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第6話 宛先

 クロイスはペンを動かした。


 羊皮紙の最初の一行に、書式の見出しを刻む。


 〈第一指示書〉本部・経理部宛


 以下、項目順に書き連ねる。


 標的、会計事務官二等、ヴェロン・カスパル、三十八歳、勤続十二年。配属、本部・経理部一筋。月の十三日と二十七日にのみ出勤、業務報告会議には十二年間で一度も出席していない。


 確保場所、本部・経理部執務室。確保時刻、次の出勤日、四月二十七日の四つ半。


 担当、#03、#11。抵抗権の運用は、撤退判断のみ許容する。時刻調整、対象退避、不要。確保後の取り調べは本部・第一局留置場、第二局立ち合いの上で四時間以内に終える。


 ライサは机の反対側で書き取る。筆運びの角度が、クロイスの手より浅い。袖の影が、紙の上を一度だけ横切った。


 付属指示の項に入る。商業ギルドの預り口座、本店規模で運用できる三か所の閲覧権申請を、第一局を経由して商業ギルド本部へ提出されたし。


 ライサのペンが、一度だけ止まった。袖の影が、紙の上で動かなくなる。


 「あんた、これは妹の口座のことか」


 クロイスは、ペンを浮かせたまま、答えた。


 「義妹宛の送金が流れていた口座と、同じ範疇です」


 ライサは続きを書き取った。袖の影がまた動き始める。インクの最後の一滴が、紙の繊維に沈み込むまで、ライサはインク壺を動かさない。


 第一指示書の最終行を書き終える。クロイスは、ペンを一度だけインク壺の縁で整えた。


 羊皮紙の二枚目を引き寄せる。


 ◇


 〈第二指示書〉王立宮内省・庶務部宛


 以下、項目順に。


 事項、本部・経理部所属、会計事務官二等、ヴェロン・カスパルを確保することを、ここに事前通知する。確保日時、四月二十七日の四つ半。確保場所、本部・経理部執務室。


 要請、王立宮内省・庶務部所属の事務官三名(ヴェロンを除く)の出勤動向観察記録の提供。観察対象、月の十三日と二十七日に庶務部に勤務する事務官の、通勤経路、退勤時刻、面会者。


 補足、本要請は、宮内省内部の業務手続きに介入しない。観察記録の作成、提供、形式は、庶務部の判断に委ねる。


 ライサが顔を上げた。羊皮紙の二枚を、横に並べて見比べる。


 「ずいぶん違うな、この二枚は」


 「宛先が違うので、書き方が違います」


 「宮内省には、頼む、なのか」


 「合意の枠内で動く方が、結果が早い」


 ライサは黙って書き取りに戻った。


 クロイスは文末を書く。ペン先が紙の繊維に触れる瞬間、第一指示書のときよりも、ペンの角度が一段浅い。一文字を書く時間が、わずかに長い。


 観察記録を、王立宮内省・庶務部からの返答として、王立諜報局・第二局宛に転送いただきたい。


 句点を打つ前に、ペン先がインク壺の縁で一度だけ整えられた。


 句点を打った。


 ◇


 階段を降りてくる足音が、扉の向こうで近づいてきた。


 地下書庫の階段は三十六段ある。クロイスはその数を数えはじめる。十五段目あたりで、足音が一人ではなくなった。前を歩く軽い足取りはガロウ。後ろの重い足音は、別の誰かだった。


 二十八段目で、足音は扉の前まで来た。


 ガロウが扉を叩いた。


 「ハーグレイヴ局長です」


 クロイスは顔を上げない。書き終えた第二指示書の文末を、改めて一度だけ読み返す。


 扉が開いた。地上通路の空気が、インクの匂いを一段薄くした。


 ハーグレイヴ局長が書庫に入ってくる。白髪、長身、外套は脱いでいない。地下の階段を、自分で降りてきた者の足音だった。


 ガロウは扉の脇で止まった。書庫の中には入らない。


 「指示書を、王立宮内省へ届けに行く。私が直接に持参する」


 「承知しました」


 局長が机の脇に立った。ライサが二通の指示書を、それぞれ封筒に入れる。


 封蝋を、ライサが燭台の火で温めた。蝋の塊が柔らかくなるまで、二呼吸。


 第一指示書には、第二局の局印を押す。組織命令の印章だった。


 第二指示書には、クロイス・キリュー個人の私印。階位も役職も刻まれていない、名前だけの印章だった。私印の上に押された蝋は、まだ熱を持っている。


 局長が二通の封筒を、両手で受け取った。左手に第一指示書、右手に第二指示書。左右の手の中で、封筒の重さがわずかに違う。第一指示書の方が、付属指示の枚数分だけ厚い。


 「夕飯は卵粥でも持ってこさせる」


 「業務に支障はありません」


 局長は何も言わなかった。二通の封筒を、外套の内側にしまう。一度だけ振り返り、そのまま扉を開けた。


 ガロウが、局長の後ろを歩いていった。


 扉が閉まる。階段を上がっていく足音が、徐々に遠ざかっていった。


 ◇


 ライサがインクを片付けた。羊皮紙の余白を、机の左端に揃えて重ねる。控えは二枚。指示書本体は、いま局長の外套の内側にある。


 書庫に残ったのは、二枚の控えと、ペンの先のわずかな黒だけだった。


 「あんた、夕飯は」


 「業務に支障はありません」


 ライサは何も言わなかった。インク壺の蓋を、最後に閉めた。


 ライサが立ち上がる前に、燭台の炎が、扉の隙間から入った風で、一度だけ強く揺れた。


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