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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第一章 英雄を救うのは
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第十七話 駆ける苦悩

「はっ、はっ……」

 

 荒い呼気を吐き出しながら、渋谷は固いアスファルトの路面を蹴った。

 速度を上げ、風を切って駆け抜ける。

 ジョギングとは言えない速度で昔ながらの街並みを残す商店街を一気に抜けると、近代的なアーケードが広がる駅前通りへと出た。

 広々としたパブリックスペースに、駅と隣接する駅ビル。その賑わいはなかなかであり、都市近郊に位置する鳴海町からして、一定の想定されていた集客は果たされているように思われた。

 

 当然、渋谷が住んでいた頃の鳴海町には存在しない風景だ。

 鳴海町の都市開発が進んだのはここ最近。丁度渋谷が鳴海町を去ってからのことであり、推し進められた新幹線開通工事とそれに伴う鳴海町を含む夜須島(やすしま)市側の観光PR活動、そして観光地としての町づくりの成果が果たされたゆえのものだろう。

 

 渋谷自身、記憶に残る景色が変わっていく事に一抹の寂しさを覚えはするものの、こうして町が活気付く事には賛成だった。

 人が増え、新たなモノが取り入れられ、そしてそれが続いていく。そこに終わりは無く、変化が連続する事は決して悪い事ではないのだろう。


 ただ、その変化を受け入れられるかはその者によって違う。

 彼女はきっと――その変化を受け入れられていないのだ。


「――くそっ……!」

 

 足を止め、もやっとした気持ちと共に吐き出す。

 

 日差しは高く、時刻は午後三時を過ぎた頃だ。

 見下ろす太陽は町全体をやわらかく照らし、春先の陽気を感じさせた。

 だが、そんな軽やかな春の陽気を振り払うかのように、渋谷は一心不乱に汗を流した。

 その理由は、数時間前の熊八堂での一幕が原因だ。

 瞳に涙を湛え、飛び出していった美朝の背を追いかけんとする渋谷を、八郎と茜は制止した。

 美朝の涙の理由、それは二人の口から語られる事となったのだった。


      ●


「おいっ!?」

 

 走り去る背に、渋谷は制止の声を掛けた。だがその声は美朝の耳には届かない。

 具体的な掛ける言葉が見付からないまま、渋谷は美朝の背を追おうとする。


「やめろ、渋谷」

 

 そんな渋谷の迷いを見透かしたように、八郎は待ったをかけた。


「熊谷さん……っ!」

 

 渋谷はその八郎の制止を煩わしいとばかりに横目で睨み返す。渋谷にしては珍しい反応であった。

 けれど八郎は、その不遜とも呼べる態度には何も言わず、ただじっと堪えろとだけ渋谷に伝えようとしていた。

 

 本当に掛ける言葉があるのなら、制止など無視して行けばいい。だがそうせずに八郎の横槍に従った時点で、今の自分には何も出来ない事を無意識で渋谷は理解していた。

 でも、それでも――


「行くなら、ちゃんと答えを持っていけ。アイツの事をお前はまだ何も知らないだろう?」

「…………ッ」

 

 その通りだった。

 渋谷が美朝と出会ったのは昨日今日の事だ。

 何も知らない。彼女の事を知っている、とは渋谷には到底言えるものではない。

 だが渋谷が知る、麻雛美朝のたったひとつの姿は、彼女が人々にとっての救いたる英雄だという事だ。

 

 その姿は鮮烈に渋谷の脳内に刻み込まれている。

 彼女のあの姿が、渋谷が英雄になることを決意させた。

 出会いはつい昨日の事であっても、繋がりは希薄などではないと言えるはずだ。少なくとも渋谷はそう思っている。

 だから、


「俺は、あいつの事を知らなきゃいけないんです。あいつは俺にとっての英雄でもあるから」

 

 これから先に進むために、今は無自覚なこの心の動揺をそのままにして渋谷は言う。


「俺はお前に全てを話すと決めたんだ。なんでも言うさ」

「そうね。それがあなた達への罪滅ぼしになるのなら、私はどんな事だってしたいの」

 

 二人はそんな渋谷の気持ちを酌んでくれる。

 熊谷夫妻にも抱えたものがあるのだろう。渋谷には計り知れない何かが二人にだって存在しているのだ。

 罪滅ぼしだと茜は言うが、二人が責任を感じる事などないと渋谷は思う。両親が死んだ原因は凶にあり、誰かの命を守るために戦った二人を誰が責められよう。

 しかし今は、その気持ちにだって甘える。知りたいことがあるのだから。


「教えてください。あいつは……麻雛はどうして俺と自分が同じだなんて言ったんですか?」

 

 涙し、心の隙間からこぼれたその言葉を渋谷は聞き逃さなかった。

 彼女の最も真実の言葉。それがこの言葉にあるような気がするのだ。


「……美朝ちゃんには、五つ歳上のお姉さんが居たの」

 

 決心する様に茜は言った。


美夜(みや)ちゃんて言ってね、二人は凄く仲が良かったわ」

 

 懐かしむような口調。それが全て過去の事であるからこそ、出来る話し方だった。


「二人の両親は美朝ちゃんが小さい頃に他界していてね。お祖母さんが経営していたあの朝日荘で二人は引き取られたのよ」

 

 今やその祖母もまた他界している。ゆえに、朝日荘の管理は美夜と美朝の二人で行っていた、と茜は語る。


「美夜ちゃんは美朝ちゃんにとって、お母さん代わりでもあったの。でも」

 

 その悲劇は、起こった。


「鳴海町の龍脈が活性化し、龍穴が発生した。それによって鳴海町に発生した最初の凶。それが美夜ちゃんの命を奪った」

「――ッ!?」

 

 半年前、それは当事者にとっては如何程の時間だろうか。遠い過去のことか、それともついこの間の事なのか。


「《DRAFT》は!? 熊谷さん達は何をやっていたんですか!?」

 

 渋谷は叫ばずにいられない。鳴海町に存在する凶への対策室は何も出来なかったというのか。


「……《DRAFT》は未だ五年前に失った戦力を建て直している状態で、各地で同時期に発生した龍穴全てを対策することは出来なかった。鳴海町支部に裂くだけの人員が居なかったんだ」

「くっ……!」

 

 仕方ないこととは分かっていても、悔しさが滲む。その場に自分がいたらと渋谷は思わざるを得ない。


「なら……その凶は誰が……?」

 

 八郎は、渋谷の瞳をしかと覗き込み、


「――美朝だ」

「――え」

 

 少女は英雄になった、と八郎は言った。


「神と人が契約する方法はいくつかあるが、その内の一つが、死を体験することだ。神が住むとされている高天原と死者の魂が行き着く場所である黄泉は同じ天上に存在する。だから、死によって肉体から解放された魂が高天原の神と接触する場合がある。人が死に際に遺す強い言霊ことだまが神の意思を惹き付けるんだ。それが神と人の契約の手順だ」

 

 渋谷も同様の体験をしている。化け物によって胸を撃ち抜かれ絶命したはずの渋谷がこうして生きているのは神であるスサノオと契約を果たしたからに他ならない。


「なら、麻雛も凶に殺された……!?」

「そうだ。美夜と同じように美朝も一度は死んだ。だが、美朝の魂はタケミカヅチと契約し、再び生を得たんだ」

 

 それは――あまりにも似過ぎた境遇ではないか。

 美朝の言葉の意味を、渋谷はようやく理解する。

 確かに同じだ。家族を化物に奪われ、自身の命すらも奪われてなお、得たものは英雄となった二度目の生。

 

 突如訪れた理不尽な変化が、どの様なものをもたらすかなんて、その当人にしかわからない。

 渋谷にとってはそれが、知りたいという欲求に繋がった。父と母の死の真相。それが鳴海町にはあると思ったから渋谷はこうしてここにいる。

 だが、美朝が胸に灯したのは復讐という名の炎だった。

 それは、到底理解できるものではない。それを体験した者でなければ。

 だからこそ、凶への復讐という同じものを美朝は自分に求めたのだ。

 

 その気持ちを共有し、理解してくれると、思ったから。


「――っ」

 

 言葉に出来ない感情が胸のうちで起こる。

 処理できずにぐるぐると回るその感情に、


「美朝ちゃんは普通の娘なの。ただ、ちょっぴり人より幸せから遠ざかってしまった、どこにでもいる普通の女の子。渋谷君、どうかそれを分かってあげて」

 

 諭すような茜の言葉が胸に刺さる。

 思考がうまく纏まりを得ずに、散らばっている感覚だった。


「お前がどう答えを出すかはわからない。俺達じゃ本当の意味で美朝の事をわかってやる事なんて出来ないからな。……だけど、お前は違う。美朝を救えるのはお前だけだ」

 

 ――俺が、麻雛を救う……。

 

 人々を救う存在である英雄たる彼女を、救う。

 闇に囚われている美朝を救えるのは、自分だけ。

 渋谷がその意味を理解するにはまだ時間がかかる。

 八郎が託した言葉が、渋谷の心の奥に溶けていくのだった。


      ●


 そして、答えが出ないまま、渋谷は身体を動かす事を選んだ。

 どうにもふさぎこんで考えたところで堂々巡りが良いところ。どちらかと言えば渋谷は考える事が苦手なのだ。ならばいっそ無我夢中に走る事で、何か答えを得ることに賭けた方がよっぽど生産的だろう。

 

 よれた使い古しのジャージには、汗が滲んでいる。

 お洒落した若者達が集まる駅前からして渋谷の装いは甚だ悪目立ちすることだろう。

 現に、やや奇異の視線を集めつつある渋谷も流石にいたたまれなくなってきた。

 

「ん、あれは……?」

 

 と、そそくさ立ち去ろうとした渋谷が見とめたのは、春物のニットとロングスカートを大人しめの色で合わせた、落ち着いた雰囲気の少女であった。


「おーい、琴音!」

「ん……、渋谷君?」

 

 眼鏡をカチャリと直して、こちらを見た少女は、しばし逡巡を浮かべていたが「よしっ」と何やら気合いを入れて、両手に提げた紙袋と豊かな胸を揺らしながら、駆けてくる。

 だが、


「危ない!」

「きゃっ!?」

 

 重たい荷物にバランスを崩しあわや転倒というところで渋谷は琴音を抱き止めた。

 ふにゅんと弾力のある胸が押し当てられ、渋谷は慌てて琴音を支えて立たせた。


「はわっ、し、渋谷君ごめんなさいっ」

「大丈夫か、怪我はないな?」

 

 動揺は悟られずに済んだようだ。琴音は顔を真っ赤にして、下を向いている。


「えっと、買い物か? 中身なに?」

「え……あ、うん。文庫本とノート。好きな作者の新刊が出てて」

「そういや、小説とかよく読んでいたっけ」

 

 好きな作者が何人いるか知らないが、流石に買いすぎではないだろうかと思わないでもなかったが、本好きがそのまま大きくなれば、こういうものかなと納得する渋谷。


「う、うん。そうだね」

 

 やけに歯切れ悪く返事する琴音を渋谷「ん?」といぶかしむ。

 覗きこんだ渋谷の視線から逃げるように、顔を逸らす琴音。

 

 ――やっぱ、なんか変だな……。

 

 眼鏡の奥の瞳は、どうして良いかわからないという逡巡の色を帯びていた。幼馴染みである彼女が何故そのような視線を向けるのか、長年の付き合いであっても全く見当がつかない。

 懸念要素があるとすれば、


「――琴音。俺、もしかして臭い!?」

 

 ランニングによって流した汗に原因があるのではなかろうか。

 かれこれ一時間は走ったかもしれない。潮風が流れ込む鳴海町の気候からして、そこまで気温は高くはないが、走っていれば当然汗もかく。自分の体臭を気にしないでいられるほど渋谷も無神経なつもりはないので、流石にショックだった。


「ぷっ、ふふっ、あはははっ!」

 

 吹き出し、琴音は堪えきれずに笑い出した。

 周囲の視線がより強く集まるのを感じた渋谷は慌てて、


「おいっ、琴音、どうしたんだよ!?」

「ふふっ、なんでもないよ。――くすくす」

 

 未だ腹を押さえる琴音は、涙すら浮かんだまなじりを眼鏡の隙間から軽く擦り、


「渋谷君は渋谷君なんだね。やっぱり怖くないや」

 

 意味の分からない呟きをこぼした。


「私、うれしいよ」

 

 いよいよ訳の分からない笑みすら浮かべられて、渋谷はなんの事だかさっぱりだ。


「はぁ、なんなんだよ、ったく」

「私、昨日、渋谷君が化物と戦っているところ見ちゃって心配だったんだ。でも、渋谷君が普段と変わらないから安心しちゃった」

「え……?」

 

 渋谷は完全にその想定を忘れていた。町の人達による目撃。あれだけ派手な事になっていて見ていないなどと都合の良い事があるわけがなかった。

 

 ――そうか、だから……。

 

 最初の躊躇うような仕草や、歯切れの悪さは全て昨夜の光景を見ていたから、警戒されていたということか。

 たとえ幼馴染みでも、化物を倒した存在が何も変わらないなんて事があるはずないと思うのは自然だ。ましてや怖いと思うのも当然だろう。受け入れざるのも然るべきで――


『やっぱり渋谷君は渋谷君なんだね』

 

 ――あ……。

 

 何故か、その言葉が渋谷の心に引っ掛かった。

 どうしてかは、わからない。けれどこの言葉は何か、大事な事を伝えているような気がした。


「ねぇ、渋谷君。これから大丈夫……? 少しお話しない?」

 

 上目使いの幼馴染みからの提案。正直予定などない渋谷である。

 

 ――麻雛の事、なにか聞けるかもな。

 

 美朝についての考えはまだ纏まっていない。けれど琴音の言葉に渋谷は何かを掴める気がした。


「別にいいぜ。けど……」

「やったっ! ん、けど……?」

 

 渋谷は、脇に鼻を当ててから、


「やっぱり一回寮に戻ってからでいいか?」

「私は渋谷君のにおい、気にしないよ? ……むしろ好き、だし」

「俺が気にするんだよっ!!」

 

 クスッと琴音は微笑んで、


「うん。やっぱり渋谷君だなぁ……」

 

 呟きは渋谷の耳には届かなかった。

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