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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第二章 狐の嫁入り
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第二十九話 隣り合わせの非日常

「もうっ、遅刻だよ渋谷君っ!」

 

 ふんすと頬を膨らませ、眼鏡の少女が渋谷の遅刻を咎めた。


「スマン、琴音!」


 彼女は肉屋相沢の看板娘であり、渋谷の幼馴染みである、相沢琴音。

 琴音は大きな乳房を抱えるように腕を組み、「一体何度目なの渋谷君ったら」と、拗ねたようにそっぽを向いた。

 けれど、そんな彼女がこちらを本気で責めているというわけではないことぐらい渋谷にだってわかる。


「悪い悪い」


 だから渋谷はじゃれるように琴音の頭を、いつものように撫でてやる。それだけで琴音はくすぐったそうに身を捩り、一瞬で機嫌を直してしまうのだった。


「それで渋谷君。私に言うことは無いのかな?」

 

 鞄を後ろ手に持ち、琴音は背筋を伸ばす。ピンと伸びた姿勢が、豊かな胸部を強調していた。

 思わず視線が胸部ばかりに集中してしまい、渋谷は頭を振ってやましい気持ちを追い出す。そして、改めて彼女を見て、


「制服、似合ってるよ」

「うんっ! ありがとう!!」

 

 どうやら正解を引いたみたいだ。琴音は満足そうに頷いて、その場でくるりと回って見せる。スカートがフワリと広がって、シュシュで結んだ髪が、遅れて肩口へと降りた。

 

 幼馴染みの増した魅力に、渋谷はドキリとした。

 女性らしく成長している最中の肢体が、可愛らしい制服の内側から押し上げるようにして、これでもかと自己主張している。

 

 美朝のしなやかな体つきとは違って、肉付きがよく柔らかそうな身体は、十五という歳にしてあまりにも官能的だ。

 

 熊谷茜に迫らんという二つの胸は、思わず視線を釘付けにする。制服のサイズは身長に合わせているためか、ややきつめで、尚更、胸を強調する形になっているのが目に毒だ。むちむちっとしたその身体は男としての情欲を抱かずにはいられない。


『――渋谷様?」


 と、そんな渋谷に女神がとびきりの笑顔をくれていた。

 スサノオは、渋谷を冷静にさせることに関してはとびきり上手い。現に今も、彼女の笑顔が針のように突き刺さる。嫌な汗がドバドバと分泌され、渋谷の熱に浮かされた頭は強制的に冷却された。


「ん、どうしたの渋谷君?」

「い、いや」

 

 とはいえ罪作りな肉体を持つ、とうの本人に自覚がないのが恐ろしい。眼鏡をかちゃりと上げてこちらを伺い見てくる琴音に、渋谷は曖昧な笑みを浮かべる。


「そ、そういや、もう一人、一緒って行ってなかったか?」

「今朝、家を出たって連絡はあったんだけど、まだ着いてないみたいで……」

 

 強引な話題の転換にも、琴音はいぶかしむ事無く答えた。渋谷も思考はそちらに傾く。

 

 そのもう一人というのは、琴音の中学の時の同級生らしい。仲は良好で、やや内気な琴音にとっての数少ない理解者だという。

 やはり今日も一緒に登校する予定だったのを、渋谷の後からの申し出を先に約束していた二人に混ぜてもらう形で同意してもらったのだった。

 

 自身の遅れもあって、今回遅れているもう一人を咎める事は渋谷には出来ないが、


「もしかして、もう向かってるんじゃないのか?」

「そんなことはないと思うけど……。ちゃんと待ち合わせはここでって言ったよ?」

「家は近いのか?」


 琴音はこくりと頷いて、


「学校にはうちの方が近いから、そのまま向かったにしたってこっちに顔は出してくれると思う」


 ならば行き違いの可能性は低そうだ。


「よし、ならこっちから迎えに行こう。もしかしたら、何か事件に巻き込まれているかもしれない――――」


 その時だった。

 渋谷の裡で心音が鼓動を打った。

 渋谷の感覚が何かを捉える。それはもちろん、英雄である彼が持つ、人並み外れた超常の感覚が。

 言葉を切り、渋谷は唐突によぎった感覚に従い、その方角へと顔を向け、相棒である神を呼ぶ。

 

 ――スサノオ。


『はい。ここに』


 思念での声に、女神が言葉を返す。


 ――この神気……まさか?

 

 渋谷が感じたのは神の持つ気の流れだ。

 強く、はっきりとしたその力は、普段、渋谷が相手取る一つ眼の化物を遥かに凌駕する上位存在のモノに違いない。


『はい。間違いなく』


 その回答は渋谷の予感の肯定だ。そしてそれは、悪寒となって、渋谷の脳裏をよぎった。


「くそっ、そういうことかよ……!」

「どうしたの、渋谷君……?」


 突然顔色を変えた渋谷を、不安そうに見やる琴音。

 渋谷は不安を煽る訳にはいかないと、言葉をつぐむ。

 言えるわけがない。

 まだそうと決まった訳ではないが、親友が危険に晒されているとなれば、琴音も平静を保ってはいられないはずだ。


「琴音、先に学校行ってろっ! いいな!」

 

 だからそれだけを残し、渋谷は全力で駆けた。間に合えと、今はただそれだけを考えて。


「渋谷君っ!?」


 残された琴音の声はもう、耳には入らなかった。


      ●


 八神千草は後悔する。この瞬間にも。


「あぁ……っ!?」


 千草の眼前に広がるのは異形の現実。

 一つ眼の化物達が、手に持った原始的な棍棒を振り回す。

 家屋や建造物を本能のままに蹂躙するその様は、千草にはつい先程まで、どこか現実味の薄いものだったのだ。

 こうして目の前で行われる所業を直に目の当たりにしたことで、いかに自分が置かれていた状況が奇特であったかを強く実感する。

 

 やつらの存在はまるで、天災だ。

 ただ気まぐれにやって来ては人々を怯えさせ、何かを奪っていく。そこに意思など無い。


「やめてっ……来ないでっ……!」

 

 千草の胸中を恐怖と後悔が埋め尽くす。

 声は震え、足はすくみ、立っているのもままならなかった。

 ジリジリとあとずさり、手に持っていたはずの鞄が見当たらない事に今、気付く。

 支えになるモノが無いことが心細い。

 千草はどこにでもいる普通の少女だ。たまたまこの天災に出会ってしまっただけ。さながら通り雨に出会うみたいに。

 それは仕方のないことだ。傘を持っていないから濡れた、あの時と同じこと――。


「――っ」


 千草の埋没しかけた意識が戻る。

 眼前に、一つ眼の怪物が一体。

 奴はその視界に千草を納め、標的と定めていた。


「――っ、た、助けてッ!」


 叫ぶ。

 もはや嗚咽と涙がない交ぜになった、懇願。


「助けてっ、誰か! 誰でもいいからっ……!!」


 なりふり構ってなどいられない。

 千草はただ、恐怖していた。その脅威に、呑まれていた。

 すがるような絶叫。

 声が掠れるのも構わず張り上げる。噛み合わない歯の根と浮いた舌が、言葉とすら呼べない叫びとなる。

 だが、その叫声は、


「ココッ、良い鳴きっぷりよ。(とこ)でのヌシも楽しめそうだのう」


 金色の光に、届く。


「あ、なたは……」

「儂を忘れたか千草よ。これは仕置きが必要か」

 

 突如として、この異常が満ちた空間に現れたのは一人の青年。

 太陽にキラキラと照らされた金色の髪。狐面を頭にずらして乗せ、和装を着崩したその様相とその美貌。

 忘れられる訳がない。忘れようとしても無駄だ。それほどまでに彼は鮮烈過ぎる。

 そう、ここに現れたこの青年もまた、新たな異形に違いない。


「ふむ、どうやらこの逢瀬には無粋な輩がいるようだのう」


 青年――確か名は、九重。

 彼は一つ眼の化物をひとにらみして、言った。


「さっさと去ね、搾り滓共。この地の気を横から掠め取ろうとする盗人が」


 言葉に力がある。たったそれだけの発声で世界を掌握してしまうほどに。不思議だった。彼が来たことで、千草の心には雲一つかからなくなる。

 一つ眼にはもう撤退の意思が見えていた。

 奴らは獣。本能が敗けを認めたら、それがすべて。立ち向かう事は出来ない。

 「下がっておれ」と九重は千草に告げた。そして一歩前にずいっと出ると、懐から扇を取り出した。

 そして扇を、化物へ向けた。


「この地の気は儂の物じゃ。灰と化せ盗人共」


 刹那、世界が震える。

 ボウッと音がしたかと思えば、一つ眼の化物達が全て灼熱の業火に呑み込まれる。一つ眼の怪物達があげる断末魔の叫びが耳の奥で反響する。

 出来上がる火だるまは、あっという間に燃え散り、灰となる。

 千草の肌が気温の急激な変化にひりついた。鼻をついた匂いが、目の前の光景を現実だと肯定している。

 それは彼が起こした二度目の奇跡にちがいなかった。


「……綺麗」


 ポツリと千草の心の声がこぼれた。

 その光景は凄惨だ。たった一瞬で、化物が燃え滓と消え、残されたのは灰という事実に、千草は九重という青年の美しさを見た。

 炎が彼の周囲をたゆたい、キラキラと光を金色の髪が吸い込むのだ。そして輝きは一層強まって、千草にはそれが眩しく見えた。


「千草」


 九重が振り向いた。


「また、会えたのう」

「――っ」


 ドキリ、とした。

 九重がこちらの心臓を鷲掴みするような事を言うからだ。

 綺麗な顔をした彼にそんな事を言われれば、千草は言葉を失ってしまう。

 不思議な間が生まれ、千草はしばし黙る。今の千草には冷静になる時間が必要だった。

 だが、状況は再び変化する。

 千草のすぐ近くにあった顔が、待ちわびたとばかりに弧を描いた。


「――ハッ、来よったか。まったく間の悪い」


 そして九重は突然、千草から飛び退いた。

 千草と九重の間を、一筋の風刃が通り抜ける。


「――その人から離れろ、凶ッ!!」


 聞こえてきた声に、千草がハッとして顔を向ける。

 離れたところに、抜き身の刀を構えた少年がいた。

 咄嗟に浮かぶのは英雄となった少女のこと。

 怪物達を相手に戦う一人の少女。そして名を――麻雛美朝であることを、千草は誰よりも知っている。それが自分にとって、未だ解決することの無い後悔だから。

 だが、あそこに立つのは英雄の少女ではない。あの少年を千草は知らない。 

 彼が何者なのかという問いは、九重によって発せられた。


「『羽衣(はごろも)』が小飼にしとる咒師(まじないし)とは違うか。一応聞く、主、何者じゃ?」

「俺は――この町の英雄だ」


 英雄、と少年は言った。それはつまり、麻雛美朝と同様に、彼も化物と戦う力を持つ者だということだ。

 九重はふんと鼻を鳴らし、やれやれと首を振る。美しい金髪が揺れた。


「――英雄。人の子風情がよう抜かす」


 九重はその少年の答えが気に入らない、とばかりに眉間にシワを寄せる。

 少年はそれにはとりあわず、口を開いた。


「その人から離れろ。その人は無関係だろ」

 

 言って、少年がチラリと千草を見た。

 少年がこちらを案ずるように優しい眼差しを向けていた。


「テメェの目的は、ここにあるっていう龍脈なんだろう?」

「然り。じゃが、それも目的の一つというだけだがのう」

「どういう意味だ」

「どうもこうも。欲しているから手に入れる。それだけ。それが十も百もあるのが神というものじゃろうが。ヌシならわかるじゃろう、同族?」

 

 彼らの会話に千草はまるでついていけない。やはりそれは、彼らが自分とは別の場所に立っていて、千草には見えていない景色を見ているからなのか。

 それはきっと、彼女――麻雛美朝も同じなのだと千草は思った。


「同族? 俺はお前らとは違う…………!!」

 

 少年が刀を九重に向けた。

 刻まれた波紋が龍のうねりを描く。光が波紋をなぞり、相当の業物であることを示している。

 それは敵意の証明だ。いつでも斬るという、遊びの無い通告だった。


「なんじゃ、怒ったか? 確かに主は己の力を欲の為には使わぬのかもしれん。じゃが、主に力を与えるその存在は、果たして儂らと違うと言えるかのう?」

 

 九重は自分に向いている刃など気にした風もなく、少年に挑発とも取れる言葉を放つ。だが少年はそれに腹を立てたようには見えない。むしろその言葉を肯定するように、押し黙った。


「ココッ、儂が言うでもなく身内の事はわかっとるか。じゃが、主らも儂の用の一つ。この世の理を変革せしめんその女神の御業、いかほどか?」

 

 言い、九重もまた扇を広げ、試すような視線を少年へと向ける。

 張り詰めた緊張感は激突の予兆か。

 一般人であるところの千草には、恐いくらいの切迫。

 だがしかし、


「――ッ!?」


 虚を突かれたとばかりに九重が表情を変えた。

 対峙していた二人の間に割って入る、新たな介入者は、雷の光を矢へと変え放つ。背後から迫ったそれを、九重は扇の一払いで凪いだ。


「美朝――!」

 

 少年もまた割って入ったその者に、表情を変える。それは九重とは違う。待ち人が来たような安堵だ。


「ゴメン、待たせたわヒーロー」

「まったくだよヒーロー」

 

 二人が九重を挟んで互いの武器を向ける。刀と弓。そして、互いの存在を認める証明を交わす。

 新たに現れた少女――麻雛美朝は、九重から少し離れて立つ千草をチラリと見やり、すぐさまその意識は九重へ向けられた。


「生憎だけど、こっちはあなたの目的とやらに付き合う気は無いの。さっさとおいとましてもらえる? この世から」

「ココッ、まったくここは無粋な輩が多すぎるのう」



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