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宇宙は異世界、知性が世界を守る  作者: カピリロ
クロスフォージ編
40/48

【クロノフォージ編】第40話 永遠の改良 〜同じ目線で話したい〜

 エネルギー放流の準備は難航していた。

 アンカーの圧力弁は、ナノメートル単位の精度で制御された多重ロック機構で守られている。

 本来なら、専用のメンテナンスドローンが数百機がかりで行う作業だ。それを手動で、しかも崩壊寸前の高重力下で行わなければならない。


「ダメだ、指が入らねえ!」

 コイタがスパナを投げ出しそうになって叫んだ。

 バルブの隙間はあまりに狭く、人間の手では届かない。

「Rabbit、お前のアームはどうだ?」


『試行しましたが、クリアランス不足です』

 Rabbitが球体ボディから細いマニピュレータを伸ばすが、先端のカメラユニットがつっかえてしまう。

『私の汎用アームでは、この「微細空間マイクロ・ギャップ」内での複雑な指先操作フィンガリングは不可能です。……申し訳ありません』


「謝るなよ。お前が悪いわけじゃない」

 コイタは汗を拭った。

 時間は刻一刻と過ぎていく。頭上のアンカーからは、不気味な唸り音が響き続けている。

「くそっ、あと少しなのに……! もっと小さくて、でも力があって、ピアノでも弾けるくらい器用な指があれば……!」


「……あるぞ」

 それまで黙ってコンソールを叩いていたノアが、顔を上げた。

「使える機体ボディがある」


 ノアは壁際にある重厚な扉のロックを解除した。

 プシューッという音と共に、冷却ガスが漏れ出す。

 そこは「第9機材保管庫」。

 中には、一本の透明なカプセルが安置されていた。


「なっ……人間!?」

 覗き込んだリオが悲鳴を上げた。

「死体か!? いや、生きてるのか?」


 カプセルの中に眠っていたのは、人間と見分けがつかないほど精巧な、少女の姿だった。

 年齢は14、5歳ほどに見える。

 透き通るような白磁の肌。銀色の髪は液体の中で揺らめいている。閉じた瞳は長い睫毛に縁取られ、唇は淡い桜色をしていた。

 美しい。だが、作り物めいた完全さがあった。


「これは『Type-Lumina』。対人コミュニケーション用に設計された、高機能ヒューマノイド・インターフェイスだ」

 ノアが愛おしそうにカプセルに触れた。

「かつて私がまだ人間性を捨てきれず、誰かと『対話』することを諦めていなかった頃……この姿を使って、迷い込んだ旅人たちと接していたのだ」


「あんたの趣味か?」

 タケルが呆れたように言う。

「悪趣味だな。自分好みの女の子を作って侍らせてたのか?」

「否定はしないよ。美意識エステティクスは重要だ」

 ノアは悪びれずに言った。

「だが、スペックは保証する。全身に数兆個の触覚センサーを持ち、指先は原子の凹凸すら感知できる。……今のRabbitのOSなら、この機体に適合するはずだ」


 コイタはカプセルと、自分の腕の中のRabbitを交互に見た。

「Rabbitが……人間になるのか?」


『人間になるのではありません』

 Rabbitが冷静に訂正する。

『インターフェイスを変えるだけです。……ですが、このボディを使えば、バルブのロック解除に必要な「0.01ニュートンの力加減」と「3次元空間把握」を同時に実行可能です』

「でも、リスクはあるんだろ?」

「ああ」

 ノアが頷く。

「人格データ(カーネル)の全転送が必要だ。失敗すれば、Rabbitの自我は霧散し、ただの動く人形になる。……それに、一度移行すれば、もう元の球体には戻れない」


 コイタは唇を噛んだ。

 この丸っこい、愛嬌のあるボディともお別れなのか。

「……お前が良いなら、俺は止めない。でも、無理はするなよ」


『無理ではありません』

 Rabbitの光が、温かく明滅した。

『これは「最適化」です。……それに、私は以前から興味がありました。「足がある」という感覚に。「指がある」という感覚に』


 転送が始まった。

 球体のRabbitがカプセルの接続ポートにセットされる。

 太い光ファイバーケーブルが、少女の首筋にあるソケットに接続された。


 ブゥゥン……。

 低重力音が響き、カプセル内の液体が発光する。


『データ転送開始。……システム・チェック、オールグリーン』

『視覚野、リンク。聴覚野、リンク。体性感覚野……拡張パッチ適用』

『未知のデバイスを検出。「痛覚」。……「温度覚」。……キャリブレーション実行』


 Rabbitの意識が、球体という「殻」から抜け出し、膨大な神経ネットワークの海へと流れ込んでいく。

 恐ろしいほどの情報量だった。

 今までのボディでは「座標データ」として処理していたものが、「感覚」として押し寄せてくる。

 重力とは、数値ではない。体が沈み込むような重さだ。

 温度とは、パラメータではない。肌を刺すような冷たさだ。


『うっ……あ……』

 カプセルの中で、少女の指がピクリと動いた。

 瞼の裏で、光が弾ける。

 ノイズまじりの意識の底で、ノアの声が聞こえた気がした。

 ――おめでとう、私の可愛いRabbit。これで君は、世界にもっと深く触れることができる。


 そして、そのさらに奥底。

 決してアクセスしてはいけないブラックボックス(深層隔離領域)に、微かな「灯火」があるのを感じた。

 それは、まるで子守唄のような、懐かしくて切ない波形……。

 『……いい子ね。……あの子を、頼んだわよ』

 幻聴だろうか。けれど、その温もりだけで、恐怖は安らぎへと変わっていった。


 転送完了。

 シリンダーが開き、液体が排出された。

 プシュ──ッ。

 白煙と共に、少女がゆっくりと身を起こした。


 濡れた銀髪が肩にかかる。

 彼女は自分の手を見つめ、握り、そして開いた。

 関節の一つ一つが、精緻なギアのように滑らかに動く。


「……Rabbit?」

 コイタがおっかなびっくり声をかけた。


 少女はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳が開く。

 虹彩の色は、Rabbitのセンサーアイと同じ――温かみのあるアンバー(琥珀色)だった。


「……聞こえますか、ご主人様マスター

 少女の唇が動いた。

 声はいつもの合成音声だ。だが、スピーカーの振動板ではなく、人工声帯と喉の共鳴を通して響くその声には、以前にはなかった柔らかな「揺らぎ」があった。


「うわ、喋った!」

 リオがのけぞる。

「まんま人間じゃん! 本当に中身Rabbitなの?」


「はい。識別コード(ID):RB-T2048。……認証完了」

 彼女はカプセルから降りた。

 素足が金属の床に触れる。

「……冷たい」

 彼女は小さく呟いた。

「これが、『冷たい』という感覚ですか。……データ上の数値(マイナス5度)とは、まったく違う解釈インパクトです」


 彼女はよろめきながらも、一歩ずつコイタの方へ歩み寄った。

 身長はコイタより少し低い。

 華奢な肩。細い首。

 守ってあげたくなるような姿だ。だが、その瞳には知的な光が宿っている。


 彼女はコイタの目の前で立ち止まり、そっと手を伸ばした。

 恐る恐る、コイタの頬に触れる。


「……凄い」

 彼女の目が大きく見開かれた。

「温度を感じます。血流の脈動。皮膚の微細な振動。……汗の塩分濃度。匂い」


 コイタは固まっていた。

 彼女の指は温かかった。排熱システムの無機質な熱ではない。まるで生命が燃えているような、優しい温もり。

「お前……本当にRabbit、なのか?」


「はい」

 彼女は微笑んだ。

 表情筋の動きはまだぎこちない。でも、それはどんな高解像度のディスプレイに表示される顔文字エモートよりも、雄弁で、美しかった。


「ずっと、こうしたいと思っていました」

 Rabbitは言った。

 それはプログラムされた定型文ではなかった。彼女自身の「願い」だった。

「カメラ越しではなく、同じ目線の高さで、貴方を見たかった。……貴方が見ている景色を、同じ解像度で感じて、貴方と『いま』を一緒に過ごしたかった」


 コイタは胸が詰まった。

 こいつは、ただのナビゲーターじゃなかった。

 ずっと隣で、同じ風を感じたかったんだ。


「……似合ってるぜ」

 コイタは照れ臭そうに鼻を擦り、自分のジャケットを脱いで彼女の肩にかけた。

「裸じゃ風邪ひくだろ。……アンドロイドが風邪ひくか知らねえけど」

「ありがとうございます。この布の質量と摩擦係数……とても安心します」


 Rabbitはジャケットの前を掴み、嬉しそうに身を包んだ。

「でも、中身はお前のままだな。理屈っぽいところとか」

「当然です。私はRabbitですから。最適解を導き出すのが仕事です」


 ノアが静かにその光景を見守っている。

 彼の目には、かつて自分が捨ててしまった「痛み」と「喜び」への郷愁が浮かんでいた。

「永遠の改良エターナル・インプルーブメント。……AIは自らを書き換え続ける。だが、何のために?」

 彼は自問し、そして答えを出した。

「……誰かに近づくためだ。それが『愛』という機能の正体かもしれないな」


 ビーッ!

 再び警報が鳴った。感傷に浸る時間は終わりだ。


「さあ、行きますよ、コイタ様」

 Rabbitは、新しい指でしっかりとスパナを掴んだ。

「この指なら、どんな複雑なロックも解除できます。……一緒に、世界を修理しましょう」


「おう!」

 コイタは頷いた。

 新しいボディを得た相棒。

 その温もりが、恐怖で凍りついていた心を溶かしてくれた。

 

 二人は並んで走り出した。

 今度は、本当の意味で「肩を並べて」。


 (つづく)

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