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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第二章 狐の嫁入り
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第三十話 小さな決意

 その場を支配する一触即発の空気。自然、刀を握る手に力が入る。


「ま、待って! この人は違う!」

「――?」


 だが、突然の思いもよらぬ声の制止に、渋谷は顔に困惑を張り付けた。


「この人はさっき、私を助けてくれたんだよ? この人は悪い人じゃないよっ!」


 彼女は偶然、怪物に襲われていた少女だ。事実、渋谷にはそう見えたし、だから助けねばとも思った。それに彼女が琴音の言う友人である可能性もあった。

 だからこそ、彼女の言葉が渋谷には理解できなかった。なぜ、奴を庇うのか。


「……ふざけたこと言わないで。危ないからはやくこの場から去りなさい」


 そんな渋谷の困惑をよそに、美朝は冷俐な表情を向け、突き放すように言った。


「っ――」


 そして、美朝に取り合ってもらえなかった少女は、悔しさと困惑がない交ぜになった複雑な表情を浮かべる。

  


「なんじゃ、ヌシの知り合いか、千草よ」


 美しき容姿を持つ怪物は、そんな少女の表情からそう読み取った。


「………」


 美朝も同じだった。彼女もまた少女と同様、気まずげに顔をしかめる。

「ココッ」と、九重は笑った。


「なんじゃ、訳ありかのう。やはり人の子はどの時代でも変わりばえせん。つまらぬしがらみに縛られる」


 自分と人の間に線を引くように、狐面の男はそう言った。化物であるはずの男が、知った風に人を語る。渋谷は奴が本当に自分が相対すべき相手なのだろうか、信じられなかった。

 敵意が薄い。かつての獅子のような気迫もない。けれど渋谷は警戒を緩める気にはなれなかった。奴には、目的がある。

 

 美朝も渋谷と同じように警戒をより強めた様子。特に凶に対しては酷く冷徹な美朝だから、あの狐面の胡散臭さには感じるものがあるのだろう。その視線は、狐面から切れることはない。

 だが、それは狐面の後ろでおろおろとしている少女をあえて見ないようにしているようにも見えた。


 血気に逸る美朝の気勢を削ぐように「まぁ、待つがよい」と青年は言う。


「娘。儂は用さえ済めばこの地に手を出すつもりは無い」

「……ハッ、その用っていうのが何か分からないっていうのに、それを鵜呑みにしろっての?」

「いずれわかる。としか言えんな。なぁに、貰うものさえ貰えば、ヌシらに害は無い。それに千草がいる」


 名を突然呼ばれ、少女がびくりと肩を震わせる。

 不安げに見上げる少女に狐面の男は優しげに笑いかけた。

 そして身体が、刹那、朧気になる。


「九重!?」と少女が驚いたように声をあげる。

 

「――っ、待ちなさい!?」


 薄れていく気配に慌てて美朝が叫ぶが、遅い。九重の姿はもう半ば、消えている。

 だが、声だけが、残されていた。


『千草、また逢おうぞ』

 

 そして、濃厚な闇を張り付かせていた空は、晴れた。

 

 何が起こったのか渋谷は未だ判然としない事実に、頭が痛くなった。まるで狐に摘ままれたみたいに、掻き乱された空気だけがもやもやと漂っている。


 そしてその空気が解消されない理由がもう一つ。

 二人の少女が、お互いの視線を交わしている。

 片方は気まずそうに。そして片方は、無理をして毅然とするかのように。

 渋谷が彼女達に声をかけようかと躊躇っていると、


「……渋谷」


 初めて出会ったときのように、無理をしているように見えた彼女が「はぁ」と溜息をつき、こちらの名を呼んだ。彼女はこの気まずさにいたたまれなくなり、助けを求めたのだ。

 二人はこの時、この地の英雄として向かい合う。


「ついに、来たってことか……」


 渋谷の呟きに、緊張が混じる。

 

 新たな脅威の到来。纏う雰囲気は得体が知れない。

 だが、美朝の破魔矢を扇の一凪ぎで払う実力は、飄々とした雰囲気にはそぐわないが、その強大な力の次元を計り知ることが出来る。

 渋谷が思い出すのは、刻まれた獅子との死闘だ。奴と同等の存在がこの地にやって来たとなれば、再びの死闘を覚悟しなければならない。思わず握った拳に力が入る。


「今回のやつはそう単純にはいかないかもしれないわ」


 そんな渋谷に水を差すような美朝の一言。

 

「今回の相手はあのライオンとはまったくタイプが違う。あの脳筋は戦いが全てだった。けど今回の奴は、手は出さないとまで言ってるのよ。貰うものさえ貰えば去る、だなんて。まるで龍脈それ自体には興味ないみたいに」


 確かに、それは渋谷も感じた。

 凶は前提として、存在が不安定だ。

 神格としての力を持ちながら、神として本来持っているべき信仰を得られない凶は、その存在を維持するための神気が必要となる。

 そしてそれこそが、奴らが現世に現れ、龍脈を狙う理由だと、渋谷は説明を受けた。

 しかし奴から感じたのは、龍脈に対する執着ではない、もっと別の何かだ。

 

「龍脈以外に、ここに何があるっていうんだ……?」


 だが、龍脈を求めていない、というのもまた違う気がするのだ。奴は自分達が想像している遥か先の何かを求めている。まるで自分を修羅へと導かんとした、女神のように。

 ただ奴の目的は、この町の何かであるということは間違いない。そしてそれは奴の言葉を辿れば――。


『ココッ、儂が言うでもなく身内の事はわかっとるか。じゃが、主らも儂の用の一つ。この世の理を変革せしめんその女神の御業、いかほどか?』


 そうだ。渋谷はその言葉を聞いている。

 奴は自分こそが用の一つと言ったのだ。いや正確に言うなら、『主ら』。つまりは契約神を含めた英雄である自分達を。


 ――何か、思い当たるか?

 

 そして渋谷は内なる神に問いかける。


『…………』


 しかし、女神がとった答えは沈黙だ。伺える表情はどこか仄暗く、何か考えを纏めているように見える。まるでハクオウとの戦いの最中に見せた彼女を彷彿とさせた。

 だがそれでも、スサノオは自分にちゃんとした答えをくれるはずだと、渋谷は信じることにした。たとえ彼女が何かを思い、成そうとも、渋谷は信じてやろうと、決めている。

 

 ならば次なる考えは、奴の残したもう一つの言葉にある。

 

 渋谷は所在なさげに視線をさまよわせる一人の少女に向く。

 ショートヘアというには中途半端な長さに伸びた、いかにも染めてみましたという、やや明るい髪。素朴だが決して地味というわけではない容姿の少女。笑えばきっと可愛い、とは思う。

 

 そんな彼女が今は、あの狐面の男との唯一の繋がりだ。彼女は奴に助けられたと言った。化物である奴に。

 だから渋谷は問うた。美朝は彼女と少なからぬ因縁があるようだし、今はその役は自分しかいない。


「なぁ。聞いてもいいかな? 君はどうしてアイツを庇ったんだ? 助けられたって言っていたけど、どういうことなんだ?」

「えと、それは……」


 びくり、と少女が肩を震わせる。そこにあるのは驚きというよりは恐怖の色が強い。この視線を渋谷は知っている。自分とは違うものへと向ける、拒絶の色だ。一度だけ、琴音がその視線を自分へ向けたのを、思い出した。


「千草」


 と、強い口調で美朝が少女の名を呼んだ。


「……美朝」


 応じた少女は、ぽつりとこぼす。

 指を絡め、視線はやはり、おろおろと。


「なんで、邪魔をしたの」

「――っ」

 

 まるで糾弾するような詰問口調だ。

 

「奴は化物、そうよね? 『ただの人』の、千草は一番わかっているはずよ」

「……わかってる。わかってる、けど」


 何か言葉を続けようとして、少女はそうは出来なかった。

 少女の見せる表情は困惑の色が強い。自分の行動の動機が、自分にもわかっていないのだろう。

 そんな少女に美朝は、酷く苛立ちを向けていた。渋谷はどうにも美朝の態度が解せない。


「おい美朝、どうした? 落ち着けよ」

「大丈夫だから」


 言葉とは裏腹に、美朝の口調はどこか投げやりだった。自分の態度が好ましくないのは分かっているのだ。しかし、どうにも出来ないから、美朝は態度に出すしかない。

 

 誰もが口を閉ざす。そうこうしてるうちに、沈黙が場を支配する。どうにも八方塞がりとなるこの状況を打破するだけの力を、渋谷は持たない。

 だが、


「し、渋谷君っ!!」

「琴音!?」


 この場に割って入るのは、はぁはぁと荒く息を吐きながら駆け寄る眼鏡の少女の声だ。

 先に行けと言ったはずだが、琴音はどうやら自分の後を追いかけてきたらしい。


「良かった……無事で」


 琴音はまず渋谷の安否を確認し、そして一人の少女へと声をかけた。


「千草ちゃんも、大丈夫!?」


 千草は眼鏡の少女を見て、ようやく安堵したように「琴音……」と言った。


「渋谷君、ありがとう。千草ちゃんを助けてくれたんだね」

「いや、俺は……」


 助けたとは素直に言えない。彼女は確かに凶に襲われていたが、彼女を本当の意味で助けたのは、あの狐面の男なのだ。

 

「琴音、その人と知り合い、なの?」

「ほら、言ってあったでしょ。私の幼なじみの渡会渋谷君」


 紹介に預かった渋谷は、微妙にバツの悪い表情で頭を軽く下げた。千草が先ほどからのぞかせている警戒の色が、無理解を混ぜて、困惑を生む。

 確かに彼女の心中を察すれば、わからなくもない。化物と戦う英雄が、幼なじみですと言われても困るだろう。


「ま、そういうことだよ。怪我がなくてよかった」


 だから渋谷は努めて彼女の警戒を解けるように、言葉を選ぶ。

 「ど、どうも」とぎこちなくだが、千草は返してくれた。


 だが、やはり警戒の色は薄まらない。彼女の警戒は、美朝に対するモノが強いように思えた。チラチラと美朝を見ては視線を下げる。

 

 美朝もついにはいたたまれなくなったのだろう。

 「私は行くわ」と学校へと向かって歩き出し、渋谷の横で一言告げた。


「前に言ったこと、忘れないで。私みたいになりたくないなら」


      ●


 美朝がいなくなったことで、千草の心は、ようやく張り詰めていた状態から開放された。

 琴音が来たことも大きく、ようやく支えとなるモノが見つかって、千草はわずかばかりの安堵を得ることが出来たのだ。

 

 だがそれも、ほんの少しの余裕だ。

 話には聞いていたこの町の化物との遭遇。そして、それを退治する者の存在。たった今目撃した、到底理解することの出来ない世界の象徴が、千草と並んで歩く友人の隣にいる。


 琴音の幼なじみだという少年は、渡会渋谷と名乗った。

 鳴海町で小学四年生までを過ごし、それからは祖父と田舎で暮らしていたが、高校進学を期にこの町へと帰ってきたらしい。

 彼が纏う雰囲気は本当にどこにでもいる普通の少年だ。千草の知る同級生の男子達と、そうは変わらない。

 先程からよく笑顔を見せているし、こちらを気遣ってか、話題をいくつか振ってくるし、九重との繋がりを再び問うことはしなかった。

 心根は凄く優しい、思いやりのある人なのだろうと思う。


 だからこそ、この少年が千草には不可解だった。

 

 どうして、何も無いように振る舞うのか。

 化物を退治する力を持つ彼が、自分と同じ速さで歩く。しかも入学式を迎え、高校生として同じ学校で過ごすというのだ。

 その奇妙さが千草には果たして現実なのかにわかに信じることが出来ない。

 

 ――どうして琴音は平気なの?


 友人はその少年と話す時、本当に幸せそうな顔をしている。ただの幼なじみというだけではない。きっと恋をしているのだと、色恋の事などまるで知らない千草にだってわかるほどに。


 琴音は幼なじみが化物と戦う力を持っている事を知っていたのだろうか。知っていてその笑顔を向けられるのだとしたら、どうしてそう思えるのか千草は知りたかった。

 昔から知っている少年が変わってしまった時、自分は変わらないでいることなんて、果たして出来るだろうか。いいや出来ない。自分はそう――出来なかったのだ。


 『彼女』と久しぶりに会って、何を言っていいのかわからなかった。自分から遠ざけた彼女とこうしてまた会うことがあるなんて考えてもみなかった。

 浅はかだろう。千草がこの町にいる限り、彼女がこの町の英雄であるかぎり、必ず会う時は来るはずだというのに。

 それが先程のことだった。

 

 千草は、そんな代わり映えしない自分に嫌気がする。

 変わりたいと思っているのだ、千草は。髪を伸ばしているのも、髪を染めてみたのもだって、変わりたいとどこかで願っているからだ。現状を打破したいと思っているのだ。


 千草は後悔している。悔やんでいる。『彼女』とのことを諦めてはいない。ただいつも千草は、竦んでしまう。変化を前にして、自分は足踏みしてしまうのだ。


 でも、高校生になる。

 千草は変わる時期にある。それを今から迎えるのだ。

 変化はきっと千草の知らぬ間に訪れている。予兆はもう見えている。


 九重との出会い。化物との遭遇。そして今、『彼女』と同じ力を持った少年が、いる。

 

 ――決めた。


 千草は人知れず、自分の心に張り手を打つ。


 ――関わろう。今日からあたしは、関わろう。


 知らぬ存ぜぬと、見て見ぬふりして後悔するのはやめにしよう。

 

 そう、千草は決めて。

 

 いつの間にここまで来ていたのかと、驚きながらも、高揚する胸に手をあてる。

 そして桜並木を通りぬけて、小さな決意と共に、新たな学び舎の門を、くぐった。

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