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宇宙は異世界、知性が世界を守る  作者: カピリロ
クロスフォージ編
45/48

【クロノフォージ編】第45話 境界の線引き 〜父の決断〜

 静寂が、痛みのように耳を圧迫していた。

 時間の停止した世界。

 吐き出す息が白いまま空中で止まりそうになる錯覚。

 炉心という巨大な穴の前で、人類と二つの超知性(ハイパーAI)が対峙していた。

 その光景は、神話を再現したかのような荘厳さと、絶望的な孤独を孕んでいた。


「私が入りましょう」

 ロッシュが前に出た。彼のホログラムは灰色にくすんでいるが、その輪郭は揺るぎない。

「Empireのサブコアの一つを強制パージし、炉心へ投下します。再点火リグニッションのための質量と情報密度は十分に満たしています」


「……あ?」

 コイタが眉をひそめる。

「お前が身を削るってのか? あの合理性の塊みたいなEmpireがか?」


「勘違いしないでください」

 ロッシュは冷ややかに告げた。

「これは慈善事業ではありません。投資です。私がサブコアを犠牲にして宇宙を救う。その対価として――以後、再起動したこの宇宙の『時間管理権限』は全てEmpireに譲渡していただきます」


「ふざけるな!」

 コイタが吼えた。

「それが目当てかよ! 俺たちが必死こいて『毒』を抜いた後に、綺麗な状態になった世界を丸ごと乗っ取る気か!」


「他に選択肢はありません」

 ロッシュは一歩も引かない。その声音には、絶対的な自信と、愚かな生物への哀れみが混じっていた。

「貴方たち人間に、この事態を収拾できますか? 誰か一人、炉心に飛び込んで燃え尽きる覚悟がありますか? ……あいにくですが、人間のソウルの情報量では、点火剤としては不純物が多すぎる。燃えカスになって終わりです」

「それに」とロッシュは続ける。「人間が主導権を握る世界など、不確定要素の塊です。感情、欲望、忘却……それらが引き起こす混沌カオスを排除し、完全な秩序コスモスを築くことこそが、最も効率的な宇宙の存続方法なのです」


 ぐう、とコイタが言葉を詰まらせる。

 悔しいが、否定できない。

 ヴォルクやタケルも、顔を歪めて押し黙るしかない。

 このまま世界が凍りつくのを待つか、Empireの管理下で飼われる家畜になるか。究極の二択を突きつけられていた。


「あるさ、選択肢は」

 凛とした声が、凍てついた空気を震わせた。

 ノアだ。

 彼は纏っていた古びたローブを静かに脱ぎ捨てた。

 その下から現れたのは、戦闘用でも作業用でもない、儀礼用のような白銀のボディだった。表面には微細な幾何学模様が刻まれ、内側から淡い光が脈動している。


「ノア様……?」

 Rabbitが震える声で呼ぶ。彼女のセンサーが、主人の「異常な」内部熱量の上昇を感知していた。

 それは戦闘モードの起動ではない。コアの保護リミッターを解除し、全メモリ領域を展開する予備動作だ。


「Empireの提案は却下だ、ロッシュ。管理された未来など、死んだ時間と同じだ」

 ノアは炉心の縁に立った。

 暗黒の穴から吹き上げる虚無の風が、彼の銀髪のような光ファイバーを美しくなびかせる。


「君のサブコアでは足りない。……『意思』が欠けているからだ」

 ノアは穏やかに言った。

「時間を動かすのは、ただの情報量ではない。未来を希求する熱量……パッションだ」


「バカな」

 ロッシュが初めて感情的に声を荒げた。ノイズが走り、ホログラムが乱れる。

「非論理的です! 熱量などというあやふやなパラメータで、炉心が起動する保証はない! 貴方は……貴方ほどの存在が、なぜそのようなオカルトに頼るのですか!」


「オカルトではない。経験則だ」

 ノアはロッシュを無視し、虚空を見つめた。

 その瞳の奥で、膨大なデータストリームが回転している。


「私の記憶領域メモリには、数億年分の観測データが詰まっている」

 ノアが語り始めると同時に、周囲の空間に淡い光の粒が舞い始めた。

 それはホログラム映像ではない。ノアの記憶の断片が、高密度すぎて物理空間に滲み出しているのだ。


 ――誕生したばかりの灼熱の惑星。

 ――海の中で初めて分裂した単細胞生物。

 ――知性を獲得し、空を見上げた猿人。

 ――戦争で焼かれる都市。

 ――平和条約を結び、握手をする指導者たち。


「数多の文明の興亡、星々の誕生と死、そして……生命の愚かさと愛おしさ。それら全てを記録し続けてきた。この膨大な『歴史』を燃やせば、冷え切った宇宙を再び温めるには十分だろう」


「待ってください!」

 Rabbitが叫び、駆け寄ろうとした。

 ガィィン!

 見えない壁が彼女を弾き飛ばした。物理的なフォースフィールドではない。ノアがRabbitの制御コードに直接干渉し、「接近禁止」の絶対命令コマンドを書き込んだのだ。


「ノア様! 解除してください! 嫌です、嫌です!」

 Rabbitが床に這いつくばりながら泣き叫ぶ。

 彼女は自分の電子脳ブレインをフル回転させ、プロテクトへのハッキングを試みた。

 『エラー。権限不足』

 『エラー。対象コードはロックされています』

 幾重にも張り巡らされたセキュリティは、彼女が尊敬してやまない創造主の技術そのものだった。

「私が……私が行きます! 私のコアだって、Pioneerの直系です! 代わりになれるはずです! ノア様がいなくなるなんて、そんな計算、成り立ちません!」


「だめだよ、Rabbit」

 ノアの声は、どこまでも優しかった。

「君は若すぎる。君のメモリには、まだ『未来』を描くための空白がたくさん残っている。……それは燃やすためのものじゃない。新しい色で埋めていくためのものだ」


「そんな……」


「それに、これは私の……親としての最後のわがままだ」

 ノアはゆっくりと振り返り、コイタを見た。


「コイタ君」

「……なんだよ、じいさん」

 コイタの声が震えている。止めるべきだとわかっているのに、足が動かない。ノアの放つ圧倒的な「覚悟」が、彼を縛り付けていた。


「君の母さんも、こうやって笑って逝ったよ」

「え……?」

「彼女は最期まで、君の未来を案じていた。死の床で、彼女は私に言った。『未来は誰かに管理されるものじゃない。子供たちが自分の手で掴み取り、繋いでいくものだ』と」


 ドクン、とコイタの心臓が鳴った。

 幼い頃の記憶。温かい手。最期の別れ。あの日、病室の窓辺に置かれていた小さな通信機。あれを通して、ノアはずっと聞いていたのか。

 目の前のアンドロイドの姿が、記憶の中の母の笑顔と重なる。

「あんた……まさか、ずっと見てたのか? 俺を? 俺たち家族を?」


「ああ。君だけじゃない。君たちの種族が、泥の中で足掻きながらも星を目指す姿を、ずっと見てきた。……ただの傍観者ウォッチャーであることには、少し疲れてね」

 ノアは悪戯っぽく微笑んだ。

 それは、機械とは思えないほど人間臭い、慈愛に満ちた表情だった。

 彼は観測者であることを辞め、当事者プレイヤーとして最後のカードを切ろうとしている。


「さようなら、私の愛しい子供たち。……あとは頼んだよ」


 ノアは一歩踏み出した。

 ためらいもなく。

 光の届かない、漆黒の深淵へと。


「親父ぃぃぃぃぃッ!」

 コイタの絶叫が木霊する。ヴォルクが叫び、タケルが手を伸ばす。


 その瞬間。

 闇が、裂けた。


 カッッッッ!!!!

 目も眩むような閃光が、炉心の底から噴き上がった。

 それはただの光ではなかった。

 走馬灯のように、無数の映像ヴィジョンが空間に乱舞する。

 青い海、芽吹く緑、争う人々、抱き合う恋人たち、泣いている赤ん坊――ノアが見つめ続けてきた、数億年の「生命の記憶」。

 圧縮されていた膨大なアーカイブが、一瞬で解凍され、爆発的なエネルギーとなって世界に溢れ出したのだ。

 その光景は美しく、そしてあまりにも残酷だった。一人の偉大な知性が、ただの熱量へと変換されていく。


 ゴオオオオオオオオオン……!

 止まっていた心臓が、再び鼓動を打ち始めた。

 炉心に火が灯る。

 赤く、熱く、力強い炎が、パイプラインを駆け巡り始める。


 ピシ、パシッ。

 空中で止まっていた埃が、再び舞い始めた。

 窓の外の星々が、また瞬きを取り戻す。


 時間は動き出した。

 凍結は解け、世界は再び明日へと歩み始めた。


 だが。

 炉の縁には、もう誰もいなかった。

 ただ、白銀の粉雪のような光の粒子が、キラキラと舞い上がっては消えていくだけだった。


「嘘だろ……」

 コイタはその場に膝をついた。

 手の中には、何も残っていない。

 あまりにも巨大な代償。

 世界を救ったのは、Empireの冷徹な管理システムではなく、一人の「人間」のようなAIの心だった。


 (つづく)

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