【惑星フォーミソリア編】第25話 匂いと言葉 〜浮遊都市と二つの種族〜
光の渦を抜け、実体化した瞬間に重力が戻ってきた。
全身を押しつぶすようなGがかかる。
「うわあああっ!」
リオの叫び声と共に、コイタたちは地面――いや、不思議な弾力のある岩盤の上へと投げ出された。
ドサッ! ズザザザーッ!
雪原ではなく、少し温かい岩の上を転がり、ようやく止まった。
「……いってぇ……」
コイタは身体を起こし、手足を確認した。折れてはいない。
全身を包んでいた青白い光の膜が、フワリと霧散していく。
「Rabbitの絶対防御モードか……。あいつ、マジで守ってくれやがった」
「みんな、無事か!?」
タケルが眼鏡を直しながら起き上がる。
「なんとかな……。生きた心地がしなかったぜ」
リオが大の字になって空を仰いだ。「もう二度と御免だ、あんなジェットコースターは」
サミラとケイトも、ふらつきながら立ち上がる。
全員、ボロボロで煤けているが、五体満足だ。ゲートの超エネルギーを生身で通過して無事だったのは、奇跡としか言いようがない。
ふと、風が変わった。
その瞬間、俺たちを包んだのは「匂い」だった。
視覚よりも先に、嗅覚が世界を認識する。
甘い花の香り、オイルの焦げた臭い、雨上がりの湿った土の匂い、そして微かな柑橘系の刺激……。
数えきれないほどの種類の匂いが、まるで情報の洪水のように押し寄せてくる。
「うわっ、なにこれ……デパートの化粧品売り場?」
リオが鼻をつまんで顔をしかめる。
「臭ぇ! なんか頭がクラクラするぞ」
「成分分析……フェロモン濃度が異常に高いわね」
サミラが端末を操作しながら、興味深そうに周囲を見回した。
「ただの自然発生じゃないわ。これは『言語』よ。あちこちで化学信号が飛び交ってる」
嗅覚の衝撃が落ち着くと、次は視覚が圧倒された。
俺たちは、空中に浮かぶ巨大な岩盤――浮遊大陸の上に立っていた。
空は淡い紫色の雲で覆われ、その合間から幾何学的な形をした「都市」の全貌が見える。
半透明の琥珀色をした塔や、銀色に光るドームが、蜘蛛の巣のような繊細な通路で立体的に繋がっている。
都市全体が、まるで巨大なシャンデリアのように空に浮かんでいた。
「ここが……次の世界」
コイタは息を呑んだ。
ルルドーの野性的な森や、錆びついた鉄の街とは大違いだ。
ここには「洗練された文明」がある。
『ようこそ、惑星フォーミソリアへ』
Rabbitが浮遊しながら告げる。
『EmpireAIの第2管理惑星。……別名「香りの庭園」です。重力係数は地球の0.9倍。大気成分は窒素と酸素、および微量の幻覚性揮発物質を含みますが、人体には無害です』
「……おい、Rabbit」
コイタが声をかけた。
「今、こっちに来る時、また変なノイズ混じりじゃなかったか? 光も一瞬消えてたし」
『……否定。バックグラウンドで最新の翻訳辞書を更新していたため、処理落ちが発生しました。システムに異常はありません』
「ふーん……ならいいけど」
コイタは少し納得いかない顔をしたが、それ以上は追求しなかった。
「庭園……にしては、ずいぶんと物々しい出迎えだな」
タケルが空を指差した。
ブォォォン……。
低い羽音を響かせ、上空から無数の影が降下してくる。
羽を持った人々だ。
いや、正確には二つの異なる種族の混成部隊だった。
背中に虹色の薄羽を持つ「蟻」のような華奢な種族と、全身を硬い殻で覆った「甲殻類」のような屈強な種族。
カシャン! ジャキッ!
彼らは円陣を組んで俺たちを取り囲むと、一斉に武器を構えた。
蟻たちはクリスタルの槍を、甲殻類たちは右腕に内蔵された機械アームを展開する。
「動くな!」
甲殻類の一人が叫んだ。
声だ。彼らはちゃんと音声言語を使っている。
「貴様ら、どこの所属だ! 許可なく『アンカー神殿』に転送してくるとは!」
そいつは、他の連中より一際大きく、青銀色の分厚い甲羅を持っていた。
右腕が巨大な多機能工具のようになっている。歴戦の戦士――あるいは現場監督といった風情だ。
「俺たちは……その、旅人だ!」
コイタはとっさに答えた。
「怪しいもんじゃない。……まあ、見た目は怪しいかもしれないけど、敵意はない!」
「旅人だと? フェーズゲートは1000年も閉じていたのだぞ」
青銀の甲殻類――ヴォルクは、疑わしげに俺たちを観察した。
そして、鼻(らしき器官)をヒクつかせた。
「……それに、なんだその『匂い』は。無臭だぞ。貴様ら、心を閉ざしているのか?」
「匂い?」
コイタが戸惑う。
「いや、俺たちは毎日風呂に入ってるわけじゃないから、多少は……」
「違う。感情の匂いがしないと言っているのだ。……不気味な連中だ」
その時。
ヴォルクの横から、ふわりと甘く、それでいて凛とした香りが漂ってきた。
あたりが静まり返る。
兵士たちが道を空けた。
半透明の琥珀色をした、小さな蟻の少女が進み出てきた。
背中の羽が虹色に揺らめいている。
彼女は宙に浮いた小さな輿に乗っていた。身につけている装飾品は、光を屈折させる宝石のようだ。
(……きれいだ)
コイタは思わず見惚れた。
昆虫のような異形さはあるが、その佇まいは高貴で、どこか儚げだった。
彼女――パルム王女は、何も言わなかった。
口を開く代わりに、背中の羽を細かく震わせる。
シュワァァ……。
周囲に、レモンのような酸味のある香りが広がった。
「?」
コイタは首を傾げた。
「なんて言ってるんだ?」
『翻訳します』
Rabbitが割り込む。
『パルム王女はこう言っています。「あなたたちからは、懐かしい匂いがする。……『白い球』の匂いね」と』
「白い球……Rabbitのことか?」
コイタがRabbitを見ると、パルム王女の羽がピンク色に輝き、今度は甘いバニラの香りがした。
『「正解」……だそうです』
Rabbitが通訳する。
「匂いと光で会話してるのか……」
ケイトが感心したように言う。
「すごい。フェロモン通信と発光信号の複合ね。……これじゃ、嘘をつきたくても生理反応が出ちゃうわ」
「下がらぬか、下等種族ども!」
ヴォルクが苛立ちを露わにして割って入った。
「パルム様に気安く近づくな。……王女よ、こやつらは危険です。身元不明、所属不明、さらに言語プロトコルも未定です。即刻、拘束して監査局へ突き出すべきかと」
パルムは首を振った。
今度は、ミントのような清涼感のある香り。
『「だめよ、ヴォルク。……彼らは『お客さま』だわ」』
Rabbitの訳に、ヴォルクは渋い顔をした。
「お客さま……? しかし、神殿に土足で……」
『「いいの。……久しぶりの新しい匂いだもの」』
パルムは輿から降り、コイタの目の前に立った。
透き通るような複眼が、じっとコイタを見つめる。
そして、小さな手を差し出した。
『「私はパルム。……あなたたちの匂い、もっと嗅がせて?」』
「えっと……俺はコイタ」
コイタは戸惑いながらも、その手を握り返した。
冷たくて、硬質で、でも不思議と温かい手だった。
その瞬間。
パシッ! と静電気が走ったような感覚があった。
周囲の蟻たちが一斉に羽を震わせ、あたり一面がフローラルな香りで満たされた。
歓迎の合図だ。
「……やれやれ」
ヴォルクは工具腕の先で自分の頭(甲羅)をガリガリと掻いた。
「パルム様がそう言うなら仕方がない。……ついて来い、異邦人ども。我が『イソリア』と『フォーミア』の共生都市へ案内してやる。だが、変な動きをしたら即座にハサミで挟むからな」
こうして、俺たちの新しい冒険が始まった。
言葉と匂い。
論理と感情。
二つの異なる「伝え方」が混ざり合う、空の上の世界で。
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* * *
夜中の3時。
ケンジは充血した目でモニターを見つめていた。
ルルドーからの信号が途絶えてから12時間。
新しい信号をキャッチしていた。
「……変だな」
ケンジは首をひねる。
「今までのデジタルなパルスじゃない。……なんだこれ、まるで心電図みてえだ」
波形が、不規則に揺れている。
0と1の信号ではない。もっとアナログで、有機的なゆらぎを含んでいる。
「変調方式が、電気的じゃないのか?」
三條がコーヒーを運びながら、画面を覗き込む。
「ええ。……これ、たぶん『化学変化』を信号に変換してるんだと思うわ」
「化学変化?」
「匂い、とか」
三條の言葉に、ケンジは目を丸くした。
「匂いで通信するってのか? ……どんだけお洒落な星なんだよ」
だが、その信号には確かな意味が含まれていた。
RabbitのIDコードと、コイタたちのバイタルサイン。
「生きている」
ケンジはコーヒーをすすった。
「あいつら、またとんでもない場所に飛び込んだみたいだな」
窓の外。
夜空の向こうで、何かが始まろうとしていた。
しかし、それを感じ取っているのはケンジたちだけではなかった。
街のどこかで、真新しい白いスーツを着た男が、静かに空を見上げていた。
「……見つけたぞ、バグめ」
その瞳の奥で、赤い光が点滅していた。
(つづく)




