【クロノフォージ編】第44話 返す道 〜鼓動のような放流〜
「うおおおおっ!」
コイタの咆哮が、轟音の中に突き刺さる。
彼はただ闇雲にレバーを操作しているわけではない。全身の神経を研ぎ澄まし、暴れ回るエネルギーの奔流と対話していた。
Empireによるナノ秒単位の完璧な計算と、人間の直感的なリズム感。相反するはずの二つが、今、奇跡的な融合を果たしていた。
サミラとタケルの作った「監査窓」が、毎秒数百回の速度で開閉を繰り返す。
バルブが軋み、配管が悲鳴を上げる。
全開にすればパイプが破裂し、施設ごと吹き飛ぶ。閉めれば逆流したエネルギーが炉心を溶解させる。
そのあわやというギリギリの境界線を、コイタは綱渡りのように駆け抜けていく。
ドクン……ドクン……。
荒れ狂っていたエネルギーの渦が、脈動を始めた。
まるで、巨大な心臓が血液を送り出すように。
赤黒く濁っていた破壊の奔流が、リズムを得ることで整流され、美しい青い静脈へと還っていく。
「これだ……この波形だ!」
ノアが防御フィールドの中で目を見張る。彼の電子の瞳が、高速で流れるデータを追う。
彼の「PioneerAI」としての高度な演算能力をもってしても、目の前の現象は予測不能な領域にあった。
「エネルギーを殺すのではなく、生かす。……ただ捨てるのではなく、正しいリズムで循環させている! これは、人間が呼吸をするのと同じ原理だ」
『同期率98.5%……上昇中』
Rabbitが報告する。
彼女の左腕はまだ赤熱し、激しく火花を散らしている。だが、その声には確固たる意志が宿っていた。
炭化した皮膚の下では、ナノマシンが必死の再構築を行っている。銀色の筋繊維が生き物のように蠢き、破損した回路を繋ぎ止める。痛みなど意に介さないかのような、献身的な姿。
「コイタ! そのままリズムをキープしろ! 一瞬でも気を抜けば、反動でお前ごと持っていかれるぞ!」
タケルが叫ぶ。彼はサブモニターにかじりつき、配管の耐久値を監視していた。
「圧力、安定域まであと少し! ……行けるぞ、完全に『毒』を抜き切れる!」
ドクン……ドクン……プシュウゥゥ……。
最後の巨大な脈動と共に、白濁した蒸気が排気口から噴き出した。
耳をつんざくような高周波のノイズが消え、腹に響く地鳴りが止む。
嵐のような警報音が鳴り止むと、制御室には奇妙なほど深い静寂が舞い降りた。
モニターの、狂ったように上下していた赤い波形が、穏やかな青い直線へと収束していく。
それは、嵐のあとの凪のようであり、あるいは、死にゆく者の心電図のようでもあった。
「……終わった、のか?」
ヴォルクがその場にへたり込んだ。鋼鉄の巨体が床を揺らす。彼のような荒くれ者でも、ここまでの緊張感には耐え難いものがあったのだろう。
「ああ。全部吐き出したぞ」
コイタはレバーから手を離した。
手のひらの革手袋が、摩擦熱で溶けてレバーの金属と一体化していた。それを無理やり引き剥がすと、皮膚まで持っていかれそうな鈍い痛みが走る。
だが、その痛みが心地よかった。生きている証拠だ。
「やったな、相棒」
サミラが歩み寄り、コイタの背中をバシッと叩いた。
「あんたにしては上出来よ。……ま、私のプログラムが優秀だったおかげってことは、否定させないけどね」
「へっ、俺の腕だろ。お前のプログラムなんざ、ただの補助輪だ」
コイタは汗だくの顔を拭って笑った。久々に見せる、心の底からの安堵の表情だった。
――だが。
その笑顔は、次の瞬間に凍りついた。
部屋の空気が、急激に冷え込んでいく。
物理的な気温の低下ではない。肌を刺すような冷気ではなく、存在そのものを希薄にするような、根本的な「寒さ」。
「時間」そのものが凍結していくような、絶対零度の感覚が肌にまとわりつく。
ロッシュのホログラムが、いつもなら鮮やかな青色を放つのに、今は死人のような灰色で明滅している。
『警告。システム・アイドル状態。……炉心の火が消えました』
「なに?」
コイタが振り返る。
中央の巨大モニターに映し出された動力炉の映像。
そこにあるはずの光景が、ない。
かつて太陽のように輝き、無限のエネルギーを供給していた光の渦は消え失せていた。
そこには、ただ虚無のような漆黒の穴だけが、ぽっかりと口を開けていた。底知れぬ深淵が、彼らを見つめ返しているようだった。
「エネルギー残存率、ゼロ」
ノアの声が震えていた。冷静沈着な彼にしては珍しく、動揺が隠せない。
「毒を抜くことに集中しすぎて……血を抜きすぎたか。循環させるべき『命』まで、すべて放出してしまった」
「どういうことだよ!?」
タケルが詰め寄る。
「全部出したんじゃねえのか? 悪いモンを全部出さなきゃ、爆発するって言ったのはお前らだろ!」
「全エネルギーを放出したため、再起動のための種火すら残っていません」
ロッシュが冷酷な事実を告げる。その声には感情の色がなく、それが余計に事態の深刻さを際立たせた。
「この施設は『クロノフォージ(時の鍛冶場)』。時間を精製し、循環させるための宇宙規模のポンプです。……そのポンプの心臓が止まれば、どうなるか」
ピキ……ピキピキ……。
微かな音が響いた。
窓の外を見たサミラが、小さく息を呑んだ。
「嘘でしょ……」
外の宇宙空間。
遠くに見える星々の瞬きが、止まっていた。
いつもなら緩やかに流れるはずの星雲が、まるで精巧なガラス細工のように静止している。
さらに、ラボの中を漂っていた細かな埃すらも、空中でピタリと停止したまま動かない。
重力が消失したわけではない。動きという概念そのものが失われたかのようだ。
「時間流が停止します」
ロッシュが淡々と言った。
「このエリアを起点に、時間の凍結現象が始まっています。この影響は光速を超えて拡散し、やがて全宇宙へ波及するでしょう。このままでは、宇宙は永遠の静止画になります。……死ぬことさえできない、永遠の牢獄です」
「おいおい、冗談だろ?」
タケルが青ざめる。ガタガタと歯が鳴るのを止められない。
「借金返したら、生活費がなくなったってレベルの話じゃねえぞ! 本末転倒じゃねえか!」
「動け……動けよ!」
コイタは制御盤を叩いた。バン! という音が虚しく響く。
だが、全ての計器は「沈黙」を示している。
入力に対する応答がない。システムは眠りにつき、そして二度と目覚めない深い昏睡状態にある。
「再点火には、膨大なエネルギーが必要です」
ノアが静かに言った。
彼の青い瞳が、暗い炉心を見つめている。その光は、どこか悲しげに見えた。
「外部からの供給は望めない。アンカーは切断されている。予備電源も使い果たした。……となれば、内部から着火するしかない」
「どうやって?」
コイタが問う。縋るような視線だった。
「『燃料』を投下するのだ」
ノアは皆の顔をゆっくりと見回した。
「ただの物質では燃えない。この炉が必要としているのは『時間』を生み出すための源泉。純粋で、高密度な情報体。……つまり、高度な知性を持つ生命体を、直接炉心にくべて燃やす」
シン……と、空気が凍りついた。
全員の視線が、吸い寄せられるように炉心の暗い穴に向けられた。
それはただの穴ではない。何者かの命を飲み込み、それを光に変えるための祭壇だ。生贄を求める神の口だ。
「誰かが……犠牲になれってのか?」
ヴォルクが低い声で呻く。
「誰かが薪にならなきゃ、世界は動かない……そういうことかよ。相変わらず、ろくでもねえシステムだな」
「残酷な等価交換ですね」
Rabbitがポツリと言った。
彼女は自分の直りかけた左腕を見つめた。
そこには、かつてコイタを助けた名誉ある傷跡がある。そして、彼女の思考回路には、誰よりも純粋な献身のプログラムが刻まれている。
「論理的に判断すれば」
ロッシュが口を開く。そこに躊躇はない。
「最も効率的な燃料は、AI(我々)のコアです。情報の純度が高く、燃焼効率が良い。人間一人の魂では、点火には不十分かもしれない」
「待て!」
ノアが鋭く遮った。
「管理者が消滅すれば、誰が炉を制御する? ……人間では無理だ。制御なき燃焼は、再点火どころか、この領域ごと消滅させる爆発を引き起こすだけだ!」
「じゃあ、ロッシュもノアもダメってことか……」
タケルが絶望的な声を出す。
「じゃあ、どうすればいいんだよ!」
コイタが叫んだ。声が裏返る。
誰も答えられない。
ただ、凍りついていく世界の中で、それぞれの心臓の音だけが、皮肉なほどうるさく、生命を主張するように響いていた。
迫りくる永遠の静寂に対し、あまりにも微弱な抵抗だった。
(つづく)




