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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第一章 英雄を救うのは
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第十八話 英雄を救うのは

 空間がある。

 そこは上も下もなく、左右も分からない。

 物は存在せず、場所ですらない、そんな空間があった。

 

 だが『ソレ』は、そこにいた。

 単純に、求めるだけとなった『ソレ』がこの空間にある事は当然であった。

 形はない。けれど『ソレ』には確かに求めるモノがあったのだ。

 

 強者との戦い。それこそが、存在理由。

 かつて、共に競い合った戦友は既に存在していない。かの地にて滅んだ戦友の死に様を『ソレ』は知らなかったが、『ソレ』がその地を渇望するきっかけとしては充分過ぎた。

 その地を目指す。遥かな高みという漠然としたモノを追い求め、至高の頂きへ魂を昇華させんと己を研磨した。

 しかし、知らず昇っていたはずの『ソレ』は堕ちていた。追い求めた結果、魂は既に罪によって穢れていた。

 

 だがそれでも、穢れた魂でもなお、求め続けている。

 それが求道。追い求めたモノがあるから、それ以外を切り捨て、失おうとも退かない。

 もはや『ソレ』は己が何であったかも忘却し、ただ強さだけを求めるだけの存在となっていた。

 かたどるのは戦友との記憶と、そして僅かに残った自我。

 それだけを持って『ソレ』はその地へと降り立った。

 

 だが、その地で『ソレ』は失望した。

 弓の英雄、巫女の少女。戦友はあの程度の者に敗けたのか、あの地を守護する存在が、己の心も御しきれないのか、と。

 喪失感。なんだこんなものだったのかという脱力だった。

 

 そして、ついぞ出会った。

 己を高めるに足り得る強者の存在。もはや『ソレ』に残された自我を繋ぎ止めるたったひとつの歓喜はこの時にあったのだ。

 

 震え、叫ぶ。

 あぁ、待っていろ少年よ、小さき英雄よ。

 これより挑むは己が最強を謳う戦いだ。

 『ソレ』は想う。

 魂が気を纏い、肉を付ける。

 無から有へ、概念から個へと成る過程。

 この瞬間の光景は、まさしく神が受体する様であり、ひとつの真理だ。

 そうして出でたのは、獅子であった。

 身体中に深く刻まれた傷よりも更に数多の傷が残った赤と黒の鎧は潜った戦場の多さを示すもの。

 だが、そんなモノにもはや意味はない。

 これより始める戦こそ、唯一無二の何よりも有価値な一戦である。

 獅子はその地へ、再び降り立つ。

 鳴海町。荒御霊の神気がその地を強襲する時は、近い。


      ●


 渋谷は朝日荘へ戻ると、シャワーを浴びて着替えを済ませた。 

 身なりを姿見で確認した渋谷は、呼吸をひとつ。そしてふと思う。

 

「琴音と遊ぶのなんていつ以来だろうな」

 

 話をしようという琴音だが、それで終わるのもなんだか味気ない。鳴海町にもかなり変化が見られ、渋谷が知らない、または覚えていない場所も少なくない。高校に入学してしまう前にある程度は把握しておきたいところだ。

 そんな場所を昔話に花を咲かせつつ、二人でまわる――うん、悪くない。

 そして部屋を出た渋谷は、


「あ……」

 

 足を、止めた。

 弱々しい背の少女が一人、ふらっと歩いていく。

 今にも倒れそうな彼女はいったいどこへ行くというのだろう。

 まなじりにうっすら残る雫の痕を渋谷は見逃せなかった。

 少女と話をしなければいけない。

 八郎や茜に言われたからではなく、自分の意思で彼女――美朝と話をしたいと思うのだ。

 今、自分が抱く感情が上手く言葉に出来るか定かではないけれど、言葉はまだ探っている最中だけど。


「っ――」

 

 渋谷の足は、その背を追うことを決めた。

 昨日のように、戦火の中へ駆けていった英雄を追うようにして渋谷は足を動かした。


『往くのですね』

 

 それは再現か。けれど昨夜と違い、幻聴だと思っていた声の正体を、渋谷はもう知っている。

 そして、それが分かった今だからこそ、渋谷は頷くことができる。

 この神様は不思議だ。渋谷以上に渋谷自身の事を理解している。こうして促すように問う今だって、渋谷が決意を固める為の決定打となる。

 もはや、その背を追うことを躊躇わない。いや、昨夜だって渋谷は選んでいた。美朝の背を追い、そして並び立たんと。

 だから、今も。


「ああ、行くよ」

 

 美朝を救うなんて事は言えないけれど、話をしたいと渋谷は思うから。

 並んで歩く事ができるのは自分しかいないと思うから。

 それは傲慢かもしれない。全てを理解しようなどと自惚れているつもりではない。

 けれど――


『それで良いのです。渋谷様が為さんとする事を、己の心に従う事を誰が責めましょう』

 

 その通り。誰かの言葉が渋谷を動かすのではない。渋谷が動くのは己の心に従うからだ。

 ゆえに渋谷は、行く。


      ●


 少女が孤独を感じる事が無かったのは、姉の存在があったからだ。

 姉はとても優しい人だった。笑顔が素敵な太陽の様な人だった。

 姉が笑ってくれれば嫌な事はすぐに吹き飛んだし、悩み事があれば、一緒に悩んでくれた。

 少女はそんな姉の事が大好きだったのだ。

 二人で生きていく。たとえ、姉に好きな人ができて自分にもそんな人ができて、お互いの道を歩いていくのだとしても、心で繋がっていると思えたから、孤独なんてないとそう思えたのだ。

 

 けれど、唐突な終わりが少女から全てを奪った。

 根本から己の住む世界を破壊された少女は変わることを強いられた。

 全てが燃え、灰塵と化した少女の心に灯った復讐の業火。日常の破壊者である化物を狩る存在となる。

 『英雄』となった少女はその化物を狩り尽くすまで、けっして休むことは許されない。

 

 ――殺してやる。滅してやる。消し去ってやる。

 

 それだけを思って戦った少女の非日常はいつしか日常と変わり果て、世界に組み込まれていた。

 町の人々の安寧を守る存在たる『英雄』とされた少女は、自身の本質すら偽り、戦わざるをえなくなった。

 戦って、戦って、戦って。その果てに復讐が終わるのであればそれでいい。

 

 でも、本当にそれで良かったのか?

 少女にとってそれは、本当に救いとなっているのか?

 わからない。わからないけど――


「あ――」

 

 少女は気付けばその場所に立っていた。

 町を一望できる星見台。高台に作られたその場所からは、夕日に照らされた海と鳴海町が見渡せる。

 

 ここは、姉とよく来た場所だ。

 二人で見た景色は、あの頃と随分変わってしまったように思う。

 

 そして、自分もまた。

 けれどここでの記憶は確かに大切な思い出として残っている。姉が死んで、より強く記憶に残るようになったここからの景色だが、こうしてこの場所に来たのは姉が死んで以来だ。


「お姉ちゃん……私、どうしたらいいの……?」

 

 ぽつり、と。

 こぼした言葉は限りなく少女の本当だった。


「もう、わからない……わからないよぉ……!」

 

 腕を抱き、震える身体を押さえ付ける。

 自分の感情が制御できない。この想いの所在がわからないから、少女は言葉にして吐き出す事しかできない。


「――助けて」

 

 涙すら滲んだ声から生まれた悲痛の叫び。


「――助けてよ、お姉ちゃん……!!」

 

 聞こえてはならない。誰かに聞こえてはいけない。誰よりも気高くあらなければならない。

 自らを超常として英雄となって戦う事が、少女に与えられた役割だから。

 望まれた役を演じるということ。そうして偽って自分を騙して、いつしか自分が何を思っていたのかもわからなくなって、でも、戦いだけは続けなくてはならない。

 だからこの一言で充分だ。これは自分から無駄を削ぎ落とす作業だ。これで自分はまた、『英雄』である自分を取り戻す事が出来るから。

 『本当の自分』なんてこの町に必要ない。だから許して、これで最後にするから。

 どうかこれだけは言わせて――


「誰か、私を――助けてよぉ……!!」

 

 その、叫びは――


「――助ける」

 

 ――届く。


「俺が、あんたを助ける」

「え――」

 

 返ってくる声は、少女の心に届いた。


      ●


「助ける」

 

 応えていた。

 少女が泣いていたから、渋谷は言わねばならないと思った。

 頭のなかでこねくり回していた言葉の数々は無駄だった。ただ一言、言えば良かった。


「俺があんたを助ける」

 

 声は届いているだろうか。わからない。けれど届いていると信じている。届くまで、何度でも言おう。


「助ける」

「やめて……」

 

 拒絶。


「助ける」

「お願いだから、言わないで……」

 

 耳を塞ぐな。


「助けるよ」

「だから、やめてってば!!」

 

 止まらない涙を拭って、息を吐き出す少女は、


「君、には。関係ないこと、だから……。君は巻き込まれただけで。あいつらと戦うのは私だけでいいの。それが英雄である私の役割、だから」

「でもそれは、あんたが望んでる事じゃないだろ!」

 

 渋谷が聞きたいのは、少女の本当の声だ。建前や嘘なんかは今、必要ではない。

 先程の声があんたの本当ではないのか?


「あんたはどうしたいんだよ? ……俺はそれが聞きたい」

「聞いてどうするのよ!? それで君に何が出来るっていうの?」

 

 少女は言う。


「……私はあいつらを倒す為に英雄になった。私の望みはあいつらに復讐すること!! それが私の本音なのよっ!!」

「でも、あんたは辛そうだ」

「――っ!! ……辛いに決まってるでしょ!? 大好きな人を殺されて、辛くないわけないわよ!! 君はどうなの? あなただってお父さんとお母さんを殺されて、どうして平然としていられるの!? 憎くないのあいつらが!!」

 

 知った真実は突拍子も無い、残酷な事実。でも、それを知ってしまった今、渋谷が思う事もある。


「辛い事はある……。あるけど、前に進む事をやめてしまったら、辛いことはずっとそこにあるんだ」

 

 渋谷も両親を失ったとき、塞ぎこんでいた。

 祖父が剣を教えてくれなければ、自分はずっとそこで膝を抱えているだけだったに違いない。


「誰かがその背を押すことで前に進める事だってある」

「私は君のようにはなれない。私には誰も……」

「俺があんたの背を押すさ。あんたが弱音を吐いたときは俺が隣にいる。誰かに支えて欲しくなったとき、俺はあんたを支える」

 

 それは、自分の心が選んだ事だ。


「俺はあんたの英雄だ。あんたが俺を救ってくれた英雄であるように」

 

 少女は言った。自分はこの町の英雄だと。

 なら、その英雄が挫けそうな時、支えるのもまた英雄でなくてはならない。


「俺は英雄になると決めた。あんたのところへ行くと決めた。それは誰かに言われたからでも、望まれたからでもない。俺自身の心が、そう決めたんだ」

「心……」

 

 本当の自分。心の奥にある、真実に従う事。

 

『やっぱり、渋谷君は渋谷君だね』

『己の心に従う事を誰が責めましょう』


 それを渋谷は教えてもらった。

 

 英雄は救いだ。だが、英雄が救われないなんて事があっていいわけがない。


「っ……!!」

「顔をあげろよ。泣いてんじゃねぇよ、ヒーロー」

 

 少女が顔をくしゃくしゃにする。弱々しく震える肩は普通の女の子のそれで。でも確かに英雄のものだから。


「弱くたっていい。弱音を言ったっていいんだ。嫌ならやめればいいし、誰かを頼ったっていい」

 

 そうして、前に進めるなら、遠回りはいくらだってしたっていい。だけど、


「止まる事だけは、しちゃダメだ」

 

      ●


 なんてこの人は眩しいのかと、美朝は思った。

 勝手なことばかり言って、頑固で我が儘だ。思えば、最初からそうだった。

 犬を守るために自分の命を盾にして。それでも笑っていられる人。

 自分とは絶対に違うとそう思っていた。

 だけど、この人は自分と同じ境遇を持っていて、だけど逃げる事はしなかった。

 

 だから、眩しい。

 まっすぐ見つめる事なんて自分にはできない。

 

 なのに、どうしてだろう。そこへ行きたくなるのだろう。引き付けられるのだろう。

 自分もそんな輝きを持てるのかと、そう思ってしまう。

 この停滞が終わり、世界が動き出す。自分の世界が音を立てて崩れていくようで。

 

 お節介だ、本当に。

 放っておけばいいのに、この人はそれを許してくれないんだ。

 だけど、どうしてこんなに、胸が軽いのか。心が、晴れていく様な気分になる。

 この人なら、自分をわかってくれる。この人なら、自分を任せられる。

 それがこんなにも、自分の身体を軽くする。

 なら、言ってもいいのだろうか? 

 本当の自分であって、いいのだろうか?

 

 目を、見る。

 逸らさない。ぶれない。綺麗な瞳がじっとこっちを見ている。

 大丈夫と語りかけるように。それは大好きだった人と同じ瞳、だから。


「――私はあいつらが憎いわ」

「ああ」

「お姉ちゃんを殺したやつらが憎い」

「そうだな。わかるよ」

「私は自分の為に戦っていたの。なのに、どうして周りはそれ以上を求めてくるのよ? 私はただ、憎いの。これは復讐なのよ? なのにみんながみんな、私を英雄にするから!! 私はそれを裏切れない……!!」

 

 町の人々にとって英雄とは化物と戦う存在。化物は英雄によって倒されるもの。だから化物と戦う英雄がいるこの町は平和だ。

 それが人々の考え方。だけど、それが間違っていると美朝は言うことができない。


「だってみんなだって怖いのよ!? 化物がいるなんてあり得ない。そう思ってる。だから、救いがなければ生きていけないの!! だから私の存在は絶対に必要だと、わかってるから……!!」

 

 その役目を放棄できない。望まない役割を押し付けられたとしても自分はそれを演じなければならない。

 でも、本当は――


「私はそれがイヤなのっ!! 本当は、英雄なんてなりたくなかった!! どうして私がそんなことしなくちゃいけないのよ!! 私はただ、お姉ちゃんの敵討ちをしなきゃいけないだけなのにっ!!」

 

 でも、それ以上に、


「だけど、だけど――」

「――戦いたくないんだろ。お姉さんが死んだ事を認めたくないんだよな?」

 

 なぜ、わかるのか。この人は、どうしてこんなにも自分を理解してくれるのだろうか。


「戦う事で無理矢理、自分を納得させようとしたんだろ? 復讐は亡くなった人を想ってするものだから。けど本当はお姉さんはまだ生きていると心のどこかで思っている」

 

 そうだ。本当は泣きたくて、逃げたくて、だだをこねていたい。姉の死を認めたくない。だけど周りがそれを許してくれない。


「あんたには時間が足りなかったんだ。見つめるだけの時間が」

「どうしたらいいのか、わからないの……! 私にできる事はひとつしかない。戦う事だけなのに、君が私の嘘を暴いてしまうから!! 私は、もう、自分を騙せないじゃないっ!!」

 

 世界は変わり始めてしまった。もう、美朝の変革は止まらない。

 それは嘘という壁があったから塞き止められていた感情の波だ。溢れ出した思いは、行き場をなくして飽和している。


「もう一度、言えばいい」

「え――?」

 

 声がまっすぐに胸を叩く。


「あんたが望んでる事を言えばいい」

 

 あぁ、そうか。救いはここにあったのだ。

 彼という光があるから、迷わずに行ける。

 もう、偽らなくていいと、美朝はわかったから。

 私は、君に、言える――


「助けてよ――」

「――ああ、助ける」

「私を助けてよ――」

「――任せろよ」

「私が弱音を吐いたときは優しく背を押して。私が逃げたくなった時は、逃げるなと叱って。私の足が挫けそうな時は隣で支えて」

「ああ、やってやる」

 

 そして、これが最後。


「私だけの、英雄(ヒーロー)でいて」

「必ず、あんたを救ってみせる。だから、負けんなよ英雄(ヒーロー)

 

 そうだ。

 言われなくてもわかってる。


「誰にモノ言ってるわけ?」

 

 笑って、全部消し飛ばして。

 最後にみんな、救ってみせる。

 だって――


「――私は、この町の英雄(ヒーロー)よ?」

 

 それが、麻雛美朝だから。

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