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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第二章 狐の嫁入り
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第二十六話 夜刀守の姫巫女

 ゆらゆら。ゆらゆら。

 揺れるのは蝋燭に灯した火。等間隔に並べられた蝋燭。そして、闇のなかに浮かぶ面妖な仮面がその一室にはあった。

 般若面や翁面。宙に浮くそれらは、まさしく鋭い眼光で、眼前で舞う影をじっと見ていた。それも、複数の面が。

 

 ゆらゆらとした動きは雲のような動き。しかしそれは紛れもない演舞である。神に捧げる神楽だ。

 明かりに揺らめく影の正体は、一人の少女。

 切れ長の瞳が、流し目で虚空を見つめ、何かに祈るように両肩を抱く。

 手の扇は気の流れを司る。少女の周囲にたゆたう神気を、扇を用いてコントロールしているのだ。

 白と赤の巫女装束に身を包んだ少女が踊る神に捧げる神楽は、見るものを魅了する舞踊である。それは少女の持つ神気と、彼女自身の色香が放つ独特のフェロモンがなせる技だ。

 

 しかし、その舞はいつまでもは続かない。

 蝋燭の火が一斉に吹き上がる。

 空間に密に詰まった神気が、少女の霊力によって増大したのだ。

 少女の両目が、空の色を思わせる蒼を映した。

 それは高い霊力を持つ者の証。生まれながらにして神々と対話する力を持った巫女の証明だ。


「天津の神。召しますや、此処に我至りてかしこみ申す」


 口ずさむ祝詞は神々の言葉を現代の神道体系によって訳された現代詞だ。原典のままでは本来の力を引き出すことの出来ない祝詞を、現代の言語に当て嵌める事で力を扱おうとする『神道協会(しんとうきょうかい)』製の術式変換。


「境界の涯、祀ろわぬ御霊よ、今我の許へと降り給え――」

 

 極限まで高まりを見せていた神気。それらが産み出したるは、この空間まるごとを高天原と同調させること。

 現世との境界を越えた儀式が呼び出すのは、あちらの世界に住まう神である。

 俗に――降神の儀、と呼ばれるそれ。

 神道における巫女の役割とは、その身を媒介として神託を得ることだ。つまり、神降ろしを行うのは、巫女にとっては当前の所業である。

 しかし、この場合は格が違う。なにせ彼女が呼びだそうとしている神は、遥かに高次の存在なのだ。


「――っ」


 高まっていたはずの神気がぷつんと糸が切れた様に霧散する。張り詰めていた空間の歪みすらも消え失せ、蝋燭の火は弱々しい明かりだけを残す。

 やがて、白帯で結わえた黒髪が一回転した。そして少女が膝を着き、はぁと息を吐く。それが舞の終了を意味していた。

 がくりと脱力する少女の額には玉のような汗が滲んでいる。荒く息を吐き出し、脇目も振らずに酸素を肺へと送り込む。

 演舞としては完璧だった。それほどまでの美しき舞を少女は踊って見せた。これが演目であったのなら、拍手喝采は間違いないだろう。

 だが、


「失敗――したか」


 低い老獪の声だった。

 大きな落胆を吐き出した声の主は、神楽を見ていたはずの般若面の一人。


「いやはや、これで一体何度目だ。我らが崇めし神の御霊は一体いつになったら我々にそのお姿をお見せになる」

「然り。咒に占えば、その時期はとうに過ぎておる。それでもなお、神降ろしを成せぬとあれば、それは姫様に問題があるのでは?」


 般若面が宙を漂う。彼らは思念だけをこの空間へと飛ばす、神道の術式を用いている。

 実体は別の場所にあるはずだが、それでも一人の少女を責める声色は本物だ。


「――申し訳ありません」


 息を切らせ、少女は謝罪の言を口にする。しかし表情には微塵も悪びれる様子はない。

 それが気に触ったのか、般若面の一人が怒気を露にして、


「良いか! 今がどういう状況かわかっておらぬとは言わせぬぞ! この夜須島の地は土地を守護する神を欠いている状態なのだ! 故に龍脈が乱れ、それに惹かれた禍の神達が押し寄せる! それでもし、龍穴を物にされてしまえば、我らの地は……!」

「わかっております」

「いいや、わかっておらん! だいたい先日、龍穴が鳴海にて開いたと聞いた! しかも、禍の神はその気を蓄え、創界を成す寸前にまで至ったと!」

「それは――彼の者らが対処にあたったはずですが」

 

 「神祇省の小飼共ですね」と、呟く蝉丸面。


 継いで、落ち着いた口調の老女面が言う。


「姫様、それが問題なのです。ご存じの通り、我ら協会とアレの不和は根深い。ましてやこの地は、代々我ら協会と姫様方『夜刀守(やともり)』が護り受け継いできたモノだ。その力関係は今や逆転しつつあるのも全て、あなた方の問題では?」

 

 何度も、言われ慣れてきた言葉なのだろう。先程から少女の表情はまるで変わることはない。

 この老女面の糾弾も、今や耳障りだとばかりに溜め息としてフラストレーションを発散する。それが先程から般若面達の気を逆撫でしているだろうことは承知の上でだ。

 

 老女面の言う、神祇省と神道協会。

 今は警察と協力し、禍の神の対処を行っている国家機関である神祇省と、かたや独自の神道体系を頑なに護り続け、本来神は人々の祈りや信仰によって形を成すという神祇省の考え方に真っ向から反発し、神が人を創ったという考え方を掲げる神道協会。

 同じ、神道を扱うモノ達であってもまったく違った組織だ。


「我ら協会がここまで追いやられたのも、夜刀守の先代が犯した罪によるモノ」

「父君と母君。未だに行方知れずとなれば、姫様もさぞかし心配でしょう?」

「――――っ」


 息を詰まらせられる。それだけは、触れられたくなかった事。

 しかし、反論を口にするよりそれは早い。


「貴様、誰に口を聞いている。姫様を侮辱することは俺が許さん」


 薄れていた存在感が、強烈な濃さを伴って現れた。

 全身黒ずくめ。鳥の顔を象った、面。漆黒の羽根を持つ鴉のような男。

 見上げる様な長身にしなやかな筋肉。鍛え上げられたその体躯は日々の研鑽の賜物だろう。


「ほぅ、夜刀守の家臣か。しかし、姫様はあまり躾が上手くないようだ。これではゴミに群がる野ガラスですな。誰にでも嘴をつつく」

「ならば、そのゴミというのは貴様だな」


 切れ味のある返しに、流石に押し黙る般若面。

 唐突な乱入者も、場を掻き乱す役割にしかならない。


「――まぁそこまでにしなされ」


 そんな一触即発というただならぬ空気の中にあって、まるで波紋すら立たぬ湖面の様な落ち着いた声がした。

 一斉に押し黙り、見やるや、それは翁面だった。


「姫様もお主らの言いたいことはわかっておるわ。今に始まったことではなかろうに。お前さん達も姫様の努力は知っておるじゃろう?」

「げ、元老、しかし」

「じゃかぁしい。――許してくだされ姫様。こやつらも悪気があってのことではないのじゃ。この地を憂いているからこそ、姫様に強う当たってしまう」

「えぇ、わかっております。夜刀守の家に生まれた私の成さねばならぬこと。父と母の残した罪は今代にて終わらせてみせます」


 先程までとは一転して、少女の瞳は誠実で強い光を放つ。翁面にはさしもの彼女も強気にはなれぬのだろう。いや、彼女自身、彼らが言いたいことはわかっている。そして、自分に過剰な期待をしているからこそ、強い言葉を放つのだろうと。


「ふぉっふぉ。頼もしいのう。流石は姫様じゃ」


 その優しげな笑いが空気をほぐす。

 気勢を削がれた形となった般若面達の忌々しげな怨念をひしひしと感じるが、翁面の睨みが効いたのか、彼らの術式はやがて途絶えた。

 そして、空気が晴れて――


「――はぁぁぁぁあああ」


 大きく、肩の力を抜いて少女は脱力し、床に突っ伏した。


「まったく、いい加減にしてほしいものだなっ! 毎度毎度同じことばかり言ってきて飽きないのか、あの連中は!」

「ふぉっふぉ。素が出てますぞ姫様」

 

 むぅ、と頬を膨らませ、身体を上向きにし、


「いいんだ、ここにはもう爺と烏丸(からすま)だけしかいないのだし。烏丸、電気を付けてくれ。あと、蝋燭も消して」

 

 烏丸と呼ばれた黒ずくめの男は直ぐ様「御意」と頷くや、主の命を遂行する。

 いきなり付いた明かりに目を細める少女。その瞳は蒼だ。


「終わったぞ」


 そう言う彼の雰囲気は鴉というよりは犬に近い。主の命令を待つ姿は忠犬のモノだ。


「ありがとう、もう消えてくれてかまわないよ」

「……そうか」


 対して、その主の態度は素っ気ない。いかに忠実な家臣とあれど、その忠心が主に正確に届いているかは別のようだ。

 烏丸はどこか寂しげな様子を仮面の下で浮かべ、闇のなかに消える。それは彼が持つ隠密術式だった。

 とはいえ、それは彼の存在感が薄れただけ。実際はこの空間に彼は息を潜めている。男の役割は主の護衛である。少女が小さい頃から彼は傍らで護衛を続けていた。それは今も変わらない。


「姫様、ずっとそのままでいるつもりかの? 風邪を引いても知らぬぞ。明日は入学式じゃろう」


 ぐでっと床に寝そべったままの少女に翁面が声をかける。いきなりな話題転換だが、その内容は二人の親密さを表すモノだった。


「私は座っているだけだからいいんだ。副会長程度の役職では仕事は回ってこないよ。――そういえば、彼らも入学してくるのか……」

「彼ら? 誰か知り合いでもおるんか」


 少女は身体を起こし、


「鳴海の英雄」


 と、言った。


「さっき連中達が言っていた、神祇省の――確か、『DRAFT』だったかな。彼らも入学してくるみたいだよ。名簿を見た」

「む、彼ら? 神祇省の英雄は女子だと聞いておったが」

「あぁ、それはもう古い情報だよ。つい最近、龍穴が開いたときに禍の神を倒したのはもう一人の男の子だ。名は――渡会渋谷」


 告げた少女の口元が大きな弧を描く。


「渡会――!? まさか?」


 翁面が空中でカタと揺れた。耳にした情報によって生まれた驚きがそのままフィードバックした。


「ふっ、偶然というのは恐い。しかも、彼が契約した神はあの『スサノオ』のようだ。笑えるだろう?」


 少女は軽く肩を竦めて見せる。しかし、表情はまるで笑みを浮かべた様子はない。

 どこか遠くを見つめる視線は、計り知れない思惑を孕んでいる。


「まったく。この夜刀守巴(やともり・ともえ)の前にこんな形で現れるのか、スサノオ。これで今までの努力は徒労になった」

 

 落胆しているようにも見える少女の仕草。

 しかし、唇を舌で濡らし、まるで獲物を狙うかのように瞳を細め、


「しかし――楽しい学園生活になりそうだな、渡会渋谷」


 巫女は、未来に思いを馳せる。

 彼女の名は、夜刀守巴。

 夜須島の地を代々受け継いできた夜刀守家の正当後継者。

 

 ――そして、現代の神話を紡ぎし者の一人。

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