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魂揺の鈴(たまゆらのすず)  作者: 宮原 桃那
番外:逃の音
4/5

魂揺の鈴・解の音

ある共通点から出てきた一つの思い付き。それは答えに至るまでの道なのか。それとも、遠ざかるものなのか。

 女性には女性だけの苦しみがある。

 その最たるものが、いわゆる「生理痛」だ。

「……まあ、正直言っちゃうと、あの鈴ってそれに近いよね」

 部屋のパソコンを前に、伽南かなんはふと思い出したようにそんなことを言った。

 苦い声で伽耶かやはそれに返す。

『否定は致しませんけれど……でも、それよりももっとひどいと思いませんこと?』

「でも、最悪その鈴が持つ範囲に入らなきゃいいと思わない? それこそ、嫌なら連絡は電話かメ―ル程度でいいんだし」

 ひどいならひどいなりに回避もしくは改善策があるものだ。

『……そういえば、おかしいと思ってましたのよ。伽南さん、あなた、どうしてわざわざ会いに行くのです?』

 ふと伽耶に尋ねられ、伽南ははて、と首を傾げた。

 確かに、進展もないのに行く意味はあまりない。しかもあんな苦痛を行きと帰りに堪えてまで。

 そこまでして会いたいか、と問われたら――。

「まあ……最初が最初だったから、変な習慣になったのかもね。んー、でも、勉強教えてくれるし……今から止めるっていうのもなー……」

 せっかく大学院生の指導を受けられるのだ。こんなチャンスはもったいなくて逃せない。

 そんな理由が主になっているらしかった。

 伽耶は呆れたようにため息をつくと告げる。

『でしたら、早々に鈴についての解決策を考えましょう。その後でしたら、ご存分に通ってよろしくてよ。わたくし、あの鈴の音にはもううんざりですわ』

 それは伽南も同感だ。あの音さえ無ければ、と思うくらいには通うのも楽しくなっている。

「でさ、生理痛みたいに男の人に分からないってことは、そういうのに関係する何かがあったりしないかな」

 話を戻すと、伽耶もそれに従い考えを述べる。

『……そうですわね。延長線で考えるのでしたら、妊娠や出産ではありませんこと? 特に出産。母からの話では、相当な痛みがあったのだとか』

 よく聞く話が、男性が同じ苦痛を与えられたら死んでしまうらしい、というものだ。それくらい子供を産むのは辛いという。

「そうなんだ……。じゃあ生理痛も、男の人が感じたら気絶するのかな」

『いっそ同じ思いをなさるといいと思いませんこと? この鈴でそれが出来たらどんなにすっとするか!』

「……じゃあ逆儀式してって頼む?」

 女性の血を使うのではなく、男性である優希ゆうきの血を使ったら、どうなるのだろうか。

 それこそ逆転したら、今度は伽南が良心の呵責に耐えられなさそうではある。

『まあ、いい案ですわ。儀式はわたくし達がよく存じておりますもの。……次の休みに、早速お願いしてみましょう』

 しかし伽耶はすっかり乗り気になってしまった。

 嬉しそうなその様子に、やっぱりやめよう、とは言えず伽南は黙り込む。

 いっそそれで鈴が壊れてしまえばいいとさえ思った。

 それなら全てから解放されるのだから。



「ああ、いいよ」

 次の土曜日、伽南の遠慮がちな申し出をあっさりと優希は承諾した。

「……で、でも……それでもし失敗したら……」

「その時はその時かな。死ぬ事は多分ないと思う」

 言いながら首にかけていた鈴を机に置き、カッターを探し出す優希。

 ほどなくして引き出しの中から見つけたらしく、ほとんど使われてないその刃先を出すと、ためらいなく指先を切った。

「ひええっ」

 あまりにも簡単に自分を傷つけるその行動に、伽南が思わず震える。

「手首を切ってるわけじゃないから、大丈夫だよ。この血を鈴につければいいんだよね」

『……そうなんですけれど……伽南さん、この方、痛覚はありますの……?』

 さすがに伽耶も唖然としてそんな事を呟いている。

「あの……い、痛くないですか……?」

「痛いけど、別に騒ぐ程じゃない」

 言いながら、優希は鈴へ血のにじむ指先を押し付けた。

 瞬間、鈴が震えるように鳴り響く。

「っ……きゃああ!?」

 超音波のような高く鋭い音が伽南と伽耶に襲い掛かり、思わず耳を塞ぐ。

 わずかに開いていた目に映ったのは、赤く光りながらその音を響かせる鈴の姿。

 程なくして音は止み、眩暈を堪えながら伽南は問いかけた。

「あ、あの……大丈夫、ですか?」

「…………」

 彼にも何かの衝撃があったのか、デスクに手を付き、じっとしている。

 鈴は元通りの姿になっていて、やはりヒビ一つないままだ。

 そのことにがっかりしながらも、伽南ははたと思い出して、鞄から絆創膏を出す。

「と、とりあえず手当を……」

 だが直後、伽耶が叫んだ。


『駄目です、伽南さん! お逃げ下さいまし!!!』


 それは、何かを知っているような、悲痛な叫び。

「え? 伽耶さん、どうし……っっ!?」

 伽南がそちらに気を取られているその隙だった。

 突如、強い力で優希が伽南の腕を掴み、引き寄せる。

『わたくしとしたことが……どうして忘れておりましたの……!? 早く振り払って、お逃げ下さいまし、伽南さん!』

「ま、待って、どうして……何が……」

 きつく優希に抱きしめられている状態で逃げろと言われても、と伽南は困惑を浮かべた。

 その時、弱い声で優希が小さく囁いた。

「……伽南……逃げた方がいい……っ」

「ど、どうしたんです!? 鈴が何か……!?」

「話は、後……早く……でないと、君を――」

 苦しそうな優希の言いたい事が分からない。だが、彼は不意に伽南を突き飛ばした。

「きゃあっ」

『伽南さん! 今は逃げるのです! さあ、早く!!』

 伽耶の声が響く。だが、苦しそうな優希を放っておくことも出来ず、伽南は躊躇った。

「でも、嵯野川さのかわさんがっ」

「……っ、伽南! 今すぐ出てって!!」

 珍しいくらいの叱責。それに伽南は一瞬胸の痛みを感じ、だが従う事にした。

「は……はい……っ」

 何が、どうして、一体。

 困惑のまま、伽南は彼の居る研究室を出て、図書室へ向かう。

 だが、いつも通りに音は伽南達に襲い掛かってきた。


 ――キィィィィィン!!! 


「っきゃ……!!」

 思わずそれで一度躓く。

『伽南さん……し、しっかり……っく……!』

 音が意識を苛む。その時、ふと違和感をおぼえた。

(……あれ、おかしい、な……どうして、力が……)

 いつもなら這ってでも動けるはずなのに、今は全身から力が抜けていくのだ。

「……ど、しよ……?」

 床に座り込み、荒い呼吸を繰り返す。

 音は相変わらず頭にがんがんと響いているが、それよりも眠気が酷い。

「……まい、った……なぁ、もー……」

 これは諦めて気絶するしかあるまい。日曜とはいえ、誰かが見つけたら救急車くらいは呼んでくれるだろう。

 それよりも優希だ。彼は大丈夫なのだろうか。

 出て行けと怒鳴られてしまったけど、それでも気になる。

 もしも気が付いた時にまだここに居たら、様子を見に戻った方がいいかもしれない。

『そ、んな……わたくしは……もう嫌ですわ……! 解放、されるんですのよ……!!』

 何故そんなに泣きそうなのか、と、伽南は遠のく意識の中問うた。

 伽耶は、絶望を色濃くして答える。


『あの方の子を身ごもりながら生きるのは……耐えられませんわ……』


 ぷつん、とそこで記憶は途切れてしまった。



 ――おめでとうございます、奥様。

 ――もう子を授かったなんて、素晴らしいわ。

(――いいえお母様、わたくしは望んでなどいないのよ?)

 ――伽耶、お前も立派な母として、そして妻として、この家を受け継いでゆくのだぞ。

(――お父様、この子にまで同じ枷を背負えと仰るのですか……?)

 ――だから言っただろう? 逃げられはしないと。伽耶。

(――枷となるだけの、あなたとの子供など……!!)


『――要らない』



「……っ!?」

 息を呑む音に、葎樹りつきは振り返った。

「……起きたか」

「…………嵯野川、さん?」

「あいつの意識なら、今は俺の居た場所で眠ってる」

 その言葉の意味が一瞬分からなかったのか、伽南はきょとんとしている。

 が、はっとして腕を必死で動かしながら言い返してきた。

「乗っ取ったんですか!? っていうか、何で私、縛られなくちゃならないんですか! 外して下さい!!」

 とはいえ、伽南の両腕は今現在頭の上に縛られている。抵抗は些細なものでしかない。

「……伽耶はどうした?」

 尋ねると、伽南はむっとして睨みつける。

「顔も見たくないそうですが」

「……相変わらずの強情だな。まあいい。どうせお前達も感覚は繋がっているんだろう?」

「……それがどうしたっていうんですか」

 全てではないものの、大半の感覚は共有できる事を既に葎樹は知っている。

 そしてそれは彼女達も同じだろう。

「儀式はまだ完了していない。……あいつはお前を抱く事を拒んだが、俺は違う。お前を通じて伽耶を抱けるというのなら、それでいいさ。……今度こそ、逃がさない」

 そこでようやく、伽南の顔色が変わった。何をされるか分かったらしい。

 次いで必死に暴れ出す。

「そんなの嫌だから! 伽耶さんの事を全然見てもいないで、自分一人だけで世界作んないでよねっ!!」

「おい、暴れるな。こいつの体に怪我をさせたいか?」

 軽く脅してやると、途端に大人しくなった。

 彼女は彼女で優希に好意をそれとなく抱いているのだろう。

 でなければ、あの鈴に耐えられるわけもないが。

「そ、そっちこそ、本気で伽耶さんの体じゃなくてもいいっていうの!? だったらあなたは、全然伽耶さんの事を好きなんかじゃないっっ!!」

 だが、突如怒鳴られたその言葉に、一瞬頭が白くなる。

「何だと……?」

「相手の人が本当に好きなら、相手の嫌がる事はしたくないしさせたくないものだって思わない!? 無理やり従えて、それで振り向かせられるとか思ってる!?」

 伽耶に良く似た顔の彼女は、それでも泣かない。そんなところまで似ていた。

「……伽耶さんは結婚なんてしたくなかった。もっともっと勉強していたかった。学校で教えられるような、良妻賢母のなり方なんかよりも、世の中を知りたかったの」

 彼女は本や新聞を好んで読んでいた。それは、通う事を諦めさせられた彼女なりの僅かな抵抗であり希望でもあったのかもしれない。

「知らなかったでしょ? その程度なんだよ。あなたが伽耶さんの事を好きだっていうのは、お人形さんみたいに可愛がれたらそれでいい、みたいなものでしかない。だから伽耶さんは、逃げ出すしかなかった!」

 ずきん、と頭が痛む。


 ――伽耶。またお前はそんな物を読んでいるのか。

 ――何を読もうとわたくしの自由ですわ。わたくしが必要だと思うから、求めるのです。

 ――欲しい物があるのなら言えばいい。

 ――あなたに求めるつもりはさらさらありません。


 強情ではなく、あれが彼女の諦めだったとしたら。

 求めたくなかったのではなく、求められなかったのだとしたら。

「……伽耶、お前は……」

「――いい加減になさいまし、葎樹さん」

 不意に伽南の口調が変わる。その目つきはよく見慣れた自分の妻のそれで。

「わたくしを抱くのは結構。ですが、この体はわたくしのものではございませんことよ。そしてその体も、あなたのものではございません。早々にお返し下さいまし」

 冷たく突き放す言葉も、彼女そのものだった。

 きっと、伽南が伽耶へ体を一時的に貸したのだろう。乗っ取った自分とは違う。

「わたくしもあなたも、とうに死んだ身ですのよ。葎樹さん」

 伽耶の言葉が、眩暈を起こす。

 その時、声が響いた。

『……勝手な事をしてくれたね。返して』

 静かではあるが、非常に怒っている優希の声だ。ようやく起きたらしい。

『君がしようとしているのは、女性に対する乱暴だよ』

「よく言う……お前とてこの女に一瞬でも欲を求めただろうが」

『あれが僕の意志だとは認めない』

 鈴のせいだと頑なに言い張る優希は、尚も返せと告げた。

「……いいだろう。ただし、最後に一つ、好きにさせてもらう」

『……どういうこと?』

 彼の問いには答えず、葎樹は伽南の戒めをほどいてやる。

「……伽耶さんはもう出てきませんから」

 手首をさすりながら、伽南が起き上がって不機嫌に言った。

「それで構わない。……伽南と言ったな。今のうちに逃げる準備くらいはしておけよ」

「はあ? 何を――」

『……!!』

 唇を、伽南のそれに重ねる。

 それだけで十分だった。

 がくん、と意識が引きずられて、優希は自分の体に戻れた事を確認する。

 だが、問題は。

「…………っはあ!」

 目の前で伽南がぜいぜいと息を切らしている。どうやら驚いたついでに息も止めていたらしい。

「び、びっくりした……」

「……ごめん」

 さすがに優希も申し訳ない、と伽南の頭を撫でた。

 不可抗力ではあるが、自分のふがいなさが招いた結果でもある。

「……だ、大丈夫、で……やっぱりすいませんっ!! めちゃくちゃ恥ずかしいです!!」

 必死で平静さを装うつもりだったらしいが、失敗した伽南は顔を赤くして頭を抱えた。

「…………嫌じゃなかった?」

「へ? いえ、それは特に……。む、むしろ嵯野川さんの方こそ……か、勝手にあんな事させられて……」

「まあ、驚いたけど……。そう、大丈夫ならいいんだ」

 悲しむでも困惑するでもなく、ただただ恥ずかしがる伽南を見ていると、何となく優希はほっとした。

 少なくとも今回の件で嫌われたわけではない、と思われる。

「それより、他に何もされていない?」

「大丈夫……だと思います」

 互いに意識が無い時間がある為、完全なる無事は保証出来ない。

 しかし、葎樹がぼそりとそこに口を挟んだ。

『何もしてない』

「……一応本人は無実を主張してるね」

「い、一応、信じておきます……」

 はは、と苦笑いを浮かべて伽南は言った。



 気を取り直して、と、優希が鈴を手にする。

「……結果としては、失敗、だろうね」

「うう……本当にすいません」

 元はと言えば、伽南が言い出した事だ。しかしそれをやると言ったのは優希で。

「危ないかも、って手を出さずにいるよりはいいよ。……それに、今回ので分かった事もあるし」

「……これって、男の人も危ないんですね……」

 男性には害など無いと思い込んでいた。

 元より作られた目的が目的なのだ。そう思うのも仕方ないだろう。

 だが、ふと優希が首を傾げた。

「……これ、本当に女の人……自分の妻を閉じ込める為のものなのかな」

「どういう意味ですか?」

「うん、さっきの僕の様子を見ていれば分かっただろうけど、君の血じゃなくても儀式は成立したんだ。つまり、どちらが血を与えても同じなんだろうね」

「それっておかしくないですか? だったらどうして、私たちはまだあの音に苦しんでなきゃならないのかな、ってことになりますけど」

 伽南の言葉ももっともだ。この鈴に与えるのは女性の血でなくてはならないはず、だったのに。

「……血は関係無いのかもしれない。……あえていうなら、スイッチの役割はあると思う」

「スイッチ……ですか」

 そもそも彼は、一体何に苦しんでいたのだろうか、と伽南が疑問を口にする。

 だが、それを言っていいのか、と優希はさすがに困惑を浮かべた。

 そこに葎樹が口を出す。

『言ってしまった方がいいだろうな。儀式をすれば、確実に夫となる男はああなる』

「……それは困るかもね」

 よく無事に済んだものだと言いたい。

「あの……?」

「うん、とりあえず大きな問題にはなってないから言うけど、あの時、僕は君を襲うところだった」

 なるべく端的に言ったつもりだが、かえって伽南は事の重大さに気付いてしまったらしい。

 一人で落ち込んで何やら呟いている。

「あの状況でのんきに傷の手当しようと思ってた私って……」

「……君の危機管理能力の弱さに関しては、最初から知ってるよ」

 何しろ初対面の男に密室まで連れて来られて、ほいほいと自分から入るような少女だ。

 言っておいて正解だったかもしれない。

「じゃあ、もしかして、血を与える儀式って……」

「そうだね。……子を産ませる為の、という意味だと思う」

「うう……本当に危なかった……」

 結婚どころか付き合ってすらいない相手でそれは、非常にまずいだろう。

 下手をすると警察沙汰、裁判沙汰になりかねない。

「ところで、どうして君はここに戻ってきたの?」

「え、いえ、私、あれからすぐに鈴の音がして……それでなんか、動けなくなっちゃって気絶したんですよ」

 いつもなら何とか動けるのに、と首を傾げる伽南の説明に、優希は少々嫌な予感がした。

「……伽南。悪いんだけど、ちょっと一度部屋を出て遠ざかってくれる?」

「……え? は、はい……」

 彼の申し出に素直に従う伽南は、ドアを開けて歩いて行った。

 やがて鈴が鳴り響き、優希は鈴をそこに置いた状態でドアを開けると廊下に出た。

 当然ながら、彼の目に映るのは。

「伽南!」

 廊下にうずくまり、耳を塞ぐ伽南の姿。

 動けずにじっとしているということは、やはり負担が大きくなっているのかもしれない。

 やはり自分には何も聞こえないのを確認してから、優希は彼女を引っ張ってどうにか立ち上がらせるとそれを支えた。

「……駄目だね。今日中に何とかしないと」

「で、でも……」

「君がこんな風になるのが分かった以上は、やるよ」

 このままになどしておけるわけがない。

 優希は、彼女をもう一度研究室へ連れて行きながらそう決めたのだった。



 何故、この鈴が家宝とされているのか。そもそも伽南達はそこから知らなかった。

「単純に、この鈴は女の人を閉じ込めるだけでなく、子供が確実に一人か二人は生まれたから、という理由みたいだね。どんなに不妊の人でも、何故か生まれたらしい」

 昔は子供というのは宝とも言われていた。跡取りが必要な家なら、確かに家宝とされてもおかしくはない。

「……でも彼の話によると、白咲家は結局彼の代で絶えたそうだよ」

 コーヒーメーカーの傍に立ちながら、優希が言う。

 それに伽耶は少々驚いていた。

『……どうしてですの?』

「……何でですか?」

 疑問を代弁すると、彼は少しだけ口をつぐみ、ややして答える。

「……彼女以外の奥さんをもらうつもりはなかった、ってさ」

『……そのような事をしても、無意味でしてよ。お父様のお怒りを買うだけですわ』

 伽耶は相変わらずにべもなく冷たい。しかし戸惑ってもいるような空気が伝わる。

「…………でもそれじゃ、家には……」

「……うん、彼の奥さんが死んだ後、彼は鈴を置いて家を出たって。でも、儀式は同じ人間で繰り返す事は出来ないらしいから、結局途絶えるしかなかったみたいだ」

 なるほど、と伽南は頷いた。伽耶が死んだ事で、一度はあの鈴も行き場を失ったのだろう。

 だが、彼の家に伝わる経緯がさっぱりだと思っていると。

「多分、遠い親戚関係だったんじゃないかな、と僕は思ってる。何しろ100年以上も前の時代だからね。戦争とかで大分、情報が抜け落ちてしまっているんだ」

 優希がこともなげに答えた。案外、物事とは単純なものでもある。

「でも、それでよく儀式の仕方が分かりましたね」

「……あんまり信じたくない系統の話になるけど、この鈴は一枚の紙と共に箱に入れられてあったらしいんだ」

「紙?」

 こくんと頷いた優希は、一つの古びた箱を持ってくる。

 お札やら何やら貼られた痕のあるそれを開けると、確かに一枚の古ぼけた紙があった。

 そこには崩し文字が連ねてあるだけで、伽南にはさっぱりわからない。

「……この鈴の扱い方だよ。壊し方なんて書いてないけどね」

 それが分かればとっくに壊せているのだ。つくづく、作った人物は迷惑を考えないらしい。

「――儀式は血を用いて、鈴に触れ染めよ。互いの交わりて後、縁は深まる」

 一文を読み上げた優希の言葉に、伽南は一瞬、む? と眉を上げた。

「後半ってどういう意味ですか?」

「……多分、儀式の後ってことは、夫婦の営みじゃないかな」

「い、いとなみ、ですか」

 何故遠回しな発言のはずなのに、恥ずかしく聞こえるのだろう。

 いや、そんなことより、と伽南は伽耶に問う。

(……何か、引っかからない?)

『わたくしも同感でしたの。やけに曖昧ですけれど……本当に必要なのは、片方だけではないのではありませんこと?』

「もしかして、必要なのは女の人の血だけじゃないってこと!?」

 思わず声を上げた伽南に、優希が目を丸くする。

「伽南? それは……どういうこと?」

「ええっと、何だろ……つまり、今まで儀式だって言ってやってきたことは、不十分なままだった、ってことなんじゃないかな、って」

 そう、片方が片方を支配しようなどと考えるから、おかしかったのかもしれないのだ。

 伽南は必至に考えをまとめる。

「さっき嵯野川さんが言ってたじゃないですか。本当にその鈴は、女の人を繋ぎ留める為に作られたのか、って。だから、本当はそんなんじゃなくて、鈴を通じて、絆をより確かなものにしたかったんじゃないかな、と」

「……互いの交わりて、か。なるほど、解釈としては多分ありだね」

「だから、えっと、さっき嵯野川さんがやったように、私も儀式をやればいいんじゃないかな、と」

「でも、その後は多分変わらないと思うよ? それは鈴を壊すというよりも鈴の本来の目的を果たす事になってしまうだろうし、それに僕と君はそういう関係じゃない」

 結論を出した伽南に、何故か優希は難色を示した。

 しかし、伽耶がむっとして文句を言う。

『んまあ! 今頃になってそのような事を仰るなんて! でしたらもういっそ、伽南さんの大学を変更させていただきますわ! その方が伽南さんの為にもよろしいのではなくて!?』

「って、それ私の進路変えるってことじゃん……もう手続きとか面倒だからしたくないよ……それに、さすがに慎重にもなるって」

 勘弁して、と伽南はそれに言い返した。しかし、伽耶は更に反論してくる。

『何を仰ってるのです!? わたくしにしてみれば、その目的を果たす事で鈴から解放されるかもしれないのに躊躇う理由などありませんわ! 心の伴わない関係など、あなた方もご存じのとおり、今も昔もあるのですから!』

「……いやいや、ちょっと待って、話がずれてるから」

『いいえ、縁を深めるというのはそういうことなのです! 互いの血を交わし、生まれるもの、それはすなわち!』

「……すなわち?」

 もう止めるのはよそう、と伽南が先を促すと、伽耶はコホンと咳払いをし、告げた。

『子を授かる、ということなのですわ!』

「…………だから嵯野川さんは嫌がってるんじゃ……?」

 普通に考えてそうだろう。付き合ってもいない上に、自分より年下である女子高生に子供を産ませるような男は、まず居ないはずだ。

『んまあ、伽南さんのどこがお気に召さないと仰いますのっ!?』

(………………何か、変な方向に吹っ切れたなあ……)

 どうやら鈴の本来の役目とやらを理解した途端、考えが一変したらしい。

 しばらくそっとしておこう、と伽南は彼女との会話を切った。

 そこに、優希が微妙な表情で声をかけてくる。

「……伽南。君は確か、口に出さない会話が出来たんじゃなかったっけ」

「……すいません、うっかりしてました……」

 がく、とうなだれて伽南は謝罪を口にする。

 あの非常にずれた会話の一部が聞かれていたと思うと、恥ずかしい。

 その時、コーヒーメーカーが抽出完了の音を鳴らした。

「……とりあえず、コーヒー飲みましょう……。何か、伽耶さんが大分暴走しちゃってるんで、飲み物で静かにしてもらいます」

「……そうなの? で、僕が何を嫌がるのか、訊いてもいい?」

 ぎく、と伽南は優希の疑問にポットを取り落しかける。慌てて手に力を入れて支えた。

「……き、訊かれても……黙秘権を行使させてもらいますね……ははは……」

 言えるわけがない。それこそ乙女の秘密である。

「……そう? まあ、別にこの鈴が壊れないとしても、君があの苦痛から解放されればいいかな、と僕は思ってるから」

 もらったコーヒーを口にしながら、優希はそんな事を言う。

(…………何かさ、嵯野川さんって、研究者っていう人種のせいか、言葉がストレートだよね)

『今頃お気づきでして? ……珈琲を飲んだら、始めますわよ。もしかしたら、わたくし達ともこれでお別れかもしれませんわね』

「……どうして?」

『さあ、どうしてかしら。……ただの勘ということにしておきますわ』

 元より鈴だけの関係だ。きっとこの静かな時間が、ここに居る4人との最後の時間なのだろう。

 これで鈴が壊れたのなら、以前と同じ生活に戻る。その為に居るのだから。


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