第二十四話 現代神話の英雄譚
「――終わった、のね」
疲労困憊、満身創痍でその場に尻餅をつく渋谷に美朝は、真っ赤に染まった夕焼けを眺めながら呟いた。
獅子――ハクオウの魂が光に溶けて消えた空は、禍々しく、妖しげな光を浮かべていた月が消え、夕焼け色に染まっていた。
「ああ――」
渋谷もまた、その夕陽を眺めながら応える。
鳴海町の町並みは、戦いの爪痕を大きく残していた。特に酷かったのは龍脈が活性化したことにる偶発的な龍穴の発生のため生まれた大穴だ。
眼前の駅前ロータリーの真ん前にぽっかり空いてしまった大穴は、深い奈落の底から確かに大地の躍動を伝え、肌を通して気の流れを感じ取る事ができる。まるでその地が生きているかのように。
しかし、それも徐々に薄れてきているようだった。気の流れは微弱と言うべきもので意識しなければわからない程度でしか残っていない。戦いの終わりによって高まった魂が鎮魂されつつあった。
「見てたかよ――勝ったぜ」
「――うん」
控えめに美朝が頷くのを横目で見ながら、終わった死闘に渋谷は思いを馳せる。
獅子の凶――ハクオウは、確固たる信念と、己の強さに対する強い自負を持って渋谷との戦いに臨んでいた。
彼に勝つことが出来たのは渋谷自身の力だけとは到底語れるモノではない。
渋谷を支えてくれた思い。その背を押してくれた願いや祈り。それら全てが形を成した刃があの獅子を断ち切ったのだ。
救いを求める人々の願い。それをこの世界に創造する力をもたらしたのは――
「――スサノオ」
『はい……ここにおります。渋谷様』
俯きがちの視線をそのままに、彼女は答えた。
契約神スサノオ。彼女がもたらした力が、人々の願いを成就させた。
彼女が渋谷に与える、英雄足るべき力。それを権能という形で渋谷は行使する。
しかしあの時、渋谷が手にした力は『願いを成す』という一点にのみ特化した力であり、その源は紛れもなくスサノオがもたらしたモノであった。
彼女が自分に何かを隠しているということはわかる。
今、こうして沈痛な面持ちを向けているのは、自分に対し後ろめたいものを感じているからだろう。
あの戦いの中で、彼女は己の意思に従い何かを成そうと画策した。
それが、隠し事と関係しているのだろう、と渋谷は思う。
『渋谷様』
そんな渋谷の心中を察してか、スサノオは自ら口を開いた。渋谷とスサノオの間には、パスのようなモノができていて、渋谷の心の流れは彼女に筒抜けなのだ。
スサノオは影を帯びた表情のまま、
『――申し訳ございませぬ』
と、謝罪の言葉を口にした。丁寧に腰を折り、隠せない優雅な所作で頭をあげる。
『わたくしはあなた様に隠し事をしております。それはわたくしの存在意義であり、悲願。成さねばならぬ使命――』
「――けど、それは言えない。だよな?」
渋谷の問いに、スサノオはこくりと頷いた。
スサノオの瞳がうつす、ほの暗い光。彼女を駆り立てる悲願というモノがどういったものなのかはわからないが、
「なら、しょうがねぇ」
だからといって、それを無理に吐き出させようというつもりは渋谷にはなかった。
彼女にとって大切なモノ。触れられたくない部分がそれならば、渋谷がどうこうして良いものではない。
むしろ、そんな大切なモノや、願いを護るために、渋谷は英雄でありたいと思うのだ。
「でも、一個だけ教えてくれよ」
渋谷は笑って、確認する。
「それが叶った時――お前は心の底から笑えるんだよな?」
『っ――』
スサノオは驚きで目を大きく見開くと、暫しの俊巡のあとで言った。
『――はい』
優しげな微笑みと共に、スサノオは肯定した。何よりもその答えが、渋谷が信じるに足る満足のいく解答だった。
彼女にとっての救いがそれだというなら、渋谷はそれでいいと思う。
あの時、時の止まった世界で感じたもう一人の自分が、何より望んだ答えがこれだったのだろう。不意に胸の奥がドクンと脈を打ったような気がするが、今はもう、それを感じる事は出来なかった。
ただ、そこにいる皆が、この美しき光の中に包まれていた。
「ね、ねぇ――」
と、美朝は問いかけるように呟き、「ん?」と渋谷はそれに応じながら美朝を見た。
何故かモジモジと、内股を擦り合わせ、視線は四方八方を泳いでいる。いったいどうしたのだろう。急な態度の変化に渋谷は怪訝な眼差しを向ける。
「ひ、ひとつ確認したいんだけど……」
「なんだ?」
「君、言ったわよね。わ、私の英雄だって」
「あ、あぁ……」
確かに言った。
それが渋谷が彼女にとっての救いとなれる最善であると思ったからだ。何より渋谷は望んで英雄の力を手にした。それは美朝と並び立ちたいと思ったからに他ならない。
「あれ……嘘じゃない、わよね?」
不安そうに、ジトッとした視線を浴びせる美朝に渋谷は強く頷いてみせる。
「当たり前だろ」
「そ、そうよね。うん」
しどろもどろで、何が言いたいのかさっぱりな態度に、訳がわからない渋谷である。先程から美朝は何を言おうとしているのか。
『美朝、いい加減彼も困っているぞ』
「ううう、うっさい! 勘違いだったら嫌だなって思ったの。それだけっ!!」
相棒の諭すような声音に美朝はツンと可愛らしい不安を口にして、身体ごとそっぽを向く。
けれど渋谷は彼女の耳が真っ赤に染まっているのに気付いた。それが夕焼けのモノじゃないと思うのは少し自惚れすぎだろうか。
渋谷は立ち上がって、後ろから美朝の頭に手を乗せた。
「ふぇっ!?」
何が起こったのかと、慌てる美朝の耳許で渋谷は、
「これからも頼むぜ、ヒーロー」
「っ――、任せなさいよ、ヒーロー」
弱気な背を押してやる。
だから、俺が駄目な時は頼んだぜ。
渋谷はその手に思いを込めて、言った。
英雄にとっての救いは、もう一人の英雄だ。
なら俺達二人はお互いの救いであろう。
人々の願いを護るために、この町で英雄となる。
誰かに頼まれた訳でもなく、自らの意思で選んだことだから。
「うぅ、いつまで手を乗せてるつもりよ、馬鹿」
「嫌か?」
「――馬鹿っ」
目線を合わせようとはしない美朝だが、別段嫌がっている様子もない。くすぐったそうに身をよじるが、けれど心地よさげに「ふぁ」という声が漏れる。
嫌がっていないならいいかな、と渋谷は思いつつ、ふと目に留まったのは、
「渋谷君っ!!」
慌てて駆けてくる、眼鏡の少女の姿であった。
琴音はどうやら無事だったらしい。良かったと、胸を撫で下ろす渋谷だが、
「なっ、し、渋谷君っ!」
「ど、どうした?」
何故だか、こちらを責めるような強い視線を琴音は浴びせてきた。
それに反応したのは美朝である。彼女もまた琴音のただならぬ雰囲気を感じ取り、「なによ」と、荒い口調で応じた。
一瞬たじろぎを見せる琴音。しかし、すぅはぁと大きく胸を上下させ深呼吸。美朝はそれをジトッと睨む。
次に琴音は、美朝に真っ向から対峙して告げた。
「ま、負けません――っ!!」
「なっ――!?」
その宣戦布告に美朝は、
「わ、私は――」
思いの外、強く言い返せずに声が萎み、すがるように視線は渋谷を向く。
とはいえ、渋谷には何が何やらであり、そんな二人にすかさず琴音は、
「私もいつもみたいに頭撫でて欲しいな」
美朝の頭から渋谷の手を退けて、自らの頭上へと移動した。
『いつもみたいに』の部分が強調された台詞に美朝がギョッと目を剥いた。
明らかに先程とは血色の違う美朝の纏う雰囲気が苛烈に高まっていく。
「ふふっ……そう、そういうこと……」
ぶつぶつ、呟きが聞こえ、ふつふつと沸き上がるオーラ。
それに身の危険を感じずにいられるほど渋谷は、鈍くない。
「お、おいっ美朝――!?」
「うっさいわよ、馬鹿! そうやって見境なくいろんな女の子に手を出してるんでしょ君!! わ、私まで丸め込もうとするなんて……こんのっスケコマシが――っ!!」
轟くのは、英雄の叫声。
理不尽という名の自業自得が英雄の少年を苛んだ。
夕陽に染まった鳴海町に響いた平穏の音は、町を救った英雄の手によって訪れた。
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英雄は救いだ。
人々の恐怖を退け護るもの。ゆえに無くなってはならない。
だが、英雄にとっての救いとはなんだ?
英雄にとっての救いもまた、英雄だ。
救いはある。誰にだって。
祈り、願い、想いを紡いで、神話は生まれた。
これは英雄の少女を救うために英雄となった少年の物語。
紡がれるのはいつの時代、神話に至るまで決まった筋書きがある。
それは多分、どうしようもないほど陳腐なボーイミーツガール。
これは現代に語る、神の愛した英雄譚。
――現代神話の英雄譚。




