物乞い
どうも、星野紗奈です。
随分前に書いていた作品の選考結果がようやく出ました。
ここに投稿しているということは、結果は言わずもがなですが……(笑)
なんだかんだで選考が長引いていたので、実際に書き上げたのは多分2021年の10月くらい、19歳の頃です。
そう考えると、時間が経つのって恐ろしい程早いですね(;´・ω・)
話がそれましたが、そう長い作品でもないので気軽にお楽しみいただければと思います。
それでは、どうぞ↓
娘はバスを降りると、地面の感触を確かめるようにぴょんぴょんとその場で何度か跳ねて、満足気な笑みを噛み締めていた。
「こっちよ」
「うん」
私が呼びかけると、娘はリュックのベルトを握りしめながら、てこてこと私の方へ駆け寄って来た。
「えき、ついたね。もうかえる?」
「まだよ。お買い物してから帰ろうね」
「おかいもの?」
「そう、お買い物」
「どこのおみせ?」
「スーパーかな。ほら、いつも行く所」
「ふうん」
娘はそんな風に答えると、小さく歩みながら、眼をくりくり動かしてばかりいた。しばらくして、それはある一点を注視して止まったようだった。
「ねえ、あれなあに?」
娘が見つめていたのは、柱の影にいる物乞いだった。力なく座り込み頭を地面に落ちつけている物乞いは、ただ丸まって小さく縮こまっていた。その前には安っぽい茶碗が置き放たれていた。
「なんであんなことしてるの?」
「お金がなくて困ってるからね、お金を下さいって皆にお願いしてるのよ」
「おかねがないとこまるの?」
「そうね、ご飯が食べられなくなっちゃうとか」
「ふうん」
娘は道の端に寄ると、リュックを肩から降ろし、いそいそとその中を漁った。それから目的のものを手にしたのか、意気込んでリュックを背負い直すと、雲の上を歩くような覚束ない足取りで、一人物乞いの方へ歩いて行った。私はなんとなく、それを呆然と眺めるばかりだった。
娘は物乞いの前へ立ちはだかると、手の中に握りしめていたものを茶碗の中へ投げ込んだ。カランコロンと高い音が雑踏の隙間で鳴り響いた。その音を聞き取った物乞いは、のっそりとその重い頭を上げた。娘はちらりとも物乞いから目を逸らそうとはしなかった。
「……何してんだ」
「あめ」
娘はまっすぐな声でそれだけ言った。物乞いは茶碗を見た。透明なパッケージに包まれた小さな飴玉だけが、茶碗の中で無造作に転がっていた。その一粒の飴玉は、娘がおやつとしてリュックに仕込んでおいたものだった。
「あのな、俺は困ってるんだ」
「たべものがないんでしょ?」
「そうだ、だから金をくれ」
「なんで?」
娘は怪訝そうに首を傾げた。すると、娘と目線を絡み合わせた物乞いは、やがて大声で吠え掛かった。
「俺は、金をくれって言ってるんだよ! 金がなきゃ生きていけねえから金をくれって、こんな、……惨めったらしいことまでしてるんだ。それだってのに、こんなもん入れやがって、俺のことを馬鹿にしてるのか? そんなに俺に恥をかかせたいのか? ふざけるなよ!」
娘はそこでようやく、物乞いに対し初めて怯えるような表情を見せた。しかし、どうにか踏ん張ってそこに居続けるつもりらしく、物乞いの方を睨みつける勢いでじっと見続けていた。物乞いはそんな娘の様子が癪に障ったのか、さらに大声でがなり立てた。
「だから、初めっから俺は金をくれって言ってるんだ! それを、お前は『あめ』だと? 俺たちみたいなのを扱き下ろすのも大概にしろ!」
物乞いが大声で騒いでいたからか、娘の周りには妙な丸い空間が形作られていた。通行人たちは娘を見やって同情的な視線を送っているようだった。そして、その中の誰かが通報したのか、奇妙な領域に警察官が二人入り込んで来た。
「お兄さん、ちょっと落ち着きましょう」
「知るか! こいつ、こいつが飴なんか寄越しやがって、俺のことを馬鹿にしやがったんだ。俺のことを……」
「はいはい、わかりましたから。でもね、お兄さん、乞食はやっちゃいけませんよ。法律にあるんですから」
「馬鹿、俺たちみたいなやつをいつまでも放っておく国になんか頼ってられるか。俺はな、金がなきゃ生きていかれないってわかったから、こうやって人間としての意地を捨ててまでやってるっていうのに、この糞餓鬼が……」
「とりあえず、署でお話聞きますから」
警察官は吠え続ける物乞いを適当に宥めつつ、やや強引に引きずってどこかへ去って行った。
娘は、警察官に引きずられていく物乞いを、ぞっとするような眼つきで眺めていた。それはきっと、憐れみと軽蔑の眼に違いなかった。
「お嬢ちゃん、大丈夫だったかい?」
不思議な空間に取り残されていたもう一人の警察官が、娘にそう声をかけた。娘は落ち着いた様子で首を回して、警察官の方を見上げた。さっきあれほど怒鳴られていたにも関わらず、何でもないように警察官の方を見つめていた。しかし、娘は何一つ警察官に話すことなく、人混みの中へ駈け込んで行った。そうすると、さっきまで娘を中心にぽっかりと穴が開いていた人混みは、たちまち元の姿へ戻って行ってしまった。
娘は、忙しなく行き交う足の間を器用にすり抜けて、私のもとへ難なく戻って来た。警察官は、最初は消えて行った娘を心配していたようだが、完全に見失ったため、仕方がなく職務に戻ったようだった。
「おかいもの、いこう?」
娘は私の服の裾をちょんちょんと引いた。そうしてまたてこてこと歩き出したので、私は娘につられてその場を離れたのだった。
「はい、今日のお小遣いね」
買い物かごをある程度満たした後、スーパーのお菓子売り場に辿り着くと、私は娘に百円玉を三枚、その小さな掌の上に載せてやった。
「おおいよ?」
娘は百円玉を一枚ずつずらして数えながら、首を傾げてそうたずねた。
「いつもよりいっこおおい」
「あら、いつもより多いってわかるのね。えらいわ」
「なんでおおい?」
「嫌なことがあったでしょう? だから今日は特別よ」
「ふうん」
三枚の硬貨を落とさないようにしっかり握りしめて、娘は棚の前にしゃがみこんだ。
「べつに、いやではなかった」
娘は小さくそう呟いた。私はそれにどう答えるべきなのかわからず、結局聞こえないふりをしていた。
「これにする」
そこまで時間をかけることもなく、ふいにそう言って娘が持って来たのは、一袋一二〇円の飴だった。
「飴? それがいいの?」
「さっきあげて、なくなっちゃったから」
「お家に帰れば、飴はまだあるよ?」
「いまじゃなきゃだめ」
「そっか。じゃあ、他には何を買うの?」
「もういらない」
少し背伸びをして積み上げられた子供用の買い物かごを一つ手にし、飴の袋をそっと入れると、娘はレジの方へ向かって歩いて行った。代わりに私が何か買って行ってやろうかとも思ったが、それは違うような気がして、そのまま娘に遅れながらも会計を済ませたのだった。
スーパーを出ると、娘はまず余ったお小遣いをしまった財布をリュックに詰め込んで、それから飴の大袋を開けた。それを大事そうに抱え、私の前を歩いていた。
「さっきのところ」
「物乞いのこと?」
「いってくる」
そう言ったきり、娘はまた一人で跳ねるように先の道を進んでいった。
娘は、物乞いを見つけるたびに、空の容器に飴玉を一粒ずつ入れていった。娘が飴玉を落とすたびに周囲にカランコロンと音が響き渡り、それは水紋のように美しく繋がっていった。そうやって飴玉の音が少しずつ移動していくのは、一歩歩くたびに身に着けた鈴飾りが可愛らしく鳴るのにどこか似ていた。
娘に飴玉を入れられた物乞いの多くは、あまりいい顔をしなかった。無視をする人、舌打ちをする人、勿論前に出会った物乞いのように逆上する者もいた。そんな物乞いに遭遇した場合には時折怯えを隠せていないようだったが、それでも娘は断固として止めようとはしなかった。
何度目かわらなくなった頃、娘はようやくその人に出会った。日の当たる暖かい壁際で、カランコロンと娘が来た合図が鳴らされると、その物乞いは地面に額を擦り付けていた状態からおずおずと顔を上げた。そうして娘をじっと見た後、茶碗の中に入れられた飴玉を見据えた。
「これは、お嬢さんが」
「あめ。たべものないとこまるんだって」
物乞いは娘の言葉を聞くと、黙り込んでしまった。しばらくの沈黙の後、物乞いはやっと口を開いた。
「お嬢さんは、飴玉一つあれば生きていけると?」
「むりよ」
娘は物乞いの問いに対し、あっさりとそう言い切った。
「では、どうして」
「おかねがあってもね、うごけないんじゃ、しょうがないでしょ。ちょっとずつおかねをもらってもね、おみせにいくまでは、きっとどうにもならないわ」
娘は透き通った声で物乞いにそう告げた。それを聞いて、物乞いはどこか納得したような表情を浮かべ、礼を言った。
「ありがとうございます」
すると、今度はその声を聞いた娘が動き出した。娘は財布の中からお金を全て取り出し、躊躇なくその茶碗の中へ落とし込んだ。
「お嬢さん、全部入れるだなんて、そんなに貰えませんよ。お嬢さんの大事なお金でしょう」
「いいの。あげるってきめたから」
「……ありがとうございます」
決意を固めた子どもの頑固さを知っているのか、物乞いは娘の眼を見るとすぐに断るのを諦めたようだった。決して、嫌な感じはしなかった。何度か瞬きした後、娘はふと財布を落としてしまった。そして、それを拾おうとしたとき、勢い余って地面に頭をごちんとぶつけた。しかし、泣くこともなく財布を拾い上げると、下ろしたリュックの中に頭を突っ込むようにして財布を奥までしまい込んだ。それからリュックについた砂ぼこりをパンパンとはらって、物乞いに向き直った。
すると娘は、何の前触れもなく、ごく自然に物乞いに向かって手を合わせた。眼を閉じて静かに手を合わせるその様子は、祈るような、崇めるようなものだった。物乞いは一瞬戸惑った表情を見せたものの、その奇怪な行動を止めることはなかった。いつしか、娘とその物乞いを中心に、また奇妙な空間が出来上がっていた。
娘が目をぱちりと開けると、物乞いは深く頭を下げた。それにつられて、両手を不自然に外側へ突き出しながら、娘も不器用に礼を返した。
「またね」
ようやくやりたいことをやり終えたのか、娘はまたふわふわと浮ついた足取りで歩き始めた。突如、私はすぐに見えなくなってしまいそうな焦燥感に襲われ、慌ててその背中を追った。娘を視野に捕らえたことに安堵すると、ふと物乞いのことが気になってきた。ちらりと後ろを振り返ったが、建物の影に隠れてその物乞いの姿はもう見えなかった。ただ、雑踏の合間を縫って神秘的で穏やかな香りが漂ってきたことだけは、今も確かに覚えている。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!!




