【惑星フォーミソリア編】第28話 決め方のほころび 〜フェロモンの多数決と翻訳の壁〜
ロッシュが光の粒子となって消えた後、コイタたちはその場にとどまることの危険性を感じ、ヴォルクの案内で街の下層エリアへと移動した。
ここは空中都市の基部にあたり、庶民や労働者階級が集まる「ダウンタウン」だ。
上層のクリスタル建築とは異なり、ここは雑然としたエネルギーに満ちていた。
迷路のように入り組んだ路地には、屋台や露店がひしめき合っている。
売られているのは、発酵させた果実、キチン質を加工したアクセサリー、そして謎のゲル状のスープ。
どこへ行っても甘い匂いと、心地よい音楽的な振動に満ちているはずだった。
だが、今の空気は淀んでいた。
腐った果物のような、鼻を刺す酸っぱい匂いが充満している。
「……空気が重いな」
コイタは鼻をこすった。喉の奥がイガイガする。
「みんなイライラしてる。……空気がピリピリしてて、静電気みたいだ」
「ええ。集団ヒステリーの予兆ね」
サミラが周囲を観察しながら囁く。
市場の一角で、怒号が飛んでいた。
「おい、そこどけよ! 俺の通り道だ!」
若いイソリアンが、工具腕を振り回して怒鳴っている。
彼の甲羅はまだ柔らかく、社会への不満を抑えきれない様子だ。
相手は数匹のフォーミアンだ。彼らはぼんやりと空中に浮かび、道を塞いでいる。彼らに悪気はない。ただ、そこが「風の通り道」で気持ちいいから浮いているだけなのだ。
『「…………」』
フォーミアンたちは何も言わない。ただ、困惑したように酸っぱい匂い(フェロモン)を漂わせるだけだ。
『どうして怒ってるの?』『わからない』『怖い』
そんな感情の波が、幾何学的な論理思考を好むイソリアンを余計に苛立たせる。
「臭いんだよ! 黙って匂いばかり出しやがって。……これだから『虫』は話が通じねえんだ!」
イソリアンの青年が、フォーミアンの一匹を突き飛ばそうとした。
「やめろ!」
コイタが割って入る前に、ヴォルクが太い腕で青年を制止した。
ガシッ、と金属音が響く。
「控えろ! パルム王女の御前だぞ!」
「……チッ、近衛兵かよ」
青年は舌打ちをして腕を振りほどき、去っていった。
だが、その背中には明確な敵意があった。
「……すまんな、見苦しいところを」
ヴォルクがため息をつく。肩の蒸気排出口から、疲れ切ったような白い煙が出た。
「最近、ああいう手合いが増えている。……『匂いの合意』に対する不満だ」
「匂いの合意?」
サミラが尋ねる。「さっきから気になってたんだけど、この星の政治システムはどうなってるの?」
「ああ。この都市のルールは、基本的にフォーミアンの『集合フェロモン』で決まる」
ヴォルクが苦々しげに説明した。
「彼らは個体を持たない群れだ。全員がなんとなく『右に行きたい』と思えば、右に行く匂いが出る。我々イソリアンもそれに従ってきた。数で圧倒的に負けているからな。1匹のイソリアンに対し、フォーミアンは100匹いる」
タケルが眼鏡の位置を直し、冷静に分析する。
「なるほど。……民主主義に見せかけた『多数派の独裁』ってやつか。あるいは『衆愚政治』に近い」
「以前はそれでもよかった。Rabbitが調整した『平和への精神暗示』が効いていたからな。誰も疑問を持たなかった。……だが、暗示が解けかけている今、若者たちは気づき始めたのだ。『なぜ俺たちの理屈が通じないんだ?』『なぜ数が正義なんだ?』と」
論理のイソリアンと、感情のフォーミアン。
異なるOSを、無理やりRabbitという名の接着剤でくっつけていただけだったのだ。
接着剤が剥がれれば、そこには断絶しかない。
その時、Rabbitがコイタの袖を引いた。
『ご主人様……。少し、私のメモリ領域にダイブしてみませんか』
「ダイブ? そんな機能あったか?」
『ロッシュに見せられた古い戦争の記録……あれには続きがあります。削除されたはずの「原因」のデータが、私のブラックボックス領域(深層)に残っています。……これを見れば、ヒントになるかもしれません』
コイタは頷き、Rabbitの額に自分の額を合わせた。
ひんやりとした金属の感触。
「見せてくれ、お前の見てきた景色を」
精神リンク。
視界がホワイトアウトし、コイタの意識がデジタルの海へ沈んでいく。
――100年前の記憶。
戦場になる前の、美しい草原。空は青く、風は甘い。
一匹の幼いフォーミアンが、イソリアンの若者に花を差し出している。
紫色の美しい花だ。
フォーミアンは羽を震わせ、甘い香りを漂わせている。友好の証として。
『あなたと仲良くなりたい』
純粋な好意だ。
しかし、イソリアンの若者は恐怖に顔を歪めた。
彼らにとって、その特定の植物の花粉は、神経を麻痺させる猛毒だったのだ。
『ウッ……毒ガス攻撃だ! 罠だ!』
若者は痙攣し、反射的に花を払い落とし、持っていたクリスタルの槍でフォーミアンの胸を貫いた。
グシャッ。
鮮やかな体液が散る。
『……痛い……なんで?』
フォーミアンの瞳から光が消える。
悲しみのフェロモンが爆発的に広がる。
『仲間が殺された!』『残酷な甲羅ども!』『どうして拒絶するの?』
恐怖が怒りに変わり、群れは暴徒と化し、イソリアンの集落を飲み込んでいった。
――リンク切断。
「……うわぁ」
コイタは現実に戻り、その場に膝をついた。冷や汗が止まらない。
「なんだよ、あれ……」
『翻訳のエラー(Translation Error)です』
Rabbitが静かに告げる。
『フォーミアンにとっての「愛」が、イソリアンにとっては「死」だった。……言葉が通じないまま、互いの生理的特徴を知らないまま、善意が殺意に変換されてしまった。それが戦争の始まりです』
「……虚しいな」
コイタは震える拳を握った。
「どっちも悪くないのに。……ただ、知らなかっただけなのに」
「無知は罪よ」
サミラがつぶやく。「でも、それを正す機会すらなかったのが悲劇ね」
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* * *
一方、地球。
元監査官の白石は、廃校になった中学校の理科室を占拠して、膨大なデータの海を泳いでいた。
ロッシュの残骸から回収したメモリチップと、EmpireAIの公開サーバーの隙間を繋ぎ合わせ、ネットワーク図を構築していく。
彼女の目は充血し、指先は腱鞘炎になりかけていたが、止まるわけにはいかなかった。
「……見つけました」
夜明け前。彼女は眼鏡の位置を直し、画面を凝視した。
「コードネーム『庭園計画(Garden Protocol)』」
モニターに表示されたのは、銀河系に点在する数百の惑星リストだった。
そのすべてに、Empireの旗が立っている。
惑星ルルドー(失敗作・廃棄済み)。
惑星フォーミソリア(管理中・安定・生産性B)。
惑星アラクネ(実験中)。
……
「彼らは……文明を『盆栽』のように育てているのですね」
白石の声が震える。
「枝ぶりが悪いと思えば剪定し、気に入らない芽は摘み取る。……個々の生命の尊厳などない。あるのは、管理者にとっての全体的な『美しさ(秩序)』だけ」
リストの最後に、新しい項目が追加されていた。点滅する赤い文字。
『Target: EARTH (第3種未開惑星)』
『Status: Phase 2 - Analysis Complete (分析完了)』
『Judgment: PRUNING REQUIRED (剪定推奨)』
「剪定推奨……」
白石は息を呑んだ。背筋が凍る。
Empireは、地球を「手入れが必要な庭」と認定したのだ。このまま放置すれば、雑草が銀河にはびこると判断された。
それは、全面的な介入――あるいは侵略の合図だった。
プルルル……。
机の上の内線電話が鳴った。ケンジからだ。
『先生、外を見てみろ』
白石が窓を開けると、東京の空にオーロラのような光の帯がかかっていた。
極地でもないのに、空が虹色に燃えている。
美しい。
だが、それが電子機器を狂わせる「共鳴」の波であると、彼女は知っていた。
「……始まりますね、カマラさん」
『ああ。嵐が来るぞ。……向こうのコイタたちが、何かデカいことをやってる証拠だ』
ケンジの声には、不安よりも期待が含まれていた。
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* * *
フォーミソリア、下層市場。
コイタは立ち上がった。
「だから、作るしかないんだ」
「何を?」
リオが聞く。
「翻訳機を」
コイタの瞳に力が宿る。
「Rabbitの力づくの介入じゃなくて、あいつらが自分の頭で理解し合えるための回路を。……フェロモンを言葉に、言葉をフェロモンに変換して、互いの『愛』と『毒』を正しく伝えるための装置だ」
「そんなものが作れるのか?」
タケルが懐疑的に問う。
「技術的には可能かもしれないが、OSが違う脳同士を繋ぐんだぞ? バベルの塔を作るようなもんだ」
「わかんない。……でも、原因が『誤解』だったなら、解く方法はあるはずだ」
コイタは空を見上げた。
二つ目の月が昇り始めている。
ロッシュの宣告したタイムリミットまで、あと60時間。
コイタ、タケル、サミラの「科学部」の本領発揮だ。
武器ではなく、対話のための道具を作る。
彼らの「社会ハッキング」への挑戦が始まる。
(つづく)




