第92話
その夜。
ベッドの下に潜り込んでいたカオルが、は! と目を覚ました。
一瞬、外の音と空気の流れが・・・
開けた音はしなかったが、ドアが開いたのだ。
部屋の空気がぴりっと変わった。侵入者の緊張の気配を感じる。
ベッドの下からでは見えないが、間違いなく誰かが入って来た。音もしない。
(まさか・・・レイシクランの忍の目をくぐって?)
余程のやり手か、それとも訓練とわざと見逃されたか。
(実地訓練か)
ふす!
侵入者がベッドの上の布団を何かで刺した。
「は」
小さな息の音。感触で偽物と分かったのだ。
すー、と刺された物をゆっくりと抜く音。
侵入者は止まって動かない。
焦っている空気が、ありありと伝わってくる。
じっと待っていると、また音もなくドアが開き、閉まった。
が、出た所を見たわけではないので、動けない。
隠れているのを見越して、まだ部屋にいるかもしれない・・・
カオルが鉄線を引くと、隣のベッドの下から、す、す、と音を立ててゆっくりと羽織が出て来た。
す・・・す・・・
「・・・」
反応なし。
ぬるりとカオルがベッドの下から出てくる。
(何者だ?)
と言っても、心当たりは多い。
勇者祭の者、排斥派が忍を雇った、どこぞの貴族が送ってきた・・・
今のは間違いなく忍だ。
は! としてドアを開けると、夜警の船員に扮したレイシクランの忍が、向かいのドアにもたれて腕を組んで立っていた。
「皆さんはご無事です」
「はあ・・・良かった!」
「追われますか?」
むう、とカオルが悔しそうな顔を廊下の出口に向ける。
「今更、追えは出来ますまい」
「今夜はここまでですな。ふふふ」
ん? とカオルが眉を寄せ、
「む・・・皆様、ご無事? 逃げた・・・?」
「その通り。結構です。今夜は合格を差し上げましょう」
そう言って、レイシクランの忍は廊下を静かに歩いて行った。
他は狙われなかった。
でなければ、とっくにレイシクランの忍に斬られていたはず。
つまり、あの忍は、最初からカオル1人を狙って来たのだ。
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翌日の事。
今日は皆で一剣流の道場に行くと出て来たが、港湾区から広場へ続く通りを進めていると、数人の者がこちらを指差し、駆け寄ってきた。
また記者か、とマサヒデがうんざりした顔をアルマダに向けると、アルマダも肩を竦める。
「サダマキ様ですか!」
「え」「は?」
カオル? マサヒデ達がカオルを見る。
カオルも「何だ?」と驚いた顔をして、
「私ですが・・・」
馬を進めながら答えると、左右に人が並び、小走りでついてくる。
「あの、危ないので、後にしてもらえませんか?」
「一言!」
これは絶対に一言ではない。
「後で。私、用がございます」
「車道流について一言!」
ぴく、と皆の顔に警戒が走る。これは何か厄介では・・・
つい先日、高弟達を叩きのめしたばかりだ。
「後程。申し訳ございませんが、用がございます。我々の馬を邪魔するのであれば、警備兵か同心を呼びますよ。こちらはハワード公爵家、レイシクラン公爵家、ファッテンベルク辺境伯家の行列です」
「たった一言ですから!」
港湾区の倉庫街には、泥棒避けに警備兵が1日中歩き回っている。ちら、ちら、とカオルが倉庫と倉庫の間を見ると、一瞬、ちらりと警備兵が見えた。
すう、とカオルが息を吸い込み、
「曲者っ! 曲者ー! 警備兵ー!」
カオルが声を上げた瞬間、ばらばらと記者達が走って行く。
だだだ! と槍を持った警備兵が走って来て、
「曲者は!?」
カオルが皆に頷き、列を離れて警備兵の前に馬を止め、通りの向こうを走って行く記者を指差し、
「あの走って行く者。おそらく何処かの報道社の者です」
「ああ・・・記者ですか」
うんざり、と警備兵も顔をしかめる。
「此度はトミヤス様で? レイシクラン様? ハワード様ですか?」
ふう、とカオルが溜め息をつき、顔に手を当てて首を振り、
「私です。参りました・・・」
「サダマキ様が?」
「ううん・・・おそらく、変な噂を流されました。噂の元は、車道流の貴族です」
「ああ・・・あの厄介者達ですか・・・これは記事になってしまいますよ」
「ううん・・・」
「後で誤報だと分かっても、読売の隅の方にものすごく小さく間違いでした、ごめんなさいと載るだけです。変な噂の方はでかでかと。早目に対処しませんと、ウキョウ中に広まってしまいますよ」
「何とかせねば・・・一緒にいる皆様にも迷惑が掛かりますね」
「まずは車道流の道場へ急いだ方が」
「そうします。それでは」
くるっと馬を返して、先に行ったマサヒデ達の所へ馬を走らせていく。
先頭のマサヒデとアルマダの横に馬を並べ、
「ハワード様、少し」
アルマダが肩を竦め、
「あの突き入れた方ですか? それとも、寸止めで終わらせた方ですか?」
「まだ分かりませんが、おそらく後者です。ハワード様、お時間を頂けませんか」
「構いませんよ。マサヒデさん。私達は車道流の道場に行きます」
「面倒ですねえ。カオルさん、また夜中に忍び込んで脅して来なさい」
「それも考えておきます」
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城門前広場。
(あれは)
広場の右手の方に、人だかりが出来ている。ぐっと馬の上で立ち上がると、人だかりの中で記者達が誰かを囲んでいる。
「ハワード様。あれでは」
「ははあ・・・じゃあ、マサヒデさんは先に行ってて下さい」
「はい」
がらがらと馬車を引き連れ、マサヒデ達は一剣流の道場に向かった。
カオルとアルマダは馬を並べて、
「カオルさん。どうするんです」
「何を言っているのか分からないので、何とも。参りましょう」
「度胸ありますね」
ぽく、ぽく、ぽく、とゆっくり馬を歩かせて行き、人だかりの後ろで馬を下りる。
後ろの野次馬に、カオルが声を掛ける。
「失礼。何があったのでしょう?」
「おお、なんかあのトミヤスの弟子だかなんかが、車道流の高弟をぼこぼこにのしたらしいな」
「それはまた」
「いや、それが他の門弟の指導中に、いきなり背中から殴りかかったとか」
「なんと! そのような卑怯な真似を!?」
「倒れた所を何度も殴ったもんで、腕まで折れちまったそうだ。トミヤス流ってなおっそろしいな」
「ううん!」「ほおう・・・」
アルマダとカオルが顔を見合わせる。
「あれに馬を」
「そうしましょうか」
ぽくぽくと馬を引いて行き、少し離れた所の柵に馬を繋げる。
柵を乗り越え、外側から回って行くと、インタビューの様子が見えてくる。
(ああ)
あの輩だ。忍を送ってきたのも、あの輩か?
「見てくれよお、この腕を!」
添え木に包帯をぐるぐる巻きにし、首から下げられた腕を上げる輩。
がさがさとカオルとアルマダが後ろから出てくる。
2人はにやにや笑いながら、男を指差し、記者達に向かって口に指を当てて、しー。
「あのカオルって女はよお! 後ろからいきなりぶん殴ってきてよお!」
カオルが驚いた顔で自分を指差し、男の頭に向かって手刀を向け、首を振る。
「倒れた俺をよお! ばしばし殴ったんだよ! 指導中の門弟もビビッて・・・」
記者達がくすくす笑う。
「おい! 何がおかしい!」
「いえ! それでどうなりました?」
「そんでよ、俺はこうやって顔をよ、腕上げて守ってたんだ!」
男が折れているはずの腕を上げ、顔の前に持って来る。
「そうしたら!?」
「あの女、容赦なく撃ち込んで来るんだ! そんで腕が折れちまったんだよ! あれがトミヤス流なんだよ! 勝てば正義ってほんとあれだよ! 卑怯な真似も平気ですんだよ!」
「ほう! それは恐ろしい!」
アルマダが後ろから大きな声を上げ、は! と輩が振り返る。
にやにやしたアルマダとカオルが立っている・・・
「・・・」
「トミヤス流のアルマダ=ハワードです! 随分と話が違いますねえ! 私も立ち会っていましたが! 審判として!」
「うっ・・・」
さ、とカオルが男の横に回り、ひょいと折れたはずの腕を持ち上げる。
「あれえ!? 折れているのでは!? 皆様! 私が触れたら痛みが無くなったようですよ!」
「え!? あっ・・・あ! 痛い! 痛いぞ!」
げらげらと記者達が笑い出した。
「痛いのですか?」
「痛いに決まってんだろうが! 折れてんだ!」
「それはそれは・・・うむ! されば今すぐ病院へ! 診断書を! 私、治療費を払いましょう! 折れているなら!」
げ! と輩が顔を変え、
「えっ!? いや! いいよ! あれだよ、ええと、俺が弱いから折れただけなんだからよ」
「何を仰る! 怪我をさせたのが私でありましたら、ご遠慮など! さあさあ、診断書を! 是非、皆様にも私がどんな怪我をさせたか詳細に!」
輩はぶんぶんを腕を振り、
「大丈夫! 大丈夫だから! ほら、ええと、あれ! 稽古中の怪我で騒ぐなんて、武術家失格! 怪我なんて当たり前だし!」
んー? とアルマダが首をかしげて、
「何と仰いました? 稽古中の怪我で騒ぐなんて、武術家失格? 腕を上げて折れた折れたと声を上げておられたのは、私の記憶違いですか?」
ははははは! と記者達が笑う。
「ははは! 皆様、この方とカオルさんの試合の様子をお聞きになりたければ、是非ヤナギ車道流へ! 見学しておられた方がたくさんおります!」
記者が笑いながら手を挙げ、
「ハワード様! 審判として立ち会っておられたそうですが!」
「そうです」
言いながら、離れて行こうとする輩を引っ掴み、肩を抱く。
「ですよね? 私が審判を務めておりましたよね?」
「はい・・・」
「互いに向かって立ち会い、私の始めの号令で始め、全てカオルさんの寸止めで終わりました! 私にはそう見えました!」
「・・・」
「ははは! 皆様、良い記事が書けそうではありませんか! おお、そうでした! ヤナギ車道流が腐っているのではありませんよ!」
アルマダが男を指差し、
「腐っているのはほんの一部の者だけ! 素晴らしい道場でした! ヤナギ先生のお言葉には、私達、思わず平伏してしまった程です!」
記者達が笑い声を上げる中、アルマダが青い顔の輩に顔を近付け、囁く。
「破門で済めば良いですがね。勘当されないよう、ご両親に頭を下げる事です」
そっと腕を取り、巻かれた包帯をゆっくり外し、添え木を取って投げ捨てる。
ぱん! ぱん! と腕を叩き、
「皆さん見て下さい! これぞ神の奇跡! 骨折が治っていますよ! ははは!」
アルマダがにこにこしながら輩を見て、
「道場には治癒魔術を使える方が何人もおられるのに、骨折したままのはずがないでしょう。私達がここに居なくても、すぐバレて読売に載っていましたよ」
「・・・」
ふ、とカオルが鼻で笑い、
「あなた、愚かですね」
「く、くそ・・・」
「ハワード様、参りましょう」




