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魂揺の鈴(たまゆらのすず)  作者: 宮原 桃那
番外:逃の音
3/5

魂揺の鈴・調の音

情報の限界。常識の限界。足りないのは何か。正しいのは何か。

未だに見つからない、鈴の抹消方法には、一体何が足りないのだろう。

 結局、他の大学は候補からあっさり外し、伽南かなんは彼――優希ゆうきの居る大学の、しかも考古学部へ入る事を決めてしまった。

 当然だが、周囲からは驚愕と呆れの入り混じった言葉が掛けられるわけで。


「あんたが考古学!?」

「一体何があったら、そんな地味なものを選ぶ事になるのよ……」

「本当に後悔しない? 伽南は流されやすい割には頑固だから、心配で……」


 などなど、非常に伽南の突発決定ぶりが不安がられた。

 伽南は決めるまでは長いが、決めたらわき目もふらずに真っ直ぐ走るせいで、周りが全くついていけない事も多々ある。

 当然と言えば当然だが、次の日曜日に訪ねた大学の彼にも少し呆れられた。

「君がそれでやっていけるなら止めない。だけど、目的がこの鈴の為なら、考え直すべきだよ」

「……あの、そんなに意外ですか」

 さすがに伽南も色々気になってそう問えば。

「意外というか、君の本意かどうかが判断しにくい。どうなの?」

 冷静な言葉で問い返ってきた。

 伽南は少し考える。

 別に考古学でなくとも、構わない。だが関わりにおいては、全く関係ない学部であれば妙な噂が立つ可能性だってある。その点において迷惑はかけられない、とも思ったのだ。

『ですが、やはり少々、短絡的ではなくて? あなたが考古学に向いているとは思えませんわ』

 そこに伽耶かやが口を挟む。いざというときの冷静さは彼女の方が上だと、伽南も把握していた。

「う……やっぱり、反対、ですか」

 おずおずと問えば、彼は首を横に振り。

「君がしたい事としなきゃいけない事が一致してるなら、それでいいよ。だけど実際は違うよね? 君は、何の為にこの大学に来るの?」

 そう問い返してきた。

 伽南はまた考える。自分にとって、大学とは何の意味があるのかを。


 ――伽南、進路どうしよう?

 ――まだ考えてないな―。何だか、これだ、っていうのがなくて。

 ――それって夢が無いって事じゃない? いっそ永久就職とかすれば?

 ――え―? 何だかそういうのは好きじゃない。だって、それこそ自分の人生を相手に丸投げしてるみたいだし。

 ――じゃあ、大学に行けば? 伽南は別に馬鹿じゃないんだし、自分に必要な何かを探すにはいいと思うな。

 ――……うん、そうしよう、かな。


 ふと一年程前の話を思い出した伽南は、やっぱり今でも何も決まっていないんだな、と理解した。

 やりたい事がない、というのはそんなに変だろうか。

 欲しい物を訊かれても、無いと答えるのと変わりないはずなのに。

「…………私、あんまり、自分にとって大事なものがよく分からなくて」

 思わず、伽南はそんな事を呟いていた。

「だから、どうすればいいか、って訊かれても……答えが無いっていうか……」

「自己の意識がずいぶん希薄だね。……そのうち、彼女に取って替わられても文句は言えないよ、それ」

 彼の言葉はストレートだ。そして事実。

「君がどうしてあの時ここに来たのか、その理由が分かった」

 目的が無いも同然の見学では、適当な場所を選ぶしかない。偶然、それがこの研究棟だったというだけ。

「なら尚更、君は考古学には向かないよ」

「……じゃあ、どうしたら」

「君が決めるんじゃないの?」

 彼は伽南に対して甘くない。それは当然だが、その事実に少しだけ胸が痛んだ。

『彼の仰る通りですわ。わたくしも、あなたの事はあなただけが決めるべきだと思います』

 伽耶も優希に同意を示した。流されやすい性格だというのも、彼女には既に把握されてしまっている。

 だからこそ、自分が決めなくてはならない。

 まだ決めたとは言っても正式ではない。間に合うのは今だけだ。

「私……は……」

 だが、いざ他の何かを、と考えると行き詰まってしまう。

 まるで自分で決める事がこれ以上は出来ないような、そんなもやもやが胸を覆った。

「……もしかして、鈴が影響しているのかな」

 不意にぽつりと優希が呟き、伽南は俯いていた顔を上げた。

 彼はどこか不機嫌に、首に掛けた鈴に触れている。

「どういう……事でしょうか」

「この鈴の使い道はこの間話した通り、相手の女性の自由を奪い、つなぎ止める事が主だ。それは体だけじゃなく意志も不自由にしている可能性が考えられる」

 何でもかんでも鈴のせいにしたくはない。しかし、自分の進路一つまともに決められないというのは、さすがにおかしいとしか言いようが無いのだ。

「仮説通りに君がこの鈴に閉じ込められた魂の持ち主なら、尚更あり得る」

「……そんな」

 それではいつまで経っても決まらない、決められない。

「……君には辛いかもしれないけど、この鈴の影響に甘えて欲しくない。だから、今、君自身で決めるのがいいと思うよ。……事情を知らない第三者が居たら、その人の意見に君は従ってしまいそうだから」

 伽耶がまたそれに頷く。

『……悔しいですが、優希さんの仰る通りですわ。わたくしが逃げていた時、あなたは不安でしたわよね? ……そして失敗しました。計画性の無い選択はいずれ破綻を招きますのよ……』

「……う……」

 困った事になった。

 ここまで言われるとは思ってなかったのだ。

 鈴のせいかどうかはともかくとしても、このまま適当に決める事は出来なくなってしまったらしい。

 悩み始めた伽南を見て、優希は言う。

「鈴がある限りは、君は多分僕の近くに居なきゃならない。……なら、鈴が無くなったら関わらなくていいようなところを選んでみたら?」

「え?」

『この間、わたくしが申し上げましてよ。鈴が無くなりましたら、彼に関わるのはお止めなさいな、と』

 伽耶の言葉で、ようやく意味が掴めた。

 優希も伽耶も、鈴さえ無ければ互いに関わる意味はない、と言いたいのだろう。

「……分かりました」

 ややして伽南は小さく頷く。

 事情を同じくする相手に対して、伽南自身は随分と甘えていたのだろう。

 彼は、鈴の関係以上の付き合いなど、伽南に求めてはいない。

『伽南さん。あなたには、わたくしと違って未来がありますわ。彼個人に縛られる必要などありません。……あなたは、わたくしと話をして何を思いまして? 些細な事でも、ご自分が知りたいと思ったのでしたら、それがあなたにとって必要ということなのですわ』

 その言葉に、伽南はぼんやりと気付く。

 自分自身を見ていなかった、その事実に。

(……覚えて、ないよ……)

 愕然と返した声に、伽耶もまた悲しげな声で返してきた。

『あなたは、何だか空しいですわね。このままでは何も残らない……としか言いようがありませんわ』

(……私は今まで、何をしてきたんだろう……)

『伽南さん?』

 視線をわずかに上げれば、見えるのは彼の首元に掛けられた鈴。

 彼は鈴の存在を消す為に一人で調べていた。

 引きかえ、自分はもう大丈夫だろう、と安心しきって考える事もしないで。

『んもう、伽南さん、いい加減になさいまし! 一人でご自分を責める暇があるのでしたら、もっと考える事、すべき事があるのではなくて!?』

 思考が聞こえていたのか、苛立たしげに叱る伽耶。

 彼女は強いな、と伽南はぼんやり思った。自分とは大違いだ。何もかもがあいまいでいい加減な自分とは……。

『聞こえてますの? 伽南さんたら!』

 怒る彼女の声が、今は響いて痛い。

(ごめん……少しだけ、静かにして……)

『…………』

 伽南の口調は静かで、だが伽耶は言われたままに静かになった。何かを同時に感じとったのかもしれない。

 しかしそれは優希には通じないわけで。

「……それで、君は結局答えを出してないわけだけど、どうするの?」

 簡単に結論を要求してきた彼に、伽南は少しだけ湧いた暗い気持ちをなるべく押し隠しながら言った。

「……考古学部じゃない専攻にします。伽耶さんと話をして……その上で決めたいと」

「そう。分かった」

 何とか出した答えさえも、彼にとっては当たり前なのだろう。

 伽耶がそこで、そっと言った。

『伽南さん……本日はもう、お暇致しましょう?』

 それに否やはない。伽南は荷物を胸に抱えると、優希へ告げる。

「決めたら、また来ます。今日は帰りますね」

「……そう。その方がいいかもね」

「じゃあ、これで。お邪魔しました」

 一礼して、伽南は戸を開ける。

 出る直前、優希が声を掛けた。

「……ここにまた来ると言い切る君なら、大丈夫だと思うよ、伽南」

「……だと、いいですね」

 彼の言葉の意味がよく分からないまま、伽南は曖昧な答えを置き去りに研究室を後にした。

 こんな気分でも鈴の苦痛は相変わらずで、伽南は廊下でしゃがみ込みながら思わず泣きたくなった。



『……機嫌を損ねたな、あれは』

「どうして?」

 彼女が居なくなり、静かになった室内で、葎樹りつきが不意に言った言葉に優希は疑問を感じる。

『むしろあの女が一度は決めた事を覆させた時点で、お前は一つ、自分の意志を押し付けたんだぞ? 何故それに気付かない?』

 あ、と優希はその事に遅まきながら気付いた。

 早計ではないかと彼女から考古学専攻の選択肢を取り上げる権利は、彼にはないはずだったのに。

 葎樹は呆れたように続ける。

『あの女が自分で決める事が出来ないとはいえ、お前もお前で大概勝手だな』

「……そこまで言われたくはないな。君よりは自由意志を尊重してるよ」

 さすがに不快だという反応をしてきた優希に、彼は軽く鼻で笑う。

『ふん。事の大小などは関係無い。……お前も俺も、同じ事を同じ相手にしているんだからな』

 眉間に思わず皺が寄る。

 いつかは彼女――伽南を追い詰める結果しかないと言われているようで。

 そんな事はしたくないし、そもそも彼女とは鈴の因果関係さえ無ければ、すれ違う事すら無かっただろう。

 元通りの他人に戻る為にも、やはり彼女には自分で考えて進路を決めて欲しいのだ。

 次に来る時に、彼女が自分で決めることが出来ていればいい。

 そう、優希は思った。



 ――日本史学。それが、伽南の決めた進路だった。

「本当にそれでいいんですね? 秋鳴あきなりさん」

「はい。これはちゃんと考えて決めました」

 教師に念を押され、伽南はしっかり頷く。

「……分かりました。最初の適当な進路よりはちゃんとした意志があるようなので、これで決定にします」

「……はい」

「ですが、今のままではあまりいい成績が望めません。時間もありませんので、勉強をしっかりするように。それと」

 成績に関してはやはり少々厳しいというのは、伽南自身理解してはいた。

 だが、教師はまだ他に言いたい事があるらしく、じっと伽南を見て言う。

「……その髪、黒に戻しなさい」

「え」

「染めてるのは分かってます。大学への進学が確定しているのですから、そろそろ本腰を入れる為にも、生活態度を改善するように努力して下さい」

 今頃になって言われても、と伽南は少々反発を覚えた。

 だが、伽耶がため息と共に言う。

『当然のお言葉ですわ。この際、ご自分が前までとは違うという意志表示の為にも、染め直すべきではなくて?』

「よろしいですね? 秋鳴さん」

「……はーい……」

 非常に不本意だが、この際仕方ない。

 伽南は不満たらたらに、髪を染め直しに美容院へ行く事になった。



 何故日本史学か、というと、理由はそこまで深いものではない。

 伽耶と話をしているうち、現代とのさまざまな違いや、逆に続いているものの共通項が見えてきて、何となく面白いと思い始めるようになっていたのである。

「それこそ今は髪の色が明るい方が好まれてるけど、明治時代は染めるっていう意識が全然なかったわけだしね……」

『当然です。髪を切る事はありましたけれども、わたくしは切る事はしませんでしたわ』

「……ああ、真似してみんな切ったりしたから、怒られたんだっけ」

 斬髪が流行った時、髪を切るのは男だけでいい、と政府から女性たちにお達しがあったという出来事を思い出す伽南。

「あー……それにしても、黒い髪って何か違和感……」

 美容院から出てショーウインドウなどに映る自分の姿を見る度、思わず顔をしかめてしまうくらいだ。

「親は親で大喜びで送り出すし……」

 どうやら娘が茶髪な事を常々不満に思っていたらしい。

 黒に戻すと言ったら、すぐにでも行けと休日なのに蹴り出された。

「余ったお金で甘い物でも食べに行こうかな……あ」

 そういえば、と伽南は不意に思い出した。

 明日でもいいか、とは思ったのだが、この際行ってみるのもありかもしれない。

「……居るかは分からないけど……行ってみる? 大学」

『…………そうですわね。今日は報告だけしておきませんこと? どうせ、わたくし達にはあの鈴の事など、分かりはしないままなんですのよ』

 伽耶はあまり乗り気ではないらしい。

 元々優希の中に元夫が居ると分かっているせいか、近づきたくないのだろう。

「でもそれだったら今日まとめて話をして、明日はゆっくりしたいじゃん」

『……む、それもそうですわね。では、帰りにはあのクレープを楽しみにしておりますわよ』

「はいはい、じゃあ今回は自分で選んで決めてみようかな」

 かくして、突発的ではあるものの、急きょ優希の居る大学に行く事になったのだった。



『……不味い』

「と、言われてもね」

『これが珈琲なものか!! 淹れ直せ』

 滅多に使わないコーヒーメーカーを見たらしい葎樹がコーヒーを飲ませろとせがむので、適当に豆を入れて優希は作ったわけだが、当然ながら上手くいくわけもなかった。

「……面倒だから我慢してよ」

『何故こういう事になると途端に大雑把になるんだ……意味が分からん……』

 葎樹自身はもう飲みたくはないだろうが、優希がとりあえず飲んでいるため味覚がそのまま通じているのか普段の覇気が少々弱まっている。

 今度から、あまりにうるさい時にはコーヒーを淹れて黙らせようかな、などと考えていると。

 ――リィィィィン!

「あれ?」

 彼女の来訪を告げる鈴が鳴り響いた。

 それから数十秒後。

 ――こんこん。

「……入っていいよ」

 ノックがしたので許可を出すと、控えめにドアが開かれた。

 しかし、入ってきたその客人の姿に、思わず目を丸くする。

「……君、伽南?」

「……はい」

 一応確認してみると、彼女は頷く。

『これは……』

 戸惑う葎樹の気持ちも分かる。

 伽南ではあるが、その見た目は髪の色のせいで大きく変化してしまっていた。

『なるほど、同じ魂というわけか……』

「うん、そういう事、かな……」

「はい?」

 きょとんとしている伽南はまだ入り口に立ったままで。

「……とりあえずこっちに来れば?」

 ひとまず優希は手招きして彼女を呼ぶと、やはり警戒心の無さは相変わらずな伽南は、とことこと歩み寄ってきた。ぺこりと頭を下げる。

「えっと、おはようございます、嵯野川さのかわさん」

「ああうん、おはよう、伽南」

「……あれ、それって、コーヒーですか?」

「そうだよ」

 挨拶を互いに終えると、ふと手にしていたカップを見て、伽南が首を傾げる。

「……え? ……うーん、どうだろう……」

 が、伽耶が何か言ったのか、ややして遠慮がちに口を開いた。

「あの……私もそれ、少しもらっていいですか? 伽耶さんが飲みたがってまして……」

「…………いいけど」

『待てお前!! そんなものを飲ませる気か!?』

 さっきの不味いコーヒーを渡そうとする優希に、葎樹が怒鳴る。

 当然だろう。曲がりなりにも愛しい妻にこんな代物を飲ませたいわけがない。

「……でもこれしかないよ」

『だから淹れ直せ! 今すぐにだ!』

 面倒だな、と思っていると。

「あのー……む、無理にってわけじゃないので……その……」

 飲ませたくない理由を誤解したのか、伽南が控えめに遠慮しようとする。

 優希は少し考えて、自分のカップを渡した。

「……飲んでみる? これ」

「え? …………はい」

 どうしたのか、と不思議そうにカップを受け取る伽南は、だが少しだけ苦笑してから一口飲む。

 その直後、ぴきん、と固まった。

「…………う」

「うん、そういうこと」

「豆の淹れすぎです……これ……」

 顔を引きつらせて伽南が言う。

「……うん、伽耶さん、そんなに怒らないで……」

 どうやら、中に居る彼女も気に入らなかったらしい。

「……ええええ……? そりゃ、まあ、……えー……」

 しかも何やら無理を言われているような反応。一体どうしたのだろうか。

「……あのー、嵯野川さん。淹れ直してもいいですか……? 何だか、ものすごく怒ってるんですけど……」

 なるほど、と優希は納得した。どうやらお互いに中の存在からクレ―ム処理を押し付けられているらしい。

「じゃあ君がやってくれる? 僕は使い方がよく分からないから適当なんだ」

「わかりました……」

 置いてあるコーヒーメーカーを一度綺麗にし、伽南は新しく豆を量り入れる。

「一人分ならこのスプーン一杯でいいと思います。一応伽耶さんも飲みたいらしいので、二杯にしておきますね」

「家にあるの?」

「はい。父がコーヒー好きなので」

 水をタンクに入れ、スイッチを押す。後はそれだけで完了だ。

「じゃあ、待ってる間に話でもしようか。結局どうしたの?」

 やはり気になっているのはそこだ。あれから彼女はどう、自分の道を決めたのか。

 すると伽南は苦笑いをしつつも日本史学部へと変更したこと、それに伴って髪の色も黒に戻した事を説明してくれた。

「……そう。なら良かった」

「ご迷惑をおかけしました……」

「どうして?」

 優希にとっては迷惑ではない。ただ心配だっただけで。

 だが彼女にはそうではなかったようだ。

「……何となく、誰かが助けてくれる道ばっかり選んでたな、って……。今回のも、嵯野川さんが言ってくれなかったら、そんな感じになりそうでしたから。でも、日本史学は今までほとんど知らなかった分、一人で頑張れるかも、って思いましたし、鈴の事に関しても、勉強することで何か分かればいいな、って」

 はは、と笑う伽南はそんな事を言う。

 どうやらずいぶんと心境の変化が起こったらしい。

「だから、嵯野川さんには迷惑を掛けないように、早く鈴の事、何とかしなくちゃですね」

『……何だ、この女は』

 変にうろうろしているかと思えば、突然すっぱりと道を決めた途端に先へ突き進む。

「で、今日来ちゃいました。髪染めたついでに」

 不自然なくらいに黒い髪は、染め直したせいだろう。時間が経てば落ち着くに違いない。

「そう。……悪いけど、あれから情報の進展はないよ」

 肩をすくめる優希の言葉にも、彼女は苦笑するだけで特に責めはしなかった。

「……まあ、ですよね」

 元よりいきなり情報がどこからか湧いて出るわけがない。それこそ怪しすぎて手を出せるわけもなく。

「ってことは……やっぱり、今まで得られた情報から、推測してくしかないですよね……」

 うーん、と伽南は考え込む。

「そもそもそれって、いつの時代からあるんでしょう……」

「ああ、平安時代かな。細かい年代はよく分からないままだけど」

「へ? そうなんですか? ……あ―、でも、そういう呪いのアイテムっぽいの流行っててもおかしくない時代なのかな……陰陽師とかあったし……」

 着眼点が自分とはやはり違うのか、別方面の納得をする伽南。

「人助けをする職業があったら、その逆だってあり得る気がしません?」

「逆……人を苦しめる職業? それなら、平安時代辺りには外法があったよ」

「げほう?」

「そう。いわゆる正しい道から外れた法術を扱うもので、魔術関係も含まれていたらしい」

 優希自身、その推測は既にあった。

 この鈴がここまで奇異で特殊なのはそういうものだからという考えにある。

「当然、表には出ない……出せない。以前言った薬売りの男は、本職がそっちだったのかもね」

「あ、薬と一緒にそれをお売りします、みたいな?」

「うん。あるいは薬そのものが客を油断させる為の道具で、飲ませる事によって判断力を鈍らせたり不安にさせたりするという効果があったかもしれない」

「うわあ……じゃあ、もしかして、壊す方法も結構えげつなかったりしませんかね……」

 だとしたらかなり準備が必要だろう。これでもしも満月の13日だとか言われたら何年も待たなくてはならない。

 しかし、そういう関係の代物ではなさそうだった。

 日付や時間、月の満ち欠け等の天体に関する反応は見られていないのだから。

「……例えば?」

「鈴を持ってる人を、その時の相手が殺しちゃう、とか」

 自分で言って青くなる伽南だが、優希もさすがにそれはご免だ。

「無理心中に近い事はしたくないかな、さすがに。それなら諦めて封印するよ」

「そうして下さい……」

 その時、ピピピ、と音が鳴る。どうやらコーヒーが出来上がったらしい。

 一度洗ったカップ二つにコーヒーを伽南が注いだ。

「多分大丈夫……だと思います。どうぞ」

「うん」

 受け取ったカップの中身は、先刻より色が薄く、香りもきつくない。

 一口啜ると、苦くも飲みやすい味が広がった。

『ほう、中々だな』

 葎樹が感心する。確かに先刻のものとは比べようがない。

 見れば伽南も嬉しそうだ。

「ん、ありがと、伽耶さん」

 向こうも合格判定を出したらしい。

「良かった。何なら君、これ持って帰る?」

「え!? いえ、それは……さすがに」

 ここにあっても仕方ない、と思った優希の言葉に、伽南は慌てて首を横に振った。

「そう。……じゃあ時々ここ来て淹れてくれると助かるかな」

「……? はい」

 それには割合素直に頷く。

 階下のコーヒーよりも色々と手間が省けるから、とは、優希は言わないでおいた。

「伽南」

「何ですか?」

「日本史学なら、この棟にある2階の図書館を使ってもいいよ。考古学も歴史が分からないと何も出来ないから、僕はたまにそこに居るし」

「……いいんですか?」

 彼女はまだ部外者だ。本来ならあまり頻繁に来るべきではない。

 だが鈴がある以上、早期解決の為にも、こちらが譲歩する必要はある。

「うん。少なくとも君が来れば、僕にはすぐ分かるしね」

「……はは、私も、どこら辺に居るかは何となく分かる気がします……」

 彼女の場合、非常に辛い思いをしてそれを知るのだが。

『……こういう女の場合、男の方は動かずにそこに居るだけでいいということか。……つくづく、どうあっても女の為にはならんな』

 葎樹が呟く言葉が、優希の心にかすかに引っかかった。

 それにしても、と伽南を見る。

 彼女は伽耶と会話をしながらなのか、のんびりとコーヒーを飲んでいて。

『……髪色を変えた途端、これか……。優希、その女を他の男に渡すな』

「……それは僕が束縛していいことじゃないよ」

 小さく優希は葎樹の言葉に返す。

 恐らく想像以上に今の伽南の姿は伽耶という女性に似てしまっているのだろう。

 葎樹が態度を変えたのがその証拠ともいえる。

「……伽南。髪、大学に入ったらまた染める?」

「うーん……分かんないです。面倒だったらこのままかも」

「そう。君は、黒い方が似合うよ」

「……ありがとうございます」

 そう、似合っている。嫌な予感をおぼえるくらいには。

 だがここで髪を茶に染め直せとは言えない。

 それこそ、この間の進路と同じ事になってしまうから。



 髪を黒に戻した伽南を見て、両親はまず驚いた。そして、似合うと褒めてくれた。

 だが、伽南にはそれが素直に受け入れられずにいた。

『……さすがにわたくしも、ここまでとは思いませんでしたもの』

 伽耶が困惑するのも無理はない。

 家に帰って改めて鏡を見て、お互い苦い気持ちになった。

「似てる……っていうか……ちょっと怖いよね」

『ええ。わたくしと同じ顔立ちだったなんて、全く気づきませんでしたのに』

 それもこれも、鈴が影響しているのだろうか。

 伽南の今の顔は、伽耶によく似ていた。

 むしろ生き写しと言っていい。

「どうしよう……やっぱり染め直したい……」

 面倒だからとかそういう問題じゃなくなっていた。

 これは染め直すべきだろう。いくらなんでも怖すぎる。

 しかし大学に入るまでは無理だ。

「今が9月だから……あと半年はこのまま……」

『そんな悠長な事を仰ってる場合じゃありませんわ! 葎樹さんはまだわたくしを追っております。次に会った時に、優希さんの体を乗っ取っていたら……!!』

 おいおいおい、と伽南は青くなる。

「何その怖い想像! いくらなんでも、嵯野川さんがそこまで許すとは思えないよ?」

『同じ魂を持つ者同士なのですわよ!? ここまでの事が起こった以上、否定など出来ないのですわ……!』

 ああ、と絶望めいた声が伽耶から零れ落ちる。

 伽南だって何とかしたい。染められないのなら、他に方法を探すべきだろう。

「……そんなの嫌だよ。私、絶対に……!」

 そして伽南には一つの不安が生まれていた。

 もしも葎樹が、仮に優希の体を乗っ取る事が出来るのだとしたら。

 絶望感に暴走した伽耶だって、伽南の体を乗っ取る事が出来るはずなのである。

 そして、彼女は自害で自身の幕を下ろした。

 同じ事を繰り返さない、という保証はない。

 伽南は、一刻も早く鈴を何とかする方法を探さなくては、と焦燥感を覚えるのだった。



 情報が出てこないというのなら、今まで出てきた資料から推測するしかない。

 そんな事を言った優希に、伽南も同意を示した。

「そうですね……多分、少しだけでもヒントはあると思いますし……」

 ここまできて何も得られない、とは思いたくない。

 むしろそこで諦めたら、お互いの中に居る彼らが暴走しかねない状況でもあった。

「のんびりしていられなくなったみたいだしね。この鈴は思った以上に影響力が強いんだと思う」

「いわゆる『儀式』をしていないから、っていうのもある気がします……」

 鈴がそうさせようと何かを狂わせている可能性さえも考えてしまうくらい、時間が迫っているような感覚だった。

 もう9月も終わりの週、伽南は勉強の合間に鈴の事を考えているせいか、あまり頭が休まっていない気がしてならない。

 あれから伽耶は大分ふさぎ込んでしまった。

 お気に入りのクレープもコーヒーも、あまり効果を示さない程に。

「……いっそ、逆だったらよかったかな」

「え?」

 ぽつりと優希が呟く言葉に、伽南は視線を向ける。

「僕が鈴を持つんじゃなくて、君が鈴を持つ側だったら、もう少し楽だったかな、って」

 次いで言われた言葉に、とんでもないと首を横に振る伽南。

 男の身だから耐えられる、とでも思っているのだろうか、彼は。

 だが断言できる。そんなことはない。

「……関係ないですよ、きっと。あんなの、どっちだって辛いです」

 今日だって、同じように潜り抜けてきた。

 耳どころか頭全体に響くような音は、必ず一度はうずくまる。

 それでも必死で進む。そうすれば、楽になるから。

「……それに、今となっては、嵯野川さんに見える場所でなくてよかったかな、って」

 毎回見せていたら、それこそ申し訳なくなってしまうに違いない。

 だが優希は顔をしかめてそれを否定した。

「僕は良くない。何も分からないままだから」

「嵯野川さんのせいじゃないですよ。……だから、早く鈴を何とかしましょう。いつまでも迷惑をかけてられないですし」

 こうして時間を割かせる事自体が、既に迷惑かもしれないのだ。やはりどのみち、ぐずぐずしてなどいられない。

「……それに、せっかく進路決めても、落ちたら格好悪いですもんね」

「……じゃあ、今日はもう調べるのは止めようか」

「え? どうしてですか?」

 ふと優希が言った事に、伽南はきょとんとする。

「君がどの程度の学力かを一度見ておきたいんだ。というわけだから、図書室に行こう」

「は、はい!」

 言うが早いかすぐ出ようとする優希を追って、伽南も荷物を抱えると部屋を出たのだった。



 当然といえばそうなのだが、伽南の日本史における学力はそこまで高いというわけではなかった。

 だが今からそれなりにちゃんと要点を押さえた勉強をすれば、受かる事は可能だろう。

「じゃあ、次までに覚えてきてね」

「はい。……何だか嵯野川さん、先生みたいです」

 書き終えたノ―トを閉じ、筆記具をしまった伽南が笑って言う。

「そう? なら採点は厳しくしようか」

「えっ……それは……」

「冗談だよ。でも甘くはしないからそのつもりで」

 受かってもらう為にする指導だ。半端な知識を与えるつもりはない。

 伽南もそれは分かっているのか、素直に頷いた。

「はい。……じゃあ、私はそろそろ帰りますね」

「送る?」

「うーん……それだと、その鈴がまた鳴ると思いますし……大丈夫ですよ」

 あくまでも伽南は、彼に自分が苦しんでいる姿を見せたくないのだろう。

「それじゃ、ありがとうございました。失礼します」

 ぺこりと一礼して図書室を出る伽南。そこに葎樹が声を掛けてきた。

『……気になるんだろう? 出なくていいのか?』

「僕が動けば、彼女の苦しみは増えるからね」

『随分と優しくなったじゃないか。さすがに同じ魂だけあって、女の好みも一緒というわけだな』

「一緒にされてもね。少なくとも僕にとっては、彼女はただの協力者だよ」

 鈴が壊れたら、消える関係だ。それ以上の深さも強さも要らない。


 ――リィィィィィィン! 


 それでも相変わらず、鈴は容赦なく鳴り響く。

 同時に伽南を苦しめているのだと思うと、わずかな苛立ちも感じた。

 音が消え静寂が戻ると、優希は図書室から出る。

『優希、一つ忠告してやろう。お前があの女を好いたとして、それは鈴のせいではないぞ』

「……何それ?」

『全てが鈴のせいだと思うな。俺は鈴など無くても、伽耶を未だに愛してるんだからな』

 その言葉は何故か狂気じみて聞こえて、優希は言葉を返さずにただ顔をしかめただけだった。


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