表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/48

【地球編】第01話 ゴミ山の宝物

 口の中に広がる鉄錆〈てつさび〉の味は、この停滞した町の空気そのものだった。

 夜明け前の港町は、まだ海霧に包まれている。湿った空気が肌にまとわりつき、遠くで錆びたクレーンがきしむ音が、まるで巨大な獣のいびきのように聞こえた。


 古い給水ポンプ小屋の薄暗い闇の中で、二つの影が動いている。

 コイタと、父のケンジだ。


「コイタ、継ぎ手の『鳴き』を聞け」

 ケンジの声は低く、そして重い。怒っているわけではない。仕事をする時の、職人の声だ。

「金属が悲鳴を上げている音がするはずだ。無理に回せばねじ切れる。……分かったら、潤滑油を『三滴』だけ垂らせ」


「三滴……分かった」

 コイタは慎重にスポイトを傾けた。

 コイタの手は、年齢の割に節くれ立っている。爪の間には落ちない機械油が染み込み、それが彼の「勲章」のようにも見えた。

 一滴。二滴。三滴。

 琥珀色の油が、赤錆の浮いたボルトの隙間に吸い込まれていく。毛細管現象だ。物理法則は、いつだって公平で正直だ。EmpireAIの決める理不尽なルールとは違う。


「よし。今だ、回せ」

 ケンジの合図で、コイタは細い腕に体重をかけた。

 着用しているデザートイエローの作業着ツナギは、彼の体には少し大きい。暑がりのコイタは上半身を脱ぎ、腰のあたりで袖を縛っている。その下のデザートグリーンのTシャツが、汗で背中に張り付いていた。


 ギィ、という鈍い音がして、長年固着していたナットがゆっくりと回り始めた。


「……動いた」

「ああ。機械は正直だ。手をかければ応える」

 ケンジは首に巻いた白いタオルで汗を乱雑に拭い、ポンプの再起動レバーを引いた。

 どくん、と配管が脈打ち、新鮮な水が流れ出す音が小屋に響く。

 それが、この港町の朝の始まりを告げる音だった。


「行くぞ。今日はドローンの巡回ルートが変わる日だ」

 ケンジが小屋の隙間から空を見上げる。

 身長163cmと小柄だが、その背中は岩のように頑丈に見える。濃色のツナギにワークブーツ。右膝を少しかばうように歩くのは、昔の怪我の後遺症だというが、詳しくは教えてくれない。


 灰色の空を、赤い光点が滑るように横切っていく。EmpireAIの監視ドローンだ。

 父さんの横顔が、一瞬だけ険しくなったのをコイタは見逃さなかった。

 AIは生活を便利にする。管理都市の人たちにとっては「神様」みたいなものかもしれない。

 でも、この港町で生きる父さんは、AIを蛇蝎〈だかつ〉のごとく嫌っている。

 その理由を、コイタはまだ、ぼんやりとしか知らなかった。


   *   *   *


 そこは、世界中の「忘れ物」が流れ着く場所だった。

 海流の関係で漂着する電子機器の残骸、廃棄されたプラスチック、朽ちた建材。それらが積み重なり、巨大な丘を形成している。

 強烈な陽射しが、金属の山を熱し、陽炎〈かげろう〉を揺らしている。

 腐ったゴムの臭いと、焦げた回路の臭いが混ざり合った独特の悪臭。だが、コイタにとって、ここは宝の山であり、学校よりも多くのことを学べる教室だった。


「……回路基板、腐食なし。コンデンサ、液漏れなし。これ、まだ使える」

 コイタは独り言を呟きながら、廃棄されたタブレットを分解していた。

 彼の黒い瞳が、基板上の回路図をなぞる。

 壊れているんじゃない。捨てられただけだ。

 ここにあるものは皆そうだ。少し効率が落ちたり、型遅れになっただけで、「不要」の烙印を押された。

 まるで、この港町に住む自分たちのように。


 その時だ。

 瓦礫〈がれき〉の山の向こうで、何かが微かに光った気がした。

 金属の反射ではない。もっと柔らかい、乳白色の光。


「ん……?」

 引き寄せられるように、コイタは鋭利な瓦礫を乗り越えた。

 山のふもとの泥の中に、それは半分埋まっていた。


 白い球体だった。

 直径30センチほどの、綺麗な真球。

 表面は泥にまみれているが、拭えば高級なセラミックのような光沢がある。

 上部には、折れ曲がった二本のアンテナ――まるでウサギの耳のようなパーツが付いており、左右には羽根のようなフィンが泥に濡れて張り付いていた。

 柔らかな青色のラインが、球体を一周している。


「ドローン……じゃないな。こんなデザイン、カタログで見たことがない」

 コイタは油で汚れた手袋を外し、素手でその外装に触れた。

 ひんやりとしている。

 だが、指先に微かな振動が伝わってきた。


 チリ……チリ……。

 中から規則的な音が聞こえる。心拍音ではない。クロック信号だ。生きている。


「外装破損率40%。でも、コア・モジュールへのダメージは……なさそうだ」

 コイタの頭の中で、修理の組み立て図が瞬時に展開される。

 ここを磨いて、配線をバイパスして、電圧を安定させれば……。

 直せる。

 いや、直したい。

 この子が「助けて」と言っているような気がした。


 コイタは周囲を警戒した。上空にドローンの赤い光がないことを確認し、誰も見ていないことを確かめてから、その「宝物」をボロ布で丁寧にくるんだ。

 背負い籠〈かご〉の底に隠し、その上からジャンクパーツを被せる。

 心臓が、ポンプのピストンのように早鐘を打っていた。

 父さんには内緒だ。絶対に見つかってはいけない。


   *   *   *


 カマラ家の床下には、コイタだけの秘密基地がある。

 古い配管スペースを改造した、高さ1メートルほどの狭い空間。

 裸電球の頼りない光の下で、コイタは息を止めて作業に没頭していた。

 周囲には、拾ってきたジャンク品で作った測定器や、自作の工具が所狭しと並んでいる。


「メイン・バス、バイパス接続。電圧、3.3ボルトで安定」

 アナログテスターの針が振れるのを確認する。

 白い球の外装を外し、内部の基板を無水アルコールで洗浄した。

 綿棒の先が真っ黒になる。接点の酸化膜を慎重に削り落とし、切断された極細の回路を、髪の毛ほどの細さのワイヤーで繋ぎ直す。

 顕微鏡代わりのルーペを目に押し当て、ハンダごてを操る。

 まるで外科手術だ。

 でも、血の代わりに電気が流れれば、機械は蘇る。人間よりもずっとシンプルで、裏切らない。


「よし……これで、どうだ」

 コイタは額の汗を袖で拭い、最後のスイッチを入れた。


 ヴゥン……。

 低い駆動音が響き、球体の内部で冷却ファンが回り始めた。

 正面の黒いディスプレイに、青い光が灯る。

 文字列が高速で流れる。


 【System Boot... OK】

 【Memory Check... Partial Error (Ignored)】

 【Language Set: Japanese】


 次の瞬間、ディスプレイに二つの丸い「目」が表示された。

 ピクセルで描かれた単純な目だが、瞬きをした瞬間、そこに確かな「意思」が宿ったように見えた。

 ポローン、と電子音が鳴る。


『……起動確認。環境スキャン完了。ここは、登録されたドックではありません』

 合成音声だ。でも、今の管理都市で流れているような人間臭い流暢〈りゅうちょう〉さはなく、どこか無機質で、それが逆に心地よかった。


「ドックじゃないよ。オレの部屋……みたいな場所」

 コイタは答えた。自分の声が少し震えているのが分かった。

「オレはコイタ。君を拾って、修理したんだ」


『修理?』

 球体がわずかに浮き上がろうとして、ガクンと床に落ちた。

『姿勢制御スラスタ、出力不足。ジャイロ係数、未調整。……現状分析。私は廃棄された個体であり、貴機……訂正、あなたによって再構築されたと推測します』


「正解。スラスタはまだ調整中だから、無理に動くなよ。中の配線がショートする」

 コイタは笑った。機械と会話ができている。それが嬉しかった。

「君の名前は? 型番とかあるのか?」


『識別ID:R-Rabbit-Zero-Seven。……推奨呼称は設定されていません』

「R-Rabbit……ラビットか」

 コイタは修理したばかりのアンテナを見た。白い耳のような形状。

「ウサギみたいだし、ちょうどいいな。今日から君の名前は『Rabbit』だ」


『Rabbit……ウサギ目ウサギ科の哺乳類。……了解しました。その識別子を登録します』

 Rabbitの目が、ニッコリと三日月型に細められた。

 ピコっ、と右のアンテナが立つ。まるで感情を表しているようだ。

『コイタ。修理に対する対価報酬は発生しますか? 当機は現在、電子マネーを所持していません』


「お金はいらないよ。その代わり……」

 コイタは少し考えてから言った。

「オレの『相棒』になってくれ。話し相手が欲しかったんだ。……父さんには内緒でな」


『相棒(Partner)。……定義を検索中。……「相互に利益をもたらし、目的を共有する関係」。あるいは、「運命共同体」。……了解。合理的です』

 合理的。

 その言葉が、妙に可笑しかった。


「お前はさ、何かしたいこととか、ないのか? 壊れる前とか」

 コイタは何気なく聞いてみた。

 Rabbitは少し沈黙し、アンテナを天井――いや、その向こうの空へ向けた。

『……当機わたしのメモリには、ソラの向こうに行きたいという、未定義の欲求エラーが記録されています』

『いつか、この曇った空の向こうにある、本当の星を見てみたいのです』


「星、か……。ここからじゃ、スモッグだらけで見えないもんな」

 コイタは苦笑した。

「いいぜ。いつか連れてってやるよ。……俺たちは相棒だからな」


 その時、頭上の床板からドシドシと足音が響いた。

 父さんが帰ってきたのだ。重いワークブーツの音。


「しっ! 隠れて!」

 コイタが指を立てると、Rabbitは即座に反応した。

『危険信号を受信。ステルスモードへ移行』

 ディスプレイの光が消え、ファンの回転音が止まる。ただの「白いジャンクパーツ」に擬態したのだ。


 コイタは安堵〈あんど〉の息を吐いた。

 合理的で、少し理屈っぽくて、でも頼もしい。

 このゴミ溜めのような世界で、初めて自分だけの秘密兵器を手に入れた気分だった。

 最高の相棒ができた。


(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ