第2話 禁書盗難の日(昼)
第一章: 『ノワリクト』脱出編
ニュース映像が繰り返し流れ、周囲のざわめきが耳にまとわりつく。
「あれ、カグラって……」
「うちのクラスの、あの子の苗字……」
「マジかよ……兄が禁書盗んだって?」
生徒たちの小声が、まるで針のようにナコの耳に刺さる。
ナコは周りから聴こえる悪意あるノイズに耐え切れず、その場から立ち上がった。
トレーに乗せたままの食事パックは、まだ封すら切っていない。
足早に食堂を出ると、背後で誰かが「やっぱりそうだよな」と囁く声がした。
廊下を歩きながら、頭の中では考えが渦巻いていた。
アゲハは何もしていない。ジャコウだってきっと。
それなのに、どうして——。
銀河中央高校は、全生徒が人類種だけで構成されている。
銀河では多種族間の共学も珍しくないが、この学校は特例だ。建国当初からの方針で、言語も銀河共通言語に統一され、他種族の文化や歴史に関してはほとんど触れない授業が組まれている。
その徹底ぶりは、時に異様なほどで——ある言葉に関しては、校則どころか銀河法でさえ、口に出すことすら禁じられている。
『地球』
ナコは、その単語を思い浮かべただけで、心臓が一度跳ねるのを感じた。
歴史の授業では、一切触れられない。資料にも載っていない。誰も口にしない。いや、できない。
なぜ禁句なのか、誰も教えてくれない。だが、その空白の向こう側に何かがあることを、ナコは子どもの頃から薄々感じていた。
足は自然と教室へ向かっていた。
机に突っ伏したままの時間は、やけに長く感じられる。
授業再開のチャイムが鳴っても、何をどう聞かれても上の空だった。黒板の文字が白い光の粒に崩れていく。頭の片隅では、昼に見たアゲハの映像が何度も再生される。
あの無言の眼差し。泣いてはいなかった。けれど、唇の端がほんのわずか震えていた。
——助けなきゃ。
放課後の鐘が鳴ると同時に、ナコは鞄を肩にかけた。
帰宅ラッシュの生徒たちの流れから外れ、別の昇降機へ向かう。目的地は決まっていた。
アゲハの家。
銀河中央区の外れ、古い低層住宅が立ち並ぶ地区。
今では珍しくなった石造りの外壁と、手動式の扉。どの家も似たような造りだが、カグラ家はひときわ質素で、植木鉢に咲く花が通行人の目を引く。
呼び鈴を押しても、応答はない。
二度、三度。やはり誰も出ない。
扉に手をかけると、施錠はされていた。窓から中を覗くと、整頓された室内に生活の匂いが漂っている。まるで数時間前まで誰かがそこにいたかのように。
胸の奥に、焦燥が小さな炎を灯す。
——時間がない。
ジャコウが出頭しなければ、あと七日でアゲハは終身刑になる。
そのとき、背後から声がした。
「……ナコ?」
振り向くと、ラフな格好に身を包んだ長身の男性が立っていた。顔は見覚えがある。近所に住む、元銀河警察のコウダ巡査部長だ。
彼は眉を寄せて、低く言った。
「アゲハには……もう会えないかもしれんぞ」
その言葉は、予想していたはずなのに、現実として突き刺さった。
ナコは一歩、彼に近づく。
「ジャコウさんは盗んでない。アゲハだって——」
「信じたいのはわかる。だが、政府がここまで迅速に動く時は、必ず裏で何かが決まっている」
コウダはそう言い、視線を遠くに向けた。
「……深入りするな。お前まで巻き込まれる」
ナコは返事をしなかった。
胸の奥の決意は、警告を受けても揺らがない。
むしろ、ますます強くなっていた。
第3話『禁書盗難の日(夜)』に続く。




