【惑星ルルドー編】第18話 二つの戦場 〜摩擦と電圧〜
夜明け。
二つの月が沈み、紫色の空が白み始めた頃。
コイタたちは、鬱蒼とした森を抜け、眼下に「街道」を見下ろす崖の上に到着していた。
かつてこの星に住んでいた何者かが敷設したと思われる、幅広の石畳の道だ。それが森を切り裂くように、遥か彼方の工業地帯へと続いている。
「……おい、あれを見ろ」
コイタが指差した先で、土煙が上がっていた。
地響きと共に、ドグルド族の部隊が街道を封鎖するように展開している。
森の木々をなぎ倒し、装甲車のような無骨な車両が3台、黒い排気ガスを撒き散らしながら進軍してくる。
車輪ではなく、多脚戦車のような節足歩行メカだ。その後ろには、レーザーライフルを構えた歩兵が約30名。完全武装だ。
対するは、街道の脇の木々に潜んだルー族の斥候部隊だ。彼らはコイタたちの逃走経路を確保するために、先行して待ち伏せしていたのだ。
だが、戦力差は絶望的だった。
彼らが樹上から矢を射るが、鋼鉄の装甲には弾かれるだけだ。
レーザーの雨あられを受け、戦士たちが次々と枝から落ちていく。
『「くそっ、歯が立たない! 兄弟、お前たちは逃げろ! ここは我らが食い止める!」』
ケムルーが叫んだ。覚悟を決めた戦士の目だ。特攻するつもりだ。
「馬鹿言うな! まだ手はある!」
コイタが遮った。
彼は街道を見下ろす巨大な樹の上に登り、眼下の石畳の坂道を確認した。
敵の車両が、唸りを上げてそこを登ってくる。
鉄の爪が石畳を削る音が、静かな森に不快なノイズとして響き渡る。
「文明の利器ってやつを、逆手に取ってやる。……ハイテク兵器の弱点を教えてやるよ」
コイタは左手をかざした。
腕輪(位相鍵)が熱を帯びる。脳神経が焼き切れるような熱量。
イメージするのは「氷」。いや、それよりも滑るもの。
絶対的な滑らかさ。
「ターゲット、地面。……範囲、前方50メートル。……パラメータ、静止摩擦係数、ゼロ!」
キィィン……。
高周波音と共に、坂道の表面が鏡のように変質した。
見た目は変わらない。だが、そこはもう物理的な「地面」としてのグリップ力を失っていた。分子レベルで平滑化された、完璧なスケートリンクだ。
その瞬間。
先頭の多脚車両が、何の前触れもなく横滑りを始めた。
ギュルルルッ!!
脚が空転し、姿勢制御ジャイロが悲鳴を上げる。
物理法則を無視した動きで、車両はコマのように回転しながら後退し、後続の車両に側面から激突した。
ガシャァァン!!
装甲がひしゃげ、火花が散る。燃料タンクが破損し、黒い油が飛び散る。
「うわぁぁっ!?」
歩兵たちも次々と転倒する。
起き上がろうと手をついても、その手が滑って顔面を強打する。
最新兵器で武装した軍隊が、まるで氷上の道化師のように、あるいはボウリングのピンのように転がり落ちていく。
どんなに強力なエンジンも、地面を蹴れなければただの重りだ。
「今だ! 転んでる隙に射て!」
ケイトの合図で、樹上のルー族が一斉に矢を放った。
ヒュンヒュンヒュン!
矢の先端には、森の毒草から精製した強力な痺れ薬が塗られている。
鎧の隙間――首筋や脇の下を正確に射抜かれ、ドグルド兵たちが痙攣して倒れ伏す。
「やった……! ざまあみろ!」
コイタはガッツポーズをした。
だが、その直後、視界がぐらりと歪んだ。世界が反転する。
ツツーッ……。
鼻から温かいものが流れる。鼻血だ。腕輪が食い込むように熱い。
「……やっぱ、きついな」
コイタは幹に背中を預けた。
重力や摩擦といった物理定数の書き換えは、脳の演算領域を焼き切るほどの負荷がかかる。自分の脳みそをCPUにして、現実をレンダリングし直しているようなものだ。
でも、勝てる。この力があれば、守れる。
* * *
ほぼ同時刻。地球。
雨上がりの湿った風の中に、異質な匂いが混じっていた。
オゾンの臭いだ。
ケンジが工房の周囲に設置した簡易センサーが反応した。
モニターに映っているのは、「ガス点検」の作業着を着た男ではない。
純白のスーツを着た、あの男だった。泥水溜まりの上を歩いているのに、靴一つ汚れていない。
「……ロッシュ」
ケンジは吸いかけの煙草を足で踏み消した。
やはり来たか。死神のお出ましだ。
ロッシュはたった一人で工房の前に立っていた。
背後には誰もいない。ドローンすらいない。
だが、その存在感だけで、路地の空気が凍りついているようだった。野良猫たちが悲鳴を上げて逃げ出す。
『ケンジ・カマラ。……あなたに、任意同行を求めます』
インターホン越しではない。直接、部屋のスピーカーから声がした。
工房のシステムが、一瞬でハッキングされたのだ。
電源を切ったはずのPCが勝手に起動し、カメラがこちらを向く。
「ご丁寧なこった。令状はあるのか?」
ケンジはスパナを握りしめ、モニター越しに挑発した。声が震えないように腹に力を入れる。
『不要です。あなたは既に「都市機能への重大な脅威」として認定されています。……よって、即時隔離が適用されます』
ロッシュが手をかざす。
ピピッ。
工房の電子ロックが、まるで紙切れのように解除された。最高強度のセキュリティだったはずだが、創造主(Empire)の前では無意味だ。
カチャリ。
ドアが開く。
ロッシュが足を踏み入れる。
その優雅な歩みは、死刑執行人のそれだった。
その瞬間、ケンジは溶接用の遮光ゴーグルを装着した。
「悪いな。うちは会員制なんだ」
彼が足元のペダルを思い切り踏み込む。
同時、ロッシュの足元の床板がバネ仕掛けで弾け飛び、床下に埋め込んでいた強力な工業用電磁石が露出した。
ガチンッ!!
ロッシュの体が床に張り付けられる。見えない鎖に縛られたように、白いスーツが床にへばりつく。
彼の正体は人間ではない。高度な義体だ。強力な磁力には抗えない。
『……原始的なトラップですね。磁力耐性は……』
ロッシュが表情を変えずに計算を始める。
彼の指先からグレーのナノマシンが滲み出し、磁場を無効化しようとする。
「まだだ! デザートはこれからだ!」
ケンジは奥の部屋のブレーカーを落とした。
そして、ヤラの形見である「あの装置」のスイッチを入れた。
キュイィィィィン……!!
耳をつんざく高周波音。
部屋の中央に置かれた巨大なコイル――電磁パルス(EMP)発生装置が、青白い放電を開始する。
空気がイオン化し、口の中が鉄の味になった。
『EMP……!? 馬鹿な、この距離で使用すれば、あなたも無事では……』
初めてロッシュの声に焦りの色が混じった。
計算外だ。自分の命を危険に晒してまで、攻撃してくるとは想定していない。
「俺はアナログ人間でね! ペースメーカーは入れてねえんだよ!!」
ケンジは叫び、最大出力のレバーを叩き込んだ。
「あばよ、ハイテク野郎!」
カッッッ!!!!
閃光が視界を埋め尽くす。
世界が白一色になった。
真空管アンプが爆発し、蛍光灯が破裂してガラスの雨が降る。
PCも、サーバーも、10年分の修理データも、全てが一瞬で焼き切れた。
そして、ロッシュの身体から黒煙が噴き出した。
『システム……ダウン……。エラー……ログ送信……不……能……』
白いスーツの男は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
その瞳から光が消える。義体の機能停止だ。
「……はぁ、はぁ、はぁ」
暗闇の中で、ケンジはゴーグルを外した。
工房は全滅だ。焦げ臭い煙が充満している。
ヤラとの思い出が詰まった無線機も、コイタが初めて作ったロボットも、全部黒焦げのガラクタになった。
自分の半生そのものを燃やし尽くした。
だが、勝った。
息子を守った。
「三條先生、聞こえるか?」
ケンジはポケットから、唯一無事だった旧式のトランシーバー(真空管式だ。EMPには強い)を取り出した。
「『掃除屋』は片付けた。……だが、俺の工房もお釈迦だ。あとの処理は頼む」
『……了解。公文書偽造の罪がまた増えるわね』
ノイズ混じりの三條の声。震えているが、笑っていた。
『生きててくれて、ありがとう』
ケンジは動かなくなったロッシュを見下ろした。
本体は別にいる。これはただの端末だ。明日になれば、新しいロッシュがまた来るだろう。
だが、一矢報いてやった。
人間は、計算通りにはいかないと教えてやった。
「ざまあみやがれ。……人間の親父を舐めるなよ」
彼は煤けた顔で笑い、折れたタバコに火をつけた。
煙が目に染みた。
(つづく)




