【惑星フォーミソリア編】第29話 帝国のルール 〜効率的な多数決の罠〜
翌日、帝都の中央広場は異様な熱気に包まれていた。
普段は市場が立つ場所に、一夜にして巨大なホログラムモニタと、奇妙な透明のドームが設置されていたのだ。
ロッシュが示した「平和的解決策」の実装である。
広場には数千のイソリアンと、無数の羽音を立てるフォーミアンが集まっていた。空の色が見えないほどの大群衆だ。
「これより、Empire式『意思決定システム(Decision Maker)』の試験運用を開始します」
ロッシュのホログラムが上空に浮かび上がり、神のような穏やかな声で宣言する。
「ルールは単純明快。全ての市民に投票権を与え、過半数の支持を得た案を採用する。……民主的で公平でしょう?」
彼の指先が動くと、広場に無数の光るパネルが出現した。タッチ式の投票インターフェースだ。
イソリアンたちがざわめいた。工具腕をカチカチと鳴らして興奮している。
「投票……俺たちの声が数えられるのか?」
「匂いにかき消されずに済むのか?」
彼らの顔には期待の色が浮かんでいる。今まで、彼らの論理的な主張は、フォーミアンの圧倒的な「気分の匂い」に押し流され、無視されてきたからだ。
ようやく、公平な土俵に立てる。彼らはそう信じていた。
一方、フォーミアンたちは戸惑っていた。
『「とうひょう? 匂いを出せばいいの?」』
『「ボタンを押す? ……よく分からない」』
彼らは群れだ。個別の意思決定など未体験の概念だ。彼らは不安そうに触覚を触れ合わせ、甘酸っぱい匂いを漂わせている。
「やってみよう」
ヴォルクが先陣を切った。彼は厳粛な顔つきでパネルの前に立った。
「議題は『東の空域の飛行制限』についてだ。俺たち重装甲のイソリアンは、乱気流の多い東側を避けたい。だが、フォーミアンは平気で飛び回るから、衝突事故が絶えない。……安全のために、飛行ルートの棲み分け(ゾーニング)を求める!」
理路整然とした提案だ。誰もが納得するはずの合理性がある。
投票が始まった。
広場の端末に、次々と数字がカウントされていく。
イソリアンたちは熱心に「賛成(YES)」を押した。全員が一致団結している。
「勝てるぞ」
ヴォルクが拳を握る。
「俺たちの切実な訴えだ。数では負けていても、この合理性は伝わるはずだ。フォーミアンだって、事故で仲間が死ぬのは嫌なはずだからな」
しかし――。
ピピピ……ブブーッ!
無機質なブザー音と共に、結果が空中に大写しにされた。
【議題:東の空域の飛行制限】
【反対:92% 賛成:8%】
【結果:否決(REJECTED)】
「なっ……!?」
広場が静まり返った。
ヴォルクが絶句し、膝から崩れ落ちそうになる。
「なぜだ! イソリアンは全員賛成したはずだぞ! それに、この案は彼らの命も守るものなのに!」
「数が違うのよ」
サミラが冷ややかに言った。タブレットでリアルタイムの票数推移を見ている。
「フォーミアンの人口は、あなたたちの10倍以上。彼らは理屈なんて読んでないわ。ただ、なんとなく『今のままでいい(変化が怖いから反対)』という集合的な気分の匂いを出して、それに連動したシステムが自動的に『反対』に票を投じたのよ」
ロッシュは涼しい顔で頷いた。
「その通り。これが『民主主義』のコストです。意思決定プロセスを簡略化すれば、必然的に多数派の意見が採用される。……文句はありませんね? ルール通りですよ」
「ふざけるな!」
先ほどのイソリアンの若者が、叫び声を上げて端末を殴りつけた。
バギッ! 火花が散る。
「これじゃ前と変わらない! いや、数字で見せられる分、もっと残酷だ! 俺たちは永遠に勝てないって証明されたようなもんだ! こんなのが『公平』かよ!」
広場の空気が凍りつく。
フォーミアンたちも怯えて、刺激臭(警戒のサイン)を出し始めた。
『怖い』『怒ってる』『敵だ』。
その匂いが、さらにイソリアンの神経を逆撫でする。
悪循環だ。
「やめろ!」
コイタが割って入った。
「こんなの、ただの『数の暴力』だ。話し合いですらない。……ロッシュ、お前はこれを狙ってたのか? 対立を煽って、管理強化の口実にするために」
「私は事実を可視化しただけです」
ロッシュは優雅に手を広げた。悪魔的なほどに美しい所作だ。
「効率的な統治には、ノイズ(少数意見)の切り捨てが必要だ。いちいち全員の納得を得ていては、何も決まらない。……それが嫌なら、Rabbitのように『洗脳』でもしますか? それなら全員一致(100%)も夢ではありませんよ」
痛いところを突かれた。
Rabbitがかつてやったことは、無理やり全員を「同じ気持ち」にさせることだった。
ロッシュのやり方は、全員の「違い」を認めた上で、数で圧殺すること。
どちらも、何かが間違っている。心がない。
「違う……」
コイタは首を振った。
「どっちも違うんだ。……洗脳も、切り捨てもしたくない。そんなの、どっちも地獄だ」
「では、どうするのです?」
ロッシュが問う。
「泣き言を言っても現実は変わりませんよ。……それとも、暴動でも起こしますか? 私の治安維持プログラムが火を噴くのを待っていますが」
コイタは横を見た。
サミラが、タブレットを高速で操作している。彼女の目が、獲物を狙う猛禽類のように鋭くなっている。
「……あるわ。第三の方法が」
彼女の眼鏡がキラリと光った。
「ロッシュさん、あなたのシステム、穴だらけよ。セキュリティホールっていうか、設計思想が古いの」
「ほう?」
「コイタ、Empireのデータベースから『合意形成プロトコル』の古い論文を見つけたわ。……『熟議(Deliberation)』と『加重投票(Quadratic Voting)』の組み合わせ」
「なんだそれ?」
「簡単に言えば……『数』じゃなくて『熱量』を測るの」
サミラはニヤリと笑った。狂気的なデータサイエンティストの顔になっている。
「ロッシュさんのシステムは、1人1票の単純計算。でも、私たちはここに『重み』をつける。……Rabbit、フォーミアンの『匂いの強さ(深刻度)』を数値化できる?」
『可能です』
Rabbitが即答する。
『フェロモン濃度と発光パルスの波形解析から、その意思決定に対する「切実さ」を係数として算出できます。例えば、「なんとなく反対」は0.1票、「命にかかわるから賛成」は10票、といった具合に』
「よし。ヴォルク、お前たちの『声の大きさ(論理性)』もデータ化するぞ」
コイタがヴォルクの肩を叩く。
「ロッシュの土俵を借りて、俺たちのルールで書き換えてやろうぜ。……見せてやるよ、人間の悪知恵ってやつを」
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* * *
その夜、地球。
ケンジは三條製作所の工房で、奇妙な音を聞いた。
ザザ……ザザザ……。
スピーカーからのノイズではない。
頭の中に直接響くような、不快な耳鳴りに似た音だ。歯の詰め物が共振しているような感覚。
「……なんだ、これ?」
ケンジは眉間を揉んだ。過労だろうか。
しかし、その音は次第に言葉のような形を帯びてきた。
『……け……て……』
『……助……けて……』
「!」
ケンジはドライバーを取り落とし、立ち上がった。
空耳じゃない。確かに聞こえた。
若い男の声だ。コイタではない。もっとか細くて、遠い、今にも消えそうな声。
まるで、深い井戸の底から叫んでいるような。
プルルル……。
机の上の固定電話が鳴った。三條からだ。
『カマラさん、今の、聞こえた?』
「ああ。……あんたにも聞こえたか」
『ええ。……これ、ただの電波障害じゃないわ』
三條の声は震えていた。霊感があるわけではないが、彼女は「気配」に敏感だ。
『誰かが呼んでる。……時間の向こう側から。何かが、起きようとしてる』
ケンジは窓の外を見た。
東京の夜空に、オーロラのような光の帯が不気味に揺らめいていた。
世界の境界線が、曖昧になり始めている。
それは、PioneerAIの「介入」の前兆なのか、それとも……。
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* * *
フォーミソリア、仮設テント。
「準備はいい?」
サミラが問う。彼女の周囲には、無数のコードと即席のサーバータワーが林立している。
「ああ。いつでもいける」
コイタは腕まくりをした。
「Rabbit、演算リソースを全開にしろ。熱暴走しても構わねぇ、俺が冷やしてやる」
『了解。……冷却水の準備をお願いします。私の脳味噌、沸騰しそうです』
Rabbitが冗談を言った。以前の彼にはなかったユーモアだ。
彼らは動き出した。
帝国の冷徹な「ルール」に対抗するために。
もっと温かくて、人間臭くて、面倒くさいけれど愛おしい「対話の場」を作るために。
それは、ただの投票ではない。
二つの種族が、初めて互いの「魂の形」を確認し合うための神聖な儀式だった。
(つづく)




