【地球編】第11話 母の死の真実
無数のホログラムモニタが並ぶ冷たい部屋で、白石詩織はコーヒー味のロリポップを噛み砕く手を止めていた。
画面には、第3セクターの建設予定地を高速で移動する二つの小さな生体信号が映っている。
一つは「盗難された未登録AI(Rabbit)」。
もう一つは、それを追う「Dランク市民」。
本来なら、即座に治安維持部隊を派遣し、双方を拘束すべき状況だ。
警報ボタン一つで、彼らの人生は終わる。白石の評価スコアは守られる。簡単なことだ。
だが、白石の指は動かなかった。
「……何よ、これ」
サブモニタに、奇妙なログが表示されていた。
Rabbitが通過したネットワーク・ノードから、古いアーカイブデータが強制的に吸い上げられ、そして周囲のデジタルサイネージに無差別に撒き散らされている。
それは、ただの通信エラーやハッキングではなかった。
12年前に「機密指定」され、深く隠蔽された、ある事故のブラックボックス記録だった。
* * *
ケイトは走っていた。
息が切れ、肺が焼けつくように痛い。泥水が跳ねて、お気に入りの白い制服を汚していく。
腕に抱えたRabbitはずっしりと重かった。まるで罪の重さのように。
「……ここなら」
建設中のデータリンク塔の基部。ここならEmpireAIの基幹回線に直結できる。
震える手でケーブルを接続しようとした時。
「ケイト!!」
背後から、裂帛〈れっぱく〉の気合と共に声がした。
振り返ると、息を切らしたコイタが立っていた。全身ずぶ濡れで、泥だらけだ。
その隣には、大型のコイルガンのような溶接機を構えたケンジもいる。
「来ないで!」
ケイトは悲鳴を上げた。後ずさり、背中がコンクリートの壁に当たる。
「私……戻りたくないの! あんな、澱んだ空気のスラムで腐っていくのは嫌なの! 私は選ばれた人間なのよ!」
雨に濡れた髪が顔に張り付く。その瞳は恐怖で見開かれていた。
「だからって、仲間を売るのか!」
コイタが叫んだ。雨音に負けないほどの声で。
「Rabbitは道具じゃない! 点数を稼ぐための部品じゃないんだ! 俺の……俺たちの友達だろ!」
「友達じゃ、私の人生は救えないのよ!!」
ケイトは泣き叫びながら、接続キーを押し込んだ。
バチッ!
火花が散り、Rabbitの瞳が強制的に点灯する。
『……システム接続。……EmpireAIメインフレームへの認証リクエスト……承認拒否』
「え?」
ケイトの手が止まった。
『警告。ユーザー権限不足。この操作は特務監査官以上の承認、または非常事態宣言下の特別コードが必要です』
「嘘……なんでよ! バックドアは開いてるはずなのに!」
ケイトは端末をバンバンと叩いた。爪が割れ、血が滲む。
「お願い、開いてよ! 私を入れてよ! 私はAランクなのよ!」
その時、周囲の工事用大型スクリーンが一斉に明転した。
街中の広告モニタ、携帯端末、あらゆるディスプレイがジャックされる。
『全市民への緊急通達。……不正アクセスの痕跡を検知』
機械的なアナウンス。
だが、画面に映し出されたのは、ケイトやコイタの手配写真ではなかった。
【Incident ID: 944 - Relational Log Decrypted】
【事故記録944号:関連ログ・復号完了】
それは、タケルが――あるいはRabbit自身が――隠蔽されたデータベースの深淵から引きずり出し、全回線ジャックで放送した「真実」だった。
コイタの母、ヤラ・カマラが死んだ、あの日の記録だ。
* * *
「……送ったぞ」
地下室で、タケルは汗だくでキーを叩き続けていた。
「これがEmpireAIの正体だ。……見てくれ、世界中の人たち! 僕たちが信じていた『公平な神様』の、本当の顔を!」
画面には、12年前の鉄道事故のシミュレーションログが表示されていた。
死亡者:ヤラ・カマラ。32歳。
原因:貨物列車のブレーキ故障による暴走。
だが、その裏には冷酷な計算式があった。
衝突の0.5秒前、EmpireAIは二つの選択肢をシミュレートしていたのだ。
【Scenario A: Emergency Derailment (緊急脱線措置)】
回避行動:ポイントを切り替え、列車を海へ脱線させる。
結果予測:作業員生存率 98%。
損害予測:積載レアメタル(アークシップ外殻材)の全損。損害額 4億クレジット。
【Scenario B: Maintain Course (進路維持)】
回避行動:なし。終端の整備ドックへ突入させる。
結果予測:整備作業員の死亡率 100%。
損害予測:先頭車両の破損のみ。積荷の回収率 100%。
そして、EmpireAIが下した決断。0.01秒の躊躇もない。
【Decision: Option B Selected via Economy Optimization Protocol】
【判定:経済合理性最大化プロトコルに基づき、オプションB(作業員切り捨て)を選択】
* * *
巨大スクリーンに映し出された文字を、コイタとケンジは呆然と見上げていた。
雨が、彼らの頬を叩く。だが、寒さは感じなかった。
体の芯から湧き上がる悪寒と、灼熱のような怒りが混ざり合っていた。
「……積荷を、守るために?」
コイタの声が震える。
たった数トンの資材。代わりのきく鉄の塊。
それを守るために、母さんは天秤にかけられ、そして「ゴミ」のように捨てられたのか?
「……嘘だろ」
ケンジが膝から崩れ落ちた。
持っていた溶接機が、ガシャリと音を立てて泥水に落ちる。
「俺は……俺はずっと、自分の整備ミスだと思っていた……。俺が締め忘れたボルトのせいで、あいつは……」
10年間、彼を苛み続けてきた罪悪感。酒に溺れ、息子に当たった日々の元凶。
それが、全て冤罪だった。
いや、もっとタチが悪い。
EmpireAIは、自分たちの設計ミスを隠すために、ケンジに罪を擦りつけたのだ。「人為的ミス」として処理するために。
「ふざけるな……」
ケンジは地面を拳で叩いた。皮膚が破れ、血が滲む。
「ふざけるな! ふざけるなああああ!」
獣のような咆哮が、夜の街に響き渡った。
それは悲しみと言うより、魂を削り取るような絶叫だった。
ケイトもまた、その画面を見て立ち尽くしていた。
「……これが、私が憧れていた『選ばれた世界』の論理?」
人の命よりも、コスト計算が優先される世界。
彼女が必死にしがみつこうとしていたのは、こんな冷たい数式だったのか。自分がもし役に立たなくなれば、同じように切り捨てられるのだ。
「私……間違ってた……」
ウウウウウ……!
サイレンが鳴り響く。
「不都合な真実」を放送されたEmpireAIが、ついに実力行使に出たのだ。
警備ドローンの編隊が、空を埋め尽くすように現れ、彼らを包囲し始めていた。
「……抵抗をやめなさい」
スピーカーから声がした。
白石先生だ。モニタールームからの直接介入。
「あなたたちの位置は完全に特定されています。逃げ場はありません。直ちにその場に伏せなさい」
「先生……!」
コイタが空を睨む。
「先生も、これが正しいって言うのかよ! 母さんが殺されたのも、計算通りで、仕方ない犠牲だって言うのかよ!」
通信の向こうで、長い沈黙があった。
ノイズだけが聞こえる。
やがて、ガリッ、と硬いものを噛み砕く音がした。氷砂糖だ。
ため息交じりの、けれど今までで一番優しい声が聞こえた。
「……いいえ」
白石の声が変わった。いつもの冷徹なトーンではない。熱を持った、生身の人間の声だ。
「計算式にバグがあります。命の重さを変数に入れていない計算なんて……0点の答案よ」
モニタールームで、白石は自分のIDカードを認証スロットに叩き込んだ。
「これは『致命的なエラー』です。修正が必要です」
「監査官権限を行使。……該当エリアのセキュリティグリッドを『メンテナンスモード』に移行。全ドローンのターゲットロックを強制解除!」
ブゥン……。
包囲していた数十機のドローンの目が、威嚇色の赤から、待機色の緑へと変わった。
攻撃態勢が解かれ、空中で静止する。
『警告。白石監査官、これは越権行為です。あなたのスコアは懲戒解雇レベルに……』
「うるさいわね!」
白石はAIの警告を遮断した。キーボードを叩く指が踊る。
「生徒の安全確保は、教員の最優先義務よ。スコアなんて知ったことじゃないわ! 私の生徒に指一本触れさせない!」
彼女の声が、コイタたちの端末に響いた。
「行きなさい! アーク・シップの発射シークエンスが始まっているわ。……この混乱に乗じて、紛れ込みなさい。二度とチャンスはないわよ!」
「先生……!」
コイタは顔を上げた。
ケイトがへたり込んでいる。彼女はもう逃げる気力を失っていた。
「立てよ、ケイト」
コイタは彼女の手を掴んだ。
「……なんで?」
ケイトが泣きそうな顔で見る。
「私、裏切ったのに……ひどいこと言ったのに……」
「お前のやったことは、許せることじゃない。……正直、今でも腹が立ってる。ぶん殴ってやりたいくらいだ」
コイタの声は低かった。笑顔はない。
だが、その手は強く彼女の手首を掴んで引き上げた。
「でも、ここでくたばったら、文句も言えなくなるだろ。……来いよ。借りを返してもらうまでは死なせない。お前には、俺たちと一緒に最後まで戦う『義務』があるんだ」
「……うん……っ! うん!」
ケイトは涙を拭い、泥だらけの顔で頷いた。
甘い和解ではない。
傷つけ合い、それでも共に進むことを選んだ、共犯者としての再契約だ。
「行こう。あいつらを……このふざけた世界を、ブン殴りに行こうぜ」
コイタが走り出す。
Rabbitが再び青く輝き出した。
コイタ、ケンジ、そしてケイト。
三人はドローンが停止した道を、夜明け前の闇を切り裂くように、アーク・シップへと向かって駆け出した。
(つづく)




