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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第一章 英雄を救うのは
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第十話 心は身

「なん、で――?」

 

 幾度目になるとも分からない思考。

 何故そこにいるのか、美朝の理解を越えていた。

 獅子は腕を組んだまま、象の背に屹立している。酷く落胆したように首をかしげ、その裡に溜まったモノを吐き出すように言った。


「つまらぬわ。下らぬわ。なんだそれは?」

 

 高みより響くは荘厳なる王の声。威厳と共に彼の者へと降り注ぐ。


「その程度で、奴を葬ったなどほざくつもりではなかろうな? 侮辱するなよ小娘が……ッ!!」

 

 吐き捨てるような怒号。怒りに震えるその声は闇夜に木霊する大音声。


「無駄足だと思わせてくれるなよ、なぁ巫女よ。あぁ、失望したぞ。小さき者よッ!」

 

 小さき者。そう言われた美朝の身体は、本当に小さく見えた。

 正体不明のその力。それは圧倒的優劣から生み出される歴然たる力の差とでも言うのか。

 何も言い返す事が出来ず歯噛みする美朝に、獅子は突き放すように静かに言った。


「既に見えた。貴様など、我が手を下すまでも無い。こやつで充分だろうよ」

「待っ……!?」

 

 声が出ない。言葉が続かない。

 今、この期に及んで自分に何が出来るというのか。戦力差も分からぬ現状では打つ手は無い。

 無理解のまま戦うことで生まれる勝機と、このまま獅子を見逃すことで生まれる勝機。どちらが大きいか、今の美朝にだってわかる。

 美朝は失望された。自分が最も憎み、穢らわしいと蔑んできた存在に、己の価値を決められた。

 

 ここで一旦退いてくれるというのは願ってもない話だ。最低限、次に奴が現れるまでに策を講じる時間が生まれたのだから。

 それでも、悔しさだけは拭い去ることなど出来ない。

 これで良かったなどと、自分を納得させるだけの心の余裕が今の美朝には無かった。

 自分の使命はこの町の人々を護ること。敵を葬る事はその手段のひとつにすぎない。

 それが建前としての美朝が戦う理由だから。

 今、最も危険とされる獅子が消える事で、この戦いがグッと楽になる。それはイコール人々の命が守られることに繋がるのならば……。

 

 食い縛る歯。奥歯が砕けんばかりに美朝は自分の身体を押さえ付ける。

 挑発するな。刺激するな。お願いだから早く去ってくれ。

 惨めだろう。弱き者と罵るがいい。今に見ていろ必ず殺してやる。消してやる。

 だから消えろ。

 さっさと、消えろ――――。


『――美朝、もういい…………』


 気付けば苦しいプレッシャーが、張り詰めた強大な気配と共に消えていた。

 しかし象の化け物は、依然としてその場にとどまり続けている。


『やれるな、美朝』

 

 相棒は言う。

 美朝は息を吐き出し、


「ええ……大丈夫」

 

 俯いていた顔を上げ、再び意識を向ける。

 終わっていないこの戦いを、終わらせる。そして、獅子を叩き潰す。

 残された象はどうしたことか、動く気配がない。まるでただの木偶ではないか。己の意思で動くことの出来ない傀儡。

 獅子はそんな奴を自分に相応しいと宣った。

 ふざけるな。舐めるんじゃない。

 確かにこれは敗北だ。屈辱だ。美朝が受けた最大級の侮蔑だ。

 なればこそ、それが真実であると認めさせる訳にはいかない。

 私は、強い。

 自信までは砕かれない。この怒りは砕けない。

 なるほど、確かに相応しいかもしれない。

 この怒りをぶつけるには、十二分。大きすぎる『的』だ。


「はっ…………」

 

 自然と。

 美朝の口から洩れる笑い。


「ハハッ、アハハハッ――」

 

 ああ、可笑しい。本当に。

 ――化け物風情が。


「本当に嫌になるわね」

 

 冷静になど、なれるわけがなかった。

 麻雛美朝は、激情のままに弓を引く。

 燃え上がる意識にゆだね、美朝は再び撃った。


      ●


「なんだ? また、始まったぞ……」

 

 その時少年もまた、戦場に居た。

 舞台袖に立つことを許されない、観客として。

 いや、それでも彼は観客としては持ち得ない、特異な存在としてここに居る。

 風呂場での一幕の後、いきなり凄まじい音がしたかと思えば一目散に駆けていく美朝の姿を見た。

 鬼気迫る表情は、初めて彼女と出会った戦場の中での彼女と同じ。

 向かっている方向さえも、奇しくも昼間と同じ商店街の大通り。それも幼馴染みである琴音の家がある場所だ。

 何が出来るという訳ではない。

 昼間の光景が甦る。誤れば、命など容易く消えてしまうのだと教えられたあの光景が。


『行きましょう――』

 

 それでも、声が聞こえた気がした。

 誰もいないはずのその場所で、渋谷は何処か懐かしい声を聞いたのだ。

 それは一瞬で消えてなくなり、気付いた時にはもう耳には残滓すら残っていなかった。

 だが、渋谷の足を動かすには充分すぎる切っ掛け。その何かに突き動かされるようにここに来たのだ。


「……あいつ、まだやるのか……?」

 

 視界いっぱいに広がるこの世のモノとは思えぬ非現実的な光景。ここではそれが当たり前だという信じがたい現実。

 戦況はまさしく不利と呼ぶべきものだった。

 美朝が放った一撃は、渋谷の目から見ても凄まじいモノ。昼間の雑魚共相手に使ったようなちゃちなモノではなく、全身全霊を込めた必滅の一撃だった。


「アイツも効かなかったのを忘れた訳じゃねぇだろ……!」

 

 しかし、通じなかった。

 英雄の一撃は、あの怪物達にはまるで効果が無かったのだ。

 信じられない光景だ。あの凄まじい雷光の大瀑布を受けて、全くの無傷であるなど、にわかに信じがたい。

 

 撃った本人が一番ショックだったはずだ。その後の美朝はどこか冷静ではなかった。

 気持ちが先行し、状況が見えていない。無闇やたらに大技を放ち、そのことごとくが効かないという悪循環。

 まるで見えない何かに取り憑かれた様な挙動は、英雄とは程遠い姿だった。

 

 そしてそれは今もなお続いている。

 どういうわけかあの象は動きを見せない。ゆえに今一度冷静になり、この好機をどう捉えるか思案するべきだ。

 けれど美朝は再び激情に駆られた。焦燥感が端から見ても伝わってくる。

 

「そうじゃねぇ、そうじゃねぇだろ……ッ」

 

 その瞳に、渋谷は嫌なものを感じ取る。

 苦悶の表情に彩られた顔。悔しさと歯がゆさに満ちた少女の瞳が、不吉な色を孕んでいる。

 現実を否定し、不信感に支配された今の状態は、戦う者が持つべき精神状態ではない。

 剣の師である祖父が良く語って聞かせてくれた言葉に、不動心というモノがある。

 

しん(しん)。揺れない心は即ち乱れなき太刀筋を生むものなり』

 

 動揺は自身を、不利へと追い込むものだ。

 信じられない事が起こった。確信さえしたことが、覆った。だからどうしていいか分からない。

 違う、そうではないのだ。

 そこでの思考停止こそが愚行。乱れた心は身体にも異常をきたす。

 今の美朝は、まさにその状態にある。

 渋谷が計り知れない怒りが、彼女にあるのだということは分かる。しかし今はそれが仇となり、精細を欠いているのだ。

 

 一撃目よりも衰えが見える。明らかに取り乱した気のせいで、上手く力を練ることが出来ないでいるのだろう。

 それが通じるとは思えない。下手をすれば小康状態にあるあの化け物を目覚めさせる引き金となるかもしれない。

 渋谷はとにかく走った。

 どうしようもないという気持ちが身体を動かしていた。

 彼女はあまりにも未熟で、子供が癇癪を起こしているようで――見ていられない。

 誰かが彼女を止めなければ最悪の事態を招く。

 こうしている間にも、美朝は弦を目一杯に引き絞り、次なる一撃を放とうとしている。

 

 ――早まるんじゃねぇ!!

 

 渋谷の思いも、そして再度放たれた美朝の一撃も、届かない。

 シュバッという空音(からおと)が虚しく響き、一撃目とは異なる弱々しい光を乗せた雷の矢は、象のこめかみに被弾する。

 

 その時、魔は、目覚めた。

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