7 私闘
ソーヴェの身を包んだ銀蒼色の炎が、その色を変じる。赤く、朱く、紅く。“紅蓮の炎”が、轟々とその身を包む。
「銀蒼は、浄化。紅は、攻撃、の炎。全てを滅する! 我が怒り受け、滅びよ、邪なる術司!!」
細く、鞭のごとく別れた紅蓮の炎が、迸る。地を、空を。
そして一気にリドゥーラに絡みつく。
灼熱の紅。周りに在る全てを蒸散させて、猛り狂う。
全てを熱し、全てを破壊し、炎が立ち昇る。
ソーヴェの口許に、会心の笑み。
が、それは、驚愕に歪んだ。
炎の中から漏れる、笑い声。低く、楽しげな嘲笑。
「貴女に、私は倒せませんよ。……絶対に」
猛り狂っていた紅の炎が、ゆっくりと消失していく。まるで地に呑まれるように沈んでいき、その紅を薄めていく。
紅の炎の中から、傷一つ負っていないリドゥーラの姿が現れる。
呆然と立ち尽くすソーヴェに、リドゥーラが笑む、低く、さらに低く嗤ってみせる。
「倒す! 倒してみせるっつ!!」
リドゥーラの笑いに、ソーヴェの怒りが弾ける。
華奢な青白い腕が、真っ直ぐに伸ばされる。天に向かい、高々と。
口から低く流れる声。
風が四方から、一斉にソーヴェの元に集う。
「雷よ! 来たれ! 来たりて、我が意に従え!!」
両の掌底に、仄青い光が宿る。それは、輝きを増し、加えていく。
ぱり……パリリ──!
蒼白い巨大な光が、その腕で大きく息づく。
「その輝きもちて、我が仇を滅せよ!」
上げられていたいた腕が、一気に振り下ろされる。
ソーヴェの仇、リドゥーラに向かって。
凄まじい放電に、大気が大きな悲鳴を上げながら、裂ける。
蒼い閃光が走る。
地が裂け、大小の岩が礫となって、周囲の木々を薙ぎ倒す。
森全体が、悲鳴を上げる。
誠の術司の司る術は本来、周囲の自然物に影響を与えない。
だが、今のソーヴェが司っている術は、その範囲を大きく逸脱していた。
凄まじき術の開放に、森の持つ防御の力が解けていく。
怒りに我を忘れたソーヴェの術は、既に誠の術司の司るべき物ではなかった。
……決して、用いてはならぬハズの術。
「くく……。この程度の雷撃では、私に傷一つつけられませぬよ」
雷の閃光の中から、悠然とリドゥーラが姿を現す。
「我が、麗しの乙女よ……」
リドゥーラが、嗤う。
ソーヴェに向かって、差招くように漆黒の腕が伸ばされる。
「嘘──」
ソーヴェが、呆然と立ち尽くす。
「中々……と、思っていたのですが、私の買い被りであったようですね。まあ、他に使い道が無いでもありませんが」
喜悦の笑みを、その薄い唇に刻んで、リドゥーラがソーヴェの頬に触れる。
禍々しい黒に染まった瞳が、深淵の闇を映すソーヴェの瞳を見下ろした。
ソーヴェが、身内に走った恐怖に、その手を振り払う。
「無駄な抵抗はやめなさい。どうせ、逃げられはしないのですから」
振り払われた腕で、ソーヴェの腕を掴む。
「……大人しく私の物となりなさい。そうすれば、その身を元の美しい姿に戻してさしあげますよ?」
ずい、と、リドゥーラがソーヴェを引き寄せる。
「放──せっ! お前などと馴れあうくらいなら、死んだ方がましだ!!」
ごうっ! 紅蓮の炎が、リドゥーラの腕を焼く。
「無駄」
リドゥーラが嗤う。
怖い! ソーヴェは、身内に沸きあがる恐怖を振りほどくように、炎を身にまとった。
「私は、……死ぬ訳にはいかない。だから、お前は倒す!」
リドゥーラの腕を振りほどき、ソーヴェが叫ぶ。
「無駄っつ!」
リドゥーラの一喝。
ソーヴェから新たな攻撃が放たれる前に、リドゥーラの攻撃が始まった。
*
「さすがに、まだ──二人連れで跳ぶのは、きつい」
ライオットが、深い喘ぎを漏らして、腕の中のヒューを降ろす。
降ろされたヒューは、覚束ない様子で、足元を見つめる。
「じ……地面、が、回る──」
呟いて、その場にへたり込む。
「おや、術司の連れのようだったから大丈夫だと思って、連れて跳んだのですが──」
ライオットが、心配げにヒューを覗き込む。
「初めてだったんですか?」
「ソーヴェと知り合ったのは、──十日……ほど前。──それ、に、俺の前で術を司ったとこは、──見て……な……い」
ぐるぐると回る視界を止めようと、ヒューは両手で頭を押さえる。
ライオットが、その様子に失笑する。
「おかしな子だ。あれだけの呪術下にあった私を、開放しておいて」
「あれ、は、……俺じゃ、ない。この、剣の……力──」
ぶるぶると差し出された剣。
それを凝視して、ライオットが立ち尽くす。
ソレ、は、まぎれもない“誓約の剣”。一つの世代に、一人の所有者しか選ばない、聖剣の一振り。
今の所有者は──
「君は、誰だ?」
ライオットの問いに重なった、巨大な破壊音。
二人は、同時にその方角へ視線を走らせた。
瞬間、襲ってきた強烈な風圧に圧されて、背後の木に叩きつけられた。
防御の壁が間に合ったライオットが、ダメージ軽く、先に立ち上がった。
周囲を見回して、呆然と立ち尽くす。
破壊につぐ、破壊。
森は、完全にその生命を喪っていた。
「何だ……これは!?」
ライオットが、驚愕と怒りの混じった呻きをもらす。
在りうべくもない惨状!
誠の術司がその場に在る限り、どのような闘いの場にあっても、自然に影響は及ばぬ。その筈だ。
自身、たいして極めていないながらも、誠の術司の名を冠しているライオットにとって、それは身をもって知る事実である。
それが、今、見事に裏切られた。
「坊や!! 君の連れは、本当に誠の術司か!?」
咎めるような問いに、ヒューが反発した。
「坊やじゃない、ヒューだ! ソーヴェは、“無の騎士”と呼ばれる誠の術司だ!!」
「“無の騎士”だって!?」
南大陸において、俘系の術司をほぼ一掃してしまった強大な力は、特異な容姿と相まって、あらゆる形で知れ渡っていた。
多くの詩人がその歌を詠み、多くの術司が目標としている術司。
氏素性が伏せられているため、“無の騎士”の呼称名をもって呼ばれる神秘の術司。
今世紀最大の誠の術司と謳われている。
このような事態を引き起こすとは、到底思えなかった。
「いったい……?」
ライオットの呟きに、頓狂なヒューの叫びが重なった。
「何だぁー!?」
帯に挟んでいたソーヴェの短剣を引き抜く。
閃光!!
先程の発光とは比較にならぬ閃光が、短剣の柄に嵌め込まれていた水晶から迸った。
──包み込まれるっつ!!
刹那、
二人の思考は、榛色の情景の中に滑り込んた。
*
穏やかな光の中の、母と乳飲み子。
少し離れた所から、その二人を見つめる視点。
躊躇いがちに覗いている。
やがて、視線の持ち主に気が付いて、母親が淡い青の瞳を和ませて手招きする。
駆け寄る。
二人の居るベットの縁に頭をのせて、甘えるように母親を見上げる。
頷いて、その腕の中の子供を、視線の持ち主に預ける。
安らかに眠る赤子を見つめて、視界が滲む。
その瞳の淵に薄く浮かんだ涙に、優しく滲む情景。
──この子の母と、弟……?
榛色の情景は、一人の人物の視点をもって、流れていく。
優しい、優しい想い。
共有しているヒューとライオットの心までも、和ませる。
その、優しい情景を叩き壊す、影が射す。
駆け抜ける、いくつもの回廊。
襲い来る恐怖と、助けを求める声を──心の声を、聞きながら駆ける。
圧し潰されるような不安と共に、母と弟の居る寝室の扉を開け放つ!
紅の視界。
襲う……眩暈。
愛する母と弟の変わり果てた姿。
血の海。
横たわる、青白い二人の姿。
沸きあがる否定の思い。
溢れる涙に、視界が大きく歪んだ。
慟哭の叫び!
それに重なる、どす黒い攻撃の闇。
避けきれず、全身に纏いつく。
苦痛……激痛!
それ、に勝る怒り!!
それを越える哀しみ。
注ぎ込んだ分の哀しみ。
沈む……想い。
……闇。深い闇。
全身に纏いつく。
閃光。
全てを引き裂き、再度沸きあがる怒り。
──誰にぶつけられる!?
ヒューとライオットが、同時に思った。
瞬間。
……回帰。
*
「…………ソーヴェ?」
ヒューは、打ちのめされた。
女性とは思えぬほどに、強いと思っていた。
しかし、それは、哀しみに負けまいとする、虚飾。
その怒りさえも、自分のためではない。
喪った人ゆえの、怒り。
弱くはない。が、決して強い女性でもなかった。
哀しい……、透き通るような哀しい愛情をもって、強くなった女性。
「ソーヴェ……、君は──」
微かに漏れる悲鳴。
引き裂かれる心のあげる悲鳴。
ヒューとライオットは、同時にその方向へ走った。