魂揺の鈴・逢の音
現代へ戻った伽南に、今度は伽耶の意識が入り込む。
平和で男女平等を謳う現代には、鈴の存在など有り得ないはず――だった。
あの音が再び聞こえるまでは。
カルチャーショック、というのは、伽耶のような反応を言うのかもしれない。
『まあっ、そんなに短いんですの!? はしたないですわ!』
と、制服のスカートを見て悲鳴を上げたり、
『んまあ、人前であんなに堂々と……! もっと人気のない、風情溢れる静かな場所で睦まじくしてくださいましっ! 目の毒ですわ!!』
と、ラブラブしているカップルを見ては嘆いたり。
……そう、気が付くと伽南は現代の自分の体に戻っており、かつおまけのように、死んだはずの伽耶の意識が一緒に戻ってきたのであった。
「……仕方ないとは思うけど……。時代錯誤も甚だしいよ、伽耶さん」
ぼそっと呟くと、彼女にはしっかり聞こえていたらしく。
『この時代は……ええと、現代とおっしゃいましたかしら? もう、わたくし、呆れてものも言えませんわ!』
ぶうぶうと文句を言い返してきた。
「もの言ってるじゃん……ものすごく」
『揚げ足を取らないで下さいまし! それに言葉遣い! なんという乱暴な言葉が多いのかしら! 女性たるもの、もっと上品に、丁寧に、そしてゆっくりと喋るべきですのに!』
「……言われてみれば、怒ってるけどそんなに早口じゃないよね」
そして怒り方もそこまで品が無いわけではない。やはり色々あっても貴族のお嬢様ではあったというべきか。
「……いや、むしろ死んだことすら忘れてるんじゃ……っていうかそれこそ乗り移ってるってことになるような……」
頭を抱えても無理はあるまい。伽耶は死に、自分は生きているのだ。どう考えてもお祓いした方が無難な気がする。
ちなみに現代では時間が全く進んでなかったらしく、本屋の手前で誰かにぶつかって転んでいたらしいというのをようやく思い出してもいた。
せっかくなのでそのまま本屋に行ったはいいが、突如彼女が喋る声が聞こえて一瞬パニックに陥りかけたのである。
――まあ、ここはどういう所なんですの? わたくし、こんなに本があるのを、お父様の書斎でしか拝見したことがありませんわ!
わくわく、きらきら。そんな形容詞が付いてもおかしくない程に満ち足りた声が頭の中に響いたら、誰だって自分の正気を疑いたくなるだろう。
「……テンション違い過ぎだよ……さっき死んだとは思えない……」
『だってわたくし、せいせいしたんですもの。うふふ、これで、晴れて自由の身ですわ!』
非常に嬉しそうなところを申し訳ないが、伽南にとっては少々迷惑である。
「そー、よかったねー」
棒読みでぼそぼそ返してやると、伽耶は不思議そうに問いかけてきた。
『せっかく元に戻れましたのに、嬉しくありませんの?』
「嬉しいよ? ……こういう状況じゃなかったら」
今度は自分が独り言をぶつぶつ言っているような状況だ。警察を呼ばれない程度に声のトーンを抑えながら喋ってはいても、近くに人が来たらさすがに何も言えない。
「とにかく、私は伽耶さんと違って独り言なんか言ってたら救急車か警察呼ばれるから、あんまり今は喋れないよ」
本に隠れながらこそこそ喋っている今だって、店員から怪しまれそうな雰囲気である。
『でしたら、お話しできる所へ移動しませんこと?』
「……それもそうだね」
伽耶の言葉に頷いて早々に退散することにした伽南は、本屋を出ると歩き出した。
あの時伽耶が感じたであろう苦痛は、何故か自分には感じられなかった。
それは不幸中の幸いかもしれないが、映像でトラウマになってしまったではないか、とため息も出てしまう。
とりあえず歩きながら適当な場所を探すが、独り言を言っても不思議でも何でもないところなど、普通に街中にあるわけがない。
「……帰ろうかな、もう……」
状況の奇異さを再認識したところで、伽南は大人しく帰宅を決め込んだのだった。
部屋に戻った伽南は早速、魂揺の鈴についてネットで調べる事にした。
しかし。
「……検索ヒット数、ゼロ!?」
予想していなかった結果が目の前に突き付けられて、唖然となる。
「そりゃあすぐに出るとは思ってなかったけど……さあ……ゼロって……」
ふう、とデスクの前で椅子を揺らしながらぼやく伽南に、伽耶はがっかりしたように言った。
『やはり、表には出ないものでしたのね……。何しろわたくし、社交界などには出た事もありませんでしたもの』
「てことは、本当に家にずっと?」
『……ええ。結婚してから外に出たのは、あの日が二回目ですわ』
一度やったらしいが、やはりあの音に一度苦しめられて断念したという。
そして二度目のあの時は、とにかく必死で走ったらしい。
そうすることで非常に不快なあの音が聞こえなくなったので一安心し、逃亡したそうだ。
「何ていうか……閉じ込められてるみたいな感じで、やだね」
『ええ。実際、母もぼやいたことがありましてよ。見えない檻に囲まれているようだった、と』
伽耶が産まれて結婚し、儀式が継承されたことで、非常に身も心も軽くなったそうだ。
娘を産み、婿入りが来れば解放される。それを理解していても、伽耶は耐えきれなかったということか。
「……そんなにあの人が嫌いだったの?」
試しにそう問いかけてみると、伽耶は途端に不機嫌になる。
『嫌いも何も……! わたくしを人形のように従わせようとする男性に、どうして好意があると思いますの!?』
「んー……何かそんな風には見えなかったんだけどな……」
『あなたは何も知らないから言えるんですのよ!』
一体何がそんなに気に入らなかったというのだろう。伽南にはさっぱりだ。
「……そりゃねえ。知らないのは当たり前だけど……うーん、でも強引に連れて帰ろうとはしなかったじゃん」
力ずくではなかった。そこが気になるのだ。
「あと、伽耶さんが死んだ時、あの人……すごくショック受けてたよ?」
『当然ですわ。妻に逃げられ自害までされたなど、恥でしかありませんもの』
「いや、そうじゃなくってさあ……」
頑なな伽耶の態度に、伽南は困ってしまった。
最後に聞こえた彼の声と言葉は、少なくとも恥だとかそういう意味ではないものに聞こえたのだ。
しかし説明に言葉を砕いたところで、恐らく彼女は受け付けないだろう。
結局伽南は諦める事にした。
「んー……分かった、もういいや。それより、これじゃ鈴の事もさっぱりのまんまだね。どうしよう?」
『もうよろしいのではなくて?』
手がかりはゼロだが、実際伽南はそういうものを見た事も聞いた事もない。
ということは、ある意味本当に解放されている、と考えるべきだろう。
「……なんだ、じゃあもう解決だね」
『そうですわね。わたくし、そんな事よりも気になる事が沢山ありますの。是非教えて下さらない?』
「……好奇心旺盛だね……うーん、いいよ。答えられる範囲なら」
すぐに現代の事へと興味が移ったのか、伽耶はすっかり鈴の事をそっちのけであれやこれやと尋ねてくる。
それを調べつつ教えながら、伽南はちょっとだけ不満だった。
この先の生活をするにあたって、明らかに自分の方が大変だという事実に。
ぱらぱら、と本をめくる音が聞こえる。
誰がいつ記したのか、詳細の分からない本を手に、青年は眉間にしわを寄せていた。
「……ないな」
すぐ傍に置いてある似たような本は、全てに目を通した。
それでも、無い。
「……悪趣味な代物だけあるね」
ぱたん、と本を閉じ、かちゃりと眼鏡を外して天井を仰ぐと、青年はため息を吐く。
その首元には、半透明の小さなベル。
振っても鳴らないそれに触れても、冷たさしか分からない。
お手上げ、としか言えなかった。
「……せめて、女性側の事がもう少し分かればいいんだけど」
さすがに儀式を行うつもりは無いが、色々と試したい事はある。
だが、こんな代物を使った実験に協力してくれるような女性の知り合いや友人など、青年には残念ながら居ない。
「……どうしようかな」
ぼやく声は、薄闇の中に溶けて消えた。
「うわー、広いなー」
大学というのは、本当に広くて迷いそうだ。
『ここが大学ですのね! 何て大きいのかしら!』
伽耶もわくわくしながら感嘆の声を上げている。
「日曜だからあんまり人は居ないね。……良かった」
こんな風に一人で会話しているのを聞かれるのは困る。
学校に居る時や親の前では、どうにか頭の中だけで会話できるようになったものの、何故か非常に疲れるので出来ればやりたくない。
なので、人気が無ければこうして口に出して会話する方が早いし楽でもあった。
何より彼女とは五感のほとんどを共有できる。
「うん、遠い所から、って思ったけど、何かここはいいかも」
少しだけ機嫌よく見物しながら、伽南は一人呟いた。
もらったパンフレットで建物の確認をすると、今居るのが本館で、少し離れた所に研究棟があるようだ。
「研究棟かぁ……」
『何をする所なんですの?』
「うん、いろんな実験をしたり、調査をしたりするところかな」
何かやってたりしないだろうか、と好奇心が湧き上がる。
「……ね、ちょっと行ってみようよ」
『ええ、構いませんわ』
伽耶も気になるのか、二つ返事で伽南の誘いに承諾した。
てくてく歩きながらもあちこち見物をしているが、緑が多くて居心地はよさそうである。
「研究棟を見たら、食堂とかも見てみようかな。やっぱりご飯美味しいかは重要だしね」
『まあ、ご自分でお作りなさいまし! 料理の出来ない女性など、花嫁には程遠くてよ!?』
「って言われても、私別にまだ結婚とか考えてないし……」
相手も居ないのに花嫁修業などするつもりはさらさらない。
「それに今の時代、男の人が料理上手だったりするじゃん。だからいいかなーって」
『んもう! それにその髪も! 乙女はみどりの黒髪ですのよ!? そんなに染めて、傷んでるじゃありませんの!!』
伽南の髪は、今時あまり珍しくない、学生ながらの茶髪だ。校風がそこまで厳しくないせいか、今の所、教師たちからはあまり強くは言われていない。
「皆染めてるって。見たでしょ? 現代ではこれが普通なのー」
しらっとして言い返す伽南に、はああ、と伽耶はこれ見よがしにため息をついてみせた。
『わたくし、嘆かわしいですわ。女性たるもの、美しさを追い求めるのは結構ですけれど……その美しさはまるで着飾っただけのようですもの』
「そうかなぁ……? けっこう皆、見た目は飾ってるけど、内面は普通の女の子ばっかりだよ?」
『わたくしにはそうは思えませんわ。真に美しい乙女は、過剰に己を飾らないものです。髪を染めたり、耳に穴を空けたり、お化粧も派手だったり……そのような事をする必要はございませんのよ?』
きっぱりと言い切る彼女の生前の姿は、長い黒髪は絹のように綺麗でまっすぐ、化粧気のない顔はそれでも整っていたし、もちろんピアスなどもしていなかった。
有言実行というのはこういうことか、と伽南は何となく思いながら肩をすくめる。
「……っていうか、私はそもそも伽耶さんみたいな美人じゃないもん」
『そんな事を仰るようでは、美しさが逃げてしまいますわよ?』
「……向こうからやってくるもんでもないじゃん、そういうのってさ」
やはり時代が違い過ぎるのか、こういう価値観は合わない。
何度かこんな風に意見を交わしたが、互いに納得出来た事はまだなかった。
そうしていると、研究棟に着く。
「……静かだね」
『誰も居ないのではありませんこと?』
「まあ、ちょっとだけでも覗こうよ。実験って言っても、派手なのばっかりじゃないだろうから」
もっとも、怪しげな実験をしていたら早々に退散するべきだろう。
研究者イメージというのは、往々にしてあまりよろしくないものが多い。
それに加えて、今歩いている廊下も、照明がほとんど消えていて薄暗かった。
「……うーん、物音しないね」
『早々に出てしまいません? わたくし、駅前とやらにあった、甘い匂いのするお店が気になってますのよ』
「ああ、クレープ屋さんがあったような……じゃあ帰りに寄ろうか」
確かにふんわりと甘い匂いがしたな、と思い出す伽南の言葉に、伽耶が嬉しそうな声を上げる。
『まあ、本当ですの!? 楽しみにしておりますわ!』
「そうだね。私も楽しみだよ」
うんうん、と頷きながら、伽南は二階への階段に足を掛けた。
ふわ、とあくびが漏れる。
そういえば今日は少し朝が早かったな、と思い出し、青年は一度椅子から立ち上がった。
本の日焼けを防ぐ為に遮光カーテンを閉めている上に灯りはデスク上のライトだけ。
目が疲れるのも無理はなかった。
一度コーヒーでも飲もうと思い、部屋を出る。
相変わらず何も鳴らない首元のベルは、ほとんど重さも感じさせずに少しだけ揺れた。
白衣のポケットを探り、小銭を確認する。
コーヒーの自販機は一番下の階にしかない。ここは三階にある為、先にお金の確認をしなければ往復で非常に疲れる羽目になるのだ。
とりあえず買えるだけはあったのでそのまま彼は歩き出す。
調べものをするには、今日のような休日はうってつけだ。
戻ったらまた少し実験をしてもいいかもしれない。
何しろこの鈴は一度も鳴る所を聞いたことが――。
――リィ……ン。
「え?」
今、わずかに空気が震えるように、音がした。
ガラスで作られたベルのような、静かで透明な音が。
立ち止まった青年は耳を澄ますが、何も聞こえない。
気のせいか、と思って再度歩き出した。
しかし、階段の近くで、不意に音が強く響き始める。
――リィィィィィン……!!
「……なっ……」
今度はさすがに気のせいでは済ませられない。
はっきりと響き渡る音は、自分の首元にある鈴から発せられていて。
「……まさか……」
この鈴が鳴る時は、条件があるはずだった。
しかし条件は初めから満たされていない。そのはずなのだが、鈴は実際に鳴り響いている。
早く早く、とせかすような音と共に、更に信じられない事が起こった。
――どこだ、俺の妻は……!!
「……今度は何だろう……」
げんなりと額を押さえてぼやく青年は、今の声が自分の頭の中に響いてきたことにももはや驚いていなかった。
――近くに居るはずだ……! 音に囚われている今のうちに、探せ……!
「……この研究棟に用事がある、一般女性が居ると思ってるわけ……?」
ちなみに居るわけがない。何故ならここに来るような女性はそもそも変人ばかりだし、この鈴が反応したこともないのだから。
それでも謎の男の声は早くしろと尚も青年をせかす。
「……はいはい。この音が鳴ってるってことは、その人は苦しんでるってことだし……早々に移動することにするよ」
肩をすくめた青年は、更に階段を下りるべく足を進めたのだった。
一方その頃。
「ったあああ……!! 何今の……耳が痛いんだけど……」
耳を押さえながら、ふらついた体をどうにか起こして伽南はぼやいた。
二階の廊下を歩いていたら、いきなり大音量のハウリングが耳の奥に響いてきたのである。
あれ以上延々と聞かされていたら、気絶していたに違いない。
だがそれよりも何よりも、今の感覚は非常に嫌な覚えがあったり、する。
「……伽耶さん、大丈夫?」
『ええ……何とか……伽南さんこそ……』
「ん、とりあえず落ち着いてきた……。でさ、やっぱりこれって……あれ、かな?」
『間違いありませんわ……。ですが、どうしてこんな所に……』
油断していたとはいえ、まさかあるとは思わないだろう。
だが、自分がじっとしている間に音は消えた。ということは、持っている人間が移動しているということで。
「……さ、探そう。またあんなの聞かされるなんて嫌……」
『もちろんですわ! 探しましょう!』
どうやら、その人物を探して話をつけるまで、クレープはお預けになりそうだ。
伽南は更に上の階へ行くべく、廊下を歩き出した。
この研究棟は思った以上に広い。左右にある階段を繋ぐ廊下の距離もそれなりである。
相手はこの近くにいるのだろうが、いかんせん距離が把握しきれないので、進むのも恐る恐るだ。
「……うん、これじゃ確かに、家の外に出るの、嫌になるね……」
『お分かりいただけまして? 何故、三ヶ月で逃げ出したかを』
「もう私なら家に引きこもる……」
『んまあ! ご自分から大人しくしてると仰いますの!? それでは外で夫に浮気されても文句は言えませんわよ!?』
そもそもあの音を聴いても逃げ出そうとする伽耶の方がすごい、と伽南は思った。
「っていうか、そこまでして奥さんを家の中に押し込めたいっていう気持ちは、さっぱり分かんないよ」
『分かりたくもありませんわ! とにかく、あんなものを今でも持ち歩くような方にはお説教をして差し上げなくては……!』
「……するの私なんだけど」
伽耶は時々自分がしたいことを伽南にさせようとする。
場合にもよるが、大半は彼女の価値観の押し付けの為、伽南はスルーしていた。
「それより、あれから音が聞こえないね。……どこに居るのかな」
もうすぐ階段だが、人の気配は一向にしない。
そうなると三階だろうか、と思った伽南だが、不意に。
――リィン!!
高らかに、聞いたことのある鈴の音が響いて足を止めた。
「っ!!」
『来ましてよ……伽南さん!』
緊張を帯びた伽耶の声に、伽南も頷く。
一体どんな人物だろうかと、心臓が騒ぐ。
相手によっては、伽耶ではないがさすがに許容できなければ、強引に奪い取ってしまうしかあるまい。
好みでもない男に一生を左右されるなど、いくら伽南でもご免だった。
階段を下りる足音が聞こえ始める。相手は三階に居たようだ。
この研究棟の人間なのかもしれない。となれば、ますます相手が気になるわけで――。
(……伽耶さん。とりあえず隠れてみる?)
『そ、それもそうですわね……』
陰で様子をうかがって、相手を見てから行動してもいいだろう、という考えは彼女も同感だったらしい。
こういうところはつくづく年頃の女子だなあ、と伽南は苦笑を浮かべつつ壁際に隠れた。
とん……、と階段を下り切る音が響いて、伽南は相手を見極めるべく少しだけ体を動かす。
が、同時に。
――リリンッ!
「ひゃあっ」
いきなり響いてきた音に、思わず伽南は声を上げてしまった。
「……ああ、そこに居たのか」
『もう、伽南さんたら!』
伽耶の咎めるような声に、ごめん、と心の中で謝る伽南。
そして向こうも気づいてこちらへ歩み寄ってきてしまった。
最初に見えたのは、白。
それが白衣だと分かったのはすぐで、目の前に現れたのは、当然ながら初対面の青年。
「……君だね? 彼が探してるのは」
しかし、青年の言葉に伽南は首を傾げた。
「彼?」
「……ん、ああ、違う? ……となると……うーん?」
だが一人でぶつぶつ言って不思議そうなままこちらを見る青年は、だがややして言った。
「そうか、君だけど君じゃない……。困ったな。輪廻転生なんて本当にあるんだろうか」
「り、んね?」
「うん、君が彼の探している奥さんの生まれ変わりっていう可能性をね」
「…………生まれ変わり……」
何故伽耶とこうも繋がりが強いのか、と考えても答えがまともに出なかったのだが、もしかしたら、非現実的ではあるがその可能性があるわけで。
青年はまた問いかけた。
「……伽耶、という名前に何か記憶はない?」
げ、と伽南のみならず伽耶本人も嫌な予感をおぼえてしまうのも無理はない。
ここまでくると、青年の言う「彼」というのは一人しかいないからだ。
『葎樹……さん……? そんな……わたくし、やっと……やっと解放されたと……』
どんどんうろたえる伽耶の様子に不穏な気配を感じて。
「お、落ち着いて、伽耶さんっ。ここは現代だからっ」
うっかりなだめようと口を滑らせた伽南の言葉に、青年が頷いた。
「そうか。やっぱり君も中に居るんだね」
「……ってことはいらっしゃるんですね。あなたにも」
がくう、と伽南は肩を落とす。予想はもうついていたとはいえ、これはどうするべきだろうか。
「うん。ついさっきから」
「……それって、鈴が鳴った時から?」
「そうだね。何で分かったの?」
不思議そうな彼には悪いが、女性側の身としては分からない方がおかしい。
「何となくですが……でも、それだけ派手に響いたら、こっちだって予想はつきます」
「ああ、鈴か。……そんなに?」
「……そうです」
抗議を込めて若干のジト目で青年を見てやる。彼が持ち歩いたりなんてしているからこうなったというのも否めないのだ。
「そうか。ごめん」
しかし彼はあっさりと謝った。非常にドライである。
おかげで伽南も伽耶も拍子抜けしてしまった。
「……や、やけにあっさりしてますね」
『ここは怒る所ではありませんの? 責任を押し付けられそうになってるはずでしてよ?』
「うん、まさか居るとは思わなかったから。君はどこの学部?」
どうやら私服のせいで、同じ大学の生徒だと思われているらしい。
伽南はすぐにそれを否定した。
「いえ、私はまだ高校生で……ここへは見学に」
「そうなの? 珍しいね。ここは見学者もほとんどスルーするんだけど」
女性なら特にそうだろう。珍しそうな視線に伽南は少しだけ居心地の悪さを感じた。
「……でも、丁度良かったかな」
「え?」
不意に言い出した青年は、伽南の腕を掴むと歩き出す。
「あ、あの、ちょっと……?」
『んまあ、ぶしつけな! 女性の手を取る時はもっと紳士でなくてはなりませんわよ!?』
伽耶が怒るが、そこは大して問題ではなかったりする。
青年は歩きながら続けた。
「僕は君が必要だ。……協力して欲しい」
「……あのー、何を?」
怪しげな実験に参加するのだけは勘弁願いたい、と思う伽南だが。
「君もさっき大変だったって言ってたよね。その大変な思い……この先もしたい?」
掛けられた問いにふるふると首を横に振った。冗談じゃない。
「……うん。それなら、君にも僕が必要なはずだよ」
「…………はあ、分かりました」
研究者というのは、やはりどこかずれているものなのだろうか。
伽南はそんな事を思いながら、彼に引っ張られていく。
ふと、彼が振り向きざまに問いかけた。
「そういえば、君の名前は? 僕は嵯野川 優希」
「あ、私は、秋鳴 伽南……です」
先に名乗られたので、伽南も自然と名乗る。
「そう。伽南」
「はい……はい?」
いきなり呼び捨てかい、と目を丸くした伽南だが、相手に全く他意はなかったようで。
「僕は人の名前に敬称を付けるのが苦手なんだ。だから呼び捨て。君もしたければいいよ」
「ええっ? ……それはちょっと……。嵯野川、さんがそうなら……まあ、別に呼び捨ては構いませんけど」
『それでも少しは考えて下さいませんこと!? 何だか不愉快でしてよ、わたくし!』
(まあまあ……世の中、いろんな人が居るんだよ、伽耶さん)
『んもう、あなたは少し甘いのではなくて!?』
(……うん、逃走手段を船以外に考えなかった人に言われるのはちょっと、心外かな……)
少なくとも自分はそこまで一本道ではない、と伽南は念を押して伽耶の文句に言い返したのだった。
コーヒーなど不要なほどのこの状況に、優希は少なからず混乱と興奮を抱えていた。
全てが偶然なのか、それもこの鈴が呼び起こしたものなのか。
だが少なくとも彼女にとっても自分にとっても想定外で、かつこれ以上ない機会でもある状況を逃すわけにはいかない。
何より、彼女をこのまま遠ざけてはいけない、と思ったのだ。何故かはわからないけれど。
『……ふん、確かに良く見れば伽耶に似ているな』
不意に頭の中で声が響いた。
伽耶という女性の夫だと自称する彼は、葎樹という名前らしい。
『……おい、お前。優希とか言ったな』
「……何」
小声で返すと、彼には聞こえているのか尊大に言い放った。
『この際、お前がその女を娶れ』
一言だけだというのに、色々と突っ込みたいほど、勝手な発言。
「……君は奥さん以外見えてないみたいだね。僕は嫌だよ」
はっきりと優希は拒絶する。
理由は多々あれど、そもそもそんな事をして何になるというのか。
『嫌だと言っていられるのも今のうちだ。……どうせお前も俺と同じ道をたどる』
しかし彼は想定していた答えだったのか、そんな言葉で返した。
「馬鹿馬鹿しいよ。同じ道なんてない」
その時、研究室の前に着いて、優希は扉を開けると繋いでいた少女の手を離す。
「……入って」
「は、はあ……」
歩幅がついていけてなかったのか、若干息切れをしている少女――伽南は、大人しく中へと入った。
それを見て、葎樹が呆れたようにぼやく。
『警戒心の無い女だな』
ぱちんと灯りをつけながら優希はそれに返した。
「下手に警戒しすぎてうるさくされるのも迷惑だから、別にいいんじゃないかな」
「……え、あの……?」
聞こえたらしい伽南が、不安げに優希を見た。しかし直後、気付いたように俯く。
「……あ―、はい、今、伽耶さんにちょっと怒られました……」
「うん、多分それが正しいと思う」
「あの……葎樹、さんって人は……その……伽耶さんを探して、どうするつもりなんですか?」
おずおずと尋ねてきた内容に、葎樹がきっぱり答えた。
『今度こそ永遠に傍に置く』
「……多分、君の奥さんが嫌がりそうなことを考えてるよ」
『おい!』
「ええっ? 一体どんな……」
ぎょっとする伽南は、次いで一瞬黙り、それからまた口を開いた。
「……あの―……伝言ですけど……『これ以上わたくしを束縛するというおつもりでしたら、その鈴を何とかして壊してからにして下さいませ。話はそれからですわ』と……」
明らかに彼女ではない口調の伝言に、葎樹が舌打ちした。
『まだ強情を張るか……!』
「……君、明らかに奥さんから縁切りされてるね」
『うるさいっ!』
「…………で、そのう……鈴って、やっぱり、壊せません?」
遠慮がちに尋ねるが、やはり気になるのだろう。
優希は頷いて鈴を首から外した。
「見てて」
それをデスクに置くと、傍にあるトンカチを持ってきて、容赦なく鈴へ振り下ろす。
しかし。
――がきんっ。
その音を立てて、だが鈴に変化は欠片もなかった。
「……うそ……」
目の前で見たにも関わらず、伽南は信じられない、と言った表情で鈴を見つめている。
「……き、傷も……全然?」
「見ていいよ」
「……う、はい……」
こわごわと近づいて、伽南はその鈴に触れ――直後に、電気が走ったかのような勢いで手を引っ込めた。
「きゃあっ」
「どうしたの?」
「……い、今……触った途端に……何かすごく……」
伽南の言葉が途中で消える。言いにくい何かを感じたのだろう。
「……無理しなくていいよ」
そう言って優希は自分でひょいと鈴を持ち、彼女の前に持ってくる。
蛍光灯に照らされた鈴は、傷も汚れも無くただ半透明特有のぼんやりとした反射を放っていた。
「…………何か、幽霊みたいな色、してますね」
「君は面白い事を言うね。……資料によると、この中には魂の欠片が入っているらしいよ」
「へっ!?」
またしてもびくっとする伽南は、不安げな顔のまましばし黙っていた。
伽耶という女性と会話しているのだろう。どうやら口に出さなくても意志の疎通が図れるらしい。
「……この鈴は元々、一人の男が、妻を監視する為に作ったんだ」
とりあえず、と首にかけ直しながら優希は言う。それに伽南が視線を戻した。
「監視?」
「そう。男は疑心暗鬼に囚われていて、あまりに不安だった。そこに来た一人の若者が、自分は薬売りだと言って、薬を飲ませて男の不安を聞き出した後、この鈴を作る手伝いをさせたらしい」
「は? えっと……薬を売ってる人が、何でこれを?」
「多分目的はこっちだろうね。怪しい呪術をどこかで知って、誰かで試してみたかったんじゃないかな、と僕は思ってる」
「……何だか、怪しい悪徳商法みたいですね」
最初は違う言葉で相手を油断させ、最後には怪しい商品を売りつける。よくある詐欺の手口だ。
「その男くらい精神に支障があったら、騙されても不思議はないよ。……その結果、こんなものが出来てしまったわけだけど」
振ってもやはり音がしないそれは、完全に目的を定められたからこその違和感を持っていた。
「その時に、妻の魂の欠片を封じ込めた、と書いてあった。……それが何かは具体的には記されていないけど……風習を考える限り、血じゃないかと思うよ」
「でもその割に、全然赤くないですね」
そう言った後で伽南はまた口をつぐむ。数秒後にがくりと肩を落とした。
「……儀式の際に一度だけ赤く光る、そうです」
「うん。知ってる。風習については祖父からも聞いてるし」
「え、おじいさん……?」
何で、と顔が言っているが、少し考えれば分かりそうなことではなかろうか。
考えることをしようとしない彼女に呆れつつも、優希は教える。
「僕の家にいつの間にか受け継がれていたんだよ、この鈴は。……祖父の代で一応は止めたみたいだけどね」
「い、今も続いてたんですか!? それ!」
なんてことを、と青くなる伽南。男女平等のこの時代では、大人しく従っていられる女性の方が珍しいくらいだろう。
「うん。でも祖母の遺言で、これはもう要らない、って」
「……あなたはどうしてそれを?」
次いで出てきたもっともな疑問に、優希は肩をすくめた。
「僕は考古学研究をしている大学院生だ。……その意味が分かるなら、答えになるはずだけど?」
「……あ、なるほど……。研究の一端でしたか……」
答えに納得はしたものの、彼女の表情はまだ固い。
「……ところで、僕はずっと気になってるんだよね」
「はい?」
「この鈴は、相手の女性の血を使わないとただの飾り物なんだ。つまり君の血がなければ、この鈴は君に影響しないはず。……だけど現状は違った。これはどういう意味なんだろう?」
びく、とあからさまに伽南が体を震わせる。恐らく本能的に何かを察したに違いない。
「それは……その……分からない、です」
控えめに答える彼女に、優希は非現実的な答えを開示した。
「単純に言うと、君と伽耶って人の魂は、この鈴に封じ込めた魂の欠片と同じなんじゃないか、という結論になるんだよね」
「あの、それって……つまり……」
「うん。君は、この鈴の最初の犠牲者だった妻と同じ人間ってことだと思う」
他に説明が付けられるならして欲しいくらいだ。
いくら優希でも、こんなオカルト研究会が喜びそうな内容を真っ向から信じたいとは思わない。
「…………伽耶さんは納得しました……」
「君はしていない、ということだよね」
「いくらなんでも……ちょっといきなりすぎです……でも、他に理由が分からないし……どうしよう」
現代人だけあって、すぐに信じるわけにはいかないだろう。
伽南の困惑をよそに、葎樹がふと口を出した。
『試しにこいつと儀式を交わせばいい。そうすれば分かるんじゃないのか?』
「……それをしたら同じ事になるね。僕は却下」
『ちっ。頭の固い奴だ』
「……僕を利用して君の奥さんを引きずり出すつもりらしいから、君は少し離れて居た方がいいよ、伽南」
一応忠告を述べると、伽南は頷いて少しだけ距離を空けた。
伽耶とは仲がいいのだろう。同じ魂の持ち主なら共感し合えるところも多いのかもしれない。
ふと、優希はある事に気付いた。
「……ところで、さっきの仮説通りだとしたら、僕と彼はその夫の魂だった、ということになるかもしれないね」
「ええぇっ!?」
試しに言ったことで伽南がぎょっとする。
信じたいわけではないものの、この偶然を強めるとしたらそれ以外は必然になり得ない、と優希には思えるのだ。
「僕はともかく、彼は確かに君の中に居る奥さんに対する執着が強い。可能性は否めないかな」
「…………それは……まずいような……」
同じ結末を繰り返すのだけは嫌だ、と呟く伽南。当然かもしれない。
「うん、まずいと思うから僕は儀式をしない。それに、この鈴だって作ることが出来た以上、壊す事も可能なはずだ。……だから、協力しよう。伽南」
「協力、ですか? でも何をすれば……」
「君は大学はここに入るの?」
気になって問えば、彼女は曖昧な返事を帰す。
「いえ、実は……あといくつかを候補に……これから絞ろうかと思って」
今は9月だ。そろそろ本腰を入れて勉強していなくてはまずい時期である。
その今になって絞り込むとは、本当は彼女は頭がものすごくいい人間なのだろうか、と優希はいぶかしんだ。
「遅くない? 間に合うの?」
「……うう……何だかのんびりし過ぎちゃいまして」
「ならもうここにすれば? どうせいつ終わるか分からないんだし」
「そう、ですかねえ……うーん」
確かに結構気に入ったけど、とぶつぶつ呟くのが聞こえる。
しかしややして一つ頷くと彼女は言った。
「家族とも相談しますけど……伽耶さんは構わない、って言ってくれてますし……私もその鈴は出来れば抹消した方がいいと思いますので……お手伝い、可能な限りしたいと思います」
ほとんど決定したらしい。そんなに単純でいいのか、と思った優希だが、それには触れずにおいた。
最初の警戒のなさといい、伽南は恐らく少々ずれている感覚の少女なのだろう。
「そう。なら一応渡しておくよ。僕の名刺」
滅多に使わない名刺を一枚出すと、伽南はそれを受け取って頭を下げた。
「じゃあ後で、連絡します。今日はもうそろそろ帰りますね」
「うん。暗くなり始めると危ないから、送る?」
「……え、えっと、大丈夫です。じゃあ、これで失礼します」
伽耶に何か言われたのだろう、慌てて優希の申し出を遠慮して、伽南はせかされるように部屋を出て行った。
静かになった室内で、葎樹が呟く。
『あれだけ危機感のない女は珍しいな。伽耶とは真逆だ』
「うん、少しだけ心配かも」
『……優希。覚えておくといい。……俺も最初は伽耶の事をそこまで好いてはいなかった。だが、気付いた時には執着が止められなくなっていたんだ。お前も気づいていないだけでそうなるかもしれないぞ』
どこか苦々しい言葉に、優希は簡単に頷いた。
「うん、今の所その心配はないから、大丈夫だよ」
『……だといいがな』
当然ながら、その言葉で葎樹が安心するわけもなかったのだが。
伽耶は怒っていた。
『んもう、あなたはどうしてそうのんびりしてらっしゃるのです!? あの方の生まれ変わりだというのなら、もっと気を付けるべきなのですわ!』
「……でも、何かそういうの興味無さそうだったし……大丈夫だと思うんだけどなあ」
『その油断が隙を招くのです! とにかく、わたくしはあの大学に入るのは賛成ですけれど、鈴を壊した後は、関わるのはお止めなさいな! よろしくて!?』
「うーん、普通に話す分にはいいと思うのにな……」
伽南にはよく分からなかった。
彼の話も、伽耶の忠告の意味も。
例え最初に疑心暗鬼の夫だったとしても、今は違う。
人というのは、環境によって変化する存在だ。
自分がいつか監視に耐えられなくなって自殺した妻だったとして、自分がそうなるとも限らない。
もしくは相手が逆に耐えられなくなる可能性だってあるだろう。
「皆ちょっと気にし過ぎだよ。昔は昔、今は今。あんまりがんじがらめにしちゃうと良くないと思う」
『あなたは軽く考えすぎなのですわ! ……それよりも、お忘れかしら? そこのお店に帰りに寄って下さるお約束も軽いものでしたの?』
つん、とすましたように言われて、伽南は足を止めた。
可愛らしい雰囲気のお店は、やはりクレープ屋で。
「……ああ、約束だもんね。入ろうか」
『もちろんですわ!』
中に入ると、甘い匂いが一層強くなる。
何がいいかな、とサンプルが置かれたケースを見ていると、店員がにこにこしながら声を掛けてきた。
「初めてのお客様には、こちらの商品をおすすめしてますよ!」
見ると、ベリーチョコレートクレープ、とある。
「じゃあ、これにします」
あっさりと伽南はそれに決めた。会計をして待つ。
『んまあ、ご自分でお決めしなくてよろしいんですの?』
呆れたように伽耶が言うが、元々好みは細かくない。この際一つ食べて決めるなら、勧められた物を食べるのが一番だろう、というのが伽南の考えだった。
そうして待つこと数分、出来立てのクレープが出された。
「はい、お待たせしました、どうぞ!」
見た目が花束のような可愛いそれを受け取り、伽南は店を出る。
一口齧ると、チョコレートとホイップの甘さ、そしてベリーの酸味がふわっと広がって思わず笑顔になる。
「おいしい~……!」
『ええ、本当に!』
「次も来たらまた寄ろうね!」
『もちろんですわ! はぁ~……こんな物が食べられるなんて……幸せですわねえ……』
さっきまでのとげとげしい雰囲気も、甘いクリームに溶かされてしまったらしい。
伽耶はすっかり上機嫌になり、クレープを堪能していた。
伽南もそれは同じで、はぐはぐとクレープをかじりつつ、帰ったら両親を頑張って説得しよう、などとのんきに考えつつ駅に向かったのである。




