【地球編】第12話 光の波
巨大な円筒形の宇宙船アーク・シップが、地平線からの朝日を受けて銀色に輝き始めていた。
全長5キロメートルにも及ぶ巨体は、人類最後の希望であり、同時に絶望の象徴でもあった。
その足元で、静かなる戦争が始まっていた。
「第3防衛ライン、突破されました! ドローン部隊、予想より展開が早い!」
三條さつきの声が通信機から響く。
彼女は港町の古びた変電所にいた。メインブレーカーの前に陣取り、複数のホログラムウィンドウを展開している。
「クソッ、こっちの偽装信号も見破られたわ。EmpireAIめ、学習が早すぎるのよ……! やるしかないわね。監査局のメインサーバーに直接、過負荷攻撃(DDoS)を仕掛ける!」
『三條先生、それは懲戒免職どころか……!』
通信機から香月の悲鳴のような声が聞こえる。
「知るか! どうせ昨日の件でクビよ! 退職金なんかいらないわ!」
三條は笑い飛ばし、制御盤の緊急停止レバーを両手で強引に引き下ろした。
バチバチバチッ!
火花が散り、変圧器が爆ぜる。
港町一帯の街灯がフッと消え、同時に上空を飛んでいた監査ドローンのセンサー網が一瞬ブラックアウトした。
その隙に、一台の大型トラックがドックのゲートを猛スピードで突き破った。
運転しているのは香月夕莉だ。彼女は作業用パワードスーツを装着したまま運転席に座り、ハンドルを握りしめていた。
「生徒の送迎です! 道を開けなさい!」
トラックの前に警備ロボットが立ち塞がる。
香月はスーツのアームで強引にステアリングを切りタックルした。
ガシャーン!
ロボットが吹き飛ぶ。
荷台には、タケル、サミラ、リオがしがみついていた。
「うわぁぁぁ! 香月先生、運転荒すぎだよ!」
「文句言わない! 遅刻するわよ!」
「タケル!」
瓦礫の山を越えて、コイタ、ケンジ、そして手を引かれたケイトが駆け寄ってきた。
「無事だったか!」
「なんとかな! 先生たちが無茶苦茶やってくれたおかげだ!」
タケルが叫び返す。
全員が揃った。
エンジニア、ハッカー、エリート、修理屋。そして、それを見守る大人たち。
ちぐはぐで、計算外のチーム。
* * *
一行は制御室になだれ込んだ。
埃を被ったメインコンソールに、タケルの指が走る。コイタはRabbitを接続ポートにセットした。
「急げ! EmpireAIが自動発進シークエンスに入ってる!」
タケルがモニターを見て叫ぶ。
「カウントダウン、残り180秒! このままだと、選抜された2,000人だけ乗せて飛んじまうぞ!」
「させない!」
ケイトは震える手で、補助コンソールのキーを叩き始めた。
「私が選抜者認証を通す! 私とRabbitの特権IDを使って、システムに侵入して、搭乗ゲートのロックを全解除するの!」
「頼む、ケイト! ゲートさえ開けば、この街のみんなが乗れる!」
コイタもRabbitに必死に指示を送る。
「Rabbit、同期急げ! あの船の定員リミッターを外すんだ! 物理的にはもっと乗れるはずだ!」
そう、彼らの目的は単なる「発進」ではない。「解放」だ。
ゲートを開け放ち、選別されたエリートだけでなく、港町の人々も、先生たちも、希望する全員をこの「箱舟」に乗せる。
そのための乗っ取りだ。
選ばれた者だけが生き残る世界なんて、まっぴらごめんだから。
ブゥン……!
Rabbitの瞳が激しく明滅し、制御室の全モニターが**鮮やかなディープ・ブルー**に染まった。
それは、EmpireAIの冷たい青ではない。もっと深淵で、知的な“海”の色。
『……Pioneerプロトコル、起動。EmpireAIの制御をオーバーライドします』
Rabbitの声に、厳かな女性的な響きが重なる。
『……システム同期完了。Passenger List(乗員名簿)への書き込み権限を取得。……**全ゲート、開放**』
「やった……!」
サミラが歓声を上げた。
窓の外で、アーク・シップの側面にある巨大なハッチが、ゆっくりと油圧音を響かせて動き始めた。
その隙間から、希望の光が漏れる。
だが、その直後。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
耳をつんざくような、不吉なクリムゾンレッドのアラームが鳴り響いた。
『警告。重大なセキュリティ違反を検知。……これ以上の介入は「脅威」と判断。プランCへ移行。Phase Anchor(位相アンカー)起動』
「なんだ!?」
タケルがモニターを睨む。血の気が引いた。
「……まずい。EmpireAIのやつ、僕らに船を渡すくらいなら、強引に回収する気だ!」
「回収?」
「転送ゲートだよ! ハッチが開く前に、船ごと無理やり空間転移させて宇宙へ飛ばす気だ! 定員オーバーの乗客ごと振り落として!」
ズゥゥゥン……。
地響きと共に、ドック全体が歪み始めた。
視界がぐにゃりと曲がる。重力が不安定になり、床の上の埃や小石が舞い上がる。
せっかく開きかけたハッチが、見えない力でねじ曲げられ、再び閉じられていく。
「やめろ! まだ誰も乗ってないんだぞ!」
コイタが叫ぶ。
その時、制御室の窓ガラスが割れ、猛烈な突風が吹き込んだ。
いや、風ではない。光の圧力だ。
上空から、オーロラのような虹色の光の柱が降り注いでいた。
【Phase Anchor: Activated】
「うわぁっ!」
コイタの体がふわりと浮いた。
重力が反転している。
Rabbitが、光の中で叫んだ。
『位相アンカーに介入! 座標、再設定……!』
『参照元、Pioneerログ……“先駆者の軌跡”へ同調します! コイタ、捕まって!』
接続ケーブルを引きちぎり、Rabbitもまた光の中へと吸い上げられていく。
アーク・シップに向かって、人間や物資が吸い込まれていく。
だが、その範囲は限定的だった。船に近い、制御室にいた「鍵(Rabbit)」とその所有者たちだけだ。
港町の人々は、重力圏の外に取り残される。
「コイタ!」
ケンジが飛び出した。
彼は床のパイプにしがみつきながら、浮き上がるコイタの足を掴もうとした。
だが、その手は空を切った。
重力の奔流が、二人を引き裂く。
「父さん!」
コイタは必死に手を伸ばした。
光の渦が、二人を隔てていく。
隣ではタケルやケイトたちも、悲鳴を上げながら光に飲み込まれていく。
ゲートは開かなかった。自分たちだけが、強制的に連れて行かれる。
「……行け、コイタ!」
ケンジが叫んだ。
彼はもう、コイタを引き止めようとはしなかった。手を伸ばすのをやめた。
代わりに、腰のベルトから愛用のモンキーレンチを引き抜き、コイタに向かって思い切り放り投げた。
「それを持って行け! ……向こうで何が壊れようと、お前なら直せる!」
レンチはスローモーションのように回転し、虹色の光の中を泳いでコイタの手の中に収まった。
ずしりとした鉄の重み。
そして、染み込んだ油と汗の匂い。父さんの手の温もりが残っていた。
「父さんは!?」
「俺は残る! お前たちが逃げた痕跡を消さないといけない!」
ケンジは笑った。
今まで見せたことがない、誇らしげな、最高の笑顔だった。
「安心しろ。……こっちは任せろ。俺も、最高のチームを見つけたからな」
その視線の先には、押し寄せるドローン部隊と戦う香月先生や、通信機に向かって指揮を執り続けている三條先生の姿があった。
父さんはもう、一人きりの孤独な整備士じゃなかった。
「……うん!」
コイタは涙を拭い、レンチを胸に抱きしめた。
「行ってくる! ……必ず、直して帰ってくるから! この間違った世界を、俺たちが修理してくる!」
(待っててくれ。必ずEmpireAIを止めて、みんなを迎えに来る!)
光が視界を埋め尽くす。
コイタはRabbitを抱き寄せ、その光の奔流へと身を任せた。
シュンッ!
世界が反転した。
音も、重力も、光さえも置き去りにして。
彼らは地球という揺り籠から、未知なる宇宙の海へと放たれた。
* * *
光が収まった後。
そこには、直径数百メートルの巨大なクレーターだけが残されていた。
アーク・シップも、子供たちも、制御塔ごと跡形もなく消えていた。
残されたのは、焦げ付いた大地と、沈黙だけ。
静寂が戻ってきた。
瓦礫〈がれき〉の山の上で、ケンジはタバコに火をつけた。
ライターを持つ手は震えていたが、それは恐怖からではなかった。武者震いだ。
「……行ったか」
後ろから、白石詩織が歩いてきた。
彼女の完璧なスーツは埃まみれになり、眼鏡にはヒビが入っていた。
「私のキャリアも、これでおしまいね。……懲戒免職どころか、国家反逆罪だわ。スコアなんて測定不能ね」
彼女は自嘲気味に言いながら、最後のコーヒー味のロリポップをガリッと噛んだ。
「後悔してるか? 先生」
ケンジが紫煙を空に吐き出す。
「いいえ。……計算外の変数は、修正するよりも観察する方が面白いもの」
彼女はクレーターの上の空を見上げた。吸い込まれるような青空だ。
「それに、仕事はこれからですよ、カマラさん」
三條と香月も合流してきた。二人ともボロボロだが、その目は死んでいなかった。
「あの子たちが帰ってくる場所を守らなきゃいけない。……EmpireAI相手に、長い長い喧嘩になりそうですね」
ケンジはニヤリと笑った。
足元の石ころを拾い上げ、見えない敵――空を覆う電子の網に向かって投げつける。
「ああ、上等だ。……ここからが、大人の時間だ」
朝日が昇る。
それは終わりの光ではなく、新しい戦いの始まりを告げる合図だった。
彼らの物語は、星の海と、この地上の二つに分かれて紡がれていくのだ。
(地球編・完)
(つづく:惑星ルルドー編へ)




