5 俘の術司
「……凄い美形。これで、男かよ」
ヒューが、ソーヴェの映しだす王子の姿に、大真面目な批評を下す。
傍らで、聖獣もそれを肯定するように、大きく頷いている。
白く整った顔に、青い瞳。赤くふっくらとした唇。柔らかに背を覆う金色の巻き毛。
すんなりと伸びた肢体には、一部の隙もない。しなやかに鍛えられた獣の如き覇気をまとって、優雅にこの国の王子が佇んでいた。
が、ソーヴェの反応だけは、二人(?)と異なっていた。
「なるほど……。こいつは、手強そうだな」
「ソーヴェ……?」
驚きを隠せない様子で、ヒューがソーヴェを見上げる。
外見はともかく、ソーヴェは女である。これだけの美形を見て、このずれた反応には、驚くばかりである。
「こいつ、私達が見ていることに気付いている。見てみろ、嘲笑ってるだろうが」
言われて、改めて観察してみれば、確かにその口許には、薄い冷笑が刻まれていた。
「ソーヴェは冷静だな。これだけの美形見て、ときめいたりしないのか?」
「馬鹿らしい。人間上辺では無いぞ」
言われて、また改めて気付いた。ソーヴェの他と全く異なる姿に。
自身の経験に基づくものであろう、その言葉には重みがあった。
色々と有り過ぎて、意識することが無かったための失念に、ヒューは唇を噛んだ。
「ごめん、ソーヴェ。俺、考えなしだった」
「何が?」
「だって、あの──」
「私が言いたいのは、人間外見に惑わされれば馬鹿を見ると言うことだ。人の心根の美醜が、真の人の美しさだ」
ふ、と、溜息が吐かれる。
「もっとも、人は弱いから、そうと分かっていてもなかなか実行には移せんがな」
「……そうだな」
透視の水鏡を消しながら、ソーヴェが口を開く。
「さて、そろそろ行くか。明日の朝迄には、片付けないとな」
「明日の朝ーっ!?」
「たらたらやっていられるか? 私は急いでいるんだ。それに、ヒューの事もある」
「俺?」
「そうだ。お前のことも調べなければならん。導師でも確かなことが分からんのだからな。ここでランスの休養が終わったら、ヒューの国へ行こう」
ふ、と、再度溜息が吐かれる。
「せっかく北の大陸に入ったのに、南に引き返す事になるとは、思わなかった……」
「すまん。迷惑をかける」
「いい。気にするな。子供の面倒を見るのは、好きだ」
「でも、俺は子供じゃ──」
「それ以上言うな。お前が大人だと思うと、やる気が萎える」
げんなりとしたソーヴェの言い方に、苦笑する。
「~~ソーヴェって、本当に変わっているな」
「言うな。ヒューも、十分変わっているぞ。普通、術の心得も無い者がこんな妙な状態に置かれたら、恐慌きたすぞ。平然と受け入れおって。呆れて物も言えぬ」
「悪かったな。お互い様だろうが」
拗ねて言うヒューの頭を、ぐりぐりとソーヴェが撫でる。本当に、ヒューが可愛くて仕方ないらしい。
「ランス。ヒューと、大人しく留守番しててくれ」
ソーヴェの言葉に、ヒューが驚愕する。
「ソーヴェ!? 俺を置いていくつもりか!?」
「当たり前だ。術司同士の闘いに、ただの人間を連れていけるか。危なっかしい」
「導師は、一緒に行けと言っただろう!!」
「……旅の道連れにすることまでは譲歩したが、闘いに伴うことまでは譲歩していない」
「俺は、男だ。女性を守るのは、男の仕事だと言ったじゃないか!!」
「それは、連れ合いや子供のことだ。私は、ヒューとは無関係だ」
言いざま、ソーヴェの腕が、宙を優雅に舞う。
「いいか、付いてくるなよ。もっとも、追えはしないだろうがな」
言った瞬間、ソーヴェの背後に虹色の亀裂が走る。淡い銀蒼の光を全身に纏ったソーヴェが、その中に溶けたのは同時であった。
「ソーヴェ!!」
ヒューの叫びは、空しく宙に散った。
*
「フム……。間違えませんでしたね」
にっこりと王子が微笑む。人を魅惑せずにはおれぬ、コケティッシュな笑み。
「たいがいの術司は、王宮の私の部屋へ跳んで、その後慌てて痕跡を追って、こちらに跳んで来るのですがね」
王宮とは正反対に位置する険しい山中に、二人は同時に姿を現した。
「お褒め頂いて光栄です。ライオット‐ライ‐ハン‐ティセー王子」
恭しく礼をとって、ソーヴェが頭を下げる。
対する王子が、楽しそうにソーヴェを見下ろす。
「くく……。人を食った方だ。私が、ライオット王子本人でないことには、とうに気付いておろうに」
「おや、そうですか? ぜんぜん気付きませんでしたが……」
「とぼけるな。私と比するに足る術司であることは、わかっておる。私は、からかわれるのは、好まない」
「……そうらしい。余裕の無い人生を歩まれたらしいな、俘の術司殿は」
穏やかな言葉のやりとり。
だが、それとは正反対に、行動は実に過激。
凄まじい勢いで飛んできた巨大な岩を、ソーヴェが片手で空中に停める。
残る片手で、小さな印を結ぶ。同時に、口から裂帛の気合が上がる。
鋭い破片となった岩が一斉に、王子の姿をその身に映した俘の術司に向かって奔る。
それを、上空からの強い気流で、大地に叩きつける。
粉々になった大岩は、さらさらと風にさらわれて、二人の足元を流れた。
「……」
沈黙に、激しい敵意が剥き出しになった。
「やっと、見つけた」
先に口を開いたのは、ソーヴェ。
その瞳に酷く好戦的な光を浮かべて、歓喜に小さな笑いを漏らした。
「この波動……。お前が、私の、探し続けていた仇だ」
「な……に?」
「忘れたとは言わせぬ!! 生まれたばかりの私の小さな弟と母を手にかけた上に、私に仮死の術を施した呪術師。……私から、全ての自由を奪った者──」
ソーヴェの体から、ぶわりと波動が漏れる。
「決して……決して赦さぬ!! この三年、お前を見つけ出し、この手で封じることだけを考えて、生きてきた!!」
「この私の、仮死の術を解いただと?」
解せぬとの呟き。
「この姿が、その証だ。お前の能力封じの呪力を、外見の変化に転化した。……術を司る能力を失う訳には、いかなかったのでな──」
ソーヴェの全身が、銀蒼の炎に包まれる。
「お前を、この手で滅するためにっつ!!」
「貴方、いったい何者です?」
「封術司“無の騎士”、誠のソーヴェ。……“銀蒼の炎の乙女”、そう名乗れば、嫌でも覚えがあろう?」
驚愕に、俘の術司の瞳が開かれる。そして、その唇に、酷薄な笑みが掃かれた。
「俘は負に、負は訃に、訃は仆に通じる。俘の術司とは、即ち死の術司! それほど死んだ者が愛しいのであれば、すぐに同じ処に送って差し上げましょう」
嬲るような言葉にも、ソーヴェは退かなかった。
「……あの時は、弟と母を喪った哀しみに、後れを取ったが、今度はそうはゆかぬ。私を舐めてかかると、大火傷するぞ!」
銀蒼色の炎になびく真白な長髪、照り映える青白い肌。
「……もっとも、お前は、その程度では済まさぬがっつ!!」
裂帛の気合と共に、優雅に宙を舞っていた腕が止まる。
差し上げた掌に、身に纏っていた銀蒼の炎が凝縮される。
そんなソーヴェの姿に、俘の術司の口許には、非難するような笑みが浮かべられた。
「惜しげもなく、自らの姿を捨てたものよ」
「たかが皮一枚。こだわるほどのことか!」
「私は、貴方の姿が気に入っていたのですが……」
俘の術司の腕にも、闇を凝縮したような炎が宿る。
「自らの名も名乗らずに消えた礼儀知らずに褒められても、おぞけが走る!!」
ソーヴェの腕で、とぐろを巻いた銀の龍が、大きく身を起こす。
攻撃態勢。
「女性とは思えぬ、気の強さ。……だが、より気に入りました」
語る腕には、闇色の龍。
銀の龍に対するように、大きく鎌首をもたげる。
「我が名は……、リドゥーラ‐ヴァン‐イーヌ。“闇の貴公子”と呼んでいただけると重畳です」
二人の術司のちょうど中間で、二匹の龍が激しく絡み合う。互いを喰らいつくそうと、熾烈な攻撃を加え合う。
「“闇の貴公子”? 御大層な名だ。それが望みとあらば、死の寸前までは呼んでやるよ」
ゆるゆると語られる言葉。
が、二人の間には、張り詰めた激しい闘気。
一瞬の隙がそのまま死につながる、凄まじい術のぶつかり合い。
「貴女の、本当の姿が見たいですね」
「自分でやっておいて、ご託をぬかすな!」
ソーヴェの怒りが炸裂する。
銀の龍から、巨大な炎が立ち上る。銀の龍が、その体を大きく膨らませる。
リドゥーラが、苦く舌打ちし、その場を飛び退いた。
銀の龍が、闇の龍を丸呑みし、その身に同化する。
それでも満足せず、その術を司ったリドゥーラに襲い掛かる。
「この程度で、私を倒せると思われては、心外だ」
「思ってはおらぬよ。ただ……その姿のまま死なれては困る。私は、この国の王から、殺してもおらぬ者の殺人者として追われるのは、ごめん被る」
追いすがり、リドゥーラに絡みついた銀龍が、一瞬にして浄化の炎と化す。
「小賢しい真似を……」
四方に銀の炎が、飛び散る。
その炎の下から現れたのは、ライオット王子と十分に張り合える美貌の青年。
だが、まったく正反対の雰囲気を持つ美貌が、そこには在った。
黒い肌、黒い髪、黒い瞳。強力な誠の術司が、その聖力の故に身に帯びる、美しい漆黒とは異なる、どこまでも禍々しい黒に彩られた姿。
二人の術司の外見は、使う術そのままに全く対照的であった。
「この私に、無理矢理術を解かせるなど……。ただでは済ませませんよ」
闇の貴公子の名に恥じぬ、恐ろしく整った面に、冷たい笑みを浮かべて、静かに佇む。
「今更! 仮死の呪術まで司った奴が」
再度、その身を銀蒼の炎で包んだソーヴェが、防御に入る。
甲高い音を発して、風が唸った。
襲い来る、鋭利な刃の如き、風の矢。
ソーヴェの口から、良く通る声が流れる。
同時に、組み合わされた指を上方に翳す。
指先から、炎が迸る。
グヴァァ────ンッツ…………!!
炎の壁に弾かれて、風の矢が逸れる。
周囲の大木を巻き込み、薙ぎ倒し、それが空中に消える。
「中々……。久々に楽しませてもらえそうだ」
リドゥーラの口許に、楽しげな、酷く残忍な笑みが刻まれた。
「楽しい、だと? お前、人の……人の苦しみを何だと思っているっつ!!」
怒りに、ソーヴェの闇色の瞳が、その深淵の色を深めた。
「この上ない、糧。そう思っていますが? 人の苦しみは、憎悪を呼ぶ。人の哀しみは、闇を呼ぶ。俘の術司が用いる力は、負に染められし人の感情より発する物」
哄笑。
「我が力の源に、これ程に相応しい物が、他にありましょうや? 強き力は、闇の貴公子たる私にこそ相応しい、最高の宝石です!」
「それだけ……それだけのために……それだけのために! 私の弟や母を殺したのかっつ!!」
「そうですが、何か? 貴女の母君や弟君の不安と恐怖と、哀しみ。殺される瞬間に発した憎悪。私にとって、これ以上はない、素晴らしい力を与えて下さった!」
リドゥーラが、悦に入ったように、自らの体を抱く。
「……強き力を望むは、人の持つ生来の欲。私は、その欲望を満たしただけ。俘の術司とは、そうして力を得るのですから」
くすくすと、心の底から楽しげに、リドゥーラが嗤う。
「それを楽しんでどこがいけませんか?」
リドゥーラが、大きく腕を開き、ソーヴェに迫る。
「本当に嬉しいですよ。今まで、私の所にまで辿り着いた者など、おりませなんだ。私の存在に気付き……、その上に呪術下から抜けて追ってくるなど、貴女が初めて……」
うっとりと、リドゥーラがソーヴェを見つめる。
「なれど、今、貴女の発するその感情自体が、私の力の源──」
差招くように、リドゥーラの腕がソーヴェに伸ばされる。
「憎みなさい! この、私を。そして、この身を飾るに相応しい、宝石を生み出しなさい」
その身の発する憎悪が、リドゥーラの力の源になっているとわかっても、ソーヴェの憎悪は治まらない。
「許さない……、許さない! 赦さないっつ!!」
ソーヴェの理性は飛んでいた。それ故に、リドゥーラの思惑にまんまと乗せられても、何の対処もできなかった。
その裡の怒りのまま、全身の銀蒼の炎が勢いを増していく。
夕闇の帳を引き裂いて、それは、その森一帯を、明々と照らしだした。
俘……虜、奪う
負……正の反対
訃……人の死の知らせ
仆……斃れ死ぬ、殺す