第66話
その夜。
忍装束のカオルが、じりじりと屋台の向かいの建物の屋根を這って行く。
し、と小さく口を鳴らすと、すう、と闇の中からレイシクランの忍が出て来た。
カオルが屋台の方を指差す。
(後ろに?)
こく、と忍が頷く。
この角度から屋台は見えないが、あの男、ナカタが来ている。
む、とカオルが頷き、屋台と反対側の方にするっと下りて、建物の間の細道に入り、ぱっと内弟子姿に変わり、すたすたと屋台に歩いて行き、暖簾をくぐる。
「こんばんは」
「へいらっしゃい! お嬢さん、何にする?」
つるりと剃り上げた頭に、ねじり鉢巻。人の良さそうなにこにこした顔。これが『親方』、この首都の排斥派の幹部。
人は見かけによらないとは、まさにこの男を示したような言葉だ。
「先払いしておきます」
す、と懐から封筒を出して、差し出す。
「っ!?」
親方が目に見えてぎくっとして、さあー、と血の気が引いていった。
『シンノスケ=ナカタ様 マサヒデ=トミヤス』
ぱらりとカオルが裏返す。
『果し状』
「こちらをナカタ様に渡すようにと、お預りして参りました」
「・・・」
す、と後ろの細い道から人影が出て来る。
人影は暖簾をくぐり、カオルの横に座って編笠を取った。
細面の、鋭く、威圧感のある目。横に居るだけで、何となくひやっとする空気。
カオルは良く知っている。これは殺しを生業とする者の独特の空気だ。
ナカタは青い顔をした親方の前の封筒を取り、表と宛名を見て頷く。
「受け取っど。返事ば必要け」
「頂きたく思います」
「じゃ、中を改めさせて頂く。親方、こんわろにないか見繕うてくれ」
「はい・・・」
親方が大根、はんぺん、卵を皿に乗せて、カオルの前に差し出す。
酒の徳利を出した所で、カオルが手を上げて止め、箸を取った。
「見届人ば連れてきてん良かとな」
「はい」
「おいん事は知っちょおじゃろ。何人連れて来っか分からんぞ」
「トミヤス様は、それでも構わぬと。ナカタ様は己の士道を持っておられる方であろうと」
ふ、とナカタが鼻で笑う。
「士道な。分からんぞ。例えおいを斬ってん、囲まれっやもしれんぞ。そいがおいの士道やもしれんぞ」
ナカタが親方を顎でしゃくり、
「そん場は無事に逃げられてん、こいつらが仇討ちせんと、幾人も送っやもしれんぞ。おいん仲間も、おいん言いつけを守らんで襲うやもしれんぞ」
言いつけ・・・
ナカタは誰にも手出しさせない、仇討ちなど認めない、と言い含めるつもりだ。
カオルは頷いて、
「それらも覚悟の上で、と申しておりました」
「そうけ。親方。酒」
「へい・・・」
ナカタが徳利とお猪口を受け取り、ちょろちょろ・・・と注ぐ。
「わいはカオル=サダマキ。マサヒデ=トミヤスの内弟子じゃな」
「はい」
「トミヤス流は『勝てば正義』が信条じゃな」
「はい」
「おいは『正義は勝つ』。『正義じゃっで勝つ』が信条じゃ」
カオルが箸を置き、ナカタの方を見た。
ナカタは薄笑いを浮かべて、ぐっと酒を煽り、
「おもしろかねぇ。『勝てば正義』。『正義は勝つ』。字はよう似ちょお。じゃっどん、わっぜちご(全然違う)。悪人はおいじゃ。まるでトミヤスどんの方が悪人のごたる(悪人のようだ)」
「はい」
ナカタはもう一度、ゆっくりと果し状を読み、
「トミヤスどんの見届人は、奥方と、友人2人と、家臣と、おめ」
「はい」
ナカタは懐紙を出して口を拭い、襟を正し、初めてカオルに向いて、ぐっと深く頭を下げた。
「待っちょいもす」
「お返事、承りました」
カオルも頭を下げ、ぱちりと銀貨を1枚置いて、屋台を出て行った。
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その後、ナカタは隠れ家に自分の仲間を集めて、にこにこしながら酒を飲んでいた。
「おいは感謝しちょい。嘘かもしれん。騙し討ちかもしれん。じゃっどん、おいに士道があっと書いてあっと。嘘でんおいは嬉しかね」
「しかし、ナカタ先生」
「こん先、もうこげん機会はなかじゃろ。おいは一生日陰もんじゃ。そげん思うちょった。そいが、明日の夜、武士に戻れるっとじゃ。トミヤスどんのおかげじゃ。例え騙し討ちでん、果たし合いは果たし合いじゃ。けしんでしもてん(死んでしまっても)嬉しか事じゃ」
座の皆が黙り込んでしまった。
さらっとほろ酔いのナカタが窓を開け、空を見上げる。
「良か月じゃ。綺麗じゃ。明日の月が、最後ん月になっかもしれん」
「先生!」
「そげん顔すな。皆の衆、祝うてくれ。田舎んどん百姓の偽武士が、明日だけ、本物の武士になっとじゃ。剣客になっとじゃ。勝つにせえ、負くっにせえ、最後まで見ちょってくれ。明日は、おいん一生ん一度ん晴れ舞台じゃ。トミヤスどんにびんた(頭)を下げないけん」
ナカタは皆の盃に酒を注いで回り、自分の盃に残った酒を飲み干して、新しく注ぐ。
にっこり笑って、盃を上げ、
「これ、皆の衆、まるでおいが負くっち言いたそうな顔じゃ。勝つに決まっちょおじゃろ。ほれ! 勝ち祝いん酒じゃ! 乾杯!」
「か、乾杯っ!」
ぐいっと盃を空けて、もう一度月を見上げる。
「けしんでん(死んでも)おいは嬉しか! 剣客として、武士としてけしめるんじゃっで(死ねるのだから)! 勝ってん負けてん嬉しか! こげん都合ん良か勝負はなかぞ!? ははははは!」
ナカタが笑いながら盃に酒を注ぐ。
お? と盃を覗き込み、にっこり笑う。
酒に月が映り、ふっと盃を揺らすと、月が波打つ。
(良か! 良か酒じゃ!)
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深夜。
マサヒデが1人で甲板の上で海を眺めていると、すうっとカオルが横に立った。
「お返事は」
「待っている、と」
「そうですか。いや、そうでしょうね・・・」
「やはり、武士らしく、という所に拘りがあるようで。仲間には手出しするな、仇討ちなどするなと言い付けると」
ふ、とマサヒデが笑って、
「そういう所をついた私って、武士らしくないですよね」
カオルが方をすくめ、
「相手の弱みをつく。当然の兵法です。戦乱の武士であれば尚の事。むしろ人を潜ませて、来た所を闇討ちも全くおかしくございません。堂々と一騎打ちをしようと言うご主人様も、拘りがあると見えます」
「そんなものですか」
「はい。私にはご主人様こそ拘りの塊に見えます。手元には私も、レイシクランの忍も居られます。多少の犠牲は出ても、皆様と力を合わせれば、簡単に討ち取る事も出来ます。それを一騎打ちで」
「出来る限り被害は出したくないんですよ」
「ご自身が死んでも」
「・・・」
「皆様、泣いて悲しみましょう」
ふう、とマサヒデは息を吐いて、
「だから、まだまだ死なないんですよ。私は、ボケ爺様になって、誰が誰かも分からなくなって、庭木や庭石を人と見て延々と話し掛けるようになるんです。起きる事も出来なくなり、寝小便を垂れ流し、自分で飯も食えなくなって、そうして皆に迷惑を掛けまくって、やっと死んだか! ありがたや! と思われて死ぬんです」
「ふふふ。そのようなご主人様は見たくもありませんが。誰が誰かも分からぬなど、恐ろしい。マツ様やクレール様に刀を向けるようになったらどうします」
「ううむ・・・もう少し年をくったら、先に遺書を書いておきましょう。そうなったら、マツさん、私を灰にして下さいって」
「剣客とは厄介な者ですね」
「全くです」
マサヒデが月を見上げると、カオルもつられて月を見上げた。
明日の月が、最後に見る月かもしれない。
ナカタも、この月を見上げているのだろうか。
海に映った月が、波でゆらゆらと揺れていた。




