第9話:始まり
「ねえ、ツカサくん。今日は何の日か知っている?」
奥座敷から続く廊下を抜けて、カフェエリアに戻ってくるなり舞夜は言った。
「今日というか、今日からしばらく《騎士祭》だよな?」
年に一度だけ開催されるエデンハイムの祭典。
それが《騎士祭》。
その言われは、乱世が渦巻く騎士の時代、中世まで遡る。
由緒正しき貴族とそこに仕える騎士の間で開かれた小さな夜会が時代と共に姿を変えて、今や街をあげた一大イベントに発展。 騎士時代をテーマにした盛大なお祭りとなっていた。
街を歩くのは、当時の暮らしをイメージした中世衣装に身を包む人々。
メイン通りに繰り出せば、焼きソーセージよろしく。B級グルメ屋台が活気をみせ、異国情緒を演出するキャラバン隊の笛の音が陽気なムードを運んでくる。
「魔女オーナー! そして少年ツカサよ。急ぎましょう!」
ゴーサインを出せば秒速で飛び出しかねない勢いで、若旦那がせき立てた。
窓の向こうからウキウキした声が聞こえてくる。
通りに目を向けると、騎士姿の小さな男の子が木製の短剣を天に指しながら走り抜けて行った。
その後ろを続けとばかり、マジカルステッキを握る小さな女の子が、「お兄ちゃん待って〜」とピンクのフリフリ衣装でパタパタ追いかけて行く。
「あら、可愛らしい。魔法少女ね」
窓の外で賑わう光景に舞夜は笑みを浮かべる。
「中世の服じゃなくてのいいの? いやまぁ、カテゴリー的には魔法少女も魔女なんだろうけど」
「ツカサくん。幼女先輩の可愛い姿を見たでしょ?」
「ああ……まあ」
「正義よ。可愛いければイイの。大事なのはね、心なのよ!」
舞夜はポンと嗜めるようにツカサの肩に手を置いた。
「お祭りを楽しめるなら、何を着たっていいのよ。もちろん相撲スーツでも、パンダの着ぐるみでも。こういうのは楽しんだ者勝ち。コスプレ大会じゃないんだもの」
「いや、相撲レスラーとパンダが街を歩けばもう、それこそコスプレ大会な気が……」
「ツカサくん。心よ」
「はぁ……」
異彩を放つ和服姿の女性に言われると、何故だろうかそれ以上はグゥの音もでなかった。
「お二人さん、行きましょう!」
痺れを切らせた若旦那がもぞもぞしながら言った。
「メインイベントが始まっちゃいますぜ。ミヲナと自分はいつでも準備OKなので」
若旦那が親指をグッと立てると、それに続けと部屋の片隅でミヲナも親指を立ててみせた。
慌てた様子で若旦那が飛び込んで来た時は、いったい何事かとビックリした。
けれど、蓋を開けてみれば何ということはない。
本日開催される騎士祭のメインイベント《祈りの儀式》、その開催時刻のお知らせに若旦那は駆けつけたのだった。
《祈りの儀式》は、ハイデリカが主役を務めるという催しだ。
これを若旦那は随分と楽しみにしているらしい。
一旦お店は準備中にして、みんなでお祭りに繰り出そうという算段だった。
「若、そんなに慌てなくても大丈夫。すぐ行くわ」
舞夜の言葉を合図に、お店のドアノブにCLOSEの看板を掲げると、揃って店前通りに出た。
店先の石畳には薄明かりが伸びる夕暮れムードが広がっている。
エデンハイムは日本を遠く離れた西欧に位置する街なので、日本やアジア諸国に比べると、太陽の輝いている時間が長い。
いわゆる夕方の時刻になっても外は明るいのだけど、そんな異国の街並みにも、遅ればせながら夜の訪れが近づいていた。
黒髪をなびかせる和服の舞夜を先頭に、一行はぞろぞろと通りを歩いて行く。
ぴたっり舞夜に寄り添うように小走りでミヲナ。
続いて太い腕を組み、胸を張るガタイの良い侍ヘアーの若旦那。
そして日本男児のツカサの順番だ。
これがお祭りを楽しむ中世の人たちの目には、珍妙な一団が練り歩いているように見えるらしい。
珍しい動物を見る目でジロジロ見られてみたり、集団面接に一人だけ私服で参加した時みたいにクスクス笑われてみたりだ。
街の人のコソコソ話心をくすぐるに格好の標的というわけだった。
「魔女よ——何も起きないといいけど——預言って本当かしら——」
そんな噂があちこちから聞こえてくる。
噂の中心にいるであろう舞夜は何食わぬ顔をしている。
周囲から向けられる好奇をまるで気にするでもなく、落ち着いた様子で綺麗な黒髪をなびかせていた。
「騎士祭のメインイベントはね、古の伝承を模して行われるの。《選ばれし士師》が大聖堂で祈りを捧げる。今日はその第一夜。降霊祭にあたるわ」
ふと、舞夜がツカサに説明するように言った。
「相変わらず魔女オーナーは博識ですね」
「そんなことないわ。エデンハイムのみんなは知っていることでしょ?」
「またまた、ご謙遜を」
あきらかに年上なのだけれど、若旦那は舞夜に対しては敬語で話をする。
エデンハイムは年上の人や先輩に絶対に敬語で話すべき、といった文化は根付いていない。
なので、年上だから、年下だからといって敬語を使うということはなかった。
もちろん、自分よりも責任や立場が上の人、例えば会社の上司なんかは敬われるけれど、お互いに気軽に名前で呼び合うことも珍しくはない。
誰であっても、対等に接するのが普通だ。
そんな文化の中、若旦那が舞夜に対して敬語なのは、和の文化を継承してとのことらしい。
魔女オーナーという呼び名そのままに、舞夜はブシドーの経営を支えるオーナーを勤めている。
ブシドーは舞夜のお気に入りのお店であり、それでいて最終責任者を勤めているお店でもある。
つまりは社長だ。
若旦那としては、店の名前『武士道』が如く、気分はさながら主君に使える武士なのかもしれない。
ツカサの詳しく知るところではないけれど、舞夜は他にもいくつか事業を手がけている。
出る杭は打たれるの精神に注意を払い、大きく目立つ仕事には決して手はださず、地味で、それでいて需要があるものに狙いを定めるお仕事スタイル。
ブシドーもその一つで、メイン通りに面していない、裏通りで和カフェのオーナーという絶妙なポジションを確立していた。
流行り過ぎず、廃れ過ぎず。知ってる人だけに愛される隠れ家のようなカフェスタイル。
ずる賢いというか、なかなかにやり手というか。
舞夜の持つ策士な一面もまた、東洋の魔女と呼ばれる所以なのかもしれない。
そして、そんな舞夜のことを、心良く思っていない人だって、きっと少なくはないのだろう。
「降霊祭って言ったっけ? これから始まるイベントってさ、ハイデリカが出てくるんだよな?」
街中の街灯やお店の軒先には、イベント開催を告知するハイデリカの写真付き広告があちこちに貼られていた。
写真は実物より可愛く見えるよう加工されて、アイドルやモデル顔負けの出来だ。
実に良く盛れていると思う。
「さすが少年ツカサ! よくご存知で」
待ってましたとばかりに、若旦那はツカサの肩を力強くガッシリと掴んだ。
なかなかの握力で、ちょっと痛い。
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。その姿はエデンハイムに誕生した大輪の花。否ッ、天使ッ。否ッ! 大天使ッ! 由緒正しく、伝統正しく、祈りの士師を務める本日の主役。それがハイデリカ嬢。街の者としては、ぜひとも見たい晴れ姿であろう」
推しのアイドルを絶賛するように、早口でまくし立てながら若旦那はツカサに顔を近づけた。
顔面の迫力に押されて、ツカサの身体が仰け反っていく。
「しゅ、主役ってさ、そんなにスゴイことなの?」
「今日だけが特別なのよ。お祭りは毎年行われているもの。これから始まる《祈りの儀式》だけが違うの。本格的な手順で行うのは数十年に一度だけなのよ。そのメインポジションに選抜されたのだから、責任も人気も重大。単純な男達ほどハシャいじゃうってワケ」
単純な男達の一人にまとめられてしまい、若旦那は寂しそうに肩をすぼめて縮こまった。
きっと舞夜は若旦那にあてつけて言ったわけじゃないとは思うけれど。
「さらに、ハイデリカは名門貴族ロートシルト家のご令嬢よ。エデンハイムに古くから暮らし、街の発展に貢献してきた由緒ある家系ね。街の偉い人たちからも一目を置かれているし、若くして外交的な職務まで手伝っているそうよ」
「オレとあんまり変わらない年齢だと思ってたけど、なんだか超人じみたスペック……。ってことはさ、ハイデリカってお嬢様なの!?」
気軽に会話して大丈夫な人だったのかな。
ツカサは今さらになって気後れしてくる。
「盛り過ぎじゃない?」と小馬鹿にしたハイデリカ写真付きのビラだって、改めてみると神々しくすら見えてきた。
なるほど。令嬢の写真をノー加工で街に張り出すなんて、恐れ多くてできないわけか。
「名家のご子息で仕事もできる。おまけに美少女ということも合わせて、これにてトリプル役満の完成ね。今日みたいな機会でもないと、近くで見れることもないだろうし、ファンにとってはお楽しみの一夜でもあるわね」
「特別なイベントってことか」
スポーツの祭典オリンピックの開催地に地元が選ばれて、しかも地元出身の有名アイドルが開会式に登場するオマケ付き。
きっと感覚としては近いのだろう。だからこその盛り上がりよう。
ツカサたちがメイン通りに到着すると、祭りを楽しむ人々がクライマックスに向けて、高まる熱量と共に集まって来ているところだった。
エデンハイムの入口からまっすぐに伸びた石畳のメイン通りは、街の中心にある大聖堂へと繋がっている。
通りの両サイドには、高くとも4階建の建物が連なり、通りに面した1階にはレストランやカフェ、雑貨店が並んでいる。
お祭りの今日だけはさらに特別で、焼きソーセージ屋をはじめ、カラフルポップコーンに香ばしい焼きアーモンド、名産のビールやホットワインが楽しめる出店が路上に並び、お祭りムードを盛り上げていた。
食欲をそそる美味しそうな香りが人々の間を縫って流れてくる。
フライドポテトを販売するポメス店もバッチリ並んで営業中で、屋台から「揚げたてだよ〜」のオヤジの声を合図に、ジャガイモの良いニオイが運ばれてきた。
舞夜が「あーあ」とワザとらしく声をあげたけれど、触らぬ魔女に祟りはなし。
ツカサはそっぽを向いて聞こえないフリをした。
「でさ、これから何が始まるの?」
ポテトの話を掘り起こされるのも億劫なので、話題変更も兼ねてツカサは気になっていたことを聞いてみることにした。
街全体のボルテージは上々。活気のある盛り上がりをみせている。
けれど、はてさて。
肝心のメインイベントの内容って何なのだろう。
石畳みのメイン通りは、中央部が数人は並んで歩けるくらいスペースが確保されている。遊園地でパレードの登場を待つように、期待に胸を膨らませ、目を輝かせる中世の民たちが通りの両脇に並んでいた。
なかには応援団よろしく、通りの一角を陣取り、手にはペンライト、肩にはタオル、スクラムを組むラガーマン顔負けの熱気を発し、ハイデリカのファンと思われる男たちの姿もあった。
ファンが多いという話はあながち嘘ではないらしい。
ツカサが隣に目を向けると、仁王立ちの若旦那もまた、鼻息荒く彼らと同じくたぎる男気をほとばしらせている。
「選ばれし神子たる士師、裁き司となりて、虚空より出でし理りの光に導きの標べを祈り給う」
呪文でも呟くみたいに舞夜は述べた。
「いきなり、なに?」
「これはエデンハイムに残る古の伝承よ。これから始まる《祈りの儀式》は、この伝承に基づいて行われるの」
賑わう祭りの光景に、舞夜はどこか羨ましさの滲む遠い目を向けた。
「言い伝えによるとその昔、大いなる光に導かれ、《士師》と呼ばれる指導者がこの街を発展させたと言われているわ。光の女神に祈りを捧げ、女神が祈りに応えてくれた。だから、戦争に明け暮れた激動の中世や、数々の歴史的修羅場を乗り越えてこれた。すべては女神様の加護があったからこそ。女神様が祈りに応え守ってくれた。故に世界は平和で満たされた。この街ではそう、信じられているの」
両手を胸の前で握り、舞夜は誇張した口調で祈りを述べる。
「ああ女神様、ありがとう。今日まで続く繁栄を。感謝の願いを込めて祈り捧げましょう、ってね」
「なるほど」
「でね、ハイデリカが今宵の士師に選ばれたの。民衆を導く代表としてね。今日はそんな特別な一夜。大聖堂で祈りを捧げる儀式の日」
「その花道として、我々はハイデリカを見送るのさ」
補足する若旦那が大きく腕を広げてみせる。
ふと、ある疑問がツカサに浮かんだ。
「あれ? 見送るだけなの? 教会のミサみたいにさ、てっきり大聖堂の中でハイデリカのお祈りとやらを見届けるのかと思っていたけど」
「大聖堂は神聖な場所よ。一般人は立ち入り禁止」
両指をクロスさせて、舞夜は口元で可愛くバッテン印を作った。
「だから、大聖堂に旅立つ《士師》を見送るのが、今日のメインイベントね」
すっかり夕闇に包まれた通りには、ハイデリカの登場を待つ人々が続々と集まっていた。
オレンジ色に輝く街灯の光が、彼等を優しく照らしている。
みんなが来たる時の訪れを心待ちにしていた。
大聖堂を目指して進むハイデリカを見送る。
きっと、それはものの数十秒の出来事で、ハイデリカはあっという間に彼らの前を通りすぎてしまうのだろう。
けれど、マラソン競技や自転車ロードレースの観戦みたいに、その一瞬の輝きに人々は熱狂するに違いなかった。
「ツカサくん。そろそろ始まるわよ」
楽しそうな声をあげる舞夜だったが、声色とは裏腹にその表情は神妙だった。
「舞夜?」
舞夜は一点を見つめて意識を集中していた。舞夜を中心に周囲の温度が少し下がる。
ふと、ツカサはおぼろげに明滅する紫の光が舞夜を取り囲んでいることに気が付いた。
「ふぅ」
緊張を綻ばせるように、舞夜が力を抜くように笑った。
力の源泉であり、生命の源でもあるという紫に輝くマナの光。それは強いマナのある場所では、力の流れとして光が見える。
舞夜を囲んで踊る光は、彼女が操っているものなのだろうか?
ツカサのすぐ近くで街灯がバチバチと音を立てた。
接触不良なのか、点灯と消灯を不気味に繰り返している。
飛んで光にいる一匹の蛾が、ここに我の居場所はなしと悟り、どこかへと飛び去って行く。
呼吸を整えるよう、舞夜は深く目を閉じて何かに意識を集中させていた。
紫の光たちが次々と吸い込まれるように舞夜の中へと消えていく。
「あのさ……」
ツカサが心配を覚えて、舞夜に声を掛けようと思った時だった。
不意に、か弱い力がツカサの袖を引っ張った。