パーフェクト・プラン 最高の結婚相手の見つけ方
秘書問題というものがある。
数学の世界ではそこそこ有名な話で、こういう問題だ。
たくさんの秘書候補者の中から、たった一人、最高の相手を選ばなければならない。
ただし、面接をして会ったその場で採用するか見送るか決めなければならず、いったん見送った相手は二度と選べない。
では、何人目までを「比較用の観察」に使い、どこから本気で決断すべきか。
どれだけ優秀だったとしても一人目で決めるのは早すぎる気がするし、百人目だったらもうほとんど候補者は残っていない。
この問題には、いちおう数学的最適解がある。
最初の約三七パーセントはひたすら見送って基準を作り、それ以降に現れた「それまでで最高の相手」を選ぶ。
候補者数が十分多いとき、その戦略がもっとも成功率が高いとされている。
数学は冷たい。
そして、冷たいものはだいたい信用できる。
婚活を始めるにあたって、俺はまずノートを一冊買った。
黒い表紙の、少し高いやつだ。安いノートに人生設計を書くと、人生のほうまで安っぽくなる気がしたからである。
一ページ目に、こう書いた。
『婚活期間は二年とする』
二ページ目。
『毎月二人と会う』
三ページ目。
『計四十八人』
四ページ目には、赤ペンで大きく囲んだ。
『最初の十七~十八人は観察期間』
四十八人の約三七パーセント。
つまり十八人目までの女性は、理論上、見るだけだ。そこでは選ばない。基準を作る。市場を知る。己の立ち位置を知る。現実を知る。希望を捨てる。いや、最適化する。
我ながら、完璧な計画だ。
「それ、絶対うまくいかないよ」
会社の同期で、既婚者で、毎日弁当箱にハート型の卵焼きが入っている男――岡部は、俺のノートを見てそう言った。
「なぜだ」
「結婚って、魚の競りじゃないから」
「感情論だな」
「いや、普通の論だよ」
岡部はコーヒーをすすり、憐れむような目でこちらを見た。
「お前さ、恋愛とか結婚とか、たぶん“答えのある問題”だと思ってるだろ」
「あるだろ。少なくとも、下手な選び方とマシな選び方は」
「その発想がもう疲れるんだって」
「疲れるかどうかは本質ではない」
「結婚ではかなり本質だよ」
その言葉を、俺は聞き流した。
既婚者の意見には、だいたい結果論バイアスが混じる。成功者は自分の方法を普遍化しがちだ。心理学の初歩である。
婚活アプリを入れ、プロフィールを整え、写真を選び、年収と身長と趣味と休日の過ごし方を、少しだけ人間味があるように見える言い回しへ修正した。
初月で二人。
きっちり会うつもりだった。
だが、一人目で、計画は急に人間の顔をし始めた。
待ち合わせは土曜の午後、駅前のカフェだった。
名前は、綾瀬さんといった。
プロフィール写真では、穏やかな人だな、くらいの印象しかなかった。悪くはない。だが、観察期間の一人目としてはちょうどいい。そう思っていた。
ところが実物は、写真より少しだけ笑いやすそうで、写真より少しだけ眠そうで、写真よりずっと人間だった。
人間、というのは大事だ。
婚活市場では、みんな少しずつプロフィール文になっていくから。
「加藤さん、ですよね?」
綾瀬さんは、少し首をかしげて言った。
確認の声なのに、妙にやわらかかった。
「はい。あ、どうも」
「よかった。ぜんぜん違う人に声かけたかと思って」
「俺、そんなに特徴ないですか」
「安心感はあります」
安心感。
地味の別表現かもしれないが、嫌ではなかった。
席について、コーヒーを頼んだ。
彼女はカフェラテを頼み、店員が去ったあとで「こういうの、ちょっと緊張しますね」と笑った。
「婚活アプリ、慣れてるんですか?」
と俺が聞くと、
「ぜんぜんです。三人目です」
と言った。
三人目。
その瞬間、俺の頭のどこかで何かが光った。
三人目。まだサンプル数が少ない。判断にノイズが多い。比較対象が不十分。だが、それゆえに目の前の印象が大きく出る可能性もある。
「加藤さんは?」
「一人目です」
「えっ。じゃあ記念すべき最初の人だ」
「まあ、そうなりますね」
「光栄です」
そう言って笑う。
いや、本当に、そんなふうに笑う必要があるだろうか。
初対面で、そんなに自然に、相手を少しだけ気楽にさせる笑い方があるだろうか。
注文した飲み物が来るまでの短い時間で、俺はもう彼女のことが好きになりかけていた。
正確には、“この人と結婚したらどうなるだろう”という想像が始まっていた。
話しやすそうだ。
変に人を試さなそうだ。
穏やかな家庭になりそうだ。
それに、カフェラテの砂糖を一袋入れてから、少し考えて、さらに半分だけ足した。その半端な迷い方まで、なんだか良かった。
ここで、本来なら理性が働くべきだった。
観察期間。
一人目。
最適停止理論。
統計的優位。
それらが俺の背骨であるはずだった。
だが、理性は働いた。
問題は、別方向に働いたことだ。
そもそも、と俺は思った。
結婚において、本当に重要なのは“誰を選ぶか”なのか?
研究によると、恋愛結婚とお見合いや政略結婚の幸福度には、有意差がないという話がある。
つまり、選び方の形式そのものは、思っているほど結果を左右しない。
さらに、人間は選ばなかった道を過大評価する。
Aを選んで不幸になったとき、「Bを選べば幸せだった」と思い込む。しかし実際には、不幸になる人は、かなりの割合で、どちらを選んでも不幸になる。態度、言葉、生活習慣、配慮、責任感。幸福な結婚生活は、相手のスペックより、運用する側の能力に左右される。
実際、周囲の不幸な既婚者を見ればわかる。
妻の文句を言う男の多くは、たいてい本人も感じが悪い。会社でも雑だし、店員にも横柄だし、締切も守らない。そういう男が「嫁が冷たい」などと言っているのを見ると、いやそれは、かなりの割合で、お前が招いているだろう、と思う。
だとしたら。
極端な話、婚活で最初に会った女性と結婚しようが、百人目に会った女性と結婚しようが、幸せになれるかどうかは、そこまで変わらないのではないか。
重要なのは、“正しい一人を探すこと”ではない。
“出会った一人と、正しくやっていける人間であること”ではないか。
なんということだ。
秘書問題は間違っていない。
だが、適用対象が間違っていたのだ。
最適停止の問題ではなかった。
これは運用の問題だった。
俺はその場で、自分の思考の進化に軽く感動した。
数学を超えて心理学へ。
心理学を超えて人生論へ。
理論が理論を打ち倒し、俺を真理へ導いている。
「どうしました?」
綾瀬さんが言った。
「いや」
俺は居住まいを正した。
「少し、わかったことがあって」
「何がですか」
「結婚というものについて」
綾瀬さんは、カップを持ちかけたまま止まった。
まだ早い、と普通なら思うだろう。
だが“普通”はしばしば遅い。
人生は、判断の総体である。判断は鮮度が重要だ。鉄は熱いうちに打てと言う。婚活も熱いうちに打つべきだ。
俺は言った。
「あの、結婚しませんか?」
綾瀬さんは、数秒まばたきをした。
「はあ、初対面なんですけど」
「はい」
「まだ出会って20分くらいなんですけど」
「はい」
「はい、じゃなくて」
「理論的には、かなり妥当な提案です」
「理論」
「人は選択肢を過大評価します。でも幸福は、選択より運用に依存する。だから出会いの順番に大きな意味は――」
「ごめんなさい」
早かった。
拒絶が。
しかも綺麗だった。
途中で話を遮るのに、嫌な感じがほとんどない。断り方まで感じがいい。なんなんだこの人は。
「いや、そうですよね」
俺は笑った。顔面の筋肉だけで作る、社会性の高い笑みだった。
「さすがに急すぎました」
「急すぎます。というか」
綾瀬さんは少し困ったように笑い、
「キミ、なんか疲れそう」
と言った。
疲れそう。
その一言は、思っていた以上に深く刺さった。
なぜなら、否定しづらかったからである。
その後の会話は、表面上は穏やかに続いた。
映画の話をした。
仕事の話をした。
好きな食べ物の話もした。
綾瀬さんは親切で、最後まで露骨に気まずくはしなかった。だが、もう流れは死んでいた。
駅で別れたあと、俺はまっすぐ帰らず、公園のベンチに座った。
三月の風が、ちょうど人を少しだけみじめにする温度だった。
スマホを開く。
婚活アプリのメッセージ画面。
まだ消えていない会話履歴。
さっきまで実在していた希望の残骸。
ここで大事なのは、感情に負けないことだ。
人間は、失敗した直後ほど、誤った学習をしやすい。
俺はベンチで姿勢を正し、深呼吸して、分析に入った。
まず、今回の失敗は、プロポーズそのものではない可能性がある。
プロポーズは単なる露出であり、本質はその手前にある認知だ。
つまり彼女は、俺の提案内容ではなく、俺の“運用コスト”を見抜いたのだ。
疲れそう。
これは重要なデータである。
たとえば企業が採用面接をするとき、能力だけでなく、一緒に働いたときの摩擦コストを無意識に見積もるという。結婚も同様だろう。相手がどれほど誠実でも、どれほど理屈が正しくても、日常の中で毎回プレゼンしてきそうなら、それはもう幸福度に関わる。
つまり今回、俺は女性選びに失敗したのではない。
第一印象設計に失敗したのだ。
これは大きな進歩だった。
さらに言えば、初手で断られたことにも利点がある。
行動経済学では、早い損切りは資源配分を改善する。傷が浅いうちに撤退できた。よって、これは実質的な成功である。
また、認知的不協和の観点から見れば、人は自分の選択を正当化する傾向がある。綾瀬さんも今ごろ、「断って正解だった」と思っているだろう。だがそれは、俺を断ったからそう思っているのであって、俺に本質的欠陥があることの証明にはならない。
よし。
かなり立ち直ってきた。
俺はノートを開いた。
一人目のページを作る。
『綾瀬さん』
名前を書いて、少し止まる。
それから項目を並べた。
『会話のしやすさ:高』
『安心感:高』
『笑顔の自然さ:高』
『疲れそう判定:あり』
『初回プロポーズ適性:低』
『現時点での最高値:更新』
書き終えてから、俺はしばらくその文字を見ていた。
現時点でダントツの最高値。
当たり前だ。
一人しか会っていないのだから。
だが、その当たり前が、妙に切なかった。
スマホが震えた。
岡部からだった。
『どうだった?』
俺は少し考え、返信した。
『有意義な初期サンプルだった』
『なるほど、ダメだったんだな』
『違う。女性が結婚相手に求めるのは、最適性より低疲労性だと判明した』
『お前、たぶんそこじゃない』
『次は改善する』
『何を?』
『理論の見せ方を』
送信して、すぐ既読がついた。
『見せない方向で改善しろ』
そのメッセージを見て、俺は少し笑った。
たしかに、それは盲点だったかもしれない。
恋愛や結婚において、人はしばしば“正しいこと”より“めんどくさくないこと”を選ぶ。
これは悲観すべき現実ではない。むしろ、成熟した社会性の表れとも言える。
毎日を一緒に過ごす相手として重要なのは、思想の精密さではなく、言葉の温度、間の取り方、コップを置く音量、疲れている日にかける一言、そういう微細な運用なのだろう。
つまり、結婚の本質は選択理論ではなく、摩擦係数の管理にある。
そこまで考えて、俺はベンチから立ち上がった。
次は、ちゃんとやろう。
最初に結婚を申し込むのではない。
まずは相手の話を聞く。
理論は胸の内にしまう。
比較表も初回では見せない。
幸福度モデルの話もしない。
少なくともデザートが来るまでは。
駅へ向かって歩きながら、俺は妙にすっきりしていた。
失恋ではない。
学習である。
しかも、かなり質の高い学習だ。
人は、失敗した出来事ほど、意味づけによって前進へ変えられる。
そう、これは単なる拒絶ではない。
自己認識の更新だ。
恋愛市場における俺という商品の、改善ポイントが明らかになっただけである。
春の風が吹いた。
さっきより少しだけ寒くなかった。
俺はスマホを開き、婚活アプリのプロフィール編集画面を出した。
自己紹介文の最後にあった一文を、そっと消す。
『統計と心理学が好きです』
いや、好きなのはべつにいい。
問題は、出し方だ。
少し考えて、新しく書いた。
『話しやすいと言われます』
嘘ではない。
まだ、誰にも言われたことはないだけだ。
保存を押したあと、俺は小さくうなずいた。
これでいい。
合理性とは、現実に合わせて柔軟に更新されるべきものだ。
秘書問題も、心理学も、行動経済学も、きっと無駄ではない。
ただ、初対面のカフェで「結婚しませんか?」の直後に語るには、少しだけ早すぎたのだ。
そう、パーフェクト・プランは常に変化する構造を内包する。
「完璧」と「変化」は対立概念ではないのだ。
たぶん次は、もう少しうまくやれるだろう。
まあ、二人目でプロポーズするかどうかは、会ってみてから決めるが。




