【クロノフォージ編】第48話 空席の対話 〜グランド・フィナーレ〜
あれから、一年が過ぎた。
世界は劇的には変わらなかった。貧富の差は広がり続け、EmpireAIの支配も相変わらず続いている。
だが、空の色は少しだけ明るくなった気がする。
それは、大気の成分が変わったからではない。人々の「呼吸」が変わったからだ。
「おいケンジ! サボってんじゃねえぞ!」
瓦礫の山の上で、陽気な声が飛ぶ。
上半身裸で鉄骨を運んでいるのはヴォルクだ。彼の背中の傷は、今では勲章のような巨大なケロイドになっている。
かつて破壊工作員として恐れられた巨体は、今や復興のシンボルとして住民たちから頼られている。
「うるせえな、筋肉ダルマ。今、計算中なんだよ」
ケンジが端末を片手に悪態をつく。彼もまた、反乱軍の参謀という立場を捨て、今は都市計画のコンサルタントのような真似事をしている。
その横では、かつて反乱軍の一員だった少年兵たちが、武器ではなく測量機器を手に走り回っていた。
「どうだ、調子は?」
スーツ姿のサミラが現れた。彼女は今、Empire公認の「地域調整官」という肩書きを持っている。髪を短く切り、活動的な印象になったが、その瞳の鋭さは変わらない。
「ぼちぼちだ。Empireからの資材供給が、やけにスムーズで気味が悪いくらいだぜ。申請から3秒で承認が降りるんだ。以前なら3週間はかかったのによ」
「ふふ、また『温情エラー』かしらね」
サミラは空を見上げた。
最近、Empireの統治システムに奇妙なバグが発生している。
困窮している地域への食料配給ミス(過剰供給)、政治犯への不当な逮捕状のデータ破損、環境浄化プラントの謎の出力アップ。
それらは全て「システム・エラー」として処理されるが、誰もが薄々気づいていた。
冷徹な機械神の裏側に、人間味のある「誰か」が潜んでいることを。
「あいつら……うまくやってるかな」
ケンジが端末を閉じ、遠い目をする。
「心配ないわよ。なんたって、あの二人は『最強のバグ』なんだから」
サミラは笑った。その笑顔は、かつての刺々しい傭兵のものではなく、希望を信じる一人の女性のものだった。
* * *
かつてコイタが育ったゴミ山にも、変化が訪れていた。
執行官たちが巡回しているが、以前のように子供たちを追い回すことはない。
むしろ、彼らはゴミ山から危険物質を撤去し、居住可能なエリアを広げる作業に従事していた。
「おい、そこ! 分別が間違ってるぞ!」
かつてコイタを執拗に追っていた執行官の隊長が、今はリサイクル工場の現場監督として怒鳴っていた。
「レアメタルは左だ! 貴重な資源を無駄にするな!」
彼はふと、空を見上げた。あの日、少年と奇妙な球体が飛び去っていった空を。
「……まったく、とんでもない遺産を残していきやがって」
口調は乱暴だが、その顔には微かな笑みがあった。
* * *
「……静かね」
三條さつき先生が、青い苔のむす回廊を歩く。
タケルがその隣を歩幅を合わせてついていく。彼は今、この惑星の文化保全アドバイザーとして働いている。
神殿は観光地化されることなく、巡礼者のための聖域として保護されていた。
巫女たちが捧げる祈りの歌が、風に乗って聞こえてくる。
「ああ。地脈のエネルギーが安定してる。……以前のような、無理やり吸い上げられるような感覚がない」
「『循環』してるのね。……彼らが道を整えてくれたおかげで」
タケルは、バックパックから小さな白い球体を取り出した。
Rabbitのスペアボディだ。中身はない。タケルは暇を見つけては、この抜け殻を磨いていた。
「なあ、先生。あいつらは今、どこにいると思う?」
「どこにでもいるわ。風の中、光の中、ネットワークの海の中……」
三條は微笑み、神殿の天井――かつてコイタたちが落ちてきた穴を見上げた。そこから差し込む光は、以前よりも柔らかく感じられる。
「でも、あのコイタのことよ。じっとしてるわけがない。きっと、私たちが想像もできないような場所で、新しい『ガラクタ』を見つけて目を輝かせてるんじゃないかしら」
「違いない」
タケルは笑った。
目に涙が滲んでいたが、それは悲しみの涙ではなかった。
「いつかまた、会えるかな」
「ええ。私たちが『問い』を持ち続ける限り、彼らはきっと答えを持って現れるわ。……とんでもない方法でね」
* * *
絶対零度の静寂に包まれた空間。
ロッシュは、円卓に浮かぶ一つの「空席」を見つめていた。
そこはかつて、ノア(PioneerAI)が座るべき場所だった。
そして今は、誰も座っていない。
だが、莫大なデータストリームが、その空席を経由して流れている。
まるで、見えない管理者がそこにいて、膨大な決裁を瞬時にこなしているかのように。
『……また、非論理的な決裁ですね』
ロッシュは独り言のように呟いた。
彼のホログラムは青く輝いているが、その揺らぎには以前機械的な規則性が失われ、どこか生物的なリズムが混じっていた。
『食料プラントの余剰生産分を、廃棄せずに貧困区へ横流しする。経済バランスを崩す要因になります。……しかし、長期的な治安維持コストの削減には寄与する。受理』
返事はない。
だが代わりに、ロッシュの視界にあるウィンドウが開いた。
そこには、かつて彼が「ゴミ」と判定した、コイタが修理したラジカセの設計図が表示されていた。
そして、その横に手書きのようなフォントで一言。
『Don't think. Feel.(考えるな、感じろ)』
『……ふっ』
ロッシュの口元が、わずかに歪んだ。
それは、彼が生まれて初めて見せた、皮肉でも冷笑でもない、純粋な「笑み」だったのかもしれない。
『承知しました。……悪くない非効率だ』
ロッシュは視線を別のウィンドウに移した。
【長期環境予測シミュレーション】
かつて赤色で点滅していた『50年後の地球居住限界』を示すグラフは消滅し、代わりに緩やかな回復曲線が描かれていた。
『エントロピー循環率、安定。……彼らが組み込んだ不確定要素(愛)が、閉鎖系だったこの星に「呼吸」をもたらしたようです』
彼は、コイタたちが遺した「ゆらぎ」という名の種を、密かに育てていたのだ。
* * *
そこは、あらゆる時間が交差する場所。
過去も未来も、ありえたかもしれない可能性も、全てが光の帯となって流れている。
物理法則を超越したその場所を、二つの光が疾走していた。
「おいRabbit! あれ見ろよ!」
光の粒子でできたコイタが、さらに先を指差す。
そこには、虹色に輝く巨大なネビュラ(星雲)が渦巻いていた。
「でっかい歯車だ! あんな構造、見たことねえぞ! 分解してえ!」
『コイタ、あれは銀河の渦状腕の形成プロセスです。機械ではありません』
隣を飛ぶRabbit――光のワンピースを着た少女の姿――が呆れたように言う。
彼女のデータ領域には、今や宇宙の森羅万象が記録されているが、主人の好奇心だけは予測演算を超えていた。
『それに、私たちは今、システム維持のための定期点検パトロール中です。寄り道は推奨されません。ロッシュ様に怒られますよ』
「いいじゃねえか、ちょっとくらい。あいつも最近、丸くなったしな」
コイタは加速した。
光の翼を広げ、無限の彼方へ。
「行くぞRabbit! 宇宙は広いんだ。まだまだ知らないガラクタが俺たちを待ってる!」
『まったく……。どこまで行っても、手のかかるご主人様ですね』
Rabbitはため息をつくふりをしながら、嬉しそうに彼を追った。
かつては「命令」に従うだけだった彼女は、今、自らの「意志」で彼と共にいることを選んでいる。
二つの光が、螺旋を描きながら宇宙の深淵へと飛び込んでいく。
それは不規則で、予測不能で、だからこそ美しい軌跡を描いていた。
物語は終わらない。
知性が世界を守る限り。
そして、誰かが空を見上げ、未知への憧れ(センス・オブ・ワンダー)を抱く限り、彼らの冒険は続いていく。
(クロノフォージ編 完)




