第二十一話 戦場の舞闘
真名解放。
美朝の口から紡がれる神の名は、もうひとつの雷の力をその地で顕現した。
引き絞られたアーチェリー。同時に膨れ上がった神気が形を得て、美朝の周囲に滞空している。それらは八つの雷だ。
八色。イザナミが黄泉に堕ちた時、その躯に漂っていたとされる雷の事である。
大雷、火雷、黒雷、拆雷、若雷、土雷、鳴雷、伏雷――と、連なる八つの雷それぞれが、神気によって高まった超感覚において指向性を持つ。
過去、それまで美朝が放っていた奥義『鳴神之雷切』とは似て非なる性質。
美朝が過去放った『鳴神之雷切』が神気を塊としてぶつけるのに対し、『八色』はその大量の神気を凝縮していた。
そも、タケミカヅチという神は武神と称されるほどの戦に長けた神格である。美朝が用いるアーチェリーは、タケミカヅチが弓の扱いに長けていた事に起因し、それを神器として代替していた。
しかし、よりタケミカヅチの権能を用いるのに適した神器というのがある。
『布都御魂剣』。
タケミカヅチはこの剣を用いて、現世である葦原之中津国を平定した。荒ぶる魂を鎮め、祓滅するその性質こそ、凶を祓うのに最も適した力であり、タケミカヅチ本来の力。
そして、美朝の周囲に滞空する八つの雷は、刀剣の形を模していた。内反りという特徴は、まさしく布都御魂剣。死神の鎌とみまごうその一本一本が、爆発的な神気を固めた、必滅の威力を秘めた代物である。
「今度はもう逃がさない。避けられるものなら避けて見せなさい」
激情に駈られるだけの美朝はここにはいない。ただ、英雄である自分を見つめ、凶を倒す事だけしか考えていない。
迷わない。傍らに彼が居れば、自分は迷わずに行けるから。
だから、打つ。
引き絞ったアーチェリーが引き金となり、弾丸の様に八つの雷剣が放たれた。
雷速の剣が四方八方様々な角度で獅子へ殺到する。しかもそれら全ては美朝の支配下にあり、意図した軌道を描いて襲い掛かる。
雷の大瀑布を凝縮した必殺。それが意思のもとに動くとなれば、ただの回避ではまるで足りない。
罪を犯した魂を断罪する刃、受けてみるがいい。
獅子は一旦距離を取るつもりだ。あえて両手をだらりと下げ、身体から無駄な力を抜き、雷を見極めんとしてはいるがしかし甘い。
「ッ――!」
獅子がその眉間に皺を刻んだ。
美朝は雷剣を操作。一本は頭頂から、そして、二本は両袈裟からの計三本を放つ。
たまらず獅子は後退した。際どいタイミングで最初の一本を回避。続く二本の軌道に合わせ、再び距離を計ろうとするが、
「それが甘いって言ってるの」
軌道が強引に変わる。
降り下ろしの流れにあった雷剣が、途端空中で制止し突きとなって獅子へ向かう。
後退によって避けんとしてた獅子の意表を衝く軌道。
「があああああぁぁぁァァァ――ッ!!」
咆哮。獅子は猛りをあげ、拳で地面を打ち付けた。隆起した土塊が壁となり雷剣を間一髪受け止める。
「それで?」
「ッ!?」
無駄だ。その程度の事で凌げる程、八色は甘くない。土塊は障子のように貫かれ、まるで威力の衰えた様子の無い雷剣が遂に獅子へと噛み付かんとする。
が、一筋縄ではない。触れればたちまちその雷剣の性質によって祓滅というリスクを省みず、獅子は猛然と剣閃の中へと突っ込んで来た。
紙一重。その見切りは美朝の思考の隙をついたような練達の動き。そも八本の雷剣を同時に動かすなど端から無理というもので、どうしても操作できない雷剣が生まれてしまう。ゆえに目の前の雷剣にのみ集中できれば避ける事は容易い――そう考えているのだろうか。
――それこそ、舐められたモノだ。
「ズゥッ!?」
意識外より訪れた、二本の雷剣。回避された雷剣はたちまち反転すると、背後から獅子を貫いたのだ。
そして、その硬直に正面からの雷剣二本。
疾る二条の閃光。真っ向から獅子の胸を貫通。都合四本の雷剣が獅子を串刺しにした。
「やったか!」
歓喜の滲んだ渋谷の声が確信となる。
刹那、血の代わりに吹き上がったのは障気。穢れという穢れの詰まった身体を、貫いた雷剣の祓滅の気が浄化している。
決まった――しかし、この手応えの無さはどういうことだ?
今にも大気に溶け出さんとするその獅子の身体。声の一つをあげることなく、黙する姿は己の死を待っているというよりも――
「――やっぱり、ね」
抜け殻のようだ、と美朝は冷ややかにそれを見た。
これまで、マトモな一撃を当てることすら出来なかった美朝。ようやく浴びせる事の出来た渾身は本来ならば喜ぶべき事のはず。
それでも美朝は表情を変えなかった。
心のどこかでそれを予期していたのだろう。
――こんなものじゃない、と。
「それが、あなたの権能って事?」
そして、眼前で起こった変化こそ、美朝が予期していたモノだった。
獅子の身体がぶれ始める。
焦点は合わず、内から障気を吐き出すその獅子の身体がまるで砂嵐のようなノイズを伴って姿を歪めていく。
「な――ッ!?」
渋谷が眼を剥く。それを横目に美朝は告げる。
「あなたの本質は個じゃない。厳密に言えば『あなた』ではあるけど、『あなた自身』ではない。そうでしょ?」
「ククッ――ご名答」
喉を鳴らし、浮かび上がったシルエットは答えた。
ノイズを走らせ、胸を貫かれた身体は大気に消え、変わりに生まれたのは五体満足の獅子の化物。まるで巻き戻したかのように、戦いの記録がなかったことにされた、獅子の姿だった。
「あなたは自分を好きに使い潰せる。あなたは自分という可能性を自由に呼び出す事が出来るのよ」
神格に与えられる個々の能力を権能と呼ぶ。
例えばタケミカヅチにしてみればそれが雷を操る事であるし、スサノオにしてみれば風を操る事だが、それは堕ちた神格――凶においても例外ではない。
魂が穢れを持たなかった時の権能を継承している神格も在れば、全く異なった権能を継承している神格もいる。
千差万別、と言ってしまえば簡単だが、美朝も自分で言っていて信じられなかった。
この獅子の能力はまるで見たことがない。
それはあくまで仮定でしかないもの。平行に世界が存在し、同じだけの自分自身が存在するという仮説。
採った選択によって選ばれなかった自分の可能性を自由に使えるという、理屈に当て嵌めて考えるだけ無駄という荒唐無稽。
「恐らくだけど、それだけじゃないわよね。あなたは可能性を世界に押し付ける事が出来る。だから認識がずれた様な錯覚が起こる」
「どこでそれに気付いたのか聞いても?」
獅子は楽しげに笑む。ようやく答えに至った挑戦者を試すように。
「えぇ、良いわよ。答えはすっごく単純だわ。――あなたの戦い方、それが答えよ」
瞠目する獅子に美朝は言う。
「最初、私の『鳴神之雷切』が当たらなかった時、魔象すらも無傷だったわ。これっておかしいじゃない? 自慢じゃないけど、私の技は眷属程度に耐えられるレベルじゃないのよ」
美朝は計二度の奥義を獅子に放っている。それはまるで効を奏さなかったのだが、そこには不可解な点が存在していたのだ。
獅子ならまだしも、魔象までもが無傷という結果。
百歩譲って美朝があの時、平常時の力を出せていなかったとしても魔象を倒すのには事足りる。
それに渋谷が奥義を用いて魔象を祓滅しているという事実が美朝の疑念を後押しした。
「実際、あなたと戦ってみてわかった。あなたが認識をずらしたり、すっごく堅いっていうなら私達の攻撃を必死に避けたりする必要なんてないのよ」
魔象戦の答えは、獅子の能力によって『当たらなかった』という可能性が呼び出された結果だということ。
その効力の範囲は相手の能力や行動を制限出来る代物ではないのだろう。あくまで自分に関するモノや、周囲に限られるのだろうと美朝は推察する。
「正直、こっちにまで干渉されるような類いの能力だったらどうしようかと思ったけど」
やれやれと肩を竦めて見せる美朝ではあったが、内心それが虚勢であると自覚している。
タネが割れたところで実際、状況を打開するモノにはならない。疑念が確信になったところでこちらが不利なのは変わらないのだ。
可能性の操作。それが可能である以上、こちらの攻撃が当たったところで、同時に当たらなかった可能性が存在するということだ。
先程の場面。雷剣は確かに獅子を直撃したが、同時に当たらなかった時の可能性によって無かった事にされた。
どんなに巧みな攻めを見せても、それが確実性を伴っていない以上、本当の意味で獅子に当てることは不可能なのだ。
獅子はそれがわかっている。だからこそ態度はまったく変わらない。
やりづらい、なんてモノじゃない。攻めが当たらないという事実、それを打ち破る手段は果たして――
「――でもこっちは一人じゃない。そうだろ?」
美朝はともすれば下を向かんとしていた視線を上げ、声の主を追った。
励ます声。並び立つ姿。
落ち込む寸前の気持ちを再び立ち上がらせる様に鼓舞してくれるその存在が、今までの自分とは違う変化。
約束をした。
隣にいてくれること。背中を押してくれることを。
それが何より美朝の救いとなる。
欲していた救いが、今自分の隣にあることが、美朝に力をくれる。
「可能性なんて知ったことかよ。当たらないなら、避けられない攻撃をすればいい。お前の力を越えればいいってことだ。簡単じゃねえか」
途方もない事を言っているという自覚が無いのだろうか。能天気と大差ないその言動だって無茶を言っていると。
「ふふっ、ええ――そうね」
自分にとっての英雄がここにいる。
その言葉だって無茶じゃないとそう思えてくる。
なら、自分だってそれに乗っかったって構わない。
「けど、二人だけじゃないわ」
●
『その通りにございます』
渋谷が聞いたのは凛とした透き通った声であった。
今さら驚くこともない、相棒であるスサノオの声だ。
『わたくしたちがついているということをお忘れなきよう』
「どっちかと言えば、憑いているだよな?」
などという軽口に、美朝のクスリという微笑が目にはいる。
「ホントに。ね、タケミカヅチ?」
『些か肯定しかねる。我々は契約を結んで現世に現界しているのだ。どこぞの化生などと一緒にされては』
「もうっ、冗談に決まってるでしょ。頭堅いんだからっ!」
状況は悲観的。だが、こうして戦っている自分達の中にそういった負の感情を持ち合わせた者はいない。それが渋谷にとって凄く心強かった。
だが、いつまでも続けられそうな軽口はここまでだ。
渋谷は獅子の能力について、ここでようやく気付く。なるほど確かに言う通り。獅子の能力は戦いのなかで何度もその権能を披露していた。
美朝の言葉が無ければ、ただ漫然と戦いを長引かせるだけだった。
しかし、こうして気付いた今、戦況は変化する。
獅子も手の内が割れ、今までとは違った攻めをしてくるに違いない。
つまり――本気。
「ククッ――嗚呼、愉快。愉快だぞ英雄達。小娘と侮った非礼をお詫びしよう巫女殿。そして、並び立つ益荒男よ」
そして、依然として余裕を崩さない獅子。その張り付いた笑みはこちらを馬鹿にする様なものではなく、むしろ悦びを噛み殺すことが出来ないでいるようにも思える。
「よくぞ我が力に辿り着いた。故に認めよう、貴殿らを強者であると。そして――応えよう」
と、言い終えた時。
獅子が纏う気迫の色が変わった。あまりにも明確な変化。思わず渋谷と美朝は同時に歯を食い縛る。肌が総毛立ち、ヒリヒリと焼けつく。二人はその気迫に気圧されそうになる心根を必死に奮い起たせた。
「そうだ、それでよい。楽しませてくれよ、我が望んだ戦場が此処であると貴殿らが証明してくれ!!」
鬣が靡く。獅子の身体から吹き上がる障気が密度を増している。いや、それはもう障気と呼んでいいのか渋谷にはわからなかった。あまりにも濃い、穢れ。それが辺りを染め上げようとしているのだ。
「ひとつ、ここに認識を正そう。我の権能は、守りのみに生かされるモノでは無いということを。では行くぞ――覚悟は、良いなッ!!」
獅子の身体が歪む。いったい何度目だ。陽炎の揺らぎに包まれ、ノイズを持った身体から生まれた声が紡ぐのは――
「『獅子舞・連獅子』ッ!!」
――舞闘の開幕だった。




