、生徒会長の代役として壇上に上がった鳴海高校の副会長――確か名は夜刀守巴――のことだ。
彼女が今朝がた出会った巫女である事を、スサノオも気付いていた。渋谷はまず、話の取っ掛かりをそこに求めてみた。
「いやぁ、なんか懐が深そうな感じがする人だとは思ったけど、副会長だもんな」
彼女にはどこか、人の話を聞くだけの器があるように渋谷は感じた。渋谷も初対面だった彼女に相談のような事をしているし、副会長という役職にも納得だった。
『そう、でございますね』
渋谷が無理矢理にでも話を広げようとする一方で、スサノオは気のこもっていない返しをする。
「――――」
相手が会話を望んでいないのに、こちらが一方的に話し続けるというのも虚しいものだ。
どうにも身が入っていない彼女の様子に、渋谷はどうしたものかと思う。
彼女の心が何かに捕らわれているのがわかっていながら、渋谷にはどうする事も出来ないというもどかしさ。
神様だからとか関係無く、目の前の少女が暗い顔をしているということが渋谷は嫌だった。
――ちょっと、強引だけど……。
そして渋谷はふと思い、
「スサノオ、こっち向け」
うつむき、後ろを付いて歩く巫女に、渋谷は足を止めてそう言った。
スサノオのうつむいていた視線があがった時、
「おりゃ」
『――っ!?』
渋谷はスサノオの頬をつまんで、様々な方向に引っ張った。
『ひ、ひぶやひゃま、なにふぉっ!?』
「うるせぇ、いい加減暗い顔してんなよっ。おりゃ」
ふにょふにょ、ふにゅふにゅ。
形の良く、柔らかな頬が様々な形に変化する。決して痛くはしていないつもりだ。彼女の滑らかな肌にもっと触っていたいと、渋谷の手が離れない。
神格に触れることが出来るのは、神と契約し神気を得ている渋谷だけだ。その姿を一般人は見ることさえ叶わない。
だから渋谷が何も無い宙に向け手を動かす様は、端から見れば滑稽だった。渋谷が今何をしているのか知れば、おそらくほとんどの人が罰当たりだと思うことだろう。
けれど渋谷にとっては、スサノオも普通の女の子だった。
渋谷が今望んでいるのは、スサノオが見せる笑顔だ。だから唐突でも、無理矢理にでも、笑わせてやる。
そんな顔は似合わないぞ、と言わんばかりに。
『〜〜〜〜〜っ』
成すがまま、スサノオは抗議の眼差しを向けてくる。いやよいやよと、烏の濡羽色の髪に結わえた白帯が激しく揺れ、併せて純白の巫女服に包まれた豊満な乳房も揺れていた。
能面のような表情しか見せなかった彼女が覗かせる感情の発露に、渋谷は安堵した。
そして、ようやくこっちを見た彼女を、渋谷は解放してやった。
『はぁっ、はぁ……ひ、酷いではありませぬか、渋谷さまっ!』
真っ赤に腫れ上がった頬を押さえ、珍しく眉を立て、両手の握りこぶしを上下に振り下ろしながら、スサノオが声を張り上げる。
ようやく見せた彼女らしい明るさに、渋谷は満足げに笑みを浮かべ、
「あんまり気にしてんなよ。お前が笑ってる方が、俺は嬉しい」
『――――っ』
そんな渋谷の言葉に、スサノオが瞠目する。
渋谷の言葉を彼女はどのように受け取ったのか、スサノオは突然、瞳から一筋の雫が頬を伝った。
「お、おいっ」と渋谷が慌てるなか、
『い、いえ、何でもありませ…………っ――』
しかし、スサノオの涙が止まる事は無かった。やり過ぎたかと見当違いな心配をする渋谷に、女神は笑みを浮かべていた。
『――あなた様はまだ、わたくしにその言葉を仰ってくださるのですね』
スサノオのその呟きの意味が、渋谷にはわからなかった。
けれど女神の表情にかかっていた雲がなくなっていたのは、渋谷にもわかった。
そしてようやく落ち着いた様子のスサノオが、腰を折り、
『申し訳ありませぬ、渋谷さま……』
「ん。いや、良いって。そこ含めて俺達は相棒だろ?」
『っ――』
感激に身を震わせる彼女の頬に、つねられた痕以外の朱が差した。
それを見て「うん」と頷いた渋谷に、スサノオはどこか決意を込めた眼差しを向けていた。
続けて、女神は切り出した。
『渋谷さま、聞いてくださいますか。わたくしの心を』
それは彼女が秘めていた想い、だろうか。
彼女が語るまいとしていた想いの一端、それを少しでも共有しようと考えてくれているのであれば、渋谷が断る理由はなかった。
「もちろん。どんなことだって聞いてやるさ」
『ありがとうございます、渋谷さま』
女神は大きな乳房の前で右拳をぎゅっと握りしめ、
『――ずっと、考えておりました。渋谷さまに真実をお伝えするか否か。わたくしは、迷っていたのです』
迷い。スサノオは渋谷の気持ちを無視して、真実を告げないようにしていた訳ではなかった。彼女も迷いがあって、それゆえに告げる事が出来なかったのだ。
『しかし、渋谷さまと言葉を交わしあなたさまの御心に触れた事で、わたくしは決意をすることができたのです。"後悔"を、しないために』
スサノオが言う。
『わたくしがあなたさまを修羅へと導かんとした事を覚えておいででしょうか』
「ああ」
もちろん覚えている。彼女がその事を悔やみ、だからこそこうして自分に話をしようとしてくれているのだから。
『わたくしはあなたさまを死なせる訳にはいかなかった。あなたさまを強くすることこそが、わたくしの使命だから』
「それは、どういう意味だ?」
獅子との戦いの最中、死を覚悟した場面は確かに在った。だがスサノオの言う死とは、もっと別の――。
女神は一度、目を伏せ、そして、
『渋谷様はお知りになりました。現世に顕れし、全ての元凶となった災厄の存在を。渋谷さまはいずれ、その者を討たなければなりませぬ』
「俺の父さんと母さんを殺した、始まりの凶…………」
五年前より存在していたという、罪を犯し、穢れた魂を持つ神格――凶。その始まりの存在は、当時《DRAFT》の構成員であった渋谷の両親を殺した。
ソイツとは自分が決着を付ける事を、渋谷は望んでいる。勿論、その正体はわからなくとも。それがけじめだと。
しかし、スサノオの口ぶりは渋谷の決意を知っての言葉ではない。まるで、スサノオはその存在を昔から知っているような言い草であり、なにより渋谷がその凶を倒すことを望んいるように告げたのだ。
『この世界にとって、その存在は破滅の象徴であり、天下の法。奴が存在する限り、世界は永遠に終われない………ッ!!』
スサノオは吐き捨てるように言った。心の底に溜まった積年の想い。それが顔を覗かせる。
『わたくしはあなたさまを待っていたのです。わたくしが力を与えるべきお相手。彼の者を葬られるお方を。そして出会い、わたくしは、強くなってと願った。このままでは彼の者には勝てない。だから渋谷様を強くせねば、と。たとえそれが、どんな方法であっても………』
「スサノオ……」
渋谷にとって、凶は倒すべき敵になった。この町に来て、真実を知り、英雄の少女を救いたいと願い、英雄となってできることをしたいと思った。
スサノオにとって、凶は倒すべき敵だった。この町で出会い、英雄の力を与え、導いてくれた女神は、渋谷を強くせねばという吐き出せない想いを抱えていた。
『渋谷様に過酷な運命を強いているのは承知しております。その者を倒せと、わたくしは申し上げることしか出来ませぬ。ですが、あなたさまを一人にさせはしない。わたくしがどんなことをしてでも、あなたさまを勝利させてみせましょう。運命に抗ってみせましょう。ですからどうか、どうか…………』
彼女のその願いは復讐の肩代わりをしろと言っているようなものだった。
スサノオと始まりの凶の間にある因縁を、スサノオはきっと語ってはくれないのだろう。だからこそ、こうして頭を下げている。自分のわがままに付き合ってくれと。
そして、悔いてもいた。別に渋谷にそのことを話す必要はないのだ。ただ渋谷を強くするよう働きかけ、始まりの凶と渋谷をぶつければいい。だが彼女はそうしなかった。
それがスサノオの想いを現しているように渋谷には思えた。
だから、
「わかった。やろう」
そう、渋谷は何の躊躇いもなく言う。
「あのな、今更なんだよ。ソイツは倒すって、話を聞いた時から決めてたんだし。改まって言うことじゃねぇさ」
『し、しかしわたくしは渋谷様に対して、大変なことを………」
「強くしようと思ってやった。結構じゃねぇか。望むところだよ。修羅とかわけわかんねぇ奴にならなきゃ勝てねぇなら、それは俺が弱いってことだ。それが今わかったなら、もっと強くなれるよう気合いれるしかねぇよな」
渋谷の決意は、最初から緩んでいない。渋谷は最初からこういう人間だった。
前に進む事を恐れても、一度決めたら揺らがない。たとえ、誰かの思惑があって、手のひらの上だとしても自分が決めたことならそれはもう自分の道だろう、と。
『そ、それは…………』
「おいおい、やって欲しいのか欲しくないのかどっちなんだよ? 勝たせてくれるんだろ、女神様。さっきも言ったぜ、お前が笑ってくれるならそれがいいんだ」
神も人も関係ない。
救いがあるならそれを求めるのは必定だ。しかもそれが手の届くところにあるなら尚更だろう。
結局、渋谷は馬鹿なのだ。
女の子が笑っている顔が好きだ。可愛い女の子を助けたいっていう理由じゃ悪いのか。困ってるやつを見過ごせないってやつもいるだろう。けど、そんな誰でも彼でも助けてやるほどお人好しじゃない。美朝を救おうと思った時も同じだ。笑って話がしたい。それは今も変わらない。スサノオに対しても同じ気持ちだ。
「だから俺が言うのは一言だけだよ。これからもよろしく頼むぜ、スサノオ」
たとえ、女神が"嘘"をついていても関係ない。
騙されても、彼女が救われればそれでいい。
『――はいっ。わたくしは、あなたさまに巡り会えて、本当に良かった……』
今もこうして微笑んでくれる女神のその表情を何より求めているのは『自分』なのだから。




