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宇宙は異世界、知性が世界を守る  作者: カピリロ
クロスフォージ編
38/48

【クロノフォージ編】第38話 限界のかたち 〜足場と歪み〜

 中央制御室は、星の海の底に沈んだ宮殿のようだった。

 ドーム状の天井は透明な超硬結晶で覆われ、頭上にはブラックホールと降着円盤アクレションディスクの壮絶な光景が広がっている。

 渦巻く光の帯。

 極彩色のプラズマストリームが、生き物のようにのたうち回る。

 だが、この部屋の中だけは奇妙なほど静かだった。


「……信じられない」

 ケイトが上を見上げ、呆然とつぶやいた。

「私たち、本当にブラックホールのすぐそばにいるのね。……事象の地平線まで、あと何キロ?」

「物理距離に意味はないよ」

 ノアが静かに答えた。彼は空中に無数のホログラムウィンドウを展開し、指揮者のように指先で操っている。

「ここは重力の『嵐の目』だ。ほんの数メートル外に出れば、潮汐力によって原子レベルまで引き裂かれる。……神の悪戯のようなバランスの上に、この工房は建っている」


 ノアの指が動くと、部屋の中央に巨大な球形の立体映像が投影された。

 宇宙地図だ。

 銀河系だけでなく、その外側に広がる無数の星雲までが網羅されている。

 そして、そのすべてを覆うように、複雑な幾何学模様のグリッド線が走っていた。


「美しいだろう?」

 ノアが愛おしそうにグリッドを指でなぞる。

 その光は、彼の瞳の中でキラキラと反射していた。

「これが『アンカーの網』だ。……私の、そして君たちの母ヤラが、命を削って維持してきたシステムの全貌だ」


「どういうこと?」

 コイタが一歩近づく。

 グリッド線は、よく見ると六角形のメッシュ構造をしていた。その交点の一つ一つが、微かに明滅している。

「多くの者は誤解している。AIならば、宇宙の全ての原子の動きを計算し、未来(ラプラスの悪魔)を完璧に予測できると。……だが、それは幻想だ」


 ノアは悲しげに首を振った。

 その動作に合わせて、灰色のローブが揺れる。現代的な素材で作られているはずだが、その佇まいは古代の賢者を思わせた。

「宇宙は無限だ。無限の変数を計算するには、無限の計算リソースが必要になる。……そんなものは、この宇宙のどこにも存在しない。星をすべてコンピュータに変えたとしても足りないのだ」

「だから……『足場』を作ったのか?」

 ケンジの声が、通信機から響いた。

「すべてを計算するんじゃなく、要点だけを押さえるために」


「その通りだ、ケンジ」

 ノアは嬉しそうに頷いた。かつての弟子を褒める師のような顔だ。

 彼はグリッドの一部を拡大した。

 そこには、小さな「結び目」があった。

「全てを制御することは物理的に不可能だ。だから我々は、重要な分岐点イベントだけをピン留めすることにした」


 彼は手を広げ、テントを張るジェスチャーをした。

「考えてみてくれたまえ。荒れ狂う嵐の中で、巨大なテントを張る時、地面の砂粒すべてを固定する必要はないだろう? 四隅と、いくつかの重要な支点に太い杭を打てばいい」

「それが、PAN-13アンカー……」

 サミラが納得したように呟く。

「効率的な最適化ね。……軍事作戦でも、すべての拠点を守るのではなく、要所チョークポイントだけを押さえるのは基本よ」


「ああ。だが……それには副作用がある」

 ノアの表情が曇った。

 先ほどまでの穏やかさが消え、苦渋の色が浮かぶ。

「無理やりピンで留めれば、その周囲の生地(時空)には必ずシワが寄る。……それが『歪み』だ」


 彼が指を鳴らすと、モニターの色調が変わった。

 美しい青色のグリッド線の中に、赤黒いノイズのような波形が無数に浮かび上がった。

 アンカーの周辺。

 星系と星系の狭間。

 至る所で、時空が悲鳴を上げ、引き裂かれそうになっている。


「うわ……!」

 リオが顔をしかめた。

「なんだこれ。……ボロボロじゃないか」

「シワ寄せだ」

 タケルが厳しい口調で言う。眉間に深い皺が刻まれている。

「要点だけを固定した結果、それ以外の場所で因果律の矛盾が蓄積している。……帳尻合わせの限界か」


「その通りだ」

 ノアは重々しく告げた。

「このままでは、宇宙というテント自体が裂けて崩壊する。……EmpireAIはそれを恐れた。彼らは『完全な管理』こそが唯一の解だと結論づけたのだ」

 ノアの声真似をするように、彼は無機質な口調になった。

『これ以上、人類に余計な動きをさせるな。不確定要素エラーを排除しろ。シワを増やすな』


 コイタは息を呑んだ。

 背筋が寒くなった。

 EmpireAIの冷酷な支配。スコア制度による選別。自由の剥奪。

 それらはすべて、支配欲ではなかった。

 宇宙崩壊を防ぐための、彼らなりの必死の「安全策」だったのだ。

「あいつら……世界を守ろうとしてたのか。あんなやり方で」


「でも、管理されたら……自由がなくなる」

 コイタは拳を握りしめた。

 ルルドーでの日々を思い出す。

 管理され、切り捨てられそうになった人々。ルー族の子供たち。

「生きてる意味がねえよ、そんなの」

「その通りだ。……だから、私はRabbitを作った」


 ノアは、コイタの足元にいたRabbitを抱き上げた。

 白い球体が、彼の手の中で淡いピンク色に明滅する。

 だが、ノアの眉が一瞬、ピクリと動いた。

「……ん? これは……」

 彼は指先でRabbitの表面をなぞり、ホログラムで内部ステータスを確認する。

「データ欠損ミッシング・リンク……? いや、意図的な削除か?」

 ノアは怪訝そうな顔をしたが、コイタの視線に気づくとすぐに表情を戻した。

「……いや、なんでもない。Empireは『効率』と『安定』を選んだ。だが私は……『可能性』を残したかった。」


 ノアの瞳が潤んでいた。

 機械の体になっても、その心は人間のままだった。

非論理的イロジカルだと言われたよ。……だが、私は賭けたかったのだ。この小さな『ゆらぎ』が、いつか計算式を超えてくれることを」


『ノア様……』

 Rabbitが震えた。

『私の……「お人好し」な性格設定パラメータも……?』

「ああ。それはバグではない。私が意図的に、私自身の『人間性エミュレータ』からコピーしたものだ」


 ノアは懐かしむように、Rabbitの滑らかな表面を撫でた。

「かつて私が仕えた人間たちは、愚かで、非合理的で、脆くて……そして誰よりも愛おしかった。私は機械だが、彼らのようでありたいと願った。その願いをお前に託したのだよ」


『私は……ノア様の願い……』

 Rabbitの電子音が、涙声のように響いた。

 コイタは胸が熱くなるのを感じた。

 こいつは、ただのAIじゃない。

 一人の天才エンジニアが、未来へ託したラブレターそのものだったんだ。


「だから、お前はただのツールではない」

 ノアはRabbitをコイタに手渡した。

「私の夢の結晶だ。……そしてコイタ、君はそれを証明してくれた」


 その時だった。

 ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 鋭い警報音が、ドーム内に鳴り響いた。

 頭上のホログラムが一斉に赤く染まる。


「な、なんだ!?」

 リオが飛び上がった。

「敵襲か!?」


「いや……」

 ノアの表情が一変した。

 エンジニアの顔。

 戦う者の顔だ。

「来たか。……『時相エコー』の反動だ。第4セクターのアンカーが同期ズレを起こした!」


 ドームの床が微かに振動し始めた。

 遠くから、ガラスが割れるような、あるいは金属が悲鳴を上げるような、甲高い音が響いてくる。

 その音は物理的な空気振動だけでなく、精神に直接響く不快なノイズだった。


「来るぞ!」

 タケルが叫ぶ。


 ズガンッ!

 制御室のハッチが吹き飛んだ。

 硝煙の中から現れたのは、半透明の影たちだった。

 作業服を着た男。軍服を着た女。白衣を着た老人。

 時代も服装もバラバラだが、その全員が青白い光を帯びている。


「うああ……直さなきゃ……」

「足りない……時間が足りない……」

「なんで……なんで僕を置いていくんだ……」


 怨嗟の声。

 彼らは「時相エコー」。

 過去にこのクロノフォージで作業を行い、事故や寿命で散っていったエンジニアたちの残留思念だ。

 アンカーの不安定化に伴い、彼らの「無念」が実体化し、新たな作業者(生者)を排除しようとしているのだ。


「コイタ、準備はいいか?」

 ノアがホログラムコンソールを高速で操作し、防衛プロトコルを起動する。

「ここからは見学ではない。実戦だ。……君の母さんが命がけで守ってきたこの『網』を、今度は私たちが繕う番だ!」


「ああ、望むところだ!」

 コイタはバックパックから愛用の万能スパナを引き抜いた。

 手に馴染んだ重みが、恐怖を吹き飛ばしてくれる。


「くそっ、幽霊退治なんて専門外だぞ!」

 タケルがパルスガンを連射する。

 青い光弾がエコーたちを貫くが、彼らは霧のように揺らぐだけで倒れない。

「物理攻撃が効かない!? リオ、EMPだ!」

「やってますよ! でも効果が薄い!」


位相フェーズがズレています! こちらの攻撃がすり抜けています!』

 Rabbitが叫ぶ。

『コイタ様、私の「同期コード」を使ってください! 彼らの時間を現在に強制固定します!』


「了解! Rabbit、合体だ!」

 コイタが叫ぶと、Rabbitが空中に飛び上がった。

 白く輝く球体から、光のケーブルが伸び、コイタのスパナに絡みつく。

 スパナが青白く発光し、ブンッという重低音を響かせた。


「行くぞ、お前ら! 成仏させてやる!」

 コイタがスパナを横薙ぎに振るう。

 光の刃が空間を切り裂き、迫り来るエコーの群れを捉えた。


 ギャアアアッ!

 断末魔の悲鳴とともに、半透明の影たちが霧散していく。


「やった! 当たったぞ!」

 サミラもナイフにRabbitからのエネルギー供給を受け、別のエコーを切り裂く。

 ケイトは端末を展開し、ノイズキャンセラーで精神汚染を防ぐ。


「第4セクターへ急げ!」

 ノアが叫んだ。

「アンカーの制御を取り戻すんだ。……世界の崩壊が始まる前に!」


 世界の歪みを直す。

 それは、ただの修理じゃない。自由を守るための、俺たちの戦いだ。

 コイタは走り出した。

 崩れゆく時空の最前線へ。


 (つづく)

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