第5話:武士道の魔女
BUSHIDO。
ブシドー。
呼んで字のごとく、武士道。
本来なら『戦国を生きる武士の生き様』といった意味合いの言葉なのだろうけど、ここエデンハイムではちょっと事情が異ってくる。
《武士道》と言えば、皆が「あそこね!」と思い浮かべるのが、とあるお店の存在だった。
ひと呼んで、カフェ《ブシドー》。
カフェの入口扉には、横長の一枚板が大きく飾られていて、大河ドラマのタイトルよろしく、そこには流れる達筆で『武士道』と墨字が書かれている。
もちろん、異国エデンハイムには漢字を読めない人が多いわけで、漢字の下には『BUSHIDO』と小さく読みローマ字がふられている。
ちなみに、エデンハイムの人たちは武士道を『ブシッド』と発音する人が多かった。日本語の発音は難しいらしい。
そんなカフェ《ブシドー》の外観は、中世の街並みに溶け込む西洋風のオシャレ建築だ。
けれど、漢字で書かれた看板だけが異様に目立つというか、場違いというか。悪趣味なまでの異彩を放っていた。
それこそ、一度見たら忘れないくらいに。
日本好きという趣味が成せる技なんだろうけど、憧れひしめく間違った日本感は拭えないよなぁ……。
なんて感想を、近づく看板を見上げながらツカサは抱いていた。
「なあ、ミヲナ。舞夜は《ブシドー》にいるの?」
先導するように半歩ほど先を歩くその人は、返事をするでもなくコクリと頷いた。
中性的な見た目に中学生くらいの小柄な体型。服装は黒のハーフパンツに、白い丸襟と袖が印象的な黒の長袖。首からアクセサリーのように輝くスチームパンク風の片眼鏡をぶら下げている。
黒髪の軽いくせ毛がトレードマークの少年。
いや、もしかすると少女なのかもしれない。
ツカサも素性を詳しくは知らないのだけれど、みんなからは《ミヲナ》と呼ばれて可愛がられている。
いわゆる《魔女と呼ばれるその人》の付き人的な存在で、いわば執事、いやマネージャー、それともパートナー、実は使い魔だったりして。
とにかく。
通称、魔女と行動を共にする人物だ。
「ミヲナ。ひとつ聞いていい?」
「どうぞ」
「ハイデリカって女の子なんだけど、もしかして知っていたりする?」
「知っています」
「本当に!? あの人ってさ、有名人かなにかなの?」
「……」
「実はちょっと危ない系の人とか?」
「……」
「あのー、ミヲナさん? 聞いてる?」
「……」
「もしかして、ひとつしか答えてくれない、とか?」
急にピタリとミヲナが立ち止まると、回れ右をしてまっすぐにツカサへと振り返った。
赤く綺麗な瞳がじっとツカサを見つめている。
「ツカサ。ひとつと聞きました」
「なんて真面目ッ! じゃあさ、ふたつ……いやこの場合は、みっつ?」
「ツカサ。舞夜がお待ちです」
お客さま左手をご覧ください、といった調子でミヲナの左手が持ち上がった。
案内されるまま視線を移すと、目指すカフェ《ブシドー》の前に到着していた。
ツカサの留学している異国において、日本といえば、ブシドー。
和といえば、抹茶といえば、日本食といえば、みんなが口を揃えるのがブシドーだった。異国エデンハイムの最前線で日本代表を務める喫茶店、それが武士道ことブシドーだ。
そして、例の《魔女と呼ばれる人》は、ブシドーにとても愛着を持っている。
ミヲナは微動だにせず、ツカサがお店に入るのをじっと待っていた。フリーズして止まった旧式パソコンのような固まりっぷりだ。
「もう少し気軽に話してくれてもいいのに」
「……」
必要最低限のことしか答えてくれないのは、ミヲナの日常茶飯事ではある。
人見知りで話すことが苦手なのかもしれないから、無理強いはしないけれど、もっとコミュニケーションを取りたいツカサにとっては、少しの寂しさがあった。
ミヲナの瞳がパチパチと瞬き、首を左に傾けた。
早く入ってという意味なのか。それともツカサの問いかけの意味が分からないのか。
どちらにしても、今ツカサがとるべき行動はひとつだった。
カフェの扉を勢いよく開くと、陽気なマスターが元気に迎え入れてくれた。
「いらっしゃいませ、こんにちはー」
カフェに似合わない日本式コンビニ挨拶が、渋いテノールボイスに乗って客のいない店内に響いた。
いったい誰が教えたんだか。その挨拶。
「来たなお二人さん。今日はまたどうしたい?」
「マスターあのさ、舞夜は?」
「魔女オーナーかい?」
「うん……」
店内には誰の姿も見当たらない。
お店は一見オシャレカフェのような内装をしている。
木の温もりを感じる暖かな店内だ。
けれど、店内がただのオシャレカフェじゃないということは、入ってすぐに感じることができる。
武士道という店の名に恥じない一品たちが、ゴロゴロとそこら中に集結しているのだ。
店の片隅には七福神フィギュアの乗った宝船の模型。招き猫の置物が棚の上では手招き。目の部分が黒く塗られた赤い必勝ダルマがむっすりと鎮座すれば、壁には墨絵の掛け軸や神棚が飾られている。おまけに、どこで手に入れて来たのか、甲冑や刀、色鮮やかな着物まで飾られているときた。
古今東西より取り揃えた和のオールスターが集結する空間は、例に漏れず間違った日本感もバッチリと兼ね備えている。
けれど不思議なことに、よりどりみどり四方八方から集められたコレクションたちは、店内で良い感じにまとまってもいた。
まさに海外からみた憧れの日本がここに。
「魔女オーナーの話の前に一つだけ訂正しておこうか少年ツカサよ。違う違う。ノンノンだ」
カウンターテーブルの中から、マスターはチッチッと指を振った。
「私のことはマスターではなく若旦那と。または若旦那的存在と呼んでくれると嬉しいと言ったろう? マスターという呼び名は和製英語でもある」
忘れていたけど、そうだった。
マスター……じゃなくて若旦那は、カフェ《ブシドー》を切り盛りする店長だ。
年代物のオートバイ『スーパーカブ』にまたがり、日本横断旅に出てほどに生粋の日本好きで、流暢な日本語を操る長身ナイスガイ。
あごひげがよく似合い、自慢の茶金の長髪は後ろに束ねて侍ヘアー。
おまけに脱ぐとムキムキのマッチョでもある。
ちなみに、日本横断中に耳にした最も響のよい言葉が『若旦那』だったそう。
「今日は《騎士祭》だからな、お客さんはゼロさ」
若旦那は腕を組むとシシシと笑ってみせた。
言われなくても一目瞭然なくらい、店内にお客さんの姿は見当たらなかった。
鹿威しがあれば、カコンとよい音が響そうだ。
「今日くらいお店を閉めてもいいんじゃない? 誰もこないみたいだし」
「そうはいかない。祭りの最後はポン酒でキメたい人もいるからな」
若旦那はおちょこを持つように指を差し出すと、「チュッ」と音を立て、日本酒を飲む仕草をみせた。
棚に並んだ日本酒の一升瓶には、常連客の名前が書かれた札が下げられている。
「常連たちは宴会なわけか」
「そういうことだ。時にお二人さんよ。とりあえず何か飲んでいくかい?」
若旦那がさあ見てくれと、メニューの書かれた黒板を促した。
若旦那の頭上にある大きな黒板には、和風カフェらしく、緑茶、麦茶、ウローン茶、あき茶など定番のお茶メニューが並んでいる。
ちなみに人気商品は抹茶らしい。
「抹茶はいいぞ。当店自慢の健康食品だからな。やっぱり健康あってこそだろ。オススメだ」
「抹茶は食べ物じゃないけど……」
「ツカサはいちいち細かいな。んー、それじゃあモテないぞ」
若旦那は陽気にイイねと親指を突き出し、自慢の白い歯を輝かせた。
「モテないは余計です」
そう言うと若旦那は「カカカ」と大きく笑った。
気を取り直して、ツカサは黒板に並んだメニューを眺めてみた。
定番のお茶メニューと題して、《緑茶、麦茶、ウローン茶、あき茶》がローマ字でズラリと書き連ねられている。
1つだけ、見慣れないお茶があるようだった。
あき茶。そんな名前のお茶は始めて聞いたかも。
「えっと、じゃあ……オレはあき茶にしてみようかな。なんだろうこれ」
分からないメニューは試してみる。
迷う間に即行動。時には何よりも早さが大事な時がある。
ということで、ツカサは意外とチャレンジャーなところがあった。
「いいセンスだ少年ツカサよ。やっぱり、あき茶か。しかしだな……」
渋い顔の若旦那がポリポリとヒゲをかいた。
「すまない。あいにくと品切れだ。むしろ入荷されたことがないお茶だ。そんなお茶など、この世に存在しないとも言われている。伝説のお茶なのだろうか……」
「そうなんだ。じゃあさ、どうしてメニューに?」
あごヒゲに手を当て、若旦那は遠い日を思い出すように話す。
「とある日本の少年が教えてくれたんだよ。緑茶、麦茶、ウーロン茶、どれも素晴らしいが、いやいや、最高なのは、あき茶だよと。若き日の自分は驚愕してね。はじめて聞くお茶の名前。そして語感と響の良さ。まだ見ぬお茶ではあるのだが、知っている人が現れたらという願いを込めて、メニューに加えてみたワケだ」
「お尋ね者ならぬ、お尋ねお茶として張り出されてるってワケか」
「正解だ少年ツカサよ!」
まだ見ぬお茶、あき茶。
お茶には詳しくないけれど、ツカサが知らないだけで、日本のどこかにそんなお茶があるのかもしれない。世界は広く、日本もまた小さいようで広い。とくに北海道なんて想像していり以上にデカい。
「もし知ってる人に会ったらさ、若旦那にも知らせるよ」
「そいつは助かる」
仕方がないので、ツカサはほうじ茶を注文することにした。
若旦那の淹れるお茶の温かく心地よい香りが辺りを満たしていく。
ほうじ茶がツカサの前に出されると、ミヲナが両肘をカウンターに乗せて身を乗り出した。
「若旦那。抹茶オレオ」
「いいチョイスだ。ミヲナ。抹茶オレではなくて、オレオなところがよい」
注文を伝えコクリと頷くと、ミヲナは畳で作られたイスにちょこんと背筋を伸ばして座った。
見るからに甘そうな濃い緑とクッキーにあふれた飲み物がミヲナの前に運ばれると、ミヲナはニコリと嬉しそうな表情を浮かべた。
「時にツカサよ、魔女オーナーならもう来てるよ。今日もパシリかい?」
若旦那が皮肉気味に言った。
「お使いと呼んでくれると嬉しいかな」
ツカサは道中で手に入れてきた紙袋を掲げてみせる。
「失礼。それはグッジョブだ」
「まあ仕事ではないけど」
ツカサは静かな店内をぐるりと見渡して言った。
「どうせなら、若旦那がオレを雇ってくれてもいいんだけどね」
「あいにくスタッフを抱える余裕はないのだよ」
「暇そうだもんね……」
お世辞にも繁盛しているとは言いづらい、閑散とした店内を見る限り、いまは一人でも時間を持て余すくらいだ。
「それにお店としては、和服の似合う女性に今は来てもらいたいな。ツカサに女装させるわけにもいかないだろう?」
「……そうだな」
趣味ではない女装してまで働きたいかと聞かれたら、それはノーではあった。
安らぎの和カフェに女装男子がいたら、気も休まらないだろうし。
「ジョークだよ。仕事は男女では選ばないさ。いまはまだ時じゃない。それだけだ。さあ時間だ」
ツカサは湯のみに入ったほうじ茶をグイと飲み干すと「ごちそうさま」とお礼を言った。
「魔女オーナーは奥座敷でお待ちだ」
若旦那がクイクイと親指で背後をさすと、店の奥に新撰組の羽織のような、藍色に白の三角デザインをした暖簾が目についた。
ふいに目の端を小さな紫の光がかすめて行く。
暖簾の奥の通路に向かって、先を導くように光が流れた気がした。
風もないのに暖簾が少しだけ奥に吸い込まれるようになびく。
ふうと息をつく。
魔女の待つ奥座敷を目指してツカサは暖簾をくぐった。
魔女こと舞夜との会話後、物語は祭りの儀式へ、大きく動きだします。