第6話:ハイデリカには関わらないこと
「ハイデリカには関わらない方が身のためよ」
奥座敷に入ると、なんの前触れもなく舞夜は挨拶代わりにそう言った。
「ほら、キミをこの街に連れてきたのって、いちおう私なワケだから、忠告くらいしておこうかなと思って。その義務くらいはあると思うの」
なんでもお見通しよと、見透かされているような口調だった。
美しい畳がキレイに並ぶ六畳間の個室。
部屋の中央にはちゃぶ台が一つあるだけだ。
樹齢100年超えの大樹から豪快に切り出されたであろう丸太のようなちゃぶ台の前に、のんびりと、それでいて清らかに、音もなくお茶を嗜む人物が正座している。
清々しいイグサの香りが漂う和の空間で、魔女と呼ばれるその人はツカサの到着を待っていた。
名は舞夜。
通り名は魔女。
ツカサを異国エデンハイムに連れて来たその人だ。
心身を包むのは、和室によく似合う着物。灰色に近い黒髪セミロングは肩より少し長く、長髪の隙間には、やんわりと赤いグラデーションがハイライトに見え隠れしている。
すらっとした体躯は、推定二十歳ほどに見える。魔女という通り名から、ツカサはもちろん舞夜のことを美しい女性なのだと思っているけれど、正直なところ、見る角度によっては美形男子にも見えなくはない。
さながらタカラジェンヌのように。美少女というべきなのか、美男子と呼ぶべきなのか。女の子が憧れる、女子からもモテるタイプなのは間違いない。
肌は白く透き通るようで、口元にはある小さくチャーミーなホクロが舞夜の可愛いらしさを引き立てていた。
そんな舞夜のことを、エデンハイムの人たちは魔女とあだ名している。
異国エデンハイムでは絶滅危惧種のように珍しい黒髪に和服という組み合わせは、見方によっては魔女っぽいのかもしれない。
合わせて、大昔の日本の女子バレーボール代表選手が、強すぎるあまり東洋の魔女と恐れられたことになぞらえているらしい。
要するに、影でこっそり誰かが「アイツ魔女っぽくね?」と囁いたことが始まりみたいなものだった。
当の本人はといえば、
「魔女帽子なんて被ったことないし、魔女っ娘らしくもないのに、どうして私は魔女呼ばわりされるのかしら」
と少し困惑気味。
とはいえ、内心どこか気に入っている節もあるらしく、まんざら悪い気もしていないそうだ。
「で、どうしてハイデリカに会ったって分かったんだ? どこかで見てたならさ、声を掛けてくれればいいのに」
洗礼のように告げられた忠告に驚きつつ、ツカサは冷静を保ちながら尋ねた。
鐘の音が響くなか、大聖堂から飛び出してきた桃色銀髪の少女ハイデリカ。
彼女に出会ったのは、ついさっきの出来事なわけで、ハイデリカという少女のことをツカサが知ったのもまた、ついさっきの出来事なわけだった。
座敷にシンと座る舞夜はふと口元に笑みを浮かべると、湯飲みに落としていた視線をツカサへと向けた。
不思議な魔力を宿すような、ルビーゴールドに輝く赤い瞳がツカサを優しく光る。
預言の魔女がどこかで見ている。
ツカサの脳裏に、ふとそんな言葉が浮かんだ。
「関わらないことがオススメ。私はそう忠告しただけよ。コソコソ密会していたことまでは聞いていないわ。それとも、何かやましいことでもあった?」
おっと。
早合点というか勘違いというか。
たしかに舞夜はそこまでは言っていない。
言われてみれば、その通り。
「別に何もないよ。てか密会って……」
「ふーん。ツカサくんの言いによると、なんだかワケありなのかと思えたのに」
「あいにく、ハイデリカに急に話かけられただけだよ。それに、さっき初めて会ったところだし」
舞夜に喋りかけながら、ツカサはちゃぶ台を挟んで、舞夜の反対側へと座った。
ちゃぶ台は北欧から取り寄せた家具らしく、シンプルにちゃぶ台と呼ぶにはあまりに分厚い。厚さ20cmはあろう大木の丸太を三本の脚が支えていた。
これはいわゆる北欧のデザインセンスに、和の心を取り入れたオシャレなローテーブル。
なのだけど、和室に入ればちゃぶ台そのもの。
そんな小洒落たテーブルならぬちゃぶ台の上には、湯のみとお箸が一膳ちょこんとすまし顔で置かれている。
お茶の香りがツカサの鼻頭を優しく撫でると、知っているようで知らない、懐かしい魅惑的な香りを感じた。
「確認だけど、お使いに出ていたツカサくんが、偶然にもハイデリカに出会ったのね?」
「まあ、話の流れとしては、そうなるかな」
「大聖堂の前を通り掛り、たまたま良いタイミングで、これまた偶然にも美少女が目の前に降ってくる。いわゆる定番じみたシーンではあるけど、そんなことって、実際にあるのかしら」
「いやに突っ掛かるな……」
まるで必然。
そんな含みを持たせて舞夜は言った。
しかし、思い当たることがないツカサにとっては、必然をほのめかされようとも、偶然は偶然だ。
「もし理由があるなら、ぜひ聞かせてもらいたいよ」
「そこは私に聞かれても……ねぇ? 気になるならほら、本人に直接聞いてくれると私としては嬉しいわ」
「いや、さっき関わるなって言ったの舞夜じゃなかったっけ?」
「それはあくまで私のオススメ。どう行動するかはツカサくんの自由よ」
「んー」
なんだかなぁ。
自己責任でどうぞ、というスタンスらしい。
これは何かあった後に「だから私は言ったのに。人の言うことを聞かないからバチが当たったのよ」と咎められるやつに違いない。
「ところでさ、舞夜って、ハイデリカと知り合いなの?」
突然のハイデリカ出現にも驚いたけれど、舞夜からの忠告もまた、ツカサにとっては急な出来事ではあった。
というのも、ツカサは舞夜から一度も、ハイデリカの話を聞いたことがなかった。
ハイデリカという女の子が同じ町に住んでいる。それを知ったのは、ついさっきだ。
関わらない方がいい、なんて警告を出すくらいだ。舞夜とハイデリカは仲の良いベストパートナーという関係ではないだろう。
けれど、舞夜は確実に何かを知っている。
だから忠告をしてきたのだ。
「ハイデリカのことは私が一方通行的に知っているだけよ。ツカサくんも大聖堂の垂れ幕を見たでしょ? さながらお祭りの主演女優なのです私って感じのあれ。彼女なかなかに有名人なの。ほら、見た目も可愛いかったでしょ? ファンも多いそうよ」
「まぁ、たしかに」
桃色を帯びた銀髪の少女ハイデリカ。その可愛さは引き立つものがあった。
《マナ》がどうとか、いきなり摩訶不思議な話をされなければ、ツカサは素敵な出会いに心踊り狂っていたかもしれない。
「もしかしたらだけど、ハイデリカも私の存在くらいなら知っているかもしれないけど」
「異国の街で和服はちょっと目立つもんな」
「そうね。お互いに一方通行ってことかしら。これが恋なら、運命のすれ違い中ね。うふふ、照れちゃうなあ」
舞夜は両頬に手を当てると、ワザとらしく照れ隠してみせた。
お互いが存在だけを知っていて、ひょんなことで出会った二人は、運命に導かれるまま恋物語に落ちていく。
美少女と美形の組み合わせだから、それは絵になる物語なのだろうけれど、どこかハイデリカを小馬鹿にしたような舞夜の口ぶりからは、とてもそんな光景は浮かんでこなかった。
どちらかと言えば、赤コーナーにビッグイベントで主役を張る美少女。
もう一方の青コーナーには異国で異彩を放つ魔女。
リングサイドにはバチバチと散る火花。
大歓声の響くなかで、今まさにデスマッチが繰り広げられようとしている。
そんな二人の姿のほうが、何故かツカサにはしっくり来るものがあった。
「それはそうとね」
人差し指と親指でピストルの構えを作ると、片目を閉じて舞夜はツカサに狙いをすました。
「タネ明かしをすると、実はツカサくんから彼女のニオイがしているのよ」
「え、そ、そうなのッ!?」
慌ててツカサは服の匂いを確かめてみた。
そんなに特徴的な香りだったっけ。
女の子らしい独特なシャンプーの香りはしたけれど、ここは和室で、座敷に敷かれた畳の匂いが強かった。
自分についた臭いなんて、まったく分からなかった。
どさくさに紛れて、あくまでさりげなさを装い脇汗の匂いも確認しておいた。
大丈夫だ。安心されたし。脇の下戦線に異常はない。
「うふふ、ツカサくんは大げさね。嘘に決まっているじゃない」
やれやれと舞夜が首を振った。
「ちょッ……」
やっぱりニオイなんて分からないが正解か。犬もビックリの嗅覚かと思った。
「なーんて。実はそれも嘘よ。本当は、ホントよ」
「……どっち? ですか?」
困惑するツカサにちらりと目を配り、舞夜は湯のみに入ったお茶に口をつけた。
舞夜の手の動きに合わせて、残像を描くみたいに紫の光がゆらいだ。
「女性と密会するなら、香りには気をつける。香りは辿られてしまうもの。それに自分に付いたニオイはあら不思議。なぜだか自分じゃ分からない。ジンギスカンを食べに行った帰り道ってそうじゃない? すごく羊くさいはずなのに、意外と気にならなかったり」
ツカサの地元にはジンギスカンを食べられるお店は無かった。
だから、例えとしてはよく分からないけれど。
「家で焼肉パーティーして、トイレ行って戻ってみたら、部屋の中がすごく肉々しく感じる……みたいなこと?」
「ナイス例え! そういうこと」
舞夜は嬉しそうに手を打つと、そのまま不思議そうに顔を傾けた。
「でも、ツカサくん。焼肉パーティーなら、普通はお庭じゃない?」
「んん? 普通? 庭の方が珍しくない?」
「えッ? そうなの?」
「そうだと……思うけど。あいにくオレの実家は庭付きの家じゃなかったし」
「お庭があると気持ちが良いのに。そりゃあね、冬の雪かきは大変だけど」
「ジンギスカンに雪かきって……。あのさ、もしかして舞夜って、雪国?」
肌の白い舞夜が赤いマフラーを巻いて、雪の降る白い街をとぼとぼ歩いて行く。
そんな姿がツカサの脳裏に浮かんでいた。
綺麗な黒髪をなびかせて歩くにも、雪国の街並みはよく似合う光景だなって。
「フフフ。そこはご想像にお任せ」
頬杖を付いて、舞夜は無邪気に笑ってみせた。
「で、話は戻すけどさ、どうしてハイデリカに関わらない方がいいの?」
「そのこと……。彼女、不思議なこと言ってなかった?」
「マナがどうとか、魔力がどうとか。まあ、次々に変な事を言う子ではあったよ。あと、紫の光がいきなり出現して……って、こんな話して大丈夫?」
舞夜は何かを知っている。
そう思いつつも、自分でも突拍子のないことを口走っていることにツカサは気付いた。
魔力がどうと言われて、さっきまで戸惑っていたのは他の誰でもなく自分自身じゃないか。
とはいえ、
「あとさ、エデンハイムって舞夜以外にも魔女っているの?」
話始めると、これが止まらない。
全て聞かないと気が済まないみたいに、ツカサは思いつく限りを舞夜にぶつけていた。
舞夜がそっと、窓の外に視線を移した。
遠慮がちに音もない笑みを浮かべて。
座敷の奥には、大きな満月のように光を取り込む大窓があり、障子が開け放たれていた。
窓の向こうには、純和風の中庭庭園が広がっている。
庭園は若旦那が日曜大工とばかりに、せっせと改良を続けている趣味たっぷりの中庭で、どういう仕組みなのか一年中ずっと紅葉が咲いている。
赤く染まる和の心と風情を演出する大きな紅葉が風に揺られ、綺麗に整理された砂紋の上に赤い木の葉がはらはらと舞い降りていた。
「あのね、ツカサくん」
「ん?」
舞夜はため息を付くと、なだめるように言った。
「一度に話されても分からないの。見ての通り、だって私は聖徳太子じゃないもの。耳は2つ。聞ける話は1つまで」
聖徳太子もまた耳は2つ、だと思うのだけれど……。
という話ではなくて。
舞夜が言いたいのはきっと、聖徳太子の特殊スキルのこと。
いわゆる、太子の伝説その一。
嘘か誠か、一度に十名の意見を聞き分けることができた、という逸話のことだろう。
「じゃあ、順番に……」
「その前に」
舞夜はちゃぶ台に置かれたお箸を手に取ると、話を中断するようにパチパチと箸を重ね、綺麗な音を二回鳴らした。
職人の業が光る、至高の黒一色のお箸。
漆黒の漆仕立てがツカサの前に差し出される。
「して、例のものは?」
「ああ、そうだったな」
舞夜と出会って早々、思わぬセリフから会話が始まったから、すっかり忘れていた。
けれど、ツカサ本来の目的は別にあった。
舞夜からの注文の品を届けること。
道中でハイデリカに絡まれるというアクシデントはあったけど、祭りで賑わう街中にいたのは、舞夜からお使いの命を受けていたからだった。
「もちろん、ちゃんとココに」
ツカサは紙袋をちゃぶ台の真ん中にドサリと置くと、豪快に破いて中身を開いてみせた。
まったく、人使いが荒いんだから。
好きなだけご覧くださいな。
包みが開かれると、部屋中は雲のような煙に覆われた。