高貴
11/22 またまた久々更新
天界というところは、真っ白なキャンパスに白で書かれた絵の中のようだ。一見すると綺麗な地だ。
この窓から見える外の景色には、曇りが一点も見えない。
けれど、視点を変えれば影ができる。影で描かれた絵はまるで、焦げた家。
ひどく、悲しい。
「あら、起きていたのですね。体の具合はどうです、三谷桜子」
「体調はいいです」
「そうですか。それはなによりですわ」
夏島君の言うクソ天使は、とても礼儀のよい人だ。いや、天使なんだけどね。
言葉遣いも風貌も、服装は良くはわからないけど、高貴な印象を受ける。なんだか中世の貴族のような人だ。
「おなかは空いていますか? それとも、何かお飲みになるかしら?」
天使は無地の真っ白い壁をスラスラと撫でながら優しく質問してくる。撫でられているのは自分じゃないのに、その声だけで、安らいでしまいそうになる。
私はそれに抗って声を出す。
「どうして……」
「なんですの?」
「どうしてそんなに……」
「『私を丁寧に扱うのか?』ですか?」
私はコクン、と頷く。
「正直言って、私は人間が嫌いです」
天使はふわりとそばにあった椅子に腰掛けた。あまりにも美しい振る舞いなので、体を動かす一瞬一瞬がスローモーションに見えた。
「天使を軽視し、神を信仰しない。人間の中でもそういった輩は、私は特に大嫌いです。が、私はあなたを憎めないのです」
「……どういうことですか?」
「あなたに流れる天使の血が、けれど人間の中で暮らしてしまったがために、私は天使になりきれないあなたを哀れに感じてしまうのです」
……は?
何を言っているのだろう。この人は。
「ちょ、ちょっと待って。私が、天使? いやいや、それはないって」
「いえいえいえ、あります。天界に来くことのできる者は、神と天使と死んだ者。生きた人間は天界に入ることは不可能なのです」
そんなばかな。
「しかし例外として入ることのできる人間がいます。それは天使の血を受け継いだ人間。あなたです。そうそういませんよ、そういった存在は」
「そんなこと……」
信じられない。
いや、信じるなんて無理だ。いきなり『あなたは天使です』と言われて『ああ、そうなんですか』なんて考えられる人間はいない。
私も、考えられない。
「私の顔を見なさい、三谷桜子。直に思い出すはずです。私はあなたと遠い遠い昔に会っていますから」
天使の手が、私の目線を支配する。私は逸らすことができない。顔が、目が、視線が目の前の顔から離れてくれない。私は、逸らすことができない。綺麗な金色の瞳が、私を引きつけて止まない。
目先がどんどん暗くなる。自分がどこを向いているかわからない。上か下か、正面か。
次第に映像が、声が、ノイズ混じりに感じられる。
『あなたですか。クリードをたぶらかした人間の女は!』
『クリード様は私達人間を愛してくださっているのです! なぜ天使であるあなたが争いを始めるのです!』
『黙りなさい! 人間の分際で私からクリードを誘惑するなんてッ』
『誘惑などッ……』
『人間風情がああああ!!』
「うわっと!!」
「クスクス」
「て、天使!!」
「クスクスクス」
なんだ、今のは。
あれは、いつだ。
そこは、どこだ。
一体、なんだというのだ。
「わ、私は……。私はクリードの子を?」
「そうです」
天使はさらり、と微笑んだ。
懐かしむような、不敵なような、そんな顔をしている。
「一万年前、天界の王、天王とその部下がプロジェクトを発足したのです。プロジェクトの責任者は天王の腹心であるクリード。そしてプロジェクトの内容はこうです」
天使は喋り出した。
「『天使模倣体計画』天使を模倣した存在を製造し、さらなる高みを目指したのですよ。しかし紆余曲折あって、クリードは天界を裏切ったのです。当時実験体として人間を扱っていたのを見て何か思うことがあったのでしょう。人間界に在籍していた天使をクリードは皆殺しにしました」
「みな……殺し……」
「クリードは天王の腹心。愛弟子。忠実な部下。友。その全てであったのに、彼はそのすべての地位を捨てて人間として生きようとしたのです。そう、当時許嫁であった私をも裏切って……」
「…………」
「彼の裏切りで天界は大騒ぎでしたよ。捕獲部隊を送っても彼一人で返り討ちにされ、軍隊を送り込んでも、たった一人で殲滅してしまう。天王でさえ彼に勝てない。天王はとうとう心身に支障をきたし、休眠。天界は人間界と同盟を結ぶことを余儀なくされたのです」
強いな、クリードさん。
「事の顛末はそんなところです。まぁ、クリードはその後、人間によって処刑されたのですけどね。私が人間を嫌う理由はここらにあります」
「天界の王ですら倒せないのに人間が彼を?」
「それは人間の騙し討ちです。彼に近しい者が、彼の心臓を突いたのです。けれどクリードは抵抗しなかった。守っていたものからの反逆です。クリードはさぞかし後悔したのでしょうね」
天使はくすんだ笑みを浮かべた。
それは、もしかしたら彼は人間を愛していて、人間になりたかったからなのかも。至極身近で人間を見ていたからこそ、人間として死にたかったのかもしれない。
そう考えると、彼は彼自身の生き方を後悔していたのだろうか?
私には、それはわからない。
「今の天界の方針として、フリードリヒ・クラム・ジズを捉える命令が出ています」
「それは魔界の反逆者として……ですか?」
「それは秘密です。ああ、それと三谷桜子。あなたには天使の血が流れています」
「はあ」
「天使は人間界での生活に慣れると力が弱体化し、人間と変わらなくなります。逆に言えばあなたは天使。天界の気に触れていればあなたは天使の力を取り戻すことができます。どうです、私たちと共に戦いませんか?」
「……それは何から?」
「天界としては人間界を滅ぼし魔界を滅ぼすつもりです。いえ、それ以外の様々な『界』を粛清するのです」
「どうしてそんなことを」
天使は笑った。
クスリでも、ニヤリでもなく、純粋にその綺麗な顔に笑顔の表情で笑った。
「決まっています。我々天使族が最も尊く、『界』世界を統べるにふさわしいからですよ」
高貴