【惑星ルルドー編】第15話 腕輪の力 〜UIと重力制御〜
神殿での激闘から逃れ、コイタとケムルーは滝の裏にある天然の洞窟に身を潜めていた。
轟音を立てて落ちる水のカーテンが、追っ手の視線と探知センサーの両方を遮断してくれる天然の要害だ。
外では激しいスコールが降り始めていた。異星の雨は、少し錆びた鉄のような匂いがする。
洞窟の中央では、ケムルーが火打石で慣れた手つきで火を起こし、近くの川で獲った魚(足が4本ある奇妙な魚だ)を串刺しにして焼いていた。パチパチとはぜる赤い炎が、彼の茶色の毛並みを照らし出している。
その炎を見つめながら、コイタは自分の左手首を睨みつけていた。
「さて……こいつの使い方を解析するか」
銀色の刻印は、肌に完全に定着していた。
触れても痛みはないが、脈打つような熱を感じる。まるで、別の生き物が皮膚の下に巣食っているような感覚だ。
どうやって起動する?
魔法の呪文? まさか。
これは高度なテクノロジーだ。ナノマシンか、あるいはバイオチップか。必ず論理的なインターフェイス(UI)と、マニュアル(仕様書)があるはずだ。設計者がいるなら、ユーザーへの導線を用意していないはずがない。
「メニュー画面、起動! ……オープン、セサミ?」
シーン。何も起きない。
「音声入力? ジェスチャー? ……それとも課金が必要か? 初回ログインボーナスとかないのかよ」
手を振ってみたり、空中で指をスワイプしてみたり、手首をコンコンと叩いてみたりしたが、反応なし。
一人言が虚しく響く。
いつもなら、ここで生意気なAI(Rabbit)が茶々を入れてくるはずだが、今はいない。
背中のバックパックが物理的に軽くても、心細さは鉛のように重かった。
「くそ……寂しいもんだな。デバッグの相方もいないなんて」
コイタは苛立って、手元の石ころを拾い上げた。
集中する。念じる。
「動け……! 浮け……!」
血管が浮き出るほど力を込めたが、石ころはただの石ころのままだ。
「くそっ、不良品か?」
『……イメージしろ』
不意に、脳内の奥底――大脳基底核のあたりで声が響いた。
Rabbitの感情豊かな、人懐っこい声とは違う。
もっと冷たく、硬質で、純粋な演算だけを行う機械の声。感情のノイズが一切ない、クリアすぎる音。
これが、この腕輪のOS(PioneerAI)か。
『出力の場所と、ベクトルを定義せよ。……座標指定は視線追従で行う。思考誘導インターフェイス、オンライン』
「なるほど、視線入力か!」
コイタはエンジニアの顔になった。仕様が分かればこっちのものだ。
目の前にある手頃な岩――漬物石くらいの大きさだ――を見つめる。
集中する。瞬きもせずに凝視する。
すると、視界の端にノイズが走り、網膜の上に、薄っすらと赤い幾何学模様――拡張現実(AR)のようなターゲットマーカーが浮かび上がった。六角形のグリッドが、対象物を包み込む。
『ターゲット・ロック。……対象質量:12.5kg。材質:高密度珪酸塩』
脳内にパラメータが表示される。
「よし、ロックオン」
次に、その岩をどうしたいかイメージする。
持ち上げる。軽くする。
いや、具体的に。
重力定数を書き換える。局所的に、下向きの引力ベクトルを相殺し、上向きの推力を加える。
コイタは手首をくいっと上に向けた。人形使いが糸を引くように。
ズズズ……。
岩が震えた。
そして、まるで風船のようにふわりと浮き上がった。重さを失ったかのように、空中に静止する。
『「おおおっ!」』
焼き魚をひっくり返していたケムルーが、腰を抜かしてひれ伏した。尻尾が驚きで直立している。
『「奇跡だ! 魔法使い様だ! 石が鳥になったぞ! 精霊の加護だ!」』
「違うって。これは魔法じゃない。……物理演算の書き換えだ」
コイタは額の冷や汗を拭った。
重力を消したわけじゃない。対象物の「質量定義」を一時的に騙しているんだ。
現実という名のゲームプログラムに介入して、パラメータを改竄している。
システムの裏をかくような、チート行為に近い。
「もっと……高く!」
コイタはさらに意識を集中させた。
岩を天井まで持ち上げようとした瞬間。
「うっ……!」
バチン!と脳内で何かが弾ける音がした。
激しい目眩が襲ってきた。鼻の奥がツーンと痛くなり、視界がぐらりと歪む。三半規管が狂ったような吐き気。
集中力が途切れる。
ガゴン!
岩が重さを取り戻し、地面に落下した。
『警告。脳内メモリ消費増大。……ニューロン発火率が許容値を超過。連続使用はシナプス結合に不可逆的な損傷を与えます。冷却が必要です』
「はぁ、はぁ……なるほどね……タダじゃねえってことか」
コイタはその場にへたり込んだ。頭が割れるように痛い。
すごい技術だが、バッテリーもメモリも自分の脳だ。使いすぎれば脳が焼き切れて廃人になりかねない。
「MPじゃなくて、HPを削るタイプかよ……」
ケムルーがおずおずと差し出し水筒を受け取り、一気に飲み干す。
『「大丈夫か、勇者よ。……神の力は、人の器には大きすぎるのか」』
「神様ってのは意地が悪いな。……でも、これなら戦える」
コイタは震える拳を握った。
剣も銃も使えない自分だが、エンジニアとしての発想があれば、この物理法則そのものを武器にできる。
物を浮かせるだけじゃない。使い方次第だ。
「見てろよ。……重力使いのエンジニアなんて、史上初だろ」
コイタはニヤリと笑った。痛みはあるが、同時に高揚感もあった。新しいおもちゃを手に入れた子供のように。
その時、ケムルーが北の空を指差した。
『「兄弟、あそこを見ろ。……嫌な光が見える」』
遠くの山岳地帯。黒い雲の下で、禍々しい赤い光が明滅していた。
ドグルド族の要塞だ。
「……あそこに、連れて行かれた仲間がいるんだな?」
コイタの問いに、ケムルーは無言で頷いた。
ケイト。
あいつは強いフリをしてるけど、本当は泣き虫で、閉所恐怖症だ。あんな暗い牢屋に閉じ込められたら、一晩だって持たないだろう。
「待ってろよ、ケイト。……今すぐ出してやる」
コイタは腰のベルトを締め直した。
「行くぞ、ケムルー。……反撃開始だ!」
* * *
一方、地球。
深夜の港町。雨脚は強まっていた。
ケンジの隠れ家工房の入り口で、雨音に混じって、油紙のごわつく音がした。
三條先生がやってきたのだ。
彼女は酸性雨で変色した傘を閉じ、無造作に入り口に立てかけた。いつもの完璧なスーツ姿ではなく、少し着崩したシャツにカーディガンを羽織っている。
袋の中身は、安物の合成酒と謎の肉の串焼き、そして干し肉だ。
「差し入れよ。……どう、進捗は?」
「ぼちぼちだ」
ケンジは充血した目をこすりながら、差し出された合成酒のボトル(ラベルもない密造酒だ)の栓をひねって開けた。
冷たい液体が喉を通り、カッカと熱くなっていた脳を少しだけ冷やしてくれる。
「信号は安定してきた。あいつ、向こうで何かデバイスを手に入れたらしい。波形が強くなった。……まるで、アンテナの感度が上がったみたいにな」
「デバイス……?」
三條は怪訝そうに眉をひそめた。適当なパイプ椅子に座り、足を組む。
「まさか、向こう側のテクノロジーに接触したの? ……だとしたら、危険だわ。未知のウイルスか、ナノマシン汚染のリスクがある」
「恐らくな。……この独特なゆらぎ、見覚えがある。12年前、ヤラの研究室で見たのと同じだ」
ケンジがふと漏らした言葉に、空気が凍りついた。
三條が串焼きを口に運ぶ手を止める。タレが滴り落ちる。
「……知ってたの?」
静かな問い。そこには、長い間封印してきた感情が滲んでいた。
「ヤラさんが……ただの事故死じゃなかったってこと」
「薄々はな」
ケンジは遠い目をして、煙草に火をつけた。紫煙が天井の梁に絡みつく。
「あいつはいつも言ってた。『宇宙には裏口がある』って。『数式の中に見つけたノイズが、まるで歌声みたいに聞こえるの』……そう言って笑ってた」
懐かしい記憶。
油まみれの手で数式を書き殴る妻と、それを横で呆れながら見ていた自分。
「彼女は天才だった。……俺なんかよりずっと。俺はただのエンジニアだが、あいつは『予言者』みたいだった」
ケンジは目を細めた。
「スラムの掃き溜めで出会って、互いにEmpireへの反逆心だけで繋がった。……俺たちは恋人である前に、共犯者だったんだ」
三條は黙って聞いていた。彼らがかつて、EmpireAIの中枢開発チームから脱走した「裏切り者」同士だったことは知っていた。だが、その絆の深さまでは。
「だが、俺は弱かった」
ケンジが自嘲気味に笑う。
「ヤラが死んだ時、Empireは完璧な事故調査レポートを突きつけてきた。『整備不良による人為的ミス』。……俺は、それに反論できなかった。あいつが危険な研究のせいで消されたと疑うよりも、自分の腕が悪かったせいだと認める方が、楽だったんだ」
「……ケンジ」
「情けねえ話だ。俺は10年間、あいつの死の真相から目を逸らし、自分の罪悪感の中に逃げ込んでいた。……コイタとお前が、真実を暴いてくれるまでな」
ケンジはモニターの緑色の波形を指でなぞった。
「あいつが死んだ日、この工房の測定器が振り切れた。……今なら分かる。コイタは、ヤラが目指した場所へ辿り着いたんだ」
「……そうね」
三條は目を伏せた。眼鏡を外し、指で眉間を押さえる。
彼女もまた、かつて彼らの協力者として、「裏口」を探した研究者の一人だったのだ。
あの日、ヤラだけが行ってしまった。残された自分は、怖くなって研究データをすべて破棄し、ただの教師として生きることを選んだ。逃げたのだ。
「つまり、あいつは向こう側に行こうとして、失敗したのかもな。……あるいは、連れ去られた」
ケンジの声には、諦めに似た静かな怒りがあった。EmpireAIへの怒りか、自分への無力感か。
「コイタ君は成功した。……彼なら、ヤラさんが見られなかった景色を見られるかもしれない」
「ああ。……俺にできるのは、あいつが迷子にならないように、ここから灯台みたいに明かりを照らしてやることだけだ」
ケンジは空になったボトルを握りしめた。
「乾杯するか。……行ったきりの馬鹿な女と、行ったきりの馬鹿な息子に」
「ええ。……付き合うわよ、腐れ縁だもの」
二人は無言でグラス代わりのボトルを合わせた。カチン、と乾いた音が響く。
壊れた工房に、雨音だけが優しく降り注いでいた。
二人の大人は、それぞれの後悔と希望を飲み込んだ。
夜はまだ長い。戦いは始まったばかりだ。
(つづく)




