9 精霊の柱 Ⅱ
「──好きですよ、ライオット王子……」
ソーヴェのその声で、ヒューは、微睡みの中から一度に引きずり出された。
慌てて、身を起こす。
夜闇の視界のその先に、ソーヴェとライオット、二人の佇む姿。
その様子は、ヒューから見ると、至極お似合いの一対。
その年齢にしろ、その背丈にしろ……。
きり……。
唇を噛む。
そんな視線に気づいたソーヴェが振り返る。
「目が覚めたかい、ヒュー」
穏やかな微笑み。
微かに恥じらいが潜んでいる、透き通るような微笑み……。
「ソーヴェ……。私も同行したい」
ライオットが、ソーヴェを背後から抱きしめる。
ソーヴェは、抗おうともしない。
ぴきっ!
ヒューのこめかみに、青筋が浮き上がった。
「精霊たちは、気まぐれです。ヒューは、何らかの形で保護下にあるようですが、貴方は危険です」
宥めるように、ソーヴェがライオットの腕を解く。
「それでは、約束して下さい。このまま行ってしまわないと……」
再度、ライオットが、腕をソーヴェの体に回す。
「坊やを元の世界に帰したら、改めて私の所に寄ると……」
深く抱き込む、男の腕。
「誠の術司の名にかけて……」
懇願するライオットに苦笑しながら、ソーヴェがライオットを振り返る。
「誠の術司の名にかけて、お約束します」
ライオットを見つめる、ソーヴェの瞳。
ヒューは、完全に煮詰まった。
「ソーヴェ! 離れろよっ!!」
感情に促されるままに喚こうとするヒューを制して、ソーヴェが口を開く。
「ヒュー、喜べ。帰る方法がわかったぞ」
とんでもない話題の転換に、ヒューが頓狂な表情を浮かべる。
「精霊の柱に着けば、戻してくれるらしい」
「精霊の柱?」
「ヒューは、精霊の柱に導かれて、ここに来たらしいんだ。幸い今日は、誓約の月が満の月だから、精霊の杜に入れるし……」
「でも、精霊の杜に入っても、柱をどうやって見つけるんだ? あれは、蜃気楼みたいに移動するんだろ?」
『異界現象学』で習った内容を反芻しながら、ヒューが尋ねる。
「大丈夫……、彼らが案内してくれる」
ソーヴェの指の示す先に、視線を向ける。
森の奥、杜に連なる付近に浮かぶ、奇妙な影。
「精霊!?」
「癒しの炎を使っていた時、彼らが教えてくれた」
ソーヴェが、不思議な韻を含んで、語る。
「『時は来たり。我らが導きし若者を、在るべき処へ還そう』」
「ソーヴェは、精霊の言葉がわかるのか!?」
ヒューは、精霊と情を交わすことが出来る人間など、王族の祖と呼ばれた人物しか知らない。
「ソーヴェ、君は──」
「彼らは、私の血の盟約による友だ」
ヒューの言葉を聞く間もなく、ソーヴェはヒューの腕をとる。
「でも、気まぐれなのは同じなんだ。急ごう」
ヒューは、引きずられるように、ソーヴェの後に続いて、精霊たちを追った。
*
初めて見つけた時と同じく、精霊の柱は、静かにそこに在った。
満の月の光を浴び、淡く光る水晶の柱。
全ては、此処から始まったのだ。
感慨に耽るヒューの後ろで、ソーヴェの忍び笑い。
憤然と、ヒューが振り返る。
「なんだよ、ソーヴェ!」
「いや……なんでも」
ソーヴェが、こほこほと咳をするようにして口許を隠す。
「口許が歪んでる!」
「いや、その……すまん。ただ、ヒューほど、私を楽しませてくれた道連れはいなかったと思っていただけだ」
ばつが悪そうに、口を開く。
「子供の姿に、大人びた口調、仕種。どうにもちぐはぐで……」
殺しきれない笑いが、ソーヴェの口許を歪めた。
「どうやらソーヴェは、俺を子供扱いで、通すつもりらしいな!」
腹立ちも露わに、ヒューがソーヴェを睨み上げる。
「悪いかい?」
見下ろすソーヴェの瞳が笑みを象る。
「悪い! 俺は、ソーヴェが好きなんだ!!」
ヒューは、見上げるソーヴェの瞳に、ひたり、と、自分の燻し銀の瞳を合わせた。
「……」
沈黙の内に、二人の視線が絡みつく。
「……光栄だね」
優しく瞳がすがめられ、口の端に薄い笑みを湛えたソーヴェが答える。
その笑みは、子供のたわいもない言葉を、笑んで聞き流す大人の物。
予想違わぬソーヴェの反応。
子供と思って、本気で受け止めてもらえない!
「……っ、ソーヴェ!! 俺は、本気だぞ!!」
苛立ったヒューが叫ぶ。
対するソーヴェは、あくまでも穏やかで。
ヒューの頬を両手で包み込むと、諭すように語る。
「いいか、ヒュー。私は、恐らく、この姿から解放されることは、ない」
噛んで含めるような口調。
「それがどうした!」
「ヒュー……」
困ったような声が続く。
「私は、憐みで人に愛されるほどに、落ちぶれたくはないぞ」
ソーヴェの言葉に、ヒューの怒りが炸裂した。
「それは、俺に対する最大の侮辱だ!!」
叫んで、強引にソーヴェの顔を引き寄せる。
驚く暇も与えず、ヒューはその唇に、啄ばむように優しく、自分のそれを重ねた。
「憐みなんかじゃない。俺は、ソーヴェの優しさや、哀しいまでの毅さが好きだ」
再度その頭を抱え込み、今度は、深く口づける。
「ソーヴェを……愛している」
「ヒュー……?」
ソーヴェが、呆然と口許を押さえて立ち尽くす。
「元の世界に帰ったら、きっと君を探し出す。“誓約の騎士”の名にかけて!」
ソーヴェの頬に優しく触れる。
「……本当の俺は、結構な美丈夫なんだ。楽しみに待ってろよ!」
そう宣言して、柱に向かって走る。
「きっと君を迎えに行くっ!!」
柱に触れる前、もう一度念を押すためにと、振り返って叫ぶ。
「……っ!? ソーヴェ!?」
見出したのは、ソーヴェのうずくまる姿。
「ソーヴェ!!」
駆け戻ろうとしたヒューの体が、ふわり、と、何かに包まれた。
「ソーヴェ!!」
巻き上げられるようにして宙に浮く。
「ソーヴェ────ッ!!」
魂切るような自分の叫び。
その声が遠い。
そこで、ヒューの意識は、真っ白に塗りつぶされた。
*
「ファン‐ヒュー殿下をお守りできませんでした」
憔悴しきった青年が、その仕える王に、頭を下げた。
「どうか、命をもって償わせてください、陛下!」
青年が、懇願する。
青年は、ヒューの親友であり、警護役を務める、フェイ。
対するのは、ヒューの兄であり、南大陸、極東国の王。
「赦すことは出来ぬ、フェイ」
「しかし──」
「そのような慣習を作れば、後々の災いの種となる」
言い聞かせるように、王が話す。
「それに、アレが死ぬことなど有り得ぬ。アレは、悪運だけは強いのだ」
「生きておいでだとしても、相手は気まぐれな精霊たちです! もう、……もう戻ることは、叶わぬと……っ!!」
フェイは、慟哭して、床に頭を擦りつけた。
「このようなことになったのも、私がファン‐ヒュー殿下をお諫めしなかった結果っ……!!」
唇を血が出るほど噛みしめる。肩が慟哭に大きく震える。
「フェイ……。そのように自分を責めるな。すべては、王族たる自覚の甘い、ヒューが不明」
「しかし陛下──」
フェイの言葉に、奇妙な音が重なった。
何かの落下音であると気付き上空を見上げる。
瞬間、二人の居た中庭の小さな泉に、大きな水柱が上がった。
ざぁ……んっ!!
泉の中、全裸のヒューが、呆然と座っていた。
「兄者? ……フェイ?」
固まる二人の姿を見つめ、次いで辺りを見回す。
そこは、自らの生まれ育った城の、中庭。
──俺は、……戻ってしまったのか!?
最後の一瞬に見たソーヴェの姿に、ヒューは唇を噛んだ。
苦しげに、その身を抱いた青白い、華奢な腕。震えていた、その身体。
そんなソーヴェを後に残してくるぐらいならば、二度と此処へ戻れなくても構わなかった。
「ヒューっ!!」
そんなヒューに、驚きと安堵と怒りを一度にその顔に浮かべたフェイが飛びついた。
「ヒュー! ヒューっ!! 死ぬほど、心配したぞ!!」
その首にしがみついて、フェイが男泣きに泣いていた。
「この大馬鹿者が!! 半月も、無断で国を留守にするなど!! ……どれほど、その民を悲しませたと思っている!! 少しは、王弟としての自覚を持て!!」
兄王の怒鳴り声に、ヒューが思わず小さくなる。
フェイも、王の面前であった事を思い出し、そろり、とヒューから手を放した。
意を正して、平伏する。
「も……申し訳ありません、兄者」
項垂れて謝るヒューに、王が身に帯びていたマントを脱ぎ、乱暴に被せる。
「落ち着いたら、部屋へ来い!!」
乱暴に言い放ち、兄王は、二人に背を向けた。
「じっくりと油を搾ってやる!!」
乱暴に、歩きだした兄王のその目尻、光る物があったのに、二人は気付かぬままだった。