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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第一章 英雄を救うのは
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第十一話 渡会渋谷の本質

「ボォォォォォァァァァァアアアアアア――――ッ!!」


 それは魔笛だ。聞く者全てを竦み上がらせる、暴虐の覇王の産声に他ならない。

 この瞬間、起こしてはならぬ存在は目を覚ました。

 その引き金を引いたのは、この町の英雄。少女は、その膨れ上がる悪寒を虚勢を張ることで押し殺す。

 

 笑みを浮かべ、怨敵に向かって言ってのける。


「ふん。やっとお目覚め? 随分な寝坊助さんね。そのまま永遠の眠りにつかせてあげるわ」

 

 無理矢理張った声は掠れていた。強さなど微塵も感じない。

 言葉など、あの化け物には通じないことは分かっているだろうに、それでも美朝は言わずにはいられなかったのだろう。

 

 自分が自分である為に、必要な事。少女は何度だって言葉を紡ぎ続ける。見苦しくともそれが彼女の安っぽいプライドなのか。

 

 しかし、幾度と無く放ち、幾度と無く、美朝を失意の底に伏せさせるその事実。

 

 またしても、美朝の一矢は、何の結果をも生まなかった。

 いや、状況は動くには動いたか。最悪という形で、だが。

 

 魔象が一歩を踏み締める。

 重機を思わせる地鳴りが、ズシン、ズシンと宵闇に響く。

 その圧倒的な存在感。強大な物量の塊が、進撃を開始する。

 

 渋谷は見た。重音をあげ、進み続ける魔象の姿を。

 

 美朝の攻撃が通じない。ここに来てその事実が重くのし掛かる。

 膠着状態だ。ただそこにあるだけの魔象と、打つ手のない美朝。

 状況を動かす何かが無い。そう思われた時だった。


「オオオオオオオオオオオ――――ッ!!」


 魔象がその足を止め、軋むような呻き声をあげたのだ。

 ご、ご、ご、と何かが蠢くような音。それは魔象の体を駆け巡り、解き放たれようとしていた。

 

 美朝が息を飲む。渋谷は身構え、ただその状況を見やる。

 

 だが、瞬間。膨れ上がった何かが、象の体を飛び出した。


「――ッ」

 

 象の直線上を、それが突っ切る。

 美朝がそれを避けることができたのはただの偶然でしかなかった。

 

 結果だけを言うのであれば、アスファルトが砕け、何かが通った轍が生まれていたということ。

 そして、美朝の額に雫が飛び散っていたということだけだ。

 

「――何っ、今の!?」

 

 美朝が首を捻る。その結果が何を意味しているのか見当がつかない。

 

 しかし、相棒は見ていた。


『美朝、奴が放ったのは――』


      ●


「水、ですね。それも超圧縮された」 

 

 声を放ったのは、画面を通しそれを見ていた男。

 眼鏡をカチリと直すと、続けて中村は言った。


「超高密度の水があの象の鼻先から放たれていました。なるほど、原理としてはウォーターカッターと同じですね」

「ウォーターカッター……? あの象も凶なのよ、そんな事が可能なの?」


 対して、眉を寄せ信じられないものでも見た様に口許に手を当てるのは茜。


「茜。可能かどうかは問題じゃねぇ、奴がそれをしたって事が問題だ」

 

 茜の横から声が掛かる。この部屋の主たる男は、熊谷八郎。

 夫のその言葉に妻である茜は直ぐ様自分の言葉を恥じ、思い直す。

 

 そう、凶がこの町に現れるようになってから、世界は有り得ない事など無いのだと知った。

 当然、夫も同じだ。平和だと、そう思ってきた日々が思い出に変わるのは思いの外早い。

 状況は目まぐるしく変わり、精神は磨耗しやがてそれが当たり前へと変わっていく。

 この町の人々はそうやって順応し、あるいは見なかった事にして、日常を自分の中に落とし込む。

 

 けれど自分達はそうはいかない。

 

 その事を知っているから、目を逸らしてなどいられない。

 誰かがやらなくてはならないから自分達がやる。

 それが責任というもので。

 それが償いだと信じているから。


「美朝ちゃん……」

 

 画面の向こう、戦う少女の姿は痛々しい。

 己を怒りによって鼓舞し、負けない、負けたくないという気持ちで足を、手を動かす。

 

 昔の小さかった少女を知る者として、今の彼女の姿はあまりにも変わりすぎていた。

 けれど何も出来ず、何もしなかったのは自分だ。

 頼るべきはあの少女しかいないというその事実。

 責任は確かに果たす。だが、その力が無い。

 あまりにも勝手すぎる、それは褒められた事なんかじゃない。

 

 それでも、茜は、八郎は、中村は――少女の勝利を祈る事しか出来ない。 

 その時、再び状況は変わる。

 

 鼻先からウォーターカッターを魔象が再び放った。

 対して、美朝はギリギリの回避を続けていた。

 避けられないというわけではない。だが、その威力は神気を纏った美朝であってもただではすまない。

 

 一転攻勢。魔象が連射を続ける一方で、全く攻めるチャンスがない。たとえそれがあったとしても今の美朝には打つ手がないのだ。

 こんな敵は初めてだ。かつて無い不安がその一室を満たす。


「なんとかならないの中村君……!」 

 

 不安が声となり飛び出す。

 中村は組織の中でも一応はキャリア組。伊達ではない頭脳の持ち主でもある、がことここに至っては、


「すいません、何も思い付きません……!」

 

 無能である。


「とはいえ、麻雛さんの気が乱れているのも攻撃が通じない一因でしょう。本来ならあのクラスに負ける筈は無いんですから」

 

 確かに、美朝が契約したタケミカヅチは組織が保有する契約者の中においても上位に位置する。

 いくら美朝がその力を十全に使いこなせていなくとも、負けるはずはない。


 だからこそ、今の美朝の状況はまずいということになるのだが。


「《鳴神乃雷切》二発ですからね……どうしたって神気はガス欠ですよ。それを気合いで無理にカバーしている……それも麻雛さんは、無意識のうちに」

 

 冷静に、状況を見る中村。それが事実だからこそ何も言うことが出来ない。


「ここはやはり……退却しかない、と僕は思います。今のままではどうやっても勝つ事は不可能だ。町の人を逃がし、麻雛さんの回復を待ちましょう!」

 

 現実的に見てそうなる。今のままでは敗けが見えている。ならば撤退しか方法はない。


「最悪、本部に連絡して救援を要請して……」

「無理よ……」

「何故です? 確かに町の人達を全員逃がすとなれば多少の時間稼ぎは必要です。それは麻雛さんにやってもらうしかありませんが……」

「そうじゃないわ中村君。本部は絶対に動かないのよ。たとえこの町を見捨ててもね」

「えっ……!?」

 

 それが自分達の所属する組織。

 あくまで、その掲げる目標は凶の掃討にある。人命などその次にあればまだマシというもの。優先度は最優先事項を除けば無いも同じ。ゆえに熊谷を司令とする鳴海町支部は組織の中でも異端とされているのだが。

 

「それに美朝ちゃんは絶対に退くことはしない。自分が死ぬまで戦い続けるでしょうね。中村君も知っているでしょ?」

 

 少女が戦う意味を、その理由を。


「凶への、復讐……」

 

 うん、と茜は頷き、八郎を見る。

 

 横一文字に結んだ口は、何も語らない。

 夫はこの場の責任者として、思案を続けている。

 画面は依然として変わらない。少女の苦悶と切迫していく状況だけが映るだけ。

 

 ――しかし、いや、だからこそ。

 

 その声は、聞こえたのかもしれない。


『うぉぉぉおおおおおお!!』


「なッ!?」

 

 八郎が、


「えっ!?」

 

 茜が、


「はっ!?」

 

 中村が、

 

 見たのは、魔象へと向かっていく『少年』の姿。


      ●


「うぉぉぉおおおおおお!!」

 

 恐い。恐い。恐い。

 今にも手は震え、持った鉄パイプには力が入らない。

 駆け出した足は挫けそうだ。恐怖が全身を支配し、胸を締め付け、死を間近に感じさせる。

 これほどの恐怖はかつて無い。今朝の命を駆けた愚行すらも霞むほどに。

 

 先ほどから魔象は動きを変え、こちらに攻撃を仕掛けるようになった。

 けれど、渋谷は駆けた。

 その目に水流の射撃の軌跡を捉え、猛弾の雨を掻い潜りながら一目散に化物へと直進する。

 

 ――馬鹿野郎、俺の馬鹿野郎ッ!! 

 

 胸のうちで自身を罵倒しながら、次の瞬間には後悔の念が押し寄せる。

 なんで動いた。なんでそこでじっとしていなかった。

 自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。怒りはどうしてか震えを押さえるのには役に立たない。

 死にたがりは卒業しろとは誰の言葉だったか。

 

「うるせぇ、テメェの方が死にそうな面してんじゃねぇかよッ!」

 

 今にも泣き崩れそうな少女の顔がこちらを見る。

 それは無茶だと、叫んでいるように見えた。

 

「分かってんだよそんなこと。俺が一番分かってるんだ」

 

 無茶だってことは分かりきっている。その無力な自分が何を出来るのかだって嫌というほど知っている。

 でもそれは行かなくていいという理由にはならない。

 渋谷はそこに行こうと決めた。己のエゴを貫くと決めた。

 

 ――一人で戦ってる馬鹿野郎が。言いたいことはハッキリ言いやがれ。けど今は言わなくていい、


 「後でちゃんと、聞いてやるからッ!!」

 

 渋谷がこの町に来たのは父と母の死の真相を知るため。

 未知を既知へと変えるため。

 その為に放り投げた物が渋谷にだってある。

 無理を通してここにいる。

 だったらここから先の道は誰にも遮ることの出来ない渡会渋谷が歩く道だ。


「どこ狙ってやがる! こっちだ化け物!!」

 

 言葉が届くかは問題じゃない。目の前で戦う少女のように、自分もやってやる。言葉で鼓舞し、恐怖を殺す。

 

 今朝を思い出せ。自分は何のために動いたのかを。

 それは何かを救うため、己の命を賭した自己犠牲。

 勇敢などではなく、蛮勇でしかないその行いで、結果的に救われた命に己の成果を見出だすのは間違っているかもしれない。

 

 渋谷が行くのは、いつだって己の為だ。

 ここにいるのは全て己の意思。

 エゴを吐き、他人の言葉など無視して渋谷は壇上へと踏み入れる。

 そこで見ている少女は何を思うだろう。

 この行動が、少女に何かを伝えられるならそれでいい。

 けど、出来るなら笑って、もう一度話がしたいから。

 少女のその顔を、悲しげに歪んだその表情を変えたいと思うのは、


「やっぱり俺が男なんだってことだよなぁッ!!」

 

 そして今、少年は見る。

 

 魔象が、渋谷を目標と定めた。

 美朝が、叫んだ。

 何かが、放たれた。

 胸を、貫かれた。

 呼吸が、心臓が、手が、震えが、何もかも全てが止まった。

 四肢が簡単に崩れ落ちた。自分から出ていた糸が切れていくように、支えとなるものが失われた。声すらあげる余裕もなく。力が全身から抜け落ちた。

 

 死。絶対的な忘却が到来する。

 その存在が、命という名の輝きが潰える瞬間にそれは燃えていた。

 魂と呼ぶべきものが、激しく苛烈に見るもの全てを惹き付けるまばゆい輝きを持っていた。

 

 自分は死なないと、どこかで思っていた。

 いくら危険な目に遭おうとも、何故か自分が死ぬはずがないと。

 それは平和ボケなどではなく、確信のようなもので。

 自分はここでは死なないと、そう思っていたから――。


「――――」


 世界の終わり。

 世界の始まり。

 生まれ消え、再び生まれる、転生する魂の拍動。

 世界の法則を。流転する魂の軌跡を、渋谷は見た。

 流れ着く先は誰にも分からず、故に一生は、一度しかない。

 なのに、それを渋谷は――思い出していた。

      


 空。流れる雲間から覗く、突き抜けるような蒼穹。

 草。頬を撫でる柔らかな緑。

 熱。身体から抜けていく熱が外から満たされていく感覚。

 声。震える音は、愛しい程に胸を締め付ける。

 

 約束を、した。

 再び会えるその時を。

 涙を流す、その少女の微笑みを再び見たくて。

 

 『私』は、

 『僕』は、

 『我』は、

 そして『俺』は――ここに生まれ落ちた。


      ●


『離しませぬ』

 

 水が流れ落ちるように自然と、落ちていくその声。


『今度こそ、今度こそ離さない』

 

 知っている。何度だって聞いた。


『言ったではありませんか、貴方はここで死ぬ御霊ではないと。ええ、死なせはしません、決して』

 

 その声を、その音を。


『わたくしが那由多の果てに辿り着く事の出来た場所。これが最後にして見せましょう。もう先に往かせはしませぬ。もう、繰り返したりはしませぬ』

 

 優しい、その声を、待っていた。


『さぁ往きましょう――さま』

 

 差し伸べられた手は、二度と離してはならない。

 その声は、知らない名で『俺』を呼んだ。


「ああ、往こう共に。――」

 

 そして『俺』は、知らぬ名を呼び返した。

 

      ●


 世界が再び、色を取り戻した。


 動き出す。止めた鼓動が力を生み、熱を帯びる。

 四肢へと循環していく流れは、生命の躍動を越え、見知らぬ力を呼び起こす。

 

 確信する。この暖かさ、共にあったその熱は、再びこの時ひとつになったのだと。

 覚醒した意識。

 飛び込んでくるのは――。


「馬鹿っ……この、大馬鹿っ……」

 

 酷く弱々しい、罵倒だ。


「何よ、いきなり飛び出して来て!! なんでここにいるのよ……!? どうして……!? 訳が分からないっ、もうっ、とにかく馬鹿よ! 馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ!!」

 

 支離滅裂で、言いたいことの半分も少女は言えていない。

 けれど今自分が少女に抱かれていて、馬鹿だという自分の為に泣いてくれているのだということは分かった。

 

「悪い。心配かけた」

「はぁっ!? だ、誰がっ……」

「けど、お説教は後で。今はアイツを倒すのが先だよな」

「何を言って……!?」

 

 言葉を制し、渋谷は立ち上がった。

 溢れ出る生命力が、爆発する時を待ちわびていた。

 美朝が目を見開く。渋谷のその変化に気付く事が出来たのは、美朝が渋谷と同じ者(・・・)だからか。

 いや、この場合は、渋谷が美朝と同じ者(・・・)になったのだ。

 

 ならば、


「渡会君、貴方まさか……!?」

 

 問う美朝に答えたのは、


『ふふ、そうですとも。このお方は……渋谷さまは今、わたくしとひとつになったのです』

 

 歌うように跳ねる声音は、脳に直接流れ込むように響いた。戦場においてはいささか不似合いなその少女の声。


「この声……貴女は……!?」

『わたくしにそれを尋ねるとは、少しは身の程というものを弁えたらどうでしょう?』

 

 などと、その声はあまりにも不遜な態度で美朝を突っぱねた。


「なっ――!!」

 

 顔を真っ赤にし、怒りを一瞬で沸騰させる美朝に、横から渋谷がまぁまぁと制して、


「別にいいだろ名前ぐらい。俺にも教えてくれよ、助けてくれたあんたの名を」

『はい♪ 渋谷様の仰せのままに』

 

 あまりにも渋谷と美朝では態度が違いすぎる声の主。


『名……ですか』

 

 少し、寂しげに声を潜める。が、すぐにその声は調子を取り戻し、


『それでは語るといたしましょう。世に轟きし、我が名を、荒れ狂う嵐の化身にして大海の王、英雄を体現せしその名を――』

 

 一拍おいたのち、少女の声は告げた。


『父にイザナギ、母にイザナミ、若輩の身なれど、少しばかり名は知れているかと思いますが。《スサノオ》と申します。以後、お見知り置きを』

 

 声と同時、その姿は現れた。

 揺れる長髪は鴉の濡れ羽色。清く禊がれた白の帯に結われ、宙を漂う。

 その装束は緋と白のコントラストが彩る巫女の衣装。

 

 それは仮装などではなく、彼女にこそ相応しいその出で立ちに言葉を挟む余地はない。

 凡そ人を越えた美しさ、まさに女神である。

 

 少女――スサノオの周囲を光が満たす。溢れたその光は暖かく、渋谷と美朝を包んでいた。

 そしてその光こそが、渋谷と美朝の身体を流れる神気。

 凶を葬る為の力そのもの。

 

 渋谷は見る。先程まで見境なく水流を放っていた魔象が、動きを止めた。  

 今ここに現れた存在の大きさに警戒を露わにするように。


『ふむ、神世の三柱が一、あのスサノオ殿とは――』

 

 声をあげるタケミカヅチ。

 いや、声だけではない。老獪の武神はこの時、姿をも現した。

 蓄えた豊かな髭。深く刻まれた皺と片眼に一閃通った傷は潜り抜けた修羅場の多さを表している。豪奢な鎧と腰の刀剣。肩には弓と、まさに軍神たる出で立ちだ。

 

 その軍神は同じ神格であるあのスサノオが少女であった事に驚きを禁じ得ない様子。

 神話に語り継がれる、八又の大蛇退治を成し遂げたあの英雄神。

 軍神タケミカヅチに負けず劣らずのその神格は言わずもがなだが、語り継がれる説話はいずれも男神であると記されている。

 なればこそ、タケミカヅチの驚きはもっともなところであった。


『ふふ、世に流れる説話など、真偽は無いものとお思いくださいまし。事実はこのわたくしの姿と渋谷様への一途な想いさえ理解していただければ結構でございます』

 

 と、とうの本人は口許に手を当て小さく口許を綻ばせるだけ。

 その妖艶とも呼べる仕草は、渋谷が見とれるには充分で――


「ちょっと君? まさかとは思うけど、あの子にちやほやされて良い気になっちゃって、気付いたら契約してましたってオチじゃないわよね?」

 

 そんな渋谷に横から美朝。


「な、何言い出すんだよ!?」

 

 と、慌てて弁明を試みる渋谷に美朝はふんと一蹴。

 少し苛立ち混じりのその表情は、どうやら怒りとは別の感情のように見えるが、それが何かまでは渋谷には判断付かない。

 けれど、今の美朝は先程までの彼女と違う。

 怒りや、闘争心によって支配された彼女ではなく、今は渋谷が初めて見た時の彼女が放っていた英雄の気品があった。

 

 流れる空気が変わっていた。

 張り詰めていたその緊張の糸が、切れる寸でのところで張り直されたのだ。

 

 冷静を取り戻した様子の美朝に、渋谷はほっと胸を撫で下ろす。

 

 と、それが気に入らない様子の美朝は「何よ、聞いてるの?」と食って掛かる。

 そこにスサノオが、


『まぁまぁ、なんと狭量な事でしょうか。渋谷様のお心遣いを汲み取ることも出来ないとは』

 

 火に油を注ぐような事を言い、美朝はピクリと眉を動かした。


「ねぇ、さっきから貴女なんなの? 妙に私に突っかかってくるけど。それに、渋谷様、渋谷様ってそんなに彼の事が気に入ったわけ?」

『渋谷様が一度命を擲ってまで助けようとした方が、あなた様の様な方と知れば渋谷様を敬愛しているわたくしとしては些か腑に落ちないのも当然の事でしょう?』

「何が言いたいのよ……」

『えぇ、言わせていただきますが、渋谷様が貴女を助ける理由が見当たらないのです。だとするなら結論はひとつ、貴女様が渋谷様をたぶらかし――」

「す、ストォォォォオオオップ!!」 

 

 と、止めに入ったのは論点の中心になりつつあった渋谷だ。

 流石にこれ以上の論争はマズイと判断。魔象が依然として存在しているこの状況での別の戦闘は勘弁だ。

 

 ましてや渋谷は今の自分に何が起こっているのか理解出来ていない。

 確かに自分は死んだはずで、あの魔象が放ったウォーターカッターをまともに食らったのだ。

 しかし、それを救ってくれたのは目の前にいる巫女の少女。夢のなかで一度だけ出会ったはずの彼女の力が働いたのだという事は分かる。

 

 同時に、己の身体に得た変化。

 この町に溢れる霊気の流れと、それを乱さんとする魔象の邪気が交じり合い、まるでシャボン玉のように大気中に浮遊し、弾けている。

 広がる視界は、見えないはずのモノを映しているのだ。

 

 これが美朝が見ていた景色。それは他に誰もいない、孤独な場所。

 

 だが、渋谷はそこに立った。

 舞台へと上がり、演者として名乗りをあげた。

 見ているだけの観衆ではない、そこはもはや渡会渋谷の主演舞台。

 演目はひとつ、化物退治――だ。


「……そこまでだ二人とも。今、何をするべきか分かってるよな?」

 

 変わった声のトーンは既に戦闘へと向けシフトした証拠。

 恐怖は既にそこに無い。今の渋谷は完全にこの空気を飲み込んでいた。

 

 スサノオが、美朝が、タケミカヅチが一様に意識を切り替える。


『参りましょう渋谷様。これが我々の初陣に御座います。存分に、わたくしをお使いくださいませ』

 

 その少女は渋谷に頭を垂れる。

 それがさも当たり前であるように。何千年前から同じことを繰り返してきたみたいに。

 神格であるはずのスサノオが、たった一人の少年を敬う。

 それに、こそばゆい気持ちを得る自分がいる中で、それが当たり前だと思う自分がいた。

 

 何故、自分がこの状況に立たされているのかという理解はもう諦めた。

 ただひとつ。

 渋谷はその敵に向かって言い放つ。


「俺が、この町の英雄だ」

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