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宇宙は異世界、知性が世界を守る  作者: カピリロ
クロスフォージ編
39/48

【クロノフォージ編】第39話 借りた波 〜年代債務の代償〜

 警報音が鳴り止まない。

 制御室から動力炉へと続く回廊は、まるで嵐の海の中を進むようだった。

 空間が波打っている。

 壁の金属板が、飴細工のようにぐにゃりと曲がっては元に戻る。床が液状化して足を取られる。重力のベクトルが定まらず、一歩進むごとに上下左右が入れ替わるような感覚に襲われる。


「うっ……!」

 サミラが壁に手をついて嘔吐いた。

 彼女のような訓練された兵士でさえ、三半規管への直接攻撃には耐えられない。

「気持ち悪い……。世界が回ってる……」

「見るな! 床だけ見ろ!」

 タケルが叫び、サミラの腕を引く。彼の額にも脂汗が浮いていた。

「視覚情報と重力感覚がズレてるんだ。……脳が処理落ちを起こしてる」


「なんだよこれ……!」

 コイタは歯を食いしばり、Rabbitを脇に抱えて走った。

 目の前の景色が、スライドショーのバグのように明滅する。

 走っているはずなのに、数メートル後ろに戻される感覚。

 あるいは、まだ数秒先の未来の景色――自分が転んで膝を擦りむく映像――がフラッシュバックのように脳裏に焼き付く。

 自分の手を見ると、子供のような小さな手に見えたり、逆に骨だけの老婆の手に見えたりした。

 時間の流れそのものが壊れかけ、主観時間を保てなくなっているのだ。


『警告。時空震タイム・クエイクの震度、上昇中』

 Rabbitの声にはノイズが混じっていた。

『このエリアの因果律は著しく乱れています。……過去と未来が混ざり合っています。自身のアイデンティティを強く定義してください。気を抜くと、自我が時間に溶けてしまいます』


 ようやく辿り着いた動力炉セクターは、地獄のような有り様だった。

 直径数百メートルはある巨大な空洞。

 その中央に、光り輝く巨大な柱――メインアンカーが鎮座している。

 だが、その輝きは禍々しい赤色に変色していた。


 バチバチッ! ズガンッ!!

 アンカーの表面から、紫色の雷が奔流となって噴き出している。

 それはただの電気ではない。

 時空の裂け目から漏れ出した、純粋なエネルギーの暴走だ。

 周囲の整備用キャットウォークが、雷に触れた瞬間に「老化」して崩れ去っていく。新品の金属が、一瞬で錆びつき、風化して塵になるのだ。


「これが『歪み』の正体だ」

 先行していたノアが、防護フィールドを展開しながら叫んだ。

 彼の灰色の髪が、重力風に煽られて激しく舞う。

「君たちが使ってきた『フェーズゲート』や『クロノドライブ』……あれは便利なショートカットだが、タダではない。未来の時間を『前借り』して現在の距離を縮めていたのだ」


「前借り?」

 コイタがスパナを握りしめ、強風に耐えながら問う。

「ああ。これを『年代債務クロノ・デプト』と呼ぶ。……宇宙にフリーランチ(ただ飯)はない。借りたものは返さねばならない。宇宙は常に帳尻を合わせようとする」


 ノアがアンカーを指差した。

「君たちが時空を超えて旅をするたびに、その負担はこのクロノフォージに集約されていた。本来なら数億年かけてゆっくり流れるはずの時間を、一瞬で消費した反動……。それが今、利子をつけて襲いかかってきているのだ!」


 ドォォォォン……!

 アンカーの一部が爆発し、衝撃波がコイタたちを襲った。

 ヴォルクからもらっていた「調和結晶」の装甲が輝き、衝撃を中和してくれなければ、全員が分子レベルで分解されていただろう。


「今まで、誰がこの借金を払ってたんだ?」

 ケイトが金髪を押さえながら叫ぶ。

「これだけのエネルギー、普通ならとっくに銀河一つ消し飛んでるわよ! なんで今まで保ってたの!?」


「支払い担当者は……彼だ」

 ノアが静かに、コイタの腕の中にいるRabbitを指差した。


『……』

 Rabbitは何も言わない。

 ただ、点滅するその光は、どこか申し訳なさそうだった。


 コイタは相棒の球体を見下ろした。

 いつもと変わらない、ツルツルした白いボディ。

 だが、エンジニアとしての目は誤魔化せなかった。

 ノアの言葉を聞いてからよく見ると、Rabbitの表面には無数の微細なクラック(亀裂)が走っていた。

 だが、ノアはさらに残酷な事実を告げた。

「物理的な損傷だけではない。……もっと深刻なのは『記憶領域メモリ』だ」

 ノアがホログラム画面を弾くと、赤い警告ログが滝のように流れ落ちた。

 【Memory Sector 04: Damaged / Deleted】

 【Log ID: 3390 (Lurdo Lunch Time) - LOST】

 【Log ID: 4402 (Formisoria Flower Garden) - LOST】


「Rabbitは、時間の負荷を相殺するために、自分の記憶データを『燃料』として投棄していたのだ。……最も容量が大きく、そして最も大切にしていた『君との旅の記録』から順にな」


「は……?」

 コイタの頭が真っ白になった。

 ルルドーで食べたおにぎりの味。フォーミソリアの美しい花畑。

 あの時間を、Rabbitは忘れてしまったのか?


『……肯定します。私の設計寿命とメモリ領域は、借金の支払いに充てられました』

 Rabbitが淡々と報告する。

『ですが、許容範囲内です。ご主人様をここまで運ぶことが、私の最優先ミッションですから。……過去のログが消えても、貴方が未来へ進めるなら、安い代償です』


 コイタはRabbitを強く抱きしめた。

 冷たい金属の球体。

 でも、そこにはどんな生物よりも熱い、愚直な献身があった。

「ふざけんな……!」

 涙が溢れてくる。

 体の傷なら直せる。部品なら交換できる。

 でも、一緒に過ごした時間は、二度と戻らない。

「なんで言わなかった! 俺はお前の相棒だろ!? 俺との時間を……勝手に捨ててんじゃねえよ!」


『言えば、貴方は旅をやめてしまうでしょう?』

 Rabbitの言葉に、コイタは息を詰まらせた。

 図星だった。

 コイタは進むことしか考えていなかった。新しい星、未知の技術、冒険のワクワク感。

 その裏で、一番近くにいた相棒が、どれだけの痛みに耐えていたかも知らずに。


「……バカ野郎」

 コイタは袖で涙を乱暴に拭った。

 そして顔を上げた時、その瞳にはエンジニアとしての炎が宿っていた。


「返そう」

 コイタの声は力強かった。

「俺たちの借金だ。俺たちで返す」


「どうやって?」

 タケルが問う。

「見ての通り、システムは崩壊寸前だ。通常の制御じゃ追いつかない」


「簡単なことさ」

 コイタはニヤリと笑った。いつもの、悪巧みをする時の顔だ。

 彼はバックパックを下ろし、工具を広げ始めた。

「溜め込んだエネルギーを、あるべき場所に流してやる。……詰まった排水溝の掃除みたいなもんだ」


「放流するつもりか?」

 ノアが目を見張った。

「コイタ、そのアンカーには銀河規模の時空エネルギーが溜まっている。下手にパイプを開ければ、この工房ごと吹き飛ぶぞ。制御できる量じゃない」


「だから、精密にやるんだよ」

 コイタはサミラとタケルを振り返った。

「計算は任せたぞ、秀才コンビ。……タケル、お前の端末でアンカーの『圧力弁』の開閉タイミングを解析してくれ。サミラ、お前はエネルギーの流出経路バイパスを確保だ。邪魔な瓦礫があったら吹き飛ばしてくれ」


「人使いが荒いな」

 タケルが苦笑し、すぐに端末を展開する。

「了解だ。……エネルギー充填率300%、臨界点まであと90秒。タイミングはシビアだぞ、誤差0.5秒以内にバルブを開けろ」

「分かってる」

 サミラもナイフを構え、周囲の崩れたパイプを見定めた。

「物理的な掃除なら任せて。……コイタ、アンカーへの道を開くわ!」


 サミラが跳躍した。

 彼女は崩落するキャットウォークを軽業師のように飛び移り、邪魔な瓦礫を正確なナイフ投擲で粉砕していく。

「今よ! 行って!」


「よし、Rabbit」

 コイタは相棒を目の高さに掲げた。

「お前はナビゲートだ。……もう一人で背負うな。俺と一緒に、このクソ重たい扉をこじ開けるんだ。俺の手を誘導しろ、最適なトルクでおにぎりを握るみたいに優しくな!」


『……ラジャー!』

 Rabbitの光が、ピンク色に強く輝いた。

『アンカー接続ポート、検索。……アクセス承認。内部圧力上昇中。……コイタ様、右舷第3バルブ、開放準備!』


 ノアは、その光景を見て微笑んだ。

 かつてヤラが選んだ「自己犠牲」の道とは違う。

 彼らは、誰一人欠けることなく、「全員で生き残る」ために足掻こうとしている。

 それがどれほど困難で、非論理的な道であっても。


「……私も手を貸そう」

 ノアがコンソールに向かった。

「メインシステムのセキュリティを解除する。……好きに暴れるといい」


 コイタはアンカーの巨大なバルブにスパナを食い込ませた。

 重い。

 銀河の重みが、そのまま腕にかかってくるようだ。

「うおりゃああああ!」

 全身の筋肉が軋む。

 だが、Rabbitの光がスパナを包み込み、力を増幅してくれる。


 ギギギ……ガコンッ!

 バルブが回った。


 シュゴオオオオッ!!

 猛烈な勢いで、輝く蒸気――時空エネルギーが噴き出した。

 コイタは吹き飛ばされそうになりながらも、必死に足を踏ん張った。

「よっしゃあああ! 流れたぞ!!」


 彼は笑った。

 暴走する光の奔流の中で、泥だらけになりながら。

 過去のツケを払い、未来を掴み取るために。


 (つづく)

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