ガブリエルという女
7/12 更新 7/15 修正
「ここは涼しいですわね」
人間界の季節から見れば、天上界は実に生活しやすい気候をしていることでしょう。ここには人間界にあるような暑さや湿気、不愉快な虫けらの声は一切なのですから。
けれど。
「ふう。それにしても、ここは本当に退屈ですわね。また下界へ降りましょうか」
執務室の窓から見える天上界の広場。
白い透明が一帯を照らし、葉は明るい緑に、木は鮮やかな黄色に、石は柔らかな灰色に自らを強調しているように見える。
天上界に娯楽はありませんわ。
いえ、音楽や踊り、読書、風俗、彫刻、詩、絵画。
俗的な娯楽はあれど、私を楽しませる娯楽などここにありはしないのです。
「いけませんよ、ガブリエル様。いかがなされましたか? お疲れの表情がお見えになっています」
「いるならいると言いなさいな、レイチェル」
「……申し訳ありません」
振り向くと、レイチェルは軽く上体を立ったまま前に倒した。細身で、男性にしては少し背の低い格好をしている。金色の髪がしゃん、と揺れる。
「いえね。私(わたくしは退屈で仕方がないのですよ」
「でしたらガブリエル様。広場へお出かけになりませんか? 今日は炎を囲んで祭りが開かれる予定ですよ。唄も、踊りも、どれも天界の極上です」
天上界は下界と比べて美しい。耳に入る音色も、目を安らげる絵も。どれも人間界とは比べ物にならないほどに芸術的だというのに。
だというのに……。
「私は満たされないのですわ」
「なぜです? ここには下界にはない全てのものが揃っているというのに。……だいたい、人間はやかましくも汚れているではありませんか」
「…………そうですわね。人間は煩わしい生き物ですものね」
「はい。実に忌々しい種族です。いえ、種族というのもおこがましい。害虫です。あのクリードという天上界きっての裏切り者が味方した、弱く醜い生き物の集合体です。あの裏切り者さえいなければ、人間などという失敗作をここまで繁殖させなかったというのに」
レイチェルは下唇を噛んでふるふると震えている。レイチェルの髪をさらさらと撫でながら、私はあの裏切り者の男のことを思い出していた。
「なぜ? クリード……。なぜあなたが人間の味方を……。あなたは、私達を……私を裏切るのですか? 人間など、僅かしか生きない羽虫のようなものでしょう!? ……私を、私を、愛してくれていたのではないのですか? あの約束は嘘偽りだったというのですか!?」
「…………すまない、ガブリエル。僕は人間を殺すことなどできない」
「そんな……目を醒ましてクリード! 私のクリード!! 私のもとへ帰ってきて! 汚らわしい人間の女に惑わされずに――」
「――愛しい彼女を、死なせる訳にはいかない」
「……っ!! 裏切り者! 裏切り者! 裏切り者! 裏切り者のクリード!! 人間も、アナタも、あの女も。殺してやる!! みんなまとめて私が殺してさしあげますわ!!」
嵐の中、泣き叫びながら言った私の言葉は間違っていたのでしょうか。
私はただ、あの愛するクリードの、私への裏切りが許せなかった。死ぬときは一緒だと誓って、微笑って言ってくれたのに。
クリードは処刑された。
私が殺したかったのに。
クリードは処刑された。
私が天界の檻に入っている間に。
クリードは処刑された。
人間どもの手によって。
「……クリードは死にましたわ。もうここにはいないのです」
「ええ、そうですね」
しかし、クリードは転生した。
天使でも人間でもなく、悪魔として。
彼の死後、天使が幾多にも戦ってきた種族の中に彼がいた。間違いなくあの魂はクリードそのもの。
面影。雰囲気。懐かしい記憶。
しかし天使と悪魔は相容れない。今度こそ私が殺して、天使として転生させたいとなんど行動に移そうとしたことか。
彼は私のことが嫌い。魂が覚えているのですわ。心の奥底で、私のことをかすかにも覚えているからこそ私を嫌う。
何としても、何としてもクリードを取り戻したい。私との甘い甘い愛し合った記憶を呼び覚まして、再び彼を私のものにしたい。
今回の件に関して失敗だったことは、いじめ足りなかったこと。
あの体、あの口調、あの仕草、あの無防備さ……全てが脆弱で、全てが愛しくて、あの程度でやめてしまいました。
「それにしてもあの人間の女。どこかで見たような……?」
ガブリエルという女