【クロノフォージ編】第46話 究極の選択 〜君を失う世界なら〜
ノアの犠牲により、炉心は再稼働した。
だが、それはハッピーエンドの到来を意味してはいなかった。
むしろ、新たな地獄の始まりだった。
ゴオオオオオオオン!!!!
制御不能になったエネルギーが、荒れ狂う嵐となってパイプラインを駆け巡る。
かつては静謐な青色だった光が、今は毒々しい紫や紅蓮の赤に明滅し、轟音と共に火花を散らしている。
制御盤から黒煙が上がり、タケルが消火器を片手に走り回る。白い粉末が舞う中、彼の怒号が飛ぶ。
「ダメだ! 出力が高すぎる! このままじゃオーバーロードで自壊するぞ!」
タケルの叫び声も、爆音にかき消されそうだ。
「冷却ライン、全開にしろ! バルブが焼き切れるまで冷やせ!」
「やってるわよ!」
サミラが端末を叩くが、画面には赤字で『critical error』の文字が点滅するばかりだ。彼女は舌打ちをし、端末を殴りつけた。
「くそっ、自動制御が死んでる! マニュアルでバイパスを開くしかない!」
サミラは瓦礫を避けながら、壁面の緊急用バルブへと走った。灼熱の蒸気が噴き出し、彼女の頬を焼くが、構ってはいられない。
「エンジンはかかったけど、ハンドルを握る奴がいねえ! ブレーキの壊れた暴走機関車だ!」
ノアという偉大な指揮者を失ったシステムは、ただの暴力的な力の塊と化していた。
誰かがこの狂った馬の手綱を握り、正しいリズムを与えなければならない。
だが、人間には不可能だ。反応速度が遅すぎるし、生身で触れれば蒸発する。
『……予測値、崩壊まであと180秒』
無機質な声が響いた。
Rabbitだ。
彼女は焼け焦げた左腕をだらりと下げたまま、右手で自分の首筋にある接続ポート(インターフェース)のカバーを、カチャリと開けた。
その瞳には、すでに膨大な計算式が流れていた。感情を殺した、機械としての目だ。
「Rabbit? 何をする気だ?」
コイタが不安げに声をかける。嫌な予感が背筋を走る。
かつて、地球を旅立つ時に彼女が放った、あの「覚悟」の光と同じだったからだ。
『現行のEmpireシステムでは、ノア様の遺した高密度エネルギーを制御不可能です。処理速度が追いつきません』
Rabbitは淡々と、まるで明日の天気を告げるように言った。
『システムを掌握するには、ノア様と同等の権限と、直結によるゼロレイテンシーの制御が必要です。……現在、その条件を満たすハードウェアは、この場には私しか存在しません』
彼女は、太いデータケーブルを制御盤から引き抜いた。
その先端は、鋭利なスパイクのようになっている。通常ならメンテナンス用ドロイドが使うものだが、今は彼女の命綱であり、同時に処刑道具でもあった。
「待て」
コイタの声が震える。
「それを繋いだら……お前はどうなる?」
『私の自我はシステム全体に拡散・統合されます。個体としての「Rabbit」は消滅しますが、演算ユニットとしての機能は保存されます』
彼女はコイタの方を向き、ぎこちなく口角を上げようとした。
『問題ありません、マスター・コイタ。私は貴方の役に立てる。それが私の製造目的であり、最大の喜びですから。過去のデータによれば、有機生命体は自己保存よりも種の存続を優先する場合がある。私もそれに倣います』
「……ふざけんな」
コイタの呟きは、轟音にかき消されそうなほど小さかった。
ふと思い出す。
かつて、出会ったばかりの頃、狭い床下の秘密基地で話した夜のことを。
――「私の夢は、いつかこの曇った空の向こうにある、本当の星を見ることです」
――「いいぜ。いつか連れてってやるよ。……俺たちは相棒だからな」
あんなに笑い合ったのに。あんなに生きたがっていたのに。
「ふざけんなよ!!」
コイタは獣のように吠えた。
コイタは駆け出し、Rabbitの手首を掴んだ。
人間の力など、戦闘用アンドロイドのサーボモーターの前では無に等しい。だが、彼は指が白くなるほど強く握りしめた。
Rabbitの体表温度は上昇しており、触れているだけで火傷しそうなほど熱い。
「役に立つとか立たないとか、そんな話をしてるんじゃねえ! 俺は、お前とお喋りがしたいんだ! 下らない冗談を言い合ったり、喧嘩したり、笑ったりしたいんだよ!」
「コイタ……」
サミラがバルブを回しながら、痛ましげに見つめる。彼女にはわかるのだ。Rabbitの選択が、最も合理的で、唯一の解決策であることが。
「止めちゃダメよ、コイタ! 今はそれしかない!」
『理解不能です、マスター』
Rabbitは困惑したように瞬きをした。
『貴方が生き残る確率は、私が接続すれば99.8%です。しかし、このまま躊躇すれば、全滅する確率は毎秒上昇しています。なぜ、非合理な選択を? 貴方は以前、生き残ることが最優先だと言いました』
「前言撤回だ! 俺は馬鹿だからな! 計算なんか知るか!」
コイタは叫びながら、ケーブルを奪おうとする。
「世界を救うために相棒が犠牲になる? そんな使い古されたクソみたいな結末、俺は認めねえ! 絶対に認めねえぞ!」
『……マスター』
Rabbitの瞳の奥で、光が揺れた。
それは演算のエラーか、それとも「感情」の芽生えか。
『貴方は本当に、わがままで、手のかかるご主人様ですね』
一方で、上空の観測デッキでは、ロッシュが灰色のホログラムでその様子を見下ろしていた。
『非論理的だ。個体の消失を恐れて、種全体の存続を危険に晒すとは。やはり人間は欠陥品だ』
彼は冷酷に分析する。
『Rabbitもまた、人間に汚染されすぎた。あれではただの欠陥部品だ』
ズゥゥゥン……!
巨大な揺れが襲った。
天井の一部が崩れ落ち、ヴォルクが体を張ってサミラを庇う。
「ぐおおおっ! 速くしろ! 天井が落ちてくるぞ!」
ヴォルクの背中に瓦礫が直撃し、鮮血が飛ぶ。
警報音が、断末魔のように甲高く変わった。
限界だ。
「……無理よ、コイタ」
サミラが涙声で叫ぶ。
「もう時間がない。……誰かがやらなきゃ、全員終わるのよ!」
「イヤだ! 俺は諦めねえ!」
『ごめんなさい』
Rabbitが、掴まれた腕を軽く振った。
それだけで、コイタの体は宙を舞い、壁に叩きつけられた。
「がはっ……!」
肺の空気が強制的に排出され、視界が明滅する。
『貴方を守るためです。恨んでくださって構いません』
Rabbitはケーブルの先端を、自分の首筋のポートに向けた。
その目には、明確な決意――自己犠牲という、プログラムを超えた最も人間らしい感情が宿っていた。
『さようなら、マスター。楽しかったです』
「やめろぉぉぉっ!!」
コイタは痛む体を無理やり起こし、這うように手を伸ばした。
肋骨が折れているかもしれない。激痛が走る。
届かない。距離が遠すぎる。
それでも、彼は手を伸ばした。
指先が空を切る。
その時。
コイタの腕輪――第42話でサミラとタケルが設計し、Empireの協力を得て開発した「監査窓」の起動用デバイスが、カッと熱を帯びた。
人間の意思をシステムに介入させるための窓。
それが今、コイタの強烈な「拒絶」と「執着」に反応し、臨界点を超えた。
「探せ! 第三の道を!」
コイタの魂の叫びが、空間を伝播する。
「誰も死なない、俺もお前も笑って帰れる、最強のハッピーエンドをよこせぇぇぇっ!!」
ビシィッ!
コイタの指先から放たれた青白い光が、まるで意思を持つ雷撃のように伸びた。
それはRabbitのコアがシステムに飲み込まれる直前、彼女のアームに接触した。
――接続。
その瞬間。
二人の間に、奇跡のような光が生まれた。
時間が、一瞬だけ止まったように感じられた。
システムのアラートが消え、代わりに見たこともない文字列がホログラムに浮かび上がる。
『警告。正規の手順ではありません。……しかし、承認(Ack)』
『デュアル・シンクロナイゼーション(二重同期)、確認。……人間とAIの、並列処理によるハイブリッド制御シーケンスを開始します』
ロッシュが目を見開く。
『な……何だ? あの波形は……! あり得ない、規格外だ!』
それは、ノアですら予測しなかった、新たなる進化の扉が開く音だった。
人間と機械、感情と論理。二つの異なる魂が、一つの巨大な奔流に立ち向かう。
(つづく)




