第72話 真実(後編)
第五章:禁止惑星 『バルエクス』戦争編
氷の椅子に腰掛けるエリムスの唇が、鮮血のように赤く艶めいてわずかに歪んだ。冷たい美貌と相まって、その姿はまるで銀河の闇に咲いた猛毒の花のようだった。
「ワタクシの力はとても強かったので、簡単でしたわ。襲い来る獣は血肉と化し、大穴を抜け、兵を殺し、艇を奪ってノワリクトまで飛びましたの」
その声は軽やかに響くのに、言葉のひとつひとつは生々しい残虐さを帯びている。
「美しい宇宙空間にうっとりとしながら、ワタクシは艇の情報端末から周辺の銀河、惑星、そしてノワリクトの情報を頭に入れていく……彼は、バルエクスを出た頃から精神が不安定になって、ずっとのたうち回っていましたわ」
エリムスが横目でちらりと見やったその先で、ジャコウが頭を抱え苦悶の声を漏らしていた。
「うぐぁ、く……!」
「やがてノワリクト宙域に着いた頃、ワタクシはある戯れを思いつきましたの。そのままノワリクトを襲って、力づくで漆黒の結晶体を奪ってもよかったのですけれど、どうやらセキュリティがめんどくさそうでしたし、いずれワタクシが統治する星。あまり傷をつけたくありませんでしたのよね」
ナコは拳を強く握り、唇を噛んだ。声は出ない。ただ彼女の心臓の鼓動だけが胸を叩き続けている。
「ノワリクトでは『禁書』と呼ばれていた神器の器・漆黒の結晶体。まあ急ぐことでもありませんでしたので、セキュリティを内部から解除する方法を考えながら、ノワリクトの膨大な情報、知識を自分のものとする為に、当時の四人衆の一人、化学部門統括責任博士の女を殺し、その女にワタクシが成り代わることにしましたの」
「なんだと……」コルトが低く唸る。
「あぁ。言い忘れていましたけど、その時には既にシャクイガは精神の不安定さがあまりに目障りでしたので、ノワリクトの山中にそのまま捨てましたのよ。まさか数年後にジャコウと名前を変えて、銀河中央図書館の職員になるとは思ってもいませんでしたけれど」
「うぐぁ、やめ、やめ……ろ」ジャコウが呻く。その声音には苦痛だけでなく、深い絶望が滲んでいた。
「まあ、運よく養護施設にでも拾われたのでしょう。名をもらい、そして妹なんてできていたのには驚きでしたわ。うふ」
「そ……そんな、じゃあアゲハとジャコウさんは、本当の兄妹じゃない……」ナコが震える声で言った。
「アゲハはそのことを知ってんのか?」コルトが鋭く問いかける。
「わからない……アゲハと知り合った頃には、当たり前のようにジャコウさんがいたから」ナコが答えた。
次の瞬間、エリムスの喉から甲高い笑いが弾け飛ぶ。
「うふ。あははははは! 滑稽ですわよね! この男はどれだけの人間をゴミのように扱って実験体としてきたか! そんな男が、妹? 家族? 傑作ですわ! 許されるわけないじゃないですの! そもそも全ての元凶は、結晶体の力を研究し、生物兵器を作り始めたこの男なのに! あは、あはははは!」
その高笑いは広い空間に反響し、ナコの心を刃で切り裂くようだった。
「ワタクシはすぐに気付きましたわ。記憶を完全に失くし、ジャコウとして普通に生きているこの男に。だから思いつきましたの。もう一度、自分のことを思い出させて、絶望の淵に落として差しあげようと」
「ひどい……」ナコは小さく呟いた。
「ひどい? 元はと言えばこの男の研究のせいで、ワタクシはあの地獄のような実験の日々を過ごしたのですわよ! でもね、今となっては感謝するほどですわ。惑星の支配者としての力をワタクシに与えてくれたのですから。そして、結晶体の力を全て手中に収めればもはやワタクシに抗えるものは誰一人といなくなるでしょう」
氷の椅子に背を預け、エリムスは妖艶に微笑む。その笑みは凍り付くような憎悪と狂気に満ちていた。
「ワタクシはジャコウに再び近付きましたの。ゆっくり、ゆっくりと記憶の断片を思い出させ、銀河中央図書館『神格の間』に保管されている最高機密『禁書』漆黒の結晶体を盗み出せば全てを思い出すことができる……と」
「……」ナコは呻くように息を吐いた。その胸に渦巻くのは怒りか、悲しみか、自分でも判別がつかなかった。
「そしてあの日、ワタクシが『神格の間』のセキュリティ解除に手を貸し、ジャコウは『禁書』漆黒の結晶体を銀河中央図書館から盗み出した。ワタクシはすぐに彼から器を回収する予定でしたが、おそらく『禁書』に触れたことで記憶が完全に戻ってしまったのでしょう。すぐに行方をくらまし、こうしてワタクシが追いかける羽目になってしまったのですわ」
エリムスは足を組み直し、氷の椅子で優雅に姿勢を変える。
「まあ、でも楽しい余興にはなりましたけれど。うふ」
「それが……あの銀河中央図書館の禁書盗難事件の真実ってことか……」コルトの声は低く、怒りに震えていた。
「そ、そんな……」ナコは膝をつき、力なく座り込んだ。
――その時、ジャコウの喉から絞り出されるような呻き声が響き、空気はさらに張り詰めた。
第73話『ジャコウ vs エリムス』に続く。




