第十六話 明かされた真実
美朝は真剣な面持ちのまま、語気を強めて、
「日本書紀にも登場するこの二つの罪は祝詞の対句として伝えられているわ」
「その罪を犯した神様が……化物になるってことか……」
かたわらの少女――スサノオもまたその罪を犯したとき、あの化物へと変容する。その事実は渋谷に少なくない衝撃を与えるものだった。そして、スサノオもまた同じだろう。どこか固い表情の彼女は真剣に美朝の声に耳を傾けていた。
「そういうこと。特に神の持つ荒御霊がその罪を犯すケースが多いっていうのが組織の見解ね。ま、考えてみれば当然って感じだけど」
荒御霊は神の権能のまさしく荒々しい側面だ。確かにその感情を持つからこそ神は罪を犯す。
「ならその……荒御霊を祀っている意味ってあるのか? 神様は結局罪を犯して化物になる可能性を持っている。なら、そんな側面は神様にとっても必要ないものじゃないのか?」
「荒御霊は何も負の側面ばかりじゃないのよ。一霊四魂という考え方があってね、森羅万象ありとあらゆるものには、四つの魂とそれらをコントロールする一つの霊が宿っているの。四つの魂の一つがその荒御霊。荒御霊はそのモノの『勇』を意味している。人で言えばその人の前に進む力、つまり行動力のこと。この荒御霊が強い人は行動力があって外向的な人。だからそれは言い換えれば勇気があるってことだし、無茶をするってことでもあるんだけど……ま、ざっくり言えば君みたいな感じかな」
さっきまで負の側面の話をされていたからか、素直に認めたくない渋谷である。
だが、
「なんとなく言いたいことは分かるよ。荒御霊は神様の強い力そのモノでもあるってことなんだな。強くて扱いずらい、だから良い方に繋がる事もあるし、かえって悪くなる事もある」
「だから、人々は社を建て神様に祈りを捧げるのよ。神様は基本的に人々の願いによって成り立つ存在だもの」
祈りや願い、それが自分の力になるとスサノオが言っていたのを思い出す。渋谷が願った時、彼女を信じた時、自分を満たしたあの力が生まれたのだ。
「けれど――罪を犯し、穢れた魂は、畜生にもなお劣るわ」
低く、美朝は言った。それこそ今さっきまでのトーンとはまるきり別の、彼女が特定のモノに対し発露する感情だ。
『…………』
強張った表情で固く口許を引き絞るスサノオ。その表情の意図は渋谷には読み解く事が出来ない。
「教えてあげるわ、渡会くん。罪によって穢れた奴らがどうしてこの町を襲うのか……その理由を」
「――美朝、ちょっと良いか」
唐突に入る待ったの声。それは成り行きを見守っていた八郎の声だ。
「美朝ちゃん、これは私達にも関係する話だから。ね、お願い」
そして、続いた茜に気勢を削がれた様子の美朝は押し黙ると、
「どうぞ」
一歩下がって、
「ここからは俺達が説明させてもらおうか」
そう言って、八郎はずいと前に出た。横には茜が立ち、神妙な面持ちをこちらへと向けている。今度はこの二人が渋谷の疑問に答えるようだ。
いや、むしろ二人の方が渋谷に話したいことがある、という風に見えるが。
「坊主。いや、渋谷。何故この町に化物が現れるのか……お前はどう思う?」
問われ、少々考え込む渋谷は、
「その……人間が憎いとかですかね?」
「ほう……どうして?」
「いや、麻雛の話で神様の荒御霊が化物になるって言っていたじゃないですか。人が祈りを捧げ、しっかりと祀っていれば神様も化物にならないんじゃないかって」
自信なさげに呟く渋谷は自分の発言に付け足すようにして、
「でも、そうしたら日本中で凶が発生しちまうか」
「いいえ渡会君、その通りよ」
「え!?」
美朝は渋谷の何気ない発言を肯定した。
「鳴海町に凶が現れた最初のケースが半年前。だけど、それ以前から凶は発生していたのよ」
そう、と頷く茜は美朝の言葉を継ぐ。
「五年前」
ドクンと、鼓動が一際大きく跳ねた気がした。
「F県某市を見舞った大地震」
――やめろ。
――聞きたい。
「それに伴う大津波」
――やめてくれ。
――それが知りたかったんだ。
「起こった大災害は、全てを呑み込み、人の立ち入る事の出来ない不可侵領域を生み出した」
――それ以上、聞きたくない。
――俺は、それを求めてここへ来たんだ。
背反する二つの思考が連続的に浮かび上がる。
知ってしまう事で、何かが変わってしまう事への警鐘。
求めていたモノをようやく手にする事が出来る歓喜。
それが同時に渋谷の脳内を掻き乱す。五年前というキーワード。それが渋谷の知らず封じ込めていた記憶を抉じ開けるように。
だが、待ったをかける事は許されない。すでにこの場に立った時点でそれは叶わない。
「渋谷君も知っているだろうあの災害は、突発的なモノではないの。凶が引き金となった《神災》なのよ」
――神が起こした災害。ゆえに、《神災》。
「凶はとっても不安定な霊体。本来なら神様は、《降神の儀》という正式な方法による現界でなければ身体を維持できない。それ以外では、人と契約をするしか方法がない。けれど凶はそんな事をお構い無しに顕現する。龍脈を目指して」
「……龍脈って?」
渋谷のその問いに答えるのは八郎だ。
「龍脈ってのは地下に張り巡らされた気の通り道だ。人で例えるなら血管だな。そこを流れるのが血となる気だ。この地球上でありとあらゆる場所にその龍脈は張り巡らされている」
だが、と八郎は言う。
「五年前の《神災》が起こした被害によってその龍脈は不安定な状態になった。その為、龍脈が枝分かれしてしまってあちこちに穴が空いちまった」
「穴、ですか……?」
「そうだ。――龍穴。気が最も満ちる場所の事だ。地下を流れる龍脈がその穴を通して気を噴き出すのさ」
「俗に言うパワースポットね。出雲や阿蘇。霊峰なんて呼ばれる富士山とかが有名かしら。他にもかつて日本の首都となった鎌倉や京都、そして東京、特に皇居なんかもパワースポットの上に作られたものよ」
『渋谷様、気とは万物の宿る根源的存在でございます。より強い気を求めるのが命あるモノの摂理です』
もたらされた情報から渋谷は自分の中で噛み砕いて嚥下する。
「凶は霊体として不安定だから、それを安定させるために気の満ちるところを求める……」
つまり、
「この鳴海町に龍穴があるって事ですかっ!?」
「そっの通りだよ、渡会くんっ!! やはり君は凄いなぁ〜!!」
いつの間にか復活していた中村が眼鏡を近付ける。
「鳴海町は昔から霊力の高い土地とされていたんだけど比較的地脈が緩やかで、まるで凶が発生するような場所じゃなかったんだ。けれど、神災の影響で、龍穴が開いてしまったことで、凶が頻繁に発生するようになったんだ」
そして、
「その原因となった神災を引き起こすほどの存在である凶はまだ見つかっていない!! 現在、その凶によって開けられた通り道を辿ってこの現世に凶達が流れ込んで来てしまっているんだ!! だが、それをいち早く察知していた機関があった。それが僕達《DRAFT》だ!!」
つまり、鳴海町市部というのは、
「熊谷さん達は、この鳴海町の龍穴を狙う凶を倒す為の組織ってことですか?」
その通り、とばかりに渋谷以外の全員が頷いた。
そして、ここからが八郎と茜の渋谷に告げなければならない真実だった。
「渋谷、お前にはどうしても伝えなければならないことがある。これを知った事でお前の人生は大きく変わるかもしれない。今なら後戻り出来る、それでも聞く覚悟はあるか?」
だが、それを言うより前に、渋谷に問うたのは最後の確認であった。
渋谷は即答出来なかった。
これが最後の警告だと、頭のどこかで理解している。
この町へ来るきっかけ。ただし、心のどこかで目を背けていた空白。それがこの瞬間に埋まるという予感がある。
ならば何故、二の足を踏むのか。踏み出すと、決めたのではなかったか。
もう、関わってしまっている。だとしたら選択肢など端から存在してはいなかったはずだ。
「大丈夫です。教えてください熊谷さん。俺にその真実を」
そうだ。踏み出すだけ。前に進むだけだ。
英雄になると決めたなら――逃げるな。
「そうか。お前の気持ちはよく分かったよ」
渋谷の気持ちを酌んでくれた熊谷が深く頷く。
そして、語り出す真実。
「《神災》の発生を俺達《DRAFT》は予見していた。《DRAFT》には《星詠み》と言われる占星術の部署があって、俺達はその《神災》の発生を防ぐためにチームを組んで対策に当たっていた」
「そこにはあなたのお父さんとお母さん。新谷さんと香澄さんが所属していたわ」
「父さんと母さんが……!?」
衝撃が走る。当然、思いもよらぬ事実だ。
「渡会くんのお父さんとお母さんが……《DRAFT》に……?」
その事実は美朝にも少なからず驚きを与えていた。どうやら彼女も知らない事だったようだ。
「二人は大学時代から神道や民間伝承に造詣が深かったから。当時、私達が二人と出会ったのもオカルト研究会の合同研究発表会がきっかけで」
「俺達は別の大学のオカ研だったんだわ」
以外な過去だ。二人や父母にもそういった青春があったのだという言葉にならない感嘆があった。
「まさか《DRAFT》で再会するとは思わなかったけどよ。でも、二人がいなきゃ、《神災》はもっと酷いものになっていただろうよ」
まるで懐かしむように言う八郎の眉間に刻まれた深いシワには、悔しさが滲んでいるように見えた。
「父さんと母さんは一体何をやったんですか?」
「《降神の儀だ》」
「そんな!?」
言った八郎に驚きの声をあげたのは意外にも美朝だった。
「まさか、凶を顕現させようとしたんですか!? そんな無茶な事!!」
美朝の驚きの所在が分からず渋谷は美朝に尋ねる。
「どういうことだ?」
「さっきから何回か説明してると思うけど、神様は本来なら正式な手順を踏むことで現世に降りてきてもらうのよ。けど凶っていうのはそんなの無視して現世に顕現してしまう。でもそれは、しないんじゃなくて出来ないからなのよ」
「それは凶が、穢れを持っているからってことですか」
罪を犯し、穢れた魂は神としての神気を持っていない。ゆえに、
「そう。神として資格がない以上《降神の儀》は行えない。だから、無茶なのよ」
「でも、俺の父さんと母さんはやろうとした……それはなんでですか?」
「凶が顕現する際の影響を最大限減らす為には、それしか方法が無かったのよ」
神とは本来、天上――高天原に存在する。それが現世――葦原乃中津国へと顕現するには大量の神気が必要であり、別の次元に存在する世界を往き来する以上、相応の影響が出るのは当然だ。
「確かに、《降神の儀》が成功すれば《神災》は起きなくても済む……けど、凶はどうやって倒すんですか?」
「《降神の儀》を成功させる為に《禊祓詞》が奉納される予定だった。それにより、凶の魂を浄化し、本来の神格に戻しさえすれば、《降神の儀》が行えるからな。現界さえしてくれれば《DRAFT》の現存勢力で祓滅出来るはずだった」
しかし、それは誤りであったと、結果が証明している。
「が、駄目だった。戦線は瓦解し祓滅どころの話じゃなかった。俺たちはとんでもないやつを相手にしていたんだとその時に気が付いたよ。……最期の瞬間まで二人は《禊祓詞》を唱え続けていた。俺達を逃がす為に……だから」
八郎は頭の手拭いを取り、短く刈られた頭を下げた。
「渋谷……本当にすまない。二人を、守る事が出来なかった」
「ごめんなさい渋谷君。あなたから二人を奪ったのは私達だわ。本当にごめんなさい……」
大人二人が、子供に頭を下げるなどあっていいはずがない、と渋谷は思う。
けれど渋谷はそんな事よりも、知った真実に打ちのめされていた。
父と母の死の真相。今でも思い浮かぶ二人の笑顔はいつまでも消えることはない。
だがそれでも、その真実はあまりにも残酷だ。
まるで『世界に仕組まれている』かのように、その真実が渋谷を戦いへと誘うようだった。
あたかも劇を盛り上げる舞台装置として用意されているかのような腑に落ちなさ。
渋谷が踏み込んだ場所が、父と母の死に繋がっているなどと、あまりにも『都合が良すぎ』て、逆に信じられない。
おかしな話だ。何かがあると思ってこの町へと来たというのに、何かが本当にあればおかしいと違和を抱く。
自分の神経はどうかしているのではないか――。
『いいえ、そんな事はありませぬ』
――え?
もう一度、少女は笑んで。
『けっして、渋谷様が間違っているなどという事はありませぬ』
スサノオはまるで、愛しい幼子を愛でるように、優しい瞳を向けて、
『渋谷様は戸惑っておられるのです。求めていたものがあまりに理解から遠くにあるから、実感として得ることが出来ないでいるのです』
けれど、とスサノオは言う。
『それで良いのです。認めたくないのなら、認めなくていい。嫌でもその事実は変わらないのですから。だからそのうえで、渋谷様が何を成そうとするのか、それが重要ではありませぬか?』
彼女は渋谷の全てを分かっている。だからこそこうして渋谷を導かんとする。
――認めませぬ。決して、認めませぬ。
だがこの時ばかりはその言葉が、彼女が自分自身へ向け抱き続けている想いそのものであるように思えた。自分に言い聞かせるようだと。その言葉が何故か渋谷の耳に残った。
しかし今は、その言葉が救いとなる。再び渋谷が歩む力をくれる。
「熊谷さん、茜さん。顔をあげてください」
「渋谷……」
「渋谷君……」
二人の顔をまっすぐ見て、渋谷は自分の気持ちを正直に吐露する。
「感謝します。二人が教えてくださって、俺、ようやく知る事ができました。父さんと母さんが凶と戦っていたなんてすぐには信じられないけど、でも二人が誰かの為に戦っていたってことは分かるんです。そうですよね?」
二人は大きく頷く。それだけで充分だ。
「なら俺がここに来たのは間違っていない。父さんと母さんの様に戦いますよ、俺も」
「渋谷、それは……」
「父さんと母さんは最期まで英雄だった。なら俺も同じですよ。守ります最期まで」
強く、強く。
誓いをこの場で刻み込む。
弱さは要らない。必要なのは守る為の強さ。
それが英雄になると決めた少年の、渇望。
「す、素晴らしい〜!! 素晴らしいよ、渋谷くん!! お父さんとお母さんの死を乗り越えて、自らも戦いへと赴く……。君はなんて強いんだ!! よしっ、僕は君を全力でサポートするよ!! 何でも言ってくれたまえ、この中村幸哉にね」
ははと、苦笑する渋谷。中村は鼻息荒く顔を近付けてくる。
だが、
「――っけるな」
「え――?」
その少女は感情を爆発させて、
「ふざけるなっ!! お父さんとお母さんが死んで、君はなんで笑ってるのよ!! 守る? 英雄になる? 違うでしょ、馬鹿じゃないの!?」
美朝は渋谷に口を挟む余地を与えない。
「悪いのは凶じゃないっ! 目の前にその敵がいて、あなたには力がある。だったら仇を討てっ!! 簡単に認めてんじゃないわよっ!! 君の家族は殺されたのよ!?」
大音声は、悲痛な叫び。彼女の心の闇が溢れ出していた。
「分かってるさ。ケリは着ける。まだ見つかっていないっていう凶は、絶対俺が倒す。だけど、俺は父さんと母さんの様に誰かを守りたいんだ。意思を継ぎたいんだよ。スサノオがくれる力はその為にあるんだ」
「意思を継ぐ? 死人は何も語らないわ! 結局あなたが勝手に思い込んでるだけじゃない!!」
「別にそれでもいいよ。俺はそれが間違っているとは思わない」
肩を怒らせ、拳を握る美朝。歯をぎりっと噛み、
「……私には君が分からない。どうして、そんなことが言えるのよ」
ポツリとこぼした。
「――私と同じ、なのに……」
言い捨てる様に、美朝は飛び出した。
「おいっ!?」
渋谷の静止は意味をなさない。美朝は一度も振り返らずに地上へと戻っていった。
けれど渋谷は確かに見た。彼女の瞳から零れる涙の雫を。
確かに渋谷は、見た。
パワースポットや龍脈については独自解釈です。




