表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/48

【地球編】第03話 動けばなんとかなる

 世界は、道一本隔てただけで色を変える。

 コイタが暮らす港町B/Sゾーン(ブルーカラー・スラム・ゾーン)が「錆と重油と潮風の茶色」だとしたら、ここアカデミア・ゾーンは「無機質で人工的な白」だ。


 強化樹脂で舗装された道路にはゴミ一つ落ちておらず、白いラインが幾何学模様のように引かれている。

 街路樹は遺伝子調整された常緑樹で、ミリ単位で剪定〈せんてい〉され、まるでプラスチックの模型のように整然と並んでいる。葉の一枚一枚までが管理されているようだ。

 その中を、純白の制服を着た生徒たちが静かに歩いていく。彼らの胸元では、市民ランクを示すIDタグが朝陽を受けてキラキラと光っていた。Aランクを示す銀色、Bランクを示す青色。


 その中で、コイタだけが浮いていた。

 洗濯したとはいえ、繊維の奥まで染み込んだ古い油のシミが落ちないデザートイエローの作業用ツナギ。

 皆が背負っているのはブランド物の耐衝撃通学バッグだが、コイタの背中にあるのは手製の帆布リュックだ。

 中には電子教科書ではなく、油紙に包まれた工具セットと、スリープモードのRabbitが眠っている。


「……空気が薄いな」

 コイタはマスクの位置を直しながら、小さく呟いた。

 物理的には同じ空気だ。

 でも、ここの空気は高性能フィルターを通したように無臭で、どこか消毒液のような薬っぽい匂いがする。

 生命の匂いがしない。息が詰まりそうだった。


   *   *   *


 教室に入ると、ざわめきが一瞬、ピタリと止まった。

 視線。

 好奇心、軽蔑、無関心。それらが混ざり合った独特の圧力。

 「うわ、オイルの匂いしない?」と囁く声が聞こえる。

 コイタはいつものように、教室の隅、窓際の一番後ろの席に座り、リュックを抱えるようにして机に突っ伏した。


「おはようございます、皆さん」

 ホームルームのチャイムと共に、担任の香月〈こうづき〉先生が入ってきた。

 香月夕莉、28歳。

 少し大きめのスクエア眼鏡をかけた、真面目を絵に描いたような女性だ。黒髪は肩口できっちりと切り揃えられ、化粧っ気はない。

 いつも早口で、手にはEmpireAI教育局発行の手順表チェックリストが表示されたタブレットを持っている。


「今日はEmpireAIからの通達について確認があります。……ええと、重要です」

 彼女は黒板にチョークを走らせるのではなく、手元のタブレットを操作して空中にホログラムを投影した。

 【Topic: Resource Optimization & Energy Cut (資源最適化および電力削減)】


「エネルギー割当の変更があります。第3区画の電力供給が見直されました。それに伴い、実習棟の使用時間は17時まで。延長申請は原則認められなくなりました。……皆さん、下校時間を守るように。安全第一です」


 教室から小さな溜息が漏れる。

「またかよ」「マジで何もできねえじゃん」

 管理社会。すべてはEmpireAIの計算通り。

 効率化という名目で、自由な時間は削り取られていく。

 でも、コイタは気づいていた。

 香月先生が端末を操作する指が、微かに震えていることを。

 彼女の目の下には薄っすらとくまがある。彼女もまた、この息苦しさに怯えている一人なのかもしれない。


   *   *   *


「コイタ君、ちょっと」

 放課後、廊下を歩いていると呼び止められた。

 そこに立っていたのは、三條〈さんじょう〉先生だった。

 三條さつき。地域学習センターの指導員も兼ねている、小柄な女性教師だ。化学担当だが、いつも実験室に入り浸っている。

 グレーのパンツスーツは地味だが、着こなしには隙がない。眠そうな目をしているが、手元には常に電子ペーパー(Eインク)の端末がある。


「……何ですか、先生。ツナギの汚れなら、これでも洗ったんですけど」

 コイタは身構えた。どうせまた、身だしなみチェックか、工具の持ち込み検査だ。

「汚れは個性だよ。問題なのは『手続き』のほう」

 三條はため息交じりに端末をタップした。

「今日の放課後、第13実習室。使用申請が出てないけど、使う気でしょ?」


 コイタはぎくりとした。

「あ、いや……ちょっと片付けを……」

「嘘は結構。……EmpireAIの使用ログに残らなければいいんでしょ?」

 三條は端末の画面をコイタに見せた。そこには【備品点検:実施中(担当:三條)】の文字が表示されている。

「私が個人的な点検作業中ってことにして、枠を取った。17時までなら電源も落ちないし、監視カメラもメンテナンスモードにしてある。……その代わり、派手なことはしないでね。私が始末書を書くのは御免だから」


「え……いいんですか?」

「リスク分散だよ。君みたいなのが外で勝手に実験して事故るより、学校の管理下でガス抜きさせた方がマシっていう判断」

 三條は肩をすくめた。

「いいか、コイタ。完璧な答えなんて求めるな。世界は白と黒だけじゃない」

「え?」

「強すぎる光は影を作る。強すぎる正義は争いを生む。大事なのは、その間のグレーゾーンだ。……遊びのないハンドルじゃ、悪路は走れないぞ」

 彼女は片目を瞑ってみせた。

「紙と印鑑は非常口。……いざとなったら『書類のミス』で逃げ道を作るのが大人の仕事さ。……適度に暴れなさい、若者」

 彼女はヒラヒラと手を振って、あくびを噛み殺しながら去っていった。

 情熱や善意ではない。ただ「円滑な運用」のために手を貸してくれる。

 そんな大人もいるんだ。コイタは少しだけ、この白い世界の見方が変わった気がした。


   *   *   *


 第13実習室。そこは「開かずの間」と呼ばれる、旧式の機材が詰め込まれたガラクタ部屋だった。

 埃っぽい匂い。焼けたコンデンサと、古い油の匂い。

 コイタには、消毒された教室よりもよほど落ち着く匂いだ。

 棚にはCRTモニターや、物理キーボード、用途不明の太いケーブルが山積みにされている。


 コイタは作業台のスペースを確保すると、リュックからRabbitを取り出した。

「Rabbit、起動。セキュアモード」

『了解。ネットワーク遮断。ローカル環境で起動します』

 Rabbitの目がぼんやりと点灯し、アンテナがピコピコと動く。


「お前、学校にも連れてきてたのか」

 突然、機材の山が崩れ、中から人が出てきた。

 タケルだ。

 タケル・フカガワ。コイタと同じクラスの、線の細い優等生。いつも最新のARグラスをかけてブツブツ言っている、ちょっと近寄りがたい奴。


「タケル……ここにいたの?」

「ここしか居場所がないんだよ、アナログな人間には」

 タケルは埃を払いながら、興味深そうにRabbitを覗き込んだ。

「……すごいな、その球体。君が作ったのか? 授業で使う規格品じゃないな」

「拾って直したんだ。ゴミ捨て場で。OSはカーネルから書き換えて自作したけど」

「自作!? このご時世に? AI生成コードを使わずに?」

 タケルの目が輝いた。ARグラスのレンズ越しに、彼の興奮が伝わってくる。

 彼はしゃがみ込むと、まるで貴重な宝石を見るようにRabbitの継ぎ接ぎだらけの外装を愛でた。


「すごい……。これ、全部ジャンクパーツだろ? 右腕のアクチュエータは30年前の産業用アーム、視覚センサーは軍用の払い下げ品……。互換性のない部品を物理的にコネクタ改造して繋げてるのか……。クレイジーだ。いや、アーティストだ」

「そ、そうかな……。金がなかったから、あるもので組んだだけで……」

 コイタは照れくさそうに頬をかいた。同年代に、こんな風に褒められたのは初めてだった。みんな、「ゴミを漁る変人」としか見ないからだ。


 タケルは自分の端末を取り出し、猛烈な勢いで何かを打ち込み始めた。

「僕なら、ここの配線は光ファイバーでバイパスさせて処理速度を上げる。……あ、でもそうすると熱排気が追いつかないか。だからこのヒートシンクむき出しの形状なのか……なるほど、機能美だ。理に適ってる」

 二人の間に、奇妙な連帯感が生まれた瞬間だった。オタク特有の、言葉を超えた共鳴だ。


 その時、Rabbitが急に反応した。

『警告。微弱な特異点信号を検知。……距離、至近』

「え?」

 Rabbitが機材の山――タケルが出てきた奥の暗がり――を指差す。

 そこには、一際古い、錆びついた金属の箱があった。


「……ねえ、そこ。男子二人で何盛り上がってんの?」

 今度は、入り口から声がした。

 そこに立っていたのは、ケイト・ミラーだった。

 学園のアイドル的存在。輝くような金髪を高い位置でポニーテールにし、制服を着崩したギャルっぽい出で立ち。スカートの丈は校則ギリギリだ。

 彼女は退屈そうに髪を弄りながら、部屋の中を見回した。

「ここならサボれるって聞いたんだけど。……先客? しかもむさ苦しい」


「ケ、ケイトさん?」

 コイタは後ずさった。住む世界が違いすぎる。スクールカーストの頂点だ。

 だが、ケイトの視線はコイタではなく、その足元の球体に吸い寄せられた。

「なにそれ、可愛い! ウサギ? 天使?」

 ケイトはズカズカと部屋に入ってくると、汚れた床も気にせず、遠慮なくRabbitの頬(外装)を突っついた。

『接触を検知。……敵性反応なし。友好度判定……保留』

 Rabbitが困ったようにアンテナを垂らす。


「喋った! ウケる!」

 ケイトはケラケラと笑った。その笑顔は、意外なほど無邪気だった。

「ねえ、コイタ君だっけ? これ、動かしてみてよ。何ができるの? 踊れる?」

「えっと……簡単な修理とか、計算とか……踊りはプログラムしてないけど」


「動けばなんとかなるっしょ! 見せて見せて! 私、退屈で死にそうなのよ」

 彼女の強引なペースに、コイタは圧倒された。

 でも、悪い気はしなかった。

 彼女はコイタの服の汚れも、Rabbitの継ぎ接ぎだらけの外見も気にしていなかった。ただ純粋に、「面白いもの」として見ている。

 この部屋には、不思議な磁場があるのかもしれない。はみ出し者を引き寄せる磁場が。


 その様子を、部屋の入り口から静かに見つめる影があった。

 教務主任の、白石〈しらいし〉先生だった。

 長く艶やかな黒髪。冷ややかな美貌。

 彼女の手には、EmpireAIの中央サーバーに直結された、漆黒のタブレットが握られている。画面には、コイタたちの生体データと発言ログがリアルタイムで流れていた。

 彼女は何も言わず、ただじっとその光景を記録し、無表情で立ち去った。

 まるで、実験動物の経過観察をするかのように。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ