6 誓約の騎士
「あんの、お転婆め! 一体どこに行ったっつ!? せっかく人が手伝うと言っているのに!!」
ヒューは、忍び込んだ王宮の王子の私室で、罵りの言葉を叫んだ。ソーヴェより歳下の外見には、とうてい似合わぬ保護本能のままに。
部屋には、目指したソーヴェの姿ばかりか、王子の姿さえなかったからだ。
自らの育った城で、頻繁に周囲の人間の目を盗んで街に繰り出していたヒューにとって、城の警備の盲点を突くなど、児戯にも等しかった。
それでも、中々に苦労して、この部屋に辿り着いていたのだ。慣れ親しんだ、十分に成長した体とは異なる少年の体では、思うような動きが出来ず、存外手間取って辿り着いたのだ。
それが徒労に終わったのには、さすがに我慢の限界を超えた。
それでなくても、ソーヴェの別れ際に放った言葉に、腹を立てていたのだ。
「何が、『私は、ヒューとは無関係』だ!! 見も知らぬ俺のために、自分のことさえ後回しにする程関わっておいて!!」
肩で息をしながら、叫ぶ。
「それに、俺はガキじゃない!! 一人前の男だ! 足手まといになんかなるかよ!!」
怒り任せに、寄りかかっていた壁を殴りつける。
「え?」
そう呟いたのと、足元にばっくりと開いた穴に、体が吸い込まれたのは、同時であった。
「何だよ、これは──────っつ!!」
叫びつつ、反射的に伸びた腕が、穴の淵に手をかけていた。
片腕だけで自らの体を支え、穴の様子を探る。
隠し部屋では、無い。
明らかに異常に空間が歪んでいる波動が感じられる。
ずるり、と、闇が足に絡みつく。
その異様な感触は、たいていの人間が悲鳴をあげるだろう物だった。
「なめるなー!!」
ヒューは、叫びざま、腕に力を込めた。
クンっ! と、一瞬にして体が引き上げられる。
闇の触手を足首に絡みつけたまま、強引に、その身を穴の外に移す。
「その民を護るべく生み出された王族の力を舐めるなよ。……この下賤な闇の生き物が!!」
ヒューの口許に、好戦的な笑みがのぼる。
長年、軍属として戦いの中に身を置いてきた故に備わった戦いの予感に、全身が溢れるほどの闘気を帯びる。
触手を振りほどくのでは無く、逆にきつく握りしめて、一気に穴の中から引きずり出す。
爆発的瞬発力に抗うべくもなく、それは、室内に灯された光に照らし出された。
と、そこでヒューは、我に返る。
怒り任せに魔物を引きずり出した迄は良い。
が、今の自分の置かれている状況を失念していたのだ。
「俺って、馬鹿? 魔物退治用の武器、持ってないじゃん」
向かってくる無数の触手を、しなやかな動きで避けつつ、頭を抱える。
この状況を打開すべく、目まぐるしく思考する。
その間も、体は本能に任せて動いていた。
ソーヴェから渡されていた短剣。
それで、縋る触手を叩き切る。
鮮やかな切り口から、一拍の間を置いて噴出した体液を避けて、大きく横に跳ぶ。
体液の滴り落ちた床が、異臭を放った。
「本能の命ずるままで正解かよ」
強力な腐蝕酸である。触れていれば、骨までどろどろに溶かされていたであろう。
「こいつ創った奴の顔が見たいぞ。なんて、エゲツないものを創るんだ」
さて、どうしたものか。と、さらに困難になった状況下で考える。
迂闊に、剣をふるう訳にもいかなくなったからだ。
「こんな時に、“誓約の剣”があれば……」
精霊の柱に引き込まれる寸前までその身に帯びていた、魔物までも滅する愛剣を思って、ヒューが呻く。
あれだけ否定しておいて、何のことはない。今の自分は、本当に足手まといになっている。
「くそったれ!! 俺が、何をしたって言うんだ!? 俺は今まで、その立場を敬いこそすれ、精霊を傷つけた覚えはないぞ!!」
触手から逃げ回りながら、苛立って叫ぶ。
刹那、きつく握った短剣の柄が、白く発光した。
目の前の魔物に重なるように、何故か、水晶の柱──精霊の柱が、陽炎のごとく現れる。
「な、なんだー!?」
続く、大きな音。
「どわ────っつ!!」
音を立てて頭上から落下して来た物体を辛うじて避け、ヒューはその場を飛び退いた。
とす!
深々と床に突き立った長剣が、その磨き抜かれた刃に光を弾く。
見慣れた、けれども、そこに在るはずがない、モノ。
一瞬の否定の思考を余所に、伸びてきた触手を避け、その剣を手にすべく大きく跳躍する。
それに見合うには未だ数年の時を要するであろう長剣が、ヒューの手に握られた。
しっくりと手に馴染む、剣の柄。
それは、間違いなく、自らを唯一の所有者として認めている、聖剣“誓約の剣”。
ヒューの燻し銀の瞳が、苛烈な光を発して閃いた。
「滅せよ、闇の魔物を!!」
大上段に構えた剣を、一気に振り下ろす。
真っ向からの攻撃にも関わらず、自縛されたように身動き一つせずに、魔物が叩き切られる。
ゆっくりと、二つ身に割かれた魔物が、左右に沈み込んだ。
切り口が、鈍く発光する。
誓約の剣が、その刃に帯びているのと同じ、鈍い銀色の光。
同じ鼓動を刻み、弱く、強く、明滅を繰り返す。
光の共鳴が、最高に高まった所で、閃光が部屋に満ちた。
光が消えた時、部屋からはすでに、魔物の姿が消滅していた。
「さすが……」
相変わらず、凄まじいまでの威力を見せる愛剣を見つめて、ヒューが微笑む。
そして、おもむろに、残された穴に首を突っ込む。
魔物の気配は、ない。
「お前も手許にに戻ったことだし……」
呟いて、ヒューは穴に身を躍らせた。
鈍い銀色に包まれたヒューの体が、フ……と、闇にまぎれた。
*
異常な空間の歪みを抜けた所は、薄暗い洞窟の中らしい所であった。
呼吸を整えて、意識を視ることに集中する。
応えるように、剣がその光を増す。
浮かび上がる、一つの影。
「ライオット王子……?」
闇色の靄に包まれる美貌の青年。
その面に、口惜し気な表情を刻み、眠るように横たわっている。
ヒューには、それで十分であった。
今、ソーヴェが対しているだろう俘の術司が、先ほど水鏡で見た王子の正体。
「本当に、エゲツない奴」
吐き捨てて、斜めに剣を構えなおす。
瞑目して、ゆっくりと呼吸を整える。
剣の光の強弱と、呼吸が同調する。
「……“誓約の剣”が主が命ずる。この闇に縛られし者を、その力もて開放せよ」
両の瞳が開かれる。
音を立てて、剣が真円を描いて振られる。
写し取られた第二の月”誓約”の姿。
誓約の月は、古の日に、王族の祖に誓った。
自らの力を封じた剣の選びし者に、その光もて闇を封じ、その力もて闇からの開放を。
洞窟が鈍い銀の光で満たされる。
光は凝縮し、ライオット王子を包んでいた靄を、さらに包み込んだ。
ゆらり……。
周囲のすべてが歪む。
そして、一瞬後の開放。
「大丈夫かい、ライオット王子?」
ゆっくりと、青い瞳が見開かれる。
「君が……助けてくれたのかい?」
覗き込んでくる燻し銀の少年を見つめ返して、ライオットが尋ねる。
「ソーヴェが、呪術師を遠ざけてくれていたから出来た。俺じゃない」
ライオットが体を起こすのを手伝いながら、ヒューが答えた。
「ソーヴェ?」
「誠の術司だ。君の父君に雇われて、今、俘の術司と対している」
やけに大人びた口調の少年を凝視しながら、ライオットが起き上がる。
「……俘の術司」
その女と見まがうばかりの優しい面に、強烈な怒りが浮かんだ。
「受けた屈辱、晴らさずにおくには、大きすぎる!」
すっくりと、立ち上がる。
虚空に放たれた視線が、何かを探るように彷徨う。
「居た……」
呟いて、傍らで自分を見上げる少年を振り返る。
「行きます。君も来ますか?」
本能的に、それが二人の術司の闘っている場所を指すことを理解し、ヒューが頷く。
ライオットがヒューの体を抱き上げる。
一瞬、抗ったヒューであったが、次の瞬間襲ってきた酷い眩暈を伴う浮遊感に、力を抜いた。