第ニ話 ファーストコンタクト
渋谷は、自らをヒーローと名乗る少女に対して「なんだそれ」と思った。
怪物という異常を前にして平然と戦う少女の姿はまさしく英雄と呼べるのものかもしれない。しかし、到底渋谷の理解を助ける答えではない。
そしてまだ楽観は出来なかった。怪人達は少女によって撃破されはしたが、未だに空は闇に覆われており、蒼い月が輝き続けている。
少女も表情を強張らせたまま、何処か先程よりも警戒心を強めた様子。
つまり、まだ終わっていない――という何処か予感めいたモノが渋谷のなかで渦巻き続けている。
その予感は――見事に的中した。
『凶反応確認。神格級だぞ美朝」
再び聞こえてきた声。しかし今となってはその出所が分かる。あのアーチェリーから聞こえていたのだ。
美朝と呼ばれた少女は、「えぇ」と頷きながら答える。
「奴等の親玉、ね。たぶん、前のトカゲと同じ……」
そう少女が呟いた、刹那――
「貴様か、彼奴を葬ったというのは」
障気を纏い、突如姿を現したのは、猛る鬣をなびかせた一匹の獅子だった。
太く、重厚間のある筋肉の上に、赤と黒の豪奢な鎧を纏った二足歩行の獅子。
口には大きな笑みが浮かび、白く鋭い牙が覗く。
余裕すら感じられるその風格は、まさしく百獣の王に相応しい貫禄を持っていた。
だがしかし、恐らくこいつもあの怪人達の仲間なのだろう。――いや、少女の言葉通りなら、奴があの怪物達を率いる親玉か。
「いやはや、流石というべきか? 眷属などは所詮、我らの残り粕に過ぎない。巫女殿相手には役不足も甚だしい」
「あなた、あのトカゲの知り合い? 今日は何、敵討ちにでも来たのかしら」
怯む様子などなく、少女は挑発とも呼べる声音で獅子へと言った。
対する獅子も、安易にその挑発に乗ることなく、
「クク、それも勿論理由の一つではあるが……我々が此処を目指す理由など当然知っているのだろう?」
「分かって訊いてるのよ。――ふん、あなた達は馴れ合わないのが常だと思っていたけれど、なぁんだ友達いるじゃない」
「友ではなく好敵手といった方が我々の関係は適当だ巫女殿。奴とは幾度も競い合い、勝負を繰り返してきた。もっとも、それももう叶わぬが」
「ふっ、そうね。アイツは死んだわ。――私が殺したのよ」
そう言った少女の表情からは感情が消えていた。
恐ろしく冷えた、氷のような眼差し。殺意と、憎しみが混じりあった、さもそれが当然と言うような機械的な変化だった。
「……で。もう始めても良いのよね?」
「……そういきたいところだが、残念ながらそれは又の機会とさせてもらおうか巫女殿」
獅子は笑みを口許にたたえながら息を一つ吸い込んだ。
「思っていた以上に此処は良い。同胞達が此処へ来たがるのも無理は無い」
「ハッ、ずいぶん余裕ね。下見に来ただけだからって、ハイそうですかと逃がすわけないでしょ」
少女が弓を引き絞る。光が収束し、フレームが軋む。
だが、獅子は喉をククッと鳴らして言った。
「――逃げられないと思うのか?」
――同時。
弓から矢が放たれた瞬間、獅子の周囲に僅かなブレが生じるのを渋谷は見た。そして獅子の身体が歪み、気配が薄くなる。
「ではまた会おう、紫電の巫女殿」
霧のように靄がかかり、やがてそれが全身を包み込むと、もうそこには獅子の姿は無くなっていた。
矢は影を穿ち、空気に溶けて消失した。
「…………」
少女は無言で、そこにいたはずの影を眺め続けていた。
だが、獅子が消えたことで次第に空を覆っていた闇が薄くなり、そして最後には消えた。
渋谷はこの状況を呑み込めないまま目を見開き、少女は忌々しげに舌打ちした。
少女はスカートを翻し、渋谷に向き直ると、
「いつまでそこに座っているの。立ちなさい」
うっすらとだが傷が残った小さな手が前に差し出されていた。
渋谷は、少女がこれまでどの様な生活を送っていたのだろうかと考えながら、その手をとった。
渋谷の肩ほどしかない少女。
彼女を大きく見せていた圧倒的存在感は損なわれていないが、こうして向かい合えば、目の前の少女が、どこにでもいる普通の女の子だという事に気付く。
だからこそ疑問に思う。
あの様な怪物達に挑み、戦うこの少女が一体何者なのか。
もっとも――渋谷がその疑問を口にするより早く、言葉を発したのは少女だった。
「君、今自分が置かれてる立場を理解してる? ボケッと呆けてる場合じゃないのよ?」
「あ、ああ……」
「そう、ならいいんだけど。君、ここがどういう町か分かってるのよね?」
「鳴海町だろ……」
ボソッと呟いた渋谷に少女は呆れた様に嘆息した。
「そういう事を言ってるんじゃないわよ。……君やっぱり分かってないんだわ。自分が死ぬかもしれなかったってこと。それとも何、まさか死にに来たっていうんじゃないわよね」
「やっとこの町に来れたってのに死んでたまるか」
「ふぅん。って事はここの人間じゃないんだ。どおりで物分かりが悪いわけね。――だからって君がやったことはただの蛮勇。そのワンちゃん助けたかったのも分かるけど、自分の力量ぐらい測りなさいよ」
……そんな余裕など無かった。あの時の渋谷はただがむしゃらに突っ込んでいっただけ。
たとえそれが命を投げ捨てるような愚行だったとしても、渋谷は犬を守り抜くと誓っていた。ただその一方で、死ぬ事を覚悟していたのだが。
この歳にしてその境地にまで至れるのは明らかな異常とも言える。だが、それは目の前の少女とて同じだろう。
あの異形を前にして、殺意を持って向かっていくなどと。
「なぁ教えてくれよ。この町は一体どうなってんだ。人ッ子一人いやしねぇし、あの怪物にしたってそうだ。ここは異常だよ」
「異常、ねぇ。否定はしないけど、ここはそれこそが常識だとも言えるのよ。それに、人ならいるじゃない」
「何?」と渋谷が首を傾げると、少女は視線である方向を示した。
ガラガラッという音を立て、閉まっていたはずの店が一斉に開いていく。
「いや~まいった、まいった」
中からは人が出てきた。なるほどどうやら最初から店の中にいたらしい。渋谷は何処かに避難でもしているのかと思っていたのだが。
「どう? 無事?」
「いやいや、ウチは屋根をやられたよ」
「ウチは看板が外れてらぁ……」
「何言ってんだい、前の時の方が凄かったじゃないか」
端々から声が上がる。何処か暢気に、この状況をさも当然と言うように人々は状況把握に努めている。
やがてそれは世間話の種となり、会話の輪が広がっていく。
「どうなってんだよ、これ……」
「言ったでしょ、これがここの日常なのよ。奴等が来るのは当たり前、それでもここの人達は楽しく暮らしている……ってこと」
それは渋谷にとって、やはり異常とも言うべき光景だった。
人は適応する動物だときいたことがある。しかしながら、そこに生じる過程によってはあらぬ方向に進んでしまうこともあり得るだろう。
けれどこの町の住人達はそれが無い。あくまでも生活の一部としてそれを享受し、天災程度にしか考えちゃいないのだ。
だがそれは――どこか歪で儚いものに見えた。
「偽りの平和……そう言いたいんでしょ?」
渋谷の心中を察したように、少女は呟いた。自嘲的に笑んで、続ける。
「えぇその通りよ。でも仕方がないのよ。それがこの町の在り方。鳴海町が持つルールなんだから」
「ルール?」
「君に言っても分からないわよ。私がヒーローって言った時、馬鹿にした君にはね」
渋谷の表情が強張った。どうやらバレていたらしい。心なしか少女の視線が痛いのはその為か。
「……分かってるわよ。子供じみているって。けどそれが私の仕事。私はみんなのヒーローであり続けなければいけない。この偽りの平和を守る英雄じゃなければいけないのよ」
渋谷にはこの少女が考えている事は分からない。
その言葉の意味も、本質までは理解できない。
けれどそれは渋谷をどうしてだかムカつかせた。
訳が分からない。自分が何も知らないからこの雰囲気が異常だと思うのか。
戦いが行われているという日常に、疑問を持つのは間違っているというのか。
これは何がなんでも、ここで起こっている事態を把握するまで納得できないと思いながら、少女に詰め寄ろうとした――その時だった。
「メンチ――っ!! どこなの――!!」
届いてきた声は、別の少女のモノだった。
その声に反応したのは、先程からおとなしくしていた一匹の犬。
「ワンッ!!」と渋谷に抱えられていた犬が、すっかり元気を取り戻して吠えた。
どうやら彼女が飼い主か。良かったなと思いながら渋谷が口の端を緩める。
「君がやったことは確かに無謀だった。けれど救われた命があったということを忘れちゃいけないのよ。君がここに居続けると言うなら好きにすればいいわ。私が皆を守ることには変わりない。無論、君の事も、ね」
そう言って、少女は踵を返した。
訊きたい事は山ほどある。本当ならその背を追いかけて問い質す事も出来ただろう。
けれど、渋谷には出来なかった。
すたすたと力強い足取りで行く少女の背は、ただ自分に与えられた使命感で無理矢理突き動かしている様にしか見えなかったから。




