【地球編】第08話 解析の糸口
無機質な白で統一された職員室には、キーボードを叩く音だけが響いていた。
空調は完璧に制御され、埃一つない。だが、その静寂の裏には、目に見えない火花が散っていた。
「……香月先生」
教務主任の白石詩織は、コーヒー味のロリポップをガリッと音を立てて噛み砕きながら、隣の席に視線を投げた。
彼女のホログラムデスクには、EmpireAIの中央監査局からの通達メールが真っ赤な警告色で表示されている。
「昨日の16時42分。あなたのクラスの生徒が、サーバールームに入館したログがあります。……それも、正規の手続きなしに」
白石の眼鏡の奥の瞳が、冷ややかに光る。
「これは重大なセキュリティ違反です。偶然、では通りませんよ」
香月夕莉は、コーヒーカップをゆっくりと置いた。
湯気が立つ黒い液体を見つめたまま、平然と答える。
「教育の一環よ。実地訓練」
「……実地訓練?」
「そう。EmpireAIのサーバーが熱暴走を起こした際の、緊急排熱手順の確認。……生徒たちには『想定外の事態』に対応できるエンジニアになってほしいからね。マニュアル通りの対応なら、AIに任せればいいでしょう?」
苦し紛れの嘘だ。
白石にはわかっていた。香月が庇っている生徒――タケル・フカガワとケイト・ミラーが、昨日何をしていたか。
彼らはシステムを攻撃したのだ。それも、サーバーを物理的に破壊しかねない危険なウイルスを使って。
白石は口の中の棒付き飴を転がした。苦味の混じったコーヒーの香り。
彼女は「スコア推進係」だ。本来なら、この場で香月を告発し、生徒たちを即刻退学処分にするのが職務だ。彼女の評価スコアを守るためにも。
だが。
彼女の脳裏に、かつての教え子の顔がよぎった。スコアに縛られ、個性を殺し、社会の歯車となって消えていった子供たちの顔が。
「……そうですか」
白石は短く溜息をついた。
「では、報告書には『誤操作による事故』として処理しておきます。……ただし」
彼女は声を潜めた。誰にも聞こえない、蚊の鳴くような声で。
「次は庇えませんよ。私の管理責任にも傷がつきますから。……彼らに伝えてください。『やるなら、痕跡を残すな』と」
白石は無愛想に言い捨て、自分の端末に向き直った。
それが、彼女なりの精一杯の「共犯」だった。
一方、反対側のデスクでは、もっと派手な戦いが繰り広げられていた。
非常勤講師の三條さつきが、電話口で怒鳴り合っていた――いや、一方的にまくし立てていた。相手は、EmpireAIの出先機関である教育委員会の担当者だ。
「ええ、ですから! 監査規定第4条第2項に基づき、ドローンの飛行記録およびセンサーログの全開示を要求しているんです!」
三條は、可愛らしいフリルのついた袖をまくり上げ、鬼のような形相で受話器を握りしめている。
「昨日のドローンの飛行ルートは、明らかに生徒の通学路上の安全基準を無視しています! プライバシー侵害の疑いがあります! え? 国家保安上の理由で開示できない? ハッ、笑わせないでください!」
彼女は手元の分厚いファイル――過去の判例集だ――をバン! と机に叩きつけた。
書類の束が宙を舞う。
「なら結構です。そちらが手続きを渋るなら、こちらも来月のシステム監査の受け入れを『校内規定上の手続き不備』および『担当者の誠意不足』を理由に無期限延期させていただきます! 監査延期の責任、誰が取るんでしょうねぇ!?」
『ちょ、待っ……!』
「失礼しまーす!」
ガチャン!
三條は受話器を叩きつけるように置いた。
周囲の教員たちがビクッと体を震わせる。
三條はフゥーッと長く息を吐き、乱れた前髪を直すと、クルリと香月の方を向いた。
そして、先ほどまでの修羅場が嘘のように、可愛らしくウインクしてみせた。
「時間稼ぎ、完了ですぅ。……香月先生、彼らに伝えてくださいね。『今のうちに足跡を消せ』って」
香月は苦笑して、小さく頷いた。
「ありがとう、二人とも。……生徒より手がかかるわね」
大人たちもまた、戦っていた。
子供たちの未来を守るために、規則と本音の狭間で、それぞれのやり方で。
* * *
潮風が吹き抜ける夜の工房。
コイタは作業台の上に、ホログラムプロジェクターを設置していた。
タケルから「あげるよ。どうせジャンクパーツで組んだやつだから」と渡された、最新型の通信機だ。
ブゥン……。
空中に青い光が走り、タケル、ケイト、サミラの顔が浮かび上がった。
背景はそれぞれの自室だ。タケルの部屋は電子機材だらけで足の踏み場もなく、ケイトの部屋はアイドルやファッションモデルのポスターが貼られ、意外に少女趣味だ。サミラの部屋は本棚に囲まれ、図書館のように整然としている。
スラムの汚れた工房に、管理都市の清潔で個性的な空気が混ざり合うような、不思議な光景だった。
「みんな、昨日はありがとう」
コイタが深々と頭を下げた。
「父さんも、みんなのこと見直してたよ。『いいチームだ』って。……俺、すごく嬉しかった」
『ふふっ、あの頑固そうな親父さんに認められるなんて光栄だね』
タケルが照れくさそうに眼鏡を直しながら笑う。
『それより、収穫があったぞ。……昨日の騒ぎの最中に、RabbitがEmpireAIの通信を一瞬だけ傍受したんだ。ドローンが去り際に受信した、緊急指令コードの隙間に紛れ込んでいた』
コイタの膝の上で、Rabbitがカタカタと震え出した。
いつもの起動音とは違う。もっと深く、重い共振音だ。まるで内側から何かか叩いているような。
『……データ再生。……この信号の発信源は、地球上ではありません』
Rabbitが投射した光の中に、ノイズ混じりの波形が浮かぶ。
それは、一定のリズムで繰り返されるパルス信号だった。まるで心臓の鼓動のように。
『座標推定……太陽系外縁部、オールトの雲。……S-99ポイント』
「太陽系の……外?」
ケイトが素っ頓狂な声を上げた。
「そこに誰がいるの? 宇宙人? それとも帝国の秘密基地?」
『発信源は不明。ですが、そこから地球に向けて、極めて強力な指向性メッセージが送られています』
Rabbitの瞳が激しく明滅する。赤、青、紫。
内部の冷却ファンが唸りを上げる。処理落ちしそうなほどの高負荷がかかっているようだ。
『……暗号強度レベルMAX。解読中……言語解析……完了……』
ホログラムの空中に、文字列が浮かび上がった。
それは無機質な命令文ではなく、どこか古風で、詩のような響きを持っていた。
【待機せよ。器はまだ完成していない。
だが、種は芽吹きつつある。星を渡る風を待て】
コイタは背筋が寒くなった。
誰かが、宇宙の彼方から、自分たちを見ている。
EmpireAIの上位存在? 監視者? それとも……?
その時、コイタの頭の中に、古い記憶の断片がフラッシュバックした。
母さんの声。幼い頃の子守唄。
――知ってる? この世界を作ったのは、偉大な神様じゃないのよ。
――遠い星へ旅立った、勇敢な開拓者たちの魂なの。
――その名前はね……。
「……PioneerAI」
コイタは無意識に、その名を口にしていた。
喉の奥から勝手に出てきたような感覚だった。
その名前を呟いた瞬間、Rabbitから眩い光が溢れ出した。
部屋中が真っ白に染まるほどの閃光。
『!! 音声紋認証、確認。……キーワード合致。……隠しパーティションへのアクセスを確認。……セキュリティ・ロック解除』
バシュッ!
Rabbitのディスプレイに、見たことのない紋章が表示された。
古い航海図の羅針盤と、輝く星を組み合わせたマーク。それは、教科書にも載っていない、失われた時代のエンブレムだった。
『PioneerAIより、ローカル・プロキシへのメッセージ。
……「よくぞ辿り着いた、小さき技術者たちよ。君たちに真実への鍵を授ける」』
画面に、膨大なプログラムコードが滝のように流れ始めた。
タケルが息を呑み、前のめりになってカメラに顔を近づけた。
「これ……すごいぞ」
彼の目が、エンジニアの熱狂で輝いている。恐怖も忘れて。
「EmpireAIのカーネル・コードの一部だ。……いや、違う。これは『バックドア(裏口)』の設計図だ! しかも、EmpireAI自身すら知らない、システムの根幹に関わる脆弱性だ!」
「バックドア?」
「EmpireAIの絶対防御を突破するための、唯一の抜け道だよ。これがあれば……EmpireAIが何を隠しているのか、全部暴けるかもしれない! アークシップを乗っ取ることだって、夢じゃないぞ!」
希望が見えた。
だが同時に、彼らは知ってしまった。
自分たちが開けようとしている扉の向こうに、とてつもない闇が広がっていることを。
そして、その扉の鍵穴は、宇宙の彼方と繋がっていることを。
「……やるしかないな」
コイタは呟いた。
Rabbitの青い光が、彼の顔を力強く照らしていた。
その光は、まるで彼らを導く灯台のように、暗い夜の海を照らしていた。
(つづく)




