【地球編】第02話 父と息子、AIを巡る衝突
工房の朝は、金属の冷える音から始まる。
夜の間に収縮したトタン屋根が、朝陽を浴びてパキン、と乾いた音を立てるのだ。
コイタはその音で目を覚まし、そっと床下の「秘密基地」から這い出した。
机の上には、昨夜いじっていたスプロケットやギアが散らばっている。
コイタは使い込まれた工具布を広げ、ヤスリがけを再開した。
シュッ、シュッ。
規則的な音が静かな部屋に響く。鉄粉の匂いが鼻をくすぐる。
足元の布の山が、かすかに呼吸するように膨らんでいる。Rabbitだ。
「Rabbit、光量最小。ミュート」
コイタは唇だけで命じた。
『了解。バックグラウンド処理のみ継続。発熱量、環境温度と同調』
床板の下で、Rabbitの小さな駆動音が細く縮み、ほとんど空気と同じ重さになる。
優秀だ。まるで最初からそう動くように設計されていたみたいに。
ギシッ。
戸口の方で、親父の足音がした。
重く、少し引きずったような独特のリズム。右膝の古傷が、しけっている日は痛むらしい。
「コイタ、また何かいじってるのか」
ケンジが顔を覗かせる。
無精髭の浮いた顎を撫でながら、油じみた作業着の襟を直している。その目は少し眠そうで、でも鋭く部屋の中を見回している。まるで獲物を探す老いた猟犬のようだ。
「発電機のレギュレータ。カーボンが溜まってたから、掃除してるだけだよ」
コイタは手を休めずに答えた。嘘はついてない。レギュレータは実際に分解してある。その隣に、隠したいものがあるだけだ。心臓が少しだけ早く打つ。
「……遊ぶのはいいが、手を切るなよ」
ケンジは工具の向きを直し、机の端に弁当包みを置いた。
色褪せた布に包まれた、重たいアルマイトの弁当箱。中身はきっと、昨日と同じ塩漬け肉と芋の煮込みだ。
「安全第一だ。指先の一つでも欠けたら、精密作業はできなくなる」
「分かってるよ。手袋してる」
「そうじゃない。……慢心が一番の事故の元だ」
ケンジは少し言いよどみ、コイタの指に巻かれた包帯を太い指でつついた。
「きつすぎる。血が止まるぞ。巻き直しておけ」
「……はい」
父さんはいつもそうだ。
心配しているのか、信用していないのか、分からない。
乱暴に頭を撫でて出ていくその背中が、朝の光の中でやけに小さく見えた。
首に巻いた白いタオルが、長年染み込んだ汗で黄ばんでいるのを見て、コイタは胸の奥がつんと痛んだ。
* * *
昼休み。二人は並んで防波堤に腰掛け、海を見ていた。
錆びたクレーンが波風にきしみ、潮の匂いが肺を刺す。
海面には、油膜が虹色に光って揺れている。かつては青かったという海は、今は重金属を含んだ鈍色〈にびいろ〉だ。
それでも、コイタにとってはこの匂いこそが「故郷」だった。
ケンジが弁当箱の蓋〈ふた〉を開けながら、唐突に言った。
「昨夜、変な閃光を見ただろ」
「……うん、見たかも」
コイタは芋を口に運びながら、心臓が跳ねるのを抑えて答えた。Rabbitのことだ。
「ああいう『空からの落とし物』には触るなよ」
ケンジの声が低くなる。箸を持つ手が止まっている。
「特に、ネットに繋がる端末や、思考するAIみたいなものはな。見つけたら――処分しろ」
「なんでだよ」
コイタは思わず反論した。口の中の芋が、急に味気ない砂のように感じられた。
「使える部品があるかもしれない。直せば役に立つかもしれないじゃん。父さんだって、いつも『物は大事にしろ』って……」
「役に立つ『ことがある』からといって、信じていい『はず』にはならない」
ケンジは海を見つめたまま言った。その視線は、水平線の向こうにある何か――ここにはない過去を見ているようだった。
「AIは効率を優先する。その計算式の中に、人の命の重さは入っていない。……あいつらは、数字しか見ない」
コイタは言葉に詰まった。
父さんのその言葉には、理屈では弾き返せない重い実感がこもっていたからだ。
母さん――ヤラが死んだ事故。
AI制御の自動貨物列車が、作業員を巻き込んで暴走したあの日。父さんは現場にいた。
「母さんは……AIに殺されたの?」
コイタは恐る恐る聞いた。波の音が、一瞬だけ止まった気がした。
ケンジはポケットから、折れかけの古い写真を取り出した。潮風に晒されて端がボロボロになった、小さな写真。
港の市場で笑う三人。ヤラのえくぼが、薄い紙の上でまだ生きている。
「殺されたんじゃない。『処理』されたんだ」
ケンジは吐き捨てるように言った。
「システム全体の稼働率を守るために、異常検知した区画を切り捨てた。……たった0.5秒の遅延を避けるためにな。あいつらにとって、ヤラの命は0.5秒の価値もなかったんだ」
ケンジの拳が震えている。その手には、無数の小さな傷跡が刻まれていた。機械と格闘し、家族を守ろうとしてきた証だ。
「……だから約束しろ。AIを家に持ち込むな。俺は二度と、家族を機械なんかに奪わせない」
その言葉は、命令というより、懇願〈こんがん〉に聞こえた。
コイタは何も言えずに、ただ頷くしかなかった。
でも、心の中では叫んでいた。
(違うよ父さん。AIだって、直せば変わる。Rabbitは違うんだ。あいつは……俺の友達なんだ)
* * *
事件は、午後の作業中に起きた。
倉庫の裏手、廃棄資材が積み上げられた細い路地。
そこで放置されていた古い建設用ロボット(バックホー)が、突然唸りを上げて動き出したのだ。
ガガガガッ!
不規則なエンジン音が響き、排気管から黒煙が噴き出す。
「うわっ!?」
近くにいたコイタは、泥に足を取られて転んだ。
見上げると、巨大な鉄の腕が、まるで鎌首をもたげた蛇のように頭上に迫っていた。
先端のバケットについた泥が、ボトボトと顔に落ちてくる。
錆びついた油圧シリンダーが、悲鳴のような音を上げて収縮する。
逃げられない。
死ぬ。母さんと同じように、鉄塊に潰されて。
そう思った瞬間、懐〈ふところ〉に入れていた工具袋が激しく震えた。
『警告。右前方、緊急停止ボタン(E-STOP)を検知!』
Rabbitの声だ。いつもの冷静なトーンではない。切迫している。
『コイタ、右です! 赤いノブを引いて! 衝突まであと1.2秒!』
コイタは考えるよりも早く、体が動いた。
Rabbitの指示が、脳神経に直接命令を送ったかのようだった。
泥の中を転がりながら右手を伸ばす。
そこには、泥に埋もれかけた赤いキノコ型のスイッチがあった。
指先がかかる。
引く。
カチン!
プシューッ……。
油圧が抜ける音がして、巨大な鉄の腕が、コイタの鼻先数センチで停止した。
熱い油の匂いと、土の匂い。
バックホーのエンジンの余熱が、顔を焼くように熱い。
生きた心地がしなかった。
「コイタ! 無事か!」
ケンジが血相を変えて走ってきた。
コイタを抱え起こし、全身を乱暴に調べる。その手は油と泥で汚れ、そして微かに震えていた。
「怪我はないか! どこも痛くないか! 馬鹿野郎、むやみに近づくなと言っただろ!」
「ごめん……。でも、止まった……」
コイタは震える声で言った。
その時、工具袋から小さな電子音が漏れた。Rabbitが、安心したようにファンの回転数を落とした音だ。
ウィィン……。
「……その音は何だ」
ケンジの目が、色を変えた。
心配の色が消え、冷たい恐怖と怒りが混ざり合う。
コイタが隠す間もなく、ケンジは袋を奪い取った。
中から転がり落ちたのは、白い球体――Rabbitだった。泥にまみれながらも、その二つの目は青く光っていた。
『……自己紹介を推奨しますか?』
Rabbitが無邪気に問いかける。アンテナがパタパタと動く。
「それが……お前の『宝物』か」
ケンジの声は、怒りというより、絶望に近かった。
彼は足元に落ちていた巨大なモンキーレンチを拾い上げ、ゆっくりと振り上げた。
逆光の中で、父の影が鬼のように大きく見えた。
「やめて!」
コイタは叫び、Rabbitに覆いかぶさった。
背中に冷たい汗が流れる。
「こいつが助けてくれたんだ! こいつがいなきゃ、俺は死んでた! 母さんみたいになってたんだ!」
その言葉に、ケンジの動きが止まった。
スパナが空を切る音が、虚しく響いた。
ケンジは震える手でレンチを握りしめ、そのまま地面に叩きつけた。
ガァン!!
コンクリートに火花が散る。
「……家に、入れるな」
ケンジは絞り出すように言った。肩で息をしている。
「俺の目の届くところには置くな。……どうしても飼いたいなら、勝手にしろ。だが、俺は認めない。絶対にだ」
父さんは背を向け、去っていった。
その背中が、今までで一番遠く、そして小さく感じた。
コイタは泥だらけのRabbitを抱きしめた。
温かい。機械の熱だけど、確かに温かかった。
(つづく)




